大覚大僧正妙實上人の活躍

 南北朝時代にあって、世の中は不安定であったと思われます。人々は精神的な安定を求めていたのでしょうか。
 洛中には町衆の力によっていくつもの日蓮宗寺院が建立されていきました。

●雨乞いの祈祷
 妙實上人は、京都の日蓮宗を代表する立場におられました。
 朝廷や幕府との関係は改善され、天下泰平のための祈祷などの依頼を受けるまでになっていたようです。

 延文三年(1358、延文二年の説あり)、京都を襲った旱魃(かんばつ)に対して、詔を受けて妙實上人は桂川のほとりで雨乞いの祈祷をされ、効験を示されました。

 この功績によって、後光厳天皇より日蓮聖人に「大菩薩」、日朗上人・日像上人には「菩薩」の号を賜り、妙實上人は僧正の極官に登られました。時に妙實上人、六十二歳です。

 翌年には三千万部法華経如説読誦という大祈祷を成就して「四海唱導」の綸旨を賜り、さらに「大僧正」に昇進されました。

●法華堂の建立
 三菩薩の号を賜ったことを記念して、日像菩薩との出会いの場、改衣入門受法の地である当山の地に、妙實上人は「四海泰平勅願所」と名付けられた【法華堂】を建立されました。これが北野 法華寺の基になったのです。
 当山には、この法華堂開創時に建てられたという題目石塔二基が現存しております。

 京都の日蓮宗はいよいよ栄え、洛中は「題目の巷」と表現されるほどになってゆきました。住民の七割から九割は日蓮宗信徒になったといいます。
 浄土真宗が京都で栄えるのは江戸時代以降、禅宗は人口比率の低い武家中心であったことを考えれば、日蓮宗が町衆の宗教となったことは想像にかたくないことです。

 貞治三年(1364)、四月三日、大覚大僧正妙實上人は六十八歳で寂しました。


[その後の京都]に続く…