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虐待
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間違った教育を受け、人への不信を持つようになった親が、子供にトイレですることを
教えようとすれば「トイレですることは、正しいこと」「トイレでしないでパンツの中ですること
は、いけないこと」と、トイレですること自体を認め、パンツの中ですること自体を否定し
トイレでするという行動自体をやらせようとします。
人は誰しも行動の本来の理由を理解しなければ、行動は起こせません。
子供も、「認められる」「否定される」ということを伝えられ、行動自体をやりなさいと言わ
れただけでは、トイレですることに関して何も学ぶものはなく、理解し、考え、行動すること
はできません。
しかし、そうしたことを理解していない親は、自分が間違ったことをしているとは
考えの中に出てくることはありません。
考えられることは「なぜ、正しいこと、ダメなことと伝え、やりなさいと言っても言う通りに
できないのか」としかなく、何も学ぶものを伝えていなくても教育をしているつもりでいますの
で、伝えても行動を起こせないでいることを、子供の理解力のなさのせいにし
そうしたことを子供の弱さと見ます。
このような人が子供の弱さと向かい合えば、自分の弱さに関する知識、経験から
(無意識の中に)自分自身が、しつけと称して親から受けた強者の行動と親から植え付けら
れた人への不信が表れ、「子供の弱さ」と「うまくしつけができない自分の弱さ」とで
感情は不安定なものになってしまいます。
そして、考えられることは「できない子供の弱さと子供自身を否定し、親としての自分の存
在を強者と認めさせる」というものしかなく、そうして自分の存在、感情、子供を教育しようと
する思い、行動を満たそうとします。
「トイレでしないで、オシッコをもらすことはいけないことと、なぜ何度言ってもわからないん
だ」と、できない子供の弱さを否定し、落胆の言葉を投げかけ、そうした意味でのため息を
つきます。
そして、どれほど子供は弱者であるのか、言うことを聞かなければどういうことになるのか
親である自分がいてこそ生きていけるということを教え込むことをやり
「そんな子はどうでもいい」「言うことを聞かないのなら、あなたのことは何もしない」と
見捨てることを言い、子供への愛を切ることをします。
子供は、本能的にも親がいないと生きていけないことを知っています。親に見捨てられ
愛を切られると不安になります。
もちろん親は、見捨てることを言い、愛を切ることをすれば、子供は不安になり
「親に愛されよう」とすることを知っています。
知っていて、親は、それを強者と認めさせ、言うことを聞かすための手段として利用し
愛してほしければ言うことを聞けと脅します。
子供は何のことなのか分かりません。
オシッコをしたら親が自分を否定し、愛さないと言い、ひどくなると叩き、罰を与えてくるこ
とに、どうしていいのか分からず戸惑います。
そして、まず子供は、否定されないため、愛を切られないために
オシッコを我慢するようになります。
しかし、我慢しきれなくなり漏らしてしまいます。
親は、その愛されようとして頑張ったけれど失敗してしまった子供を、さらに否定し、愛を
切り、落胆の言葉を投げかけ、否定される怖さを分からせようとします。
子供は、トイレでするということを考えられません。
オシッコをし、パンツを汚したことを否定されながら「トイレでしなさい」「したくなったら言い
なさい」と行動自体を言われても、「オシッコをすれば否定される」ということしか考えられま
せん。
親から学ぼうとして、その親のやっていることが、トイレでする行動の本来の理由を教育
するものではなく、子供のしたことを否定し、子供を否定し、愛を切るという子供にとっては
命にまでかかわることをして「ああしろ、こうしろ」と言うだけなら、当然そうなります。
このような親がやっている行動は、教育ではありません。
脅す行動を起こしているだけです。
それが子供に起こしている実際の行動です。
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