彼女は、一人で立とうとする
どんなに悲しい時でも、自ら支えを求めたりしなかった
―――だけど
求めることをしなかったのではなく、できなかったのだと、気づいたとき
あたしは、彼女に何が出来るかを考えた
図書室の一番日当たりの良い窓際の席に、親友の姿を見つけた。
後姿だけでもありありと判る。彼女の機嫌は直っていない。
この上なく不機嫌なオーラが彼女から漂って、伝わってくる。
手元の本は眺めてるだけで内容はおそらく頭に入ってないだろう。頁をめくる速度が速すぎる。
小さく息をついて、は口を開いた。
「」
は、弾かれた様に振り向いた。
ゆっくりとこちらへ来るの姿を見つけ、ちょっと目を見張った。
今は授業中のはずだから、真面目な彼女がここにいるのはおかしい。
驚きから、言葉がでない。
が目の前の席に座るまで、ただ唖然と彼女を眺めていた。
「珍しいね。サボり?」
「……それはもでしょ」
「うん。サボるのって結構ドキドキするね」
が悪戯っぽく笑ったので、思わず自分も笑みを浮かべていた。
は、掛けていた眼鏡を外しながら言った。
「癖になったら駄目だからね」
「ならないよ。授業についていけなくなるもん」
彼女らしい真面目な言葉に内心ほっとする。
一方で、それならば何故いまサボっているのか、疑問が頭を掠めた。
「……跡部と喧嘩でもしたの?」
一番可能性の高いことだったが、は首を振った。
じっとを見つめ、少し遠慮がちに訊く。
「オッシーとね」
「……誰だって?」
忍足の名前にぴくりと片眉を上げ、は不機嫌に返す。
ここで負けては、折角の授業をサボった意味がない。負けじと見詰め返し、は続けた。
「オッシーと前に逢ったこと覚えてる?」
「……え?」
「あ。ジロちゃんも一緒だったみたいだけど…」
は怪訝な顔をした。
「何言ってんの? そりゃ同じ学校だから、すれ違ったりはしてると思うけど、
私があいつらと面と向かって話し始めたのは、つい最近からよ」
「その前には? あたしが転校してくる前」
「ないわね。私のことすら知らなかったんじゃない?」
「……」
彼女は知らないも同然だと言った忍足が、ふと脳裏に浮んだ。
あの時、忍足は、少しだけ悲しそうな笑みを口元に滲ませていた。
真剣な表情で押し黙ってしまったをは横目で見た。
いつものの突飛な質問の大半は、聞き流せるものばかりである。
―――しかし。
今度のは簡単に流せる内容ではない気がした。
(あの男と……前に逢ったこと、ねぇ)
どんなに記憶を辿ってみても、それらしい出来事は見当たらない。
やはり自分とあの男との出逢いは、二週間前だ。
****
あの日はの懇願に負けて、渋々屋上に行った。
そこには、良くも悪くも全校生徒の憧れの人間達がいた。
前々から自分に逢いたがっているとはから聞いていた。その理由も知っている。
彼らの好奇心の中にも探るような視線。
はっきり言って品定めされているようで、気分が悪かった。
だけど、同時に彼らが心からを大切にしていることも伝わってきたから、我慢した。
ふと、一番鋭い眼差しを向けていた跡部に、は視線を投げた。
自分ばかり判定されるのも癪だったので、じっと見つめ返した。
噂でしか跡部のことは知らない。
けれど、性格が良い奴ではないと知っている。
自分にとって、はこの街で初めて出来た友達だ。大切な親友だ。
その彼女を傷つけるような、不幸にするようなら許さない。
鉄柵に背を預けている跡部としばし無言の睨み合になった。
沈黙を破ったのは、だった。
「跡部。目が怖いよ」
「うるせぇ」
やレギュラー陣は慣れているから、多少跡部に睨まれても平気だ。
しかし、には免疫などない。
ましてや何もしていないのに睨まれるのは、気分的に悪い。
実際、も不機嫌そうに眉を寄せている。(※彼女が喧嘩を買ったとは気付いていない)
剣呑な目つきの跡部をは咎めた。
「を苛めるのやめて」
「苛めてねぇ。いいからお前は黙ってろ」
「初対面の女の子を泣かせるなんて駄目」
「そんなことしねぇよ」
「だったら、眉間の皺消して、に挨拶して」
「……」
「あたし、怒るよ?」
舌打ちをもらしたが、跡部はちゃんとの言葉に従った。
そして、ぶっきらぼうに「名前は?」と聞いてきた。
二人の遣り取りの可笑しさに思わず、は吹き出してしまった。
跡部は不機嫌そうな顔をしたが、他のレギュラー陣も同じように笑い始めた。
とレギュラー陣の間を漂っていた殺伐とした雰囲気が、一瞬にして穏やかなものへと変わった瞬間だった。
(あの後から、校内でも普通にしゃべるようになったんだっけ?)
廊下で偶然会えば、向日や宍戸、下級生の鳳や樺地、日吉とも挨拶を交わすようになった。
この間は、跡部に朝の挨拶を掛けられ、内心かなり驚いた。
よもや自分が彼らと交友関係になるとは……以前は夢にも思わなかった。
女生徒の嫉妬の混じった視線というおまけもついてきたが、それで嫌にならないから不思議だ。
(結構気のいい連中なのよね。……あいつ以外は)
今朝のことを思い出し、は眉間に皺を寄せた。
あの対面の時は、忍足侑士という男に関して、は何の感情も抱かなかった。
取り立てて嫌いでもなかったのだ。
二、三ほど言葉を交わしただけだったから、それ程印象には残らなかった。
ただ、きれいな顔をしている男だと、思っただけだった。
―――しかし。
翌日のバイトの最中だった。
何の前触れもなく、ひょっこりと、忍足はバイト先にやって来たのだ。
忍足は、レジにいたに驚いた様子もなかった。
そう。今考えれば、はじめから知っていたようにも見えた。
驚きから唖然としているに、
「俺、のこと好きやねん」
忍足は、あの喰えない笑みを浮かべて、
「付きおうてくれへん?」
―――爆弾発言をしてくれた。
それ以来、忍足は毎朝のバイト先に現れるようになった。すでに引退し、朝練もないはずなのに。
おまけにバイト仲間にも忍足のことが知れ渡り、妙な賭けの対象にされてたりしている。
はっきり言って、いい迷惑である。
それに、には忍足が好意を抱く理由が判らない。
前にそう言えば、ひと目惚れだとあの男は言った。
自分は取り立てて美人でもないし、可愛らしい性格でもない。
からかわれているのだろう。
はそう結論付け、忍足の気が変わるのを待つことにした。
……最近、の忍耐が限界に近くなってきたのだが。
****
が過去の忌々しい記憶を辿っていたら、ブレザーのポケットに入れていた携帯が震えた。
もバイブ音に気づき、顔を上げた。
「メール?」
「そうみたい。誰だろ……」
ディスプレイに表示された送信者の名前を見た瞬間、の表情が凍った。
すぐさま立ち上がった親友には誰からのメールなのか悟る。
「荷物は、あたしが後で届けるよ」
「ごめん! 助かる」
叫ぶように言って、は図書室から飛び出して行った。
遠ざかっていく足音を聞きながら、は携帯を取り出し、メールを送った。
少し迷ってから、もう一人にも送る。
きっと彼女は怒るだろうけど、何故かそうすべきだと、直感で思った。
****
「総一!!」
「……病院で走っちゃ駄目だよ、姉さん」
勢い良く扉を開け、飛び込んできた姉に総一は呆れながら言った。
「そんなの後で謝ればいいの! それより大丈夫なの? 発作は収まったの?」
「さっきね。薬も飲んだからもう平気だよ」
思ったより元気そうな弟の姿には、ほっと安堵の溜息をもらした。
「で、どうしてこうなったのか、姉さんに説明してみなさい」
「……」
「総」
有無を言わせぬ口調の姉に、総一は渋々口を開いた。
「そんなに気分悪くなかったから……ちょっとだけ外で遊んだんだ」
病室の温度が一気に下がった気がした。
そっと総一は、ベット脇に立っている姉を見上げた。
は、恐ろしいくらい無表情だった。
「……冷えてくる夕方は要注意だって、何度も言ったと思うんだけど?」
発せられた声も、恐ろしいくらい静かだ。
ひやりとした汗が背筋を通った。
嵐の前の静けさとは、このことだろうか。
「この馬鹿弟が―――っ!!!」
総一が耳を塞ぐのと特大の雷が落ちるのは、同時だった。
「軽めの発作だったから良かったものの、自分が喘息持ちだって判ってるの?!
アンタから「病院」ってメールが来る度、こっちは生きた心地がしないんだからねっ!」
「ごめんってば。反省してるよ」
「当たり前です! 言っとくけど、しばらく外出禁止よ」
「ええ! 冗談でしょ? 姉さんっ」
「問答無用。破ったら、期限延長するからね」
死ぬほど心配したのだ。これくらい我慢してもらう。
「それより、アンタを病院に運んでくれた人は? お礼言わなきゃ」
「総一くんを連れてきたのは、僕だよ」
のんびりとした声に、は戸口へ振り返った。
どこかの誰かとは違う、優しい笑顔を浮かべて入ってきたのは、この街に越してきて以来、弟を診てくれている医師。
若いが腕はいい。おまけに長身で顔立ちも整っているから、街でも人気の高い医師だった。
有能な医師とその患者という関係に+αを加えたのは、またしてもだ。
実は弟の主治医は彼女の叔父だったのだ。
その事実を知ったとき、は世間は本当に狭いということを実感した。
「ありがとうございます」
「いや、今回はお礼を言われると心苦しい…かな?」
「え?」
ちらりと叱られて拗ねている総一に律が視線を向けた。
気付いた総一は、口を尖らせて言った。
「ほら先生。ボクが言った通りだったでしょ?」
「だね。ごめんよ、総一くん」
「……何の話ですか?」
怪訝に訊ねるに律は、ちょっと肩を竦めて言った。
「実は僕が総一くんを無理に病院に連れてきたんだよ」
「姉さんが心配して来るから、嫌だって言ったのに」
「まさか本当に飛んで来るとは、思わなくてね」
のんびりと笑う律には頬を引きつらせた。
どこか楽しそうな表情があの男と同じものに見えてしまうのは、気のせいだと思いたかった。
律が「ゆっくりしていきなさい」と言って出て行った後、どっと疲れた溜息をついた姉を総一は呼んだ。
「なに?」
「……心配してくれて、ありがと。姉さん」
小さく呟かれた言葉に、は苦笑をこぼした。
ぎゅっと制服の裾をつかんでいる手に自分の手を重ねる。
「馬鹿ね。二人だけの家族でしょ。心配するのは当たり前よ」
「…うん」
姉弟は、互いの存在を確かめるように、強く手を握り締めた。
「じゃあ薬もらってくるから、寝てるのよ?」
「ボクも行くよ」
「駄目。総一は横になって待ってなさい」
「平気だってば」
「今月のお小遣いカットされたいの?」
「……ちゃんと寝てるよ」
渋る弟に釘をさし、は病室を後にした。
ナースステイションの前を横切った時、看護婦たちの談笑が聞こえてきた。
「ねぇねぇ。見て! あの子。すっごいレベル高いわよ」
「うわ。きれいな顔〜。おまけに背も高いじゃん。180はあるわね」
「さっき小児科の工藤先生と話してるのが聞こえたけど、声もいいわよね〜」
「うん。わりと礼儀正しかったし、絶対良いとこの子よ」
「あの制服って、確か氷帝よね?」
「タイの色が中等部だから、中学生みたいだけど…みえないわねぇ」
「うん。雰囲気が大人っぽいし、全然オッケー」
「やだぁ。中学生に手をだしちゃ、犯罪じゃない」
くすくすと笑い合う看護婦たちを不愉快に思うが、それよりその内容が引っ掛かった。
氷帝の学生。
180cmはある長身。
きれいな顔立ち。
中学生らしくない雰囲気。
これらに該当する人物は、少ない。
なぜか嫌な予感がする。
(……聞かなかったことにしよう)
本能的に踵を返そうとしたにとどめの言葉が聞こえた。
「関西弁なのも、ギャップがあっていいよね」
振り返らなければよかったと、は後悔した。
新人看護婦の会話など気にしなければ、見つけなくて済んだのに…。
何かの冗談であってほしいが、待合場所のソファーに座っているのは、間違いなくあの忍足侑士だった。
BACK
/ NEXT
(C) 04/06/06 tamaki all right reserved.
|