逃げても構わない



―――必ず捕まえてみせるから


















++++ e p i l o g


















湿った生温い風が髪を揺らして、通り過ぎていった。


唐突な話に頭が巧くついていかない。
どう理解すればいいのか―――判らない。

判るのは、忍足の言葉に嘘はないという事だけで、
ただ、呆然とは忍足を見つめるしか出来ずにいた。





「それからすぐやったな。を学校で見つけたんは」


ハッとして唇を抑えたを眺めながら、忍足は続けた。





偶然に廊下で擦れ違った。
それも、ほんの一瞬。


けれど。
眼鏡や髪型を変えていても、すぐに判った。
―――引き寄せられるように、の存在に気づいた。




「正直、驚いたわ。……せやけど、嬉しかった」





逢いたいと思えば、確実に逢えたから。
声は掛けなかったけれど、ずっと見ていた。


キミを見つけたあの夏から、
キミの目に自分が映る、この日を迎えるまでの三年間、ずっと。

想いを詰めた箱を、ずっと大切に秘めて―――キミの影を探していた。









「いつもの冗談…じゃないのよね」
「ちゃうで。つぅか、そんなに信用ないん? 俺って」
「胡散臭いんだもの…アンタ」


思いっきり頷かれ、少々凹む。
でもまぁそういう正直な反応を返す彼女だから面白いのだが。



「あんなぁ
「ちょ、ちょっと待って。混乱してるの…」


慌てて遮り、眉間に皺を寄せて考え込む姿に忍足は苦笑した。


目の前でくるくると表情を変えるは、あの頃の面影などない。
誰の影響なのかは、判っている。
あの帝王にも影響を与えている人物なのだ。
実は、彼女からの名を聞いた時は内心かなり動揺したものだ。

の表情が豊かになったコトを嬉しいと思う反面、
自分の手で彼女を変えたかったと残念に思う自分もいて、少々複雑だ。







「……全然」


しばしの沈黙の後、はぽつりと言った。


「私……全然気づかなかった」
「そらそうやろ。つい最近までは、総一しか目に入っとらんかったしな」
「……」
「まぁ、せやから安心出来た部分もあるねんけどな」


が弟との生活しか考えていなかったから。
他のコトに気をとられていなかったから。
だから、安心して部活に打ち込め、確かなものを手に入れるコトが出来た。







「俺の昔話はここまでや」



凭れていた柵から背を離して、戸口のへと、ゆっくり歩を進めた。



「信じる信じひんは、の勝手やけど…」
「誰も信じないとは言ってないわ」
「へぇ?」
「総一の名前も知ってたし……何より、総一から聞いたことあるのよ。
『関西弁のお兄さんに助けてもらった』って。まさかその人がアンタとは思わなかったわ…」
「まさに運命やな〜」
「………だから、アンタのそういう物言いが胡散くさ……」



げんなりと脱力していたは、ふと足元に落ちた影に顔を上げると。
すぐ目の前に忍足の端正な顔があった。


驚いて、身を引くと背中に壁がぶつかった。
それを見越していたかのように忍足は壁に左手を付いて、の退路を塞いだ。




「な、なに?!」



壁と腕に阻まれ、狼狽しているの髪をひと房とって、忍足は尋ねた。


「なぁ。自分、俺が求愛中やって覚えとる?」
「え?」


きょとんと目を瞬いた後、は思い出した。
そういえば、そうだった。
今までずっと、からかわれていると思っていたのだが―――。



「俺の気持ちは、あの日から変っとらん。……が好きや」



忍足の真剣な眼差しに、かぁっと頬に血が上った。
唐突に胸がそわそわとざわめき立って、無性に恥かしいのは何故だろう。



「そ、そんなコトより退いてくれない? 私、総一の薬を貰って帰らないと…」
「逃げてもええよ」
「―――え?」
「せやけど、逃げるんなら本気で逃げや」



忍足は手にしていた髪に、静かに唇を寄せて、



「今度は俺も本気で捕まえに行くし―――それを覚悟で逃げや?」




とてもとてもキレイで、不適な笑みを浮かべた。








「……っ!!!」


瞬時に真っ赤になったを覗き込み、忍足は尋ねる。


「逃げへんと今すぐに捕まるってのもアリやけど?」




それとも。
この宣戦布告、キミは受けてたつ?





どこか楽しげに笑みを浮かべる忍足の指の合間から。
するりと髪が流れ落ちたその次の瞬間、は、さっと身を屈めて腕の下から脱出した。
一瞬の内に腕の中から逃げられ、しばし唖然とする。



?!」


慌てて呼び止めれば、階段の踊り場まで避難したが振り向いて、



「誰が、アンタみたいな胡散臭い男に大人しく捕まる訳ないでしょ…っ!!」




視界から消えて行った。







足早に階段を駆け下りる音が聞こえる。
真っ赤な顔で、しかし必死で威嚇して逃げたを思い浮かべ、笑みが零れた。


「……つまり受けて立つっちゅーコト…やんな?」




するりと手の平から消えていった髪の感触。
忘れぬように握り締めて、




「そうこな」





忍足は駆け出した。













捕まえたら、最後

一生手離す気などないから






逃げるなら、本気で逃げること







―――Are you ready?



















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