博愛社会を潰す人

人を苦しめても平気な人

 なぜ、自分が人を苦しめていると知っていても、その人は『芸能人だから』ということで、自分のやっていることに何の罪悪も感じず正しいと思っていられるのか。

 幼い頃から親に、自分自身の存在ではなく、否定のない認められる存在しかけ止めてもらえず、その存在でなければ否定をされ、その存在に押し込められてきたためです。

 そのために自分自身を失くし、苦しくてもその存在になることが正しい自分、正しい行動と信じてしまい、その存在でなければ否定されても仕方がないとなってしまったからです。

 そうした、認めあい、協力、信頼の関係を失くす間違った教育を受け、子供を苦しめる親に育てられてきたために、それらの関係を築いていける知識はなく、自分がその関係を失くし、博愛社会をつぶすことをしているという感覚すらありません。

 ですから、自分が人を無理やり商品にし、さらし者のようにして多くの人の前に出して苦しめていても、「芸能人はマスメディアを通じて多くの人に見られるようになって、認められた存在」と、うわべしか見られず、そう考えれば、そのままその存在に、その人のすべてを当てはめ、「その人は、そうして多くの人に関心を持たれ見られることが、認められた存在の人だから、それで苦しんでいても仕方がない」と考えるようになります。

 そしてさらに、自分が認められようとする会社の人などに否定されず、認められていれば、自分の考え、やっていることは間違っていないと確信を持て、自分は否定のない認められた存在であり、正しいと信じていられます。




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