最後に

愛を失った人

 間違った教育を受けた人は、自分のことを受け止め、理解していくことができなくなるため
他者を受け止め、理解していくことはできません。

 そのような人に人を愛する手段はありません。
 子供に愛を向ける手段はありません。

 自分のことを受け止め理解していけない人に、自分の子供を受け止め理解しようとする
自分のことができるわけもなく、そのような人に、自分の存在も子供の存在も考えの中に
出てくることはありません。

 ですから、否定をし愛を切ることをすれば、子供は傷つき、苦しむという姿は
見えていても、その子供は自分の中に出てきません。
 自分の言動で子供が傷つき苦しんでいても、そのようなことをしている自分自身も
自分の中に出てくることはありません。

 このような人が子供を否定でき、愛を切ることができる人であり、いつまでも疑うことなく
そうしたことをしていても教育と信じていられる人です。

 自分の中に自分も子供もいない人に、愛を子供に向けられるわけがありません。
 このような人に育てられた子供が、愛を持てるわけがありません。

 愛とは受け止めるということです。

 子供を否定する人は、子供自身を受け止められない人です。
 そのような人に愛はありません。

 親が子供を愛せる人なら、子供が親に愛されよう、認められようとする考えは持ちません

 愛のある親に対して、そのような必要のないことを考え、行動しません。
 親を愛している気持ちだけで十分です。

 子供を愛していると思い、子供のために教育をしようと行動すれば、否定される怖さを
教え、言うことを聞かせようとする、そのような「愛のない行動」を起こしているなら
それが真実のその人であり、実際の行動です。

 子供は、その姿をそのまま受け取ります。

 愛を子供に向けることができるなら、我が子を否定することはできません。
 自分の言動で子供が傷つき泣いている姿が見えていながら
それが愛しているからこその言動とは思いもしません。

 間違った教育を受けた人は、愛する子供のためと思い教育しようとすれば
行動自体をやらす強者の行動しか知識にないために、子供を否定し傷つけても
それらのことすべてが子供への愛からくる言動と信じます。

 さらに、このような人は、そうした親の愛を子供が理解していないと思うことがあれば
すべて愛するが故の言動と認めさせるために言い聞かすことをします。

 愛のない人は愛する手段がないため、愛があるということを子供に分かってもらうしかな
く、分からせ信じさせるしかありません。

 すべて子供自身を受け止めることができない愛を失わされた人の考えです。

 愛のない人は、そうした自分を受け止め、反省することができないかぎり
いくら子供のため、子供を愛していると思っていても、考え、行動すれば
愛のない言動を繰り返してしまいます


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