彼女は、一人で立とうとする
どんなに悲しい時でも、自ら支えを求めたりしなかった
 

―――だけど
求めることをしなかったのではなく、できなかったのだと、気づいたとき

あたしは、彼女に何が出来るかを考えた

  












++++ 体感温度 2











 

図書室の一番日当たりの良い窓際の席に、親友の姿を見つけた。
後姿だけでもありありと判る。彼女の機嫌は直っていない。
この上なく不機嫌なオーラが彼女から漂って、伝わってくる。
手元の本は眺めてるだけで内容はおそらく頭に入ってないだろう。頁をめくる速度が速すぎる。

小さく息をついて、は口を開いた。





は、弾かれた様に振り向いた。
ゆっくりとこちらへ来るの姿を見つけ、ちょっと目を見張った。
今は授業中のはずだから、真面目な彼女がここにいるのはおかしい。
驚きから、言葉がでない。
が目の前の席に座るまで、ただ唖然と彼女を眺めていた。  


「珍しいね。サボり?」
「……それはもでしょ」 
「うん。サボるのって結構ドキドキするね」


が悪戯っぽく笑ったので、思わず自分も笑みを浮かべていた。
は、掛けていた眼鏡を外しながら言った。


「癖になったら駄目だからね」
「ならないよ。授業についていけなくなるもん」


彼女らしい真面目な言葉に内心ほっとする。
一方で、それならば何故いまサボっているのか、疑問が頭を掠めた。


「……跡部と喧嘩でもしたの?」
 

一番可能性の高いことだったが、は首を振った。
じっとを見つめ、少し遠慮がちに訊く。


「オッシーとね」
「……誰だって?」


忍足の名前にぴくりと片眉を上げ、は不機嫌に返す。
ここで負けては、折角の授業をサボった意味がない。負けじと見詰め返し、は続けた。


「オッシーと前に逢ったこと覚えてる?」
「……え?」
「あ。ジロちゃんも一緒だったみたいだけど…」


は怪訝な顔をした。


「何言ってんの? そりゃ同じ学校だから、すれ違ったりはしてると思うけど、
私があいつらと面と向かって話し始めたのは、つい最近からよ」
「その前には? あたしが転校してくる前」
「ないわね。私のことすら知らなかったんじゃない?」
「……」


彼女は知らないも同然だと言った忍足が、ふと脳裏に浮んだ。  
あの時、忍足は、少しだけ悲しそうな笑みを口元に滲ませていた。


真剣な表情で押し黙ってしまったは横目で見た。
いつものの突飛な質問の大半は、聞き流せるものばかりである。

―――しかし。  
今度のは簡単に流せる内容ではない気がした。
 


(あの男と……前に逢ったこと、ねぇ)


どんなに記憶を辿ってみても、それらしい出来事は見当たらない。
やはり自分とあの男との出逢いは、二週間前だ。







****





あの日はの懇願に負けて、渋々屋上に行った。
そこには、良くも悪くも全校生徒の憧れの人間達がいた。

前々から自分に逢いたがっているとはから聞いていた。その理由も知っている。
彼らの好奇心の中にも探るような視線。
はっきり言って品定めされているようで、気分が悪かった。
だけど、同時に彼らが心からを大切にしていることも伝わってきたから、我慢した。

ふと、一番鋭い眼差しを向けていた跡部に、は視線を投げた。
自分ばかり判定されるのも癪だったので、じっと見つめ返した。

噂でしか跡部のことは知らない。
けれど、性格が良い奴ではないと知っている。
自分にとって、はこの街で初めて出来た友達だ。大切な親友だ。
その彼女を傷つけるような、不幸にするようなら許さない。



鉄柵に背を預けている跡部としばし無言の睨み合になった。
沈黙を破ったのは、だった。


「跡部。目が怖いよ」
「うるせぇ」


やレギュラー陣は慣れているから、多少跡部に睨まれても平気だ。
しかし、には免疫などない。
ましてや何もしていないのに睨まれるのは、気分的に悪い。
実際、も不機嫌そうに眉を寄せている。(※彼女が喧嘩を買ったとは気付いていない)
剣呑な目つきの跡部をは咎めた。


を苛めるのやめて」
「苛めてねぇ。いいからお前は黙ってろ」
「初対面の女の子を泣かせるなんて駄目」
「そんなことしねぇよ」
「だったら、眉間の皺消して、に挨拶して」
「……」
「あたし、怒るよ?」


舌打ちをもらしたが、跡部はちゃんとの言葉に従った。
そして、ぶっきらぼうに「名前は?」と聞いてきた。
二人の遣り取りの可笑しさに思わず、は吹き出してしまった。
跡部は不機嫌そうな顔をしたが、他のレギュラー陣も同じように笑い始めた。


とレギュラー陣の間を漂っていた殺伐とした雰囲気が、一瞬にして穏やかなものへと変わった瞬間だった。



(あの後から、校内でも普通にしゃべるようになったんだっけ?)


廊下で偶然会えば、向日や宍戸、下級生の鳳や樺地、日吉とも挨拶を交わすようになった。
この間は、跡部に朝の挨拶を掛けられ、内心かなり驚いた。
よもや自分が彼らと交友関係になるとは……以前は夢にも思わなかった。
女生徒の嫉妬の混じった視線というおまけもついてきたが、それで嫌にならないから不思議だ。


(結構気のいい連中なのよね。……あいつ以外は)


今朝のことを思い出し、は眉間に皺を寄せた。


あの対面の時は、忍足侑士という男に関して、は何の感情も抱かなかった。
取り立てて嫌いでもなかったのだ。
二、三ほど言葉を交わしただけだったから、それ程印象には残らなかった。
ただ、きれいな顔をしている男だと、思っただけだった。




―――しかし。

翌日のバイトの最中だった。
何の前触れもなく、ひょっこりと、忍足はバイト先にやって来たのだ。
忍足は、レジにいたに驚いた様子もなかった。
そう。今考えれば、はじめから知っていたようにも見えた。

驚きから唖然としているに、


「俺、のこと好きやねん」


忍足は、あの喰えない笑みを浮かべて、


「付きおうてくれへん?」


―――爆弾発言をしてくれた。



それ以来、忍足は毎朝のバイト先に現れるようになった。すでに引退し、朝練もないはずなのに。
おまけにバイト仲間にも忍足のことが知れ渡り、妙な賭けの対象にされてたりしている。
はっきり言って、いい迷惑である。
それに、には忍足が好意を抱く理由が判らない。
前にそう言えば、ひと目惚れだとあの男は言った。
自分は取り立てて美人でもないし、可愛らしい性格でもない。

からかわれているのだろう。

はそう結論付け、忍足の気が変わるのを待つことにした。
……最近、の忍耐が限界に近くなってきたのだが。






****





が過去の忌々しい記憶を辿っていたら、ブレザーのポケットに入れていた携帯が震えた。
もバイブ音に気づき、顔を上げた。


「メール?」
「そうみたい。誰だろ……」


ディスプレイに表示された送信者の名前を見た瞬間、の表情が凍った。
すぐさま立ち上がった親友には誰からのメールなのか悟る。


「荷物は、あたしが後で届けるよ」
「ごめん! 助かる」


叫ぶように言って、は図書室から飛び出して行った。
遠ざかっていく足音を聞きながら、は携帯を取り出し、メールを送った。
少し迷ってから、もう一人にも送る。
きっと彼女は怒るだろうけど、何故かそうすべきだと、直感で思った。






****





「総一!!」
「……病院で走っちゃ駄目だよ、姉さん」


勢い良く扉を開け、飛び込んできた姉に総一は呆れながら言った。


「そんなの後で謝ればいいの! それより大丈夫なの? 発作は収まったの?」
「さっきね。薬も飲んだからもう平気だよ」


思ったより元気そうな弟の姿には、ほっと安堵の溜息をもらした。

  
「で、どうしてこうなったのか、姉さんに説明してみなさい」
「……」
「総」

 
有無を言わせぬ口調の姉に、総一は渋々口を開いた。


「そんなに気分悪くなかったから……ちょっとだけ外で遊んだんだ」


病室の温度が一気に下がった気がした。
そっと総一は、ベット脇に立っている姉を見上げた。
は、恐ろしいくらい無表情だった。


「……冷えてくる夕方は要注意だって、何度も言ったと思うんだけど?」


発せられた声も、恐ろしいくらい静かだ。
ひやりとした汗が背筋を通った。
嵐の前の静けさとは、このことだろうか。


「この馬鹿弟が―――っ!!!」


総一が耳を塞ぐのと特大の雷が落ちるのは、同時だった。


「軽めの発作だったから良かったものの、自分が喘息持ちだって判ってるの?!
アンタから「病院」ってメールが来る度、こっちは生きた心地がしないんだからねっ!」 
「ごめんってば。反省してるよ」
「当たり前です! 言っとくけど、しばらく外出禁止よ」
「ええ! 冗談でしょ? 姉さんっ」
「問答無用。破ったら、期限延長するからね」


死ぬほど心配したのだ。これくらい我慢してもらう。


「それより、アンタを病院に運んでくれた人は? お礼言わなきゃ」
「総一くんを連れてきたのは、僕だよ」
 

のんびりとした声に、は戸口へ振り返った。
どこかの誰かとは違う、優しい笑顔を浮かべて入ってきたのは、この街に越してきて以来、弟を診てくれている医師。
若いが腕はいい。おまけに長身で顔立ちも整っているから、街でも人気の高い医師だった。

有能な医師とその患者という関係に+αを加えたのは、またしてもだ。
実は弟の主治医は彼女の叔父だったのだ。  
その事実を知ったとき、は世間は本当に狭いということを実感した。


「ありがとうございます」
「いや、今回はお礼を言われると心苦しい…かな?」
「え?」


ちらりと叱られて拗ねている総一に律が視線を向けた。
気付いた総一は、口を尖らせて言った。
  

「ほら先生。ボクが言った通りだったでしょ?」
「だね。ごめんよ、総一くん」
「……何の話ですか?」
 

怪訝に訊ねるに律は、ちょっと肩を竦めて言った。


「実は僕が総一くんを無理に病院に連れてきたんだよ」
「姉さんが心配して来るから、嫌だって言ったのに」
「まさか本当に飛んで来るとは、思わなくてね」
 

のんびりと笑う律には頬を引きつらせた。
どこか楽しそうな表情があの男と同じものに見えてしまうのは、気のせいだと思いたかった。




律が「ゆっくりしていきなさい」と言って出て行った後、どっと疲れた溜息をついた姉を総一は呼んだ。


「なに?」
「……心配してくれて、ありがと。姉さん」
  

小さく呟かれた言葉に、は苦笑をこぼした。
ぎゅっと制服の裾をつかんでいる手に自分の手を重ねる。 


「馬鹿ね。二人だけの家族でしょ。心配するのは当たり前よ」
「…うん」


姉弟は、互いの存在を確かめるように、強く手を握り締めた。




「じゃあ薬もらってくるから、寝てるのよ?」
「ボクも行くよ」
「駄目。総一は横になって待ってなさい」
「平気だってば」
「今月のお小遣いカットされたいの?」
「……ちゃんと寝てるよ」


渋る弟に釘をさし、は病室を後にした。
ナースステイションの前を横切った時、看護婦たちの談笑が聞こえてきた。



「ねぇねぇ。見て! あの子。すっごいレベル高いわよ」
「うわ。きれいな顔〜。おまけに背も高いじゃん。180はあるわね」
「さっき小児科の工藤先生と話してるのが聞こえたけど、声もいいわよね〜」
「うん。わりと礼儀正しかったし、絶対良いとこの子よ」 
「あの制服って、確か氷帝よね?」
「タイの色が中等部だから、中学生みたいだけど…みえないわねぇ」
「うん。雰囲気が大人っぽいし、全然オッケー」
「やだぁ。中学生に手をだしちゃ、犯罪じゃない」
 

くすくすと笑い合う看護婦たちを不愉快に思うが、それよりその内容が引っ掛かった。 




氷帝の学生。
180cmはある長身。
きれいな顔立ち。
中学生らしくない雰囲気。



これらに該当する人物は、少ない。
なぜか嫌な予感がする。

 
(……聞かなかったことにしよう)


本能的に踵を返そうとしたにとどめの言葉が聞こえた。 


「関西弁なのも、ギャップがあっていいよね」


振り返らなければよかったと、は後悔した。 
新人看護婦の会話など気にしなければ、見つけなくて済んだのに…。
  


何かの冗談であってほしいが、待合場所のソファーに座っているのは、間違いなくあの忍足侑士だった。
  
 




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