第八話 親にも子にも教えられない場

 君が今日も同室の人たちに気づかれないようにそおーと布団を抜け出すのを私は気づき薄目を開けてぼんやりと見ていた、一体何時だろうか?手元に腕時計を引き寄せる。夜灯の薄暗い明かりの中で目を凝らしてみると午前三時過ぎであった。ここは新潟県のとある田舎町にある、会社の社員寮での話しである。

A君がこっそり夜中に寮を抜け出すと言う噂は耳に入っていたが現場を目撃したのは今回が始めてであった。 早速その夜同期で入社した仲間数人でA君を取り囲み夜中に何処へ出かけているのかを聞き出そうとしたが、A君は無言のままである。 気の短い者が胸倉を掴んで脅しても口をへの字にして言葉を発しない。彼は新潟のA市よりこの地へ就職した、いかにも生真面目そうな色の白い好青年で私とは何となくうまが合った男である。かわいそうになり私がもう良いではないかと言ったとき彼はおもむろに口を開いた 職場の先輩と誰にも話さないと硬く約束した旨を云いさらに『親にも子にも教えられない場所だ!』と言った。

工場には従業員が四千人弱程勤めており、彼の職場の先輩とは誰のことかは全くわからない、幸いにも寮で親しくして頂いていた先輩がその職場勤務であったので訳を話して聴いてみたところ大筋が分かった。

O川は名高い黒部・北又谷と同じ犬ヶ岳に源を発し、大きくV字に切れ込んでK山の西を流れている川である。
寮はO川沿いに建っているが、その上流部には町とほとんど交流がなく閉ざされたS集落、さらにその上流にH集落があるが(現在はH集落は廃村となっている)A君の先輩はその何れかの出身で離村して今は町に住んで会社勤めをしておられる。その人は生まれ育ったO川源流部に精通しておられ、当然岩魚釣りも生活の一部としてされていたので釣れる場所を良くご存知であろうとのことである。さらにこれら二集落ともに自給自足ながら立派に生活を営まれており、町の人々が岩魚等を求めて集落を通過することや貴重な蛋白源である岩魚の漁場を荒らされる事を極度に警戒されていること。さらにH集落付近には国の天然記念物に指定されている翡翠鉱脈の露出地区がO川を横切っており立派な紫翡翠が川中にでんとあることが知られている。

時々それらを盗み取ろうと夜中にのみとハンマーを持っていくものも居るらしい。それらのことよりその先輩は今迄誰にも教えていなかったが、A君の実直で真面目な人柄を見てついつい掟を破って釣り場へ同行してしまったのだろう。その時の条件として誰にも教えるな『親にも子にも教えられない場所なのだ!』と言われたのだと思われる。

それから数日後情報をくれた先輩を隊長とするO川源流岩魚探検隊が組織された。隊員は私の同期入社の五名であり総勢六名の構成である。 しかしながら誰もが岩魚を見たことも無くもちろん釣り方も知らない。それぞれフナ竿を手に餌は準備無しである。源流で蜘蛛やバッタを採取しろとの事であった。 全員ゴム長靴を履き、会社の山岳部より借りたリュック背負い、その上に真っ赤なシラフをくくりつけた姿である。一泊二日の行程でとにかく源流を目指すとの事であった。

早朝、寮前に勢ぞろいした探検隊は隊長の号令で川沿いの山道をひたすら自分の足で歩くだけである。 約一時間程して右岸にK山が聳えその山肌を白く削り取って石灰石を採集しているところに着いたがまだここは会社敷地内である。その後、道は山間ふかくはいり、岩をくり抜いたトンネルを抜けると程なくS集落が見えてきた。 隊長から村人の生活場所なのでじろじろ見ないで真っ直ぐ前だけを見るようにと注意があり全員従う。しばらくして火の見やぐらのような監視塔が川沿いに建っているのが見えた。 川床に翡翠の大きな原石がごろごろと転がっている。一際目に付くのは紫色した何トンもあろうかと思われる紫翡翠の原石である。失礼をしてその上によじ登ってみる、これを磨いて指輪にしたら何億何千万円になるのだろうかと思えば何とも不思議な気持ちになるものである。

H集落を抜けると川沿いの山道はいよいよ狭くなるが我が探検隊は一人の落伍者も無く一列に並び黙々と歩く。その内前方より地鳴りに似たど、ど、ど、とした音が響き渡る、一体なんだろうと目を凝らすと真っ黒な獰猛そうな黒牛の集団が細い山道を駆け下ってくる。まるで西部劇の一シーンを見ているようだ。右側は川沿いの深い谷で左側は切り立った高い崖であり逃げ場が全く無く、崖に張り付いて牛様を通り過すしかないのである。全員顔を崖に擦り付けるようにして張り付くが先頭の隊長は真っ青になり背中を崖に付けろと絶叫している。背負っている真っ赤なシラフを隠すように指示しているのだ。しぶしぶ無防備な顔や腹を山道に向ける。先頭の黒牛は如何にもボスらしく大きい、それが太い角を前後左右に振りながら口から泡を吹きながら駆けてくる。もうだめかと思い目をつぶる。ど、ど、ど、と耳に聞こえる、薄目を開けてみると約20頭ぐらいの群れが通り過ぎるところである、二列三列となった牛との距離はわずか30cmぐらいであった。 たすかった! 全員肩に入っていた力がどっと抜けたようであった。後で知り得た話であるがこの場所はH集落の牛を夏季のみ放牧しておくH牧場と呼ばれているところであった。

そうこうしながらなんとか前進し、やっと今夜のキャンプ予定地の堰堤管理宿舎に着きテントを張り一泊する。翌日朝早くに起こされ出発する。 渓流が二つに分岐しているので二班に分かれてそれぞれ釣り上がることにする。私は取りあえず蜘蛛を探し針に着け流れに入れてみるが当りが全く無い。トンボを着けたりバッタに変えたりしてみるが何しろ渓流釣りが始めてなので何処に岩魚が居るのか全く分からず目印がピクリともしない。色々工夫してみても一向に釣れる気配がない。 集合時間が迫って来たので納竿としてあわててテント場に戻るが他の誰もが一匹も釣れてない。一瞬ほっとするが変な感じである。このようにして私の始めての渓流釣りは無残にもボーズであったのだ。

その後A君にこれら遡行顛末を話すと笑いながらたたき毛ばり仕掛けを私だけにそおーと見せてくれた。それは大きな針に黒を基調に白い羽が少し入った毛ばりと二mぐらいの竹の延べ竿、二号ぐらいのナイロン製の道糸で構成された非常にシンプルなものであった。但し、釣り場所は頑として教えてもらえなかった。

この谷は今もって非常に険悪であり、特にI谷の途中のゴルジュ帯は厳しく並みの渓流人では踏破は困難であるが、地元の人達は自分たちしか知らないナタ目を追って山を越え上流部へ入渓されているとの事である。 したがって源流部は今時珍しく岩魚の桃源境を保っている。 おそらくA君たちはそこへ通っていたものと思われる。

 それから三十数年後再度訪れ、朱点の鮮やかな型の良い岩魚を多く釣り、長い間私の心に残っていた宿題を仕上げ母なる渓流に乾杯をした。  第八話完

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