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最後に
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「教育は何のために受けるのか」
それは、世間、他者に否定されない認められる人になるため。
「勉強は何のためにするのか」
それは、世間、他者に否定されない認められる人になるため。
「常識とは何か」
それは、世間、他者に否定されない認められる考えを持ち、行動すること。
「倫理とは何か」
それは、どこまでなら世間、他者に否定されるか
どこまでなら世間、他者に否定されないかを理解すること。
「社会を見て行動するとは、どういうことなのか」
それは、世間、他者を見て、否定されない認められる判断をし、行動すること。
こうした考えをする人は、自分のことを理解した行動が起こせない人です。
「否定されないため」「認められるため」と考え、行動の理由になる人は、すべての行動の
基本がこうしたものになり、自分の行動はなく、やらされている行動を起こしている人です。
人を否定するということは、人としての正しい社会である博愛社会をつぶす行動です。
そのようなことをする人に対して「否定されないため」「認められるため」と考え
行動する人は、弱さがあれば博愛社会をつぶされ苦しめられても仕方がなく
人はそうしたものと考える人であり、間違った教育を受けてきた人です。
人を否定してはいけないということは、常識です。
常識とは、自分とつながる社会の中で、当然に得ていなければならない知識、判断力で
す。
「否定する」「否定しない」は、つながる自分の社会を見て「してはいけない」と
当然に理解し、判断できるか、できないかの問題です。
間違った教育を受け、人に不信を向けるようになった人が「否定されないため」
「認められるため」という理由を考え、行動するようになります。
人への不信を持ち、そのような理由を考え、行動する人は、その自分は問題であるとい
うことを受け止められなければ、必ず問題を他者に植え付け、広げることをしてしまいま
す。
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