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拳龍会について
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道場紹介

流祖摩文仁賢和について、拳龍会初代会長 故 廣川弘の回想録と、月間空手道より、新垣清先生の文章を引用する

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甦れ 糸東流精妙の実技

糸東流空手道拳龍会初代会長 廣川 弘
平成5年3月28日
糸東流拳龍会創立45周年記念国際親善空手道大会プログラムより

 昭和20年、敗戦という未曾有の事態に直面して武道界はおしなべて苦境のどん底にあった。
 学校武道禁止令は私のそれまでの柔道部の修行を閉ざし、その年も晩秋の頃、初めて摩文仁賢和の門 を叩いた。
 噂に聞けば、空手という琉球の拳は、全身これ鉄石と化して一撃必殺を狙うという。
 如何に「空手に先手なし」と言ってもこれでは剛の理論の「武」の二流ではないのか、破れ畳の六畳と八畳、弟子なんてどこにもいない。そんな私のためらいの前に、だがその時、現れた小柄な武人は只者ではなかった。
 折に触れてみせるその動きは、まるで至芸の舞を演ずるが如く、指先に糸を引くその美しい軌跡は、今まで見たこともない、確かな技術で私を圧倒した。

ああ これは文化だ
 鮮烈な感動が全身を駆けめぐった。われ道を得たり、何をか迷わん、信じられないばかりの戦後の空腹に目もくらみながら師とふたり、ひたすら稽古を重ねる毎日であった。
 あれから40数年、戦後は既に遠く、先師の蒔かれた苦節の種は今や世界に花咲かんとしている。
 まことに隔世の感、この喜びは誰にもまして大きいが、果たして先師はこれだけをもって、諒とされているのであろうか。
 あの頃の、ただ一筋の煌めきの流れも、それが下流に拡大されるにつれて、次第に平均的、画一統一化の技術で浸蝕されようとしていく。
 かつて日本の空手界で、
力はもとべ(本部朝基) 技はまぶに
 と言われた如く、糸東流が一流をなす絶対の理由は、この又と無い精妙の動きにあった。
 ただ単に力があるとか、スピードがあるとか破壊力とかいうのでは、他の格闘技や流派でも当り前のことで、本来、糸東流は精妙なるが故にこそ一流をなし、その存在を誇示し得るものであったのである。
 全て正統を標榜するものは、昨日今日に生まれたものではない、伝統には歴史に則した血脈がある。
何事も 打ち忘れたり ひたすらに 武の島さして こぐが 楽しき
 禅は目的と手段の乖離(かいり−そむき離れる)を嫌う。真正の道を求める者は、何かその目的のために手段としての、行動をしてはならぬという。段位のため、試合のためでの空手ではない。
 空手そのものに打ち込めというのだ。全ての従的、二次的なことは、その後に従ってあり、もし、従ってなかっても本物であることを楽しめという。この世のほとんどのことは目的のために手段を選ぶ。
 そしてそれに馴れ切った我々が卑しくなるのは当然だ。馴れれば馴れるほどに卑しくなる。
 せめて空手の道だけでも 「何事も打ち忘れたり」 で純でありたい。
 先師の教えは「生き方」をも含めた人間全体を把えている。この師と、教わっている自分と二元的に離れているのではなく、今こそ一元的に一体になろうとしなければ、流祖伝精妙の技術は永遠に閉ざされ、再び現れることはないであろう。


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糸東流について

月刊「空手道」空手三国志 新垣 清 著より

 空手が日本本土に移入された時期に、その普及に尽力を傾けた人間たちの多くは、己の志(こころざし)が達成されるのを自分の目で見る事なしにこの世を去っている。
 なら、彼らは不幸であったのか?
 そうでは、あるまい。
 この稿の主人公である摩文仁賢和に、

何事も打ち忘れたり、ひたすらに、武の島さして、こぐが楽しき
 と詠んだ歌がある。
 往々にして空手家や武道家は「克己」、「闘魂」そして現在なら「押忍」などと武張った言葉を並べたがる。
 それは、それで良い。
 しかし、これほど自然体な空手三昧へ行き着いた摩文仁の境地は、すべての糸東流空手家が自分の流派の始祖を語るときに、胸を張って誇りに思えるほどの素晴らしいものだ。
 武道家でこれほどの境地を表し得たのは、辞世の句として「うけゑたる心のかかみ影きよく、けふ大空にかへすうれしさ」と詠んだ、幕末の直心影流の剣豪であった男谷精一郎信友(1798−1864)くらいのものである。
 武道の果てにある、「楽しさ」、そして「うれしさ」を、これほどまで素朴に表せた人間を、うらやましく思う人間は筆者のみではあるまい。
 第三者の目から見て、摩文仁の興した糸東流やそれに連なる流会・派は「最強」「絶対」など、マスコミ受けする言葉などとは、反する位置にあるイメージだ。
 流派の保持する形にしても、沖縄古伝の形と比較すればそのスポーツ化は否めないが、他の日本本土の流派と比べれば非常に地味な動作で始終する。
 しかし、沖縄空手、そして日本武道の根源とは自らを守ることを第一義とし、他人にみせる、あるいは他人と争うことを目的として生まれてきたのではない。
 人と争わず、わが身と愛するものを守り、社会に貢献する。これが平和な時代に、武術が武道に昇華されていった時の結論だともいえる。
 このように永続する日本文化に繋がる流れとして、糸東流という流派を捉えた場合には、「君子の武道」と謳った摩文仁賢和の意図が明確になるのだ。

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