柴橋代官所
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代官所跡にあるさくら公園(08年11月)

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寒河江市が最上川を大きく取り込んだ所に柴橋が位置する。江戸期を通じて代官所があった。慶応四年の戊辰戦争発端となった。庄内藩が代官所に貯蔵されていた年貢米を持ち去ったことから、新政府軍と衝突、天童藩陣屋が襲撃され消失、町の半分を焼く。その事が原因で天童藩家老吉田大八が切腹して責任を取ることに。今、柴橋の集落入口に小公園(代官所さくら公園)となり、山形県が建てた石碑がある。

柴橋代官所あと(現地説明板より)

山形盆地に置かれた、幕府直轄地(天領)を支配した代官所(陣屋)の一つ。宝暦三年(1753)天野市十郎代官が初代。宝暦十年六月に小田切新五郎代官が陣屋を構築した。代官の下に手附・手代を置き、年貢・戸籍・治安などの行政をすすめた。役所は南に正門、北に居宅、東西に米蔵を備えていた。明和四年(1767)ころ、会田伊右衛門代官、支配高四十八ヶ村で、七万四千石。代官は柴橋と寒河江の両方の代官を兼務した。通りには郷宿(公事宿)が七軒あって官庁街のようであった。    寒河江市・熊野ラインを進める会 平成十四年四月吉日