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1.詩吟とは
詩吟は漢詩に独特の節を付けて発声し、 漢詩の心を最大限に表現しようとす
る、日本が誇る高雅な伝統芸能です。 喉や頭声だけでは吟詠の詩心表現はで
きない。胸筋や背筋、横隔膜から腹・腰に至るまでほぼ全身の筋肉を共鳴体とし
て使う必要があります。そのためには姿勢、呼吸法、意識を集めるなどの「技術」
が必要です。このため、その発声は肉体芸術とも言われています。
漢詩は永い歴史の洗礼を受けた古典文学です。 俳句と同じように、極めて少
ない文字で多くの事物や感情や思想が盛込まれていて、 読めば読む程 言い知
れぬリズム感と、何かジーンと胸を打つのを感じます。
漢詩に対する理解は、そのまま吟じる興味につながり、また次第に吟詠の深みと
もなって現れるもので、 詩と吟とは本来密接不離の関係を保ちながら相互に磨
かれてゆくものであるといえます。
漢詩に対する思いと効用について、野末陳平著の「人生の無常を楽しむ術−
40歳からの漢詩−」の「はじめに」の部分の抜粋をリンクページで紹介する。
詩というものは、人の心を耕しその感情を豊かにするもので、これから養わ
れる情操こそ、人間形成への母体であり、豊かな人生への無限の財産となり
ます。
漢詩を好きになり、そして吟ずることを通じて、詩の心にふれながら貴方の人生を
大いに励まし満してくれるものであるといえましょう。
2.詩吟のルーツ
詩吟の歴史をたどると、平安中期の頃の漢詩や和歌の宮廷歌謡 「朗詠」であ
ると言われています。
江戸時代になると、徳川五代将軍「綱吉」が、湯島に昌平坂学問所を開き、諸
藩の秀才を集めて全寮制の教育を行った(現在の東大の前身)時に、 漢詩の講
義で、学生達の興味を引くため、 漢詩に「ふし」をつけて読んで聞かせたのが今
日の詩吟の始まりとなったと言われており、ここで学んだ学生達は、やがて諸藩
に戻って藩校の教師となり詩吟を広めたと言われております。
また広瀬淡窓(1782〜1856)が私塾「桂林荘」の塾生に歌わせた吟法が広く継
承されてきたとの説もあります。 幕末においては、作詩した者が自ら吟ずるなど、
悲憤慷慨・士気高揚を図り、 明治維新の大業遂行の原動力の一翼を担ったとも
言われています。
桂林荘雑詠諸生に示す(一) 広瀬淡窓 道うことを休めよ他郷苦辛多しと 同袍友有り自ずから相親しむ 柴扉暁に出ずれば霜雪の如し 君は川流を汲め我は薪を拾わん |
通 釈
・他郷へ出ての勉学は辛い等というものではな
い。
・着物を共にする友達が出来、仲良く暮せるか
らだ。
・朝早く柴の扉を開いて外に出れば、雪のよう
に霜が降りて冷たいが、
・さあ朝餉の支度だ。君は川に水を汲みに行け
、僕は薪とりに行く」の意