最後に

昔々の教育

 昔は、村の中で米をつくるのも皆で助け合って作っていかなければならず
ため池の維持のために、たまった泥をかき出さなければいけない時も
皆で力を合わせてやっていかなければならず、そうして共に協力し合って生きていました。

 社会や協力の教育がなくても「協力って何?」と聞かれたら、「皆でため池にたまった泥
をかき出すこと」と、協力の意味ではなく、行動自体を答え、そして、その行動ができれば
協力の意味を理解していることになり、協力のできる認められた存在になれました。

 それに、親が学び得た知識、経験が米作りなど特定の行動のやり方しかなくても
それがそのまま子供が生きていくために必要な知識、学ぶものとなりましたので
親はうわべだけでなく、子供に行動の本来の理由を伝えることができ
親子の信頼関係を深めることができました

 そのような中で上下関係を築き、子供がいけないことをした時や人との接し方、しきたり
などを教育しようとして、親から否定される怖さを教え、親や他者から「否定されないため」
「認められるため」という理由を考えさせて行動自体をやらせていても、その行動自体を
言われた通りにしていれば、自分が出会うすべての人に認められ、否定のない認められ
た存在でいられましたので、親の言うことすべてが自分に生きるすべを教えてくれている
ということになり信頼を失くすことはありませんでした。

 しかし、これらのことは、限られた範囲、限られた人、限られた行動の中で生きている人
だけに成り立つものです。

 今は社会が広がり、そして、多くの社会ができる時代に変わりました。
 親に米を作る知識、経験があっても子供が他の仕事につけば
その知識、経験は、子供にとって何の必要もないものとなります。
 
 そのため、米作りしか行動の本来の理由を伝えられるものがなく、昔からの教育しか
知識になければ、今の時代では親として子供に伝えられるものは何もないということにな
ります。

 それでも子供を教育しようとすれば、知識の中には、上下関係をつくり否定される怖さを
教え「否定されないため」「認められるため」という理由で行動自体をやらすものしか残っ
ていません。

 昔の時代を見ても、否定される怖さを教え「田んぼを作れ」「良い米を作れ」
「それは正しいこと」と言うだけで行動自体をやらせようとする親はいませんでした。
 そうしたことしか子供に伝えられないのなら、今だけでなく昔の時代の中でも生きていけ
ません。

 昔から親がやってきた子供が生きていくために必要な教育のやり方は
とうに成り立つものではなくなっています。

 当世に必要な教育を受けていない親は、今の社会の中では
子供に間違ったことを教え込んでいるだけの行動になってしまいます。


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