言葉にならない感情があることを、知ってしまった

















++++ 体感温度 5




















今日もまた、彼女は、ただ黙々と機械的に仕事をこなしていく。
じっと凝視している自分にも気がつかずに。




差し出されたビニール袋を受け取れば、



「ありがとうございました」



抑揚の無い声でそう告げた後、彼女はすぐに次の客へと意識を移してしまった。
否。客の持ってくる商品に。





「……」



慣れた動作でレジを打っている彼女をもう一度見やった後で、忍足は出入り口へ向かった。








朝練のある早朝。
昼食を買いに、そのコンビニに寄れば1/3の確率で彼女に逢う事ができると判った。


ここ連日通ってみると、彼女の名前が『』というコト。

そして、
一切の感情を映さない瞳。
義務的な言葉しか紡がない唇。
微かに触れた指先はひどく冷たくて―――、

まるで自由意志をもたない人形のように見える、というコトが判った。







(せやけど、確かにあの時見たんや…)




それは、ほんの一瞬。
少年に向かって、彼女は笑った。
閉じていた蕾が陽を浴びてゆっくりと開くような、そんな微笑だった。


―――無表情の仮面の下に、ソレは隠されているのだ。










軽く溜息をつくと、不意に声が掛かった。



「どしたの? 忍足」


ハッと顔を向けると、ジローが不思議そうに首を傾げていた。
そうだった。今日は連れがいたのだ。
漸く慣れてきた部活で出来た仲間の一人、ジローが。

ジローは昨日、部活後に遊びに来たのだが途中で眠り込んだ為そのまま泊まったのだ。
今さっき二人分の昼食を買ったばかりだというのに忘れていた自分に驚く。




「や。何もないで」


軽く肩を竦めれば、ジローは真っ直ぐな眼差しを向けてきた。



「あの店員さんが気になるの?」
「―――え?」
「忍足、ずっと見てたから」


「違う?」と目で問い掛けるジローに、内心どきりとする。
鈍くはないと思っていたが、鋭いとも思ってなかった。
意外と侮れない男だ。

内に現われた動揺を表に出さぬよう、平常を装って口を開いた。


「気のせぇやろ」
「んー。そう見えたんだけど……ま、いいや〜」


ジローは意外にもあっさりと頷いて、歩き出した。
のんびりと斜め前を歩くジローの背中を眺めながらついた息は、深い溜息に近かった。


ふと脳裏に浮かんだのは感情の灯らない彼女の顔。

気になることは気になる。
しかし。
それが彼女個人に興味があるからなのかは判らない。
この気持ちが、恋と呼ぶのかも―――今は判らない。


ただ、純粋にもう一度見たいと思っている。
それまで感じていた不快指数を一気にゼロにした、あの微笑を。



―――もう一度、この目で。











****










街路樹が色づく初秋。
彼女を見つけてから、約3ヶ月が経過していた。

相変わらず自分は部活漬けの日々で、
彼女もまた変わらずに、あの笑顔を見せる事はなかった。


自分から声を掛けようと思ったのは、何故だったか。
あの時は判らなかったけれど、今なら判る。

無表情な彼女が、遥か遠くを見ているようで。
今すぐにでも何処かに行ってしまいそうで―――無性に焦っていたのだ。








珍しく朝練がない日。
意を決して彼女に会いに行った。


運良く彼女はレジではなくて、商品の整理をしていた。
何を話そうとか、そういうコトは一切考えていなかったけれど、
マニュアル以外の言葉を訊けたら何でも良かった。





肩に手が届く、その距離まで来た時。
彼女がふと顔を上げた。
感情の欠けた瞳に、自分が映る―――けれど。



「…っ総一?!」



ガラスの向こう。
駐車場に少年の姿を見つけるなり、慌てて店を飛び出した。
唖然とするバイト仲間に声を掛けるのも忘れて。




彼女は少年の元に辿り着くと、何かしきりに言っている。
怪訝に見下ろす彼女と面差しの似ている少年は、少し口を尖らせて肩を竦めていた。
少年が手に持っていた布袋を見せると、彼女の顔に感情の明かりが灯った。


少しだけ目を見張った後。
ゆるやかに、しかしハッキリと彼女は笑みを刻んだ。


それは、まるでモノクロームの世界に色彩が広がるような―――鮮やかな変化。


あの日と同じように、
自分から熱やすべての音を奪い去った、あの微笑がそこにあった。







けれど。
違う、と強く思った。
―――そして、漸く気がつく。



もう一度見たかったんじゃない。


少年だけに向けられた、あの微笑を。





(―――手に入れたいんや……)







それは、自覚してしまえば、簡単なコト。
けれどその道のりは、きっと容易ではない。
彼女のことは何も知らないけれど、間近にいた自分よりも、
ガラス越しに見えた少年の方を先に見つける程に―――彼女の世界は限りがあるのだから。


それに、彼女の腕を掴んだとしてもあの微笑が得られる自信など、今の自分にはない。

自身の力を試す為にやって来た東京。
でも、その力を試す場さえも自分は未だ手に入れてもいない状況なのだから……。





触れようとして、行き場の失った手を固く握り締めた。




(……上等やんか)






彼女が前しか……少年しか見ていなくとも、
たとえ自分に気づかなくとも、今はそれでいい。





―――彼女の手を取る日は、自分の手に揺るがない確かなモノを備えた、その時だ。














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