虐待

学ぼうとする子供

 幼い子供は一人では生きていけません。
 親に見捨てられたら生きていけません。
 それも弱さです。
 しかし、親や大人より下の立場ではありません。

 子供は本能的にも弱いことを知っています。
 だからこそ一日でも早く自分の力で生きていけるように親の力を信頼し、自分のことを頑
張ります。
 親や周りから色々なことを学ぼうとし、頑張っています。
 そうした学ぼうとする行動、学ぼうとする力を持っています。
 
 日本語を話せるようになるのも、誰に言いつけられたわけでも
否定を恐れた行動でもなく、子供自身が自ら学び得た知識です。

 大人も一人で完全に自給自足をしている人でないかぎり
多くの人の努力とつながり生きています。
 子供も生きていくためにそうして頑張っています。
 理解できていない、行動ができていないという弱さを
自ら劣等と感じるようにはなりません。

 しかし、子供が生きていくために親から学び得た知識が、自分が起こそうとする行動のこ
とを学び、理解し、考え、行動していこうとするものではなく
「親の言う通りにできなければ否定される。認められる行動ができていなければ世間、他者
も否定してくる。弱さはそうしたもの。だから親、世間、他者に否定されないために認められ
る行動を起こす」
というようなものなら、今の日本の一般社会に反した生き方しかできず、人という生き物が
人として人らしく生きていくことはできません。

 今は決められた中で行動するのではなく、多様な中から自分で選び、自分がやろうとする
行動を自分で学び、理解し、考え、行動していかなければなりません。
 別々の生き方をしている人との出会いがあり、さまざまな社会ができる時代です。社会の
安定を築いていく行動を、そのつど自分でその社会を理解し、考え、行動していかなけれ
なりません。

 しかし、そうして自分で行動していこうとしても、考えられることが、親、世間、他者に否定
されないためという理由を行動するものでは、何もまともに考え、行動していくことはできま せん。

 起こそうとする行動、社会、親、他者、何を見ても実際に起こしている行動は同じになり
否定のない認められる存在になるための行動しかできません。 


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