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砲台跡に建つ石碑(04年4月) 海岸から見た石垣(04年4月) 幕末、攘夷のもとに築いた砲台。同じような砲台が次々と消えている現代において、かろうじて残ったものの一つ。国道二号線が整備される時に消える運命のところ、かろうじて生き残り、明石海峡大橋建設時も危ないところであった。砲台跡に立つと、実感がせまる。大橋がもう少しずれていたら、危ないものであった。某店舗跡がマンション建設中。建設に先立ち、発掘調査が行われ、地下から当時の砲台の規模が推測されている。右写真の石垣も当時のものであるというのが、最近の研究でわかった。JR舞子駅又は山陽電鉄舞子駅で降りると、目の前に明石大橋がそびえ立ち、橋のたもと西側端に小公園として保存されている。例に漏れず、この砲台からも、一発の砲弾も、外国船に向けて発射されていない。軍備とは何なのか、考えさせられる遺物である。同じような砲台として、和田岬、西宮、堺北、堺南砲台などがある。 公 園 石 碑![]() 正面 史蹟 舞 子 砲 臺 跡 兵庫縣 03年12月発掘時 左面 昭和五年一月 |