邪悪王の闇の城

高野一巳



17 ナムルの喜びと別れ

闇の粒がすっかりなくなり、真黒いとげとげしい岩山のようだった邪悪の闇の城は、真っ白く輝く、神々しい神殿のようになったかと思うと、しだいに丸く集まり、さながら、 小さなもう1つの太陽のようになって、無限の光を周囲に放ち始めた。 それがまわりの闇を吹き飛ばし、世界中にはびこっていた闇をすべて払い飛ばしていったのである。 無彩色だった村の風景が光に拭われるように、色彩を取り戻していった。 すべての闇が消えると、小さな太陽はその輝きを弱め、大きく枝を張り、豊富に葉を繁らせている、あの豊穣の神の木があらわれた。 そこからあふれだす良い香りの空気は、人々の心を元気にし、優しい気持ちにしていった。笑顔があちこちによみがえる。

ナムル、ガイ、ユナ、ディーンが気付いた時は、豊かに繁った葉に抱かれるように、豊穣の神の木の下にたたずんでいた。 それぞれ、自分の身の無事を確かめ、そして、互いの顔を確認しあい、微笑みあった。
「やったね、ナムル、ガイ。ディーンは大丈夫?」

ディーンの顔は少し青ざめていたが、しっかりとうなづき、にっこり笑った。
「よかった。みんな無事のようだね。」

ナムルは言い、周りを見回した。 もう、どこにも闇はなかった。どこまでも、さわやかだが力強い太陽の光がどこまでも、行き渡っていた。 空の青さ、雲の白、森や木々、丘、畑、山やまのいろいろな緑、花々の赤や黄など、豊かな色彩がよみがえっていた。 かつての見慣れた光景だったが、こんなに美しいとは思ったことはなかった。 体の奥底から、大きな喜びが勢いよく湧きあがってきた。 ナムルは、力いっぱい駆けだした。

村にはまだ人影はなかったが、家いえを巡ると、家の中で村の人たちが、少しずつ元気を取り戻しつつあった。 ナムルは自分の家に帰った。 ナムルの父親と母親は、村を旅立った時と同じ場所にいて、まだ体が動きにくそうだったが、ナムルに笑いかけた。ナムルが駆け寄り、3人で抱き合った。
「ナムル、無事だったか、よかった、よかった。」 母親はただ、何度も何度もうなづきながら泣いていた。弟のロトも、床に伏したままだったが、笑顔がもどり、兄のナムルをしっかり見ていた。もちろん、闇はかけらも残っていない。 ナムルはロトの肌のぬくもりを確かめるように、こぶしを握り合った。 ナムルは家族が戻ってきた喜びを、当たり前の日々が戻ってきた喜びを改めて、心から味わっていた。

みんなたちまちのうちに元気を回復して、荒れ果てていた村を、力を合わせて建てなおしていった。 これは、ナムルの村ばかりでなく、都でも、他の町でも同じだった。 誰もがみんな、優しい気持ちになって、互いに思いやり、支え合い、補い合い、助け合うことが自然にできるようになり、みんな互いの幸福のために、役立とうと一生懸命だった。

ガイもユナもディーンも、ナムルを手伝って、村はたちまち以前の姿を取り戻していった。

村の人たちは、邪悪王を誰がどのように滅ぼしたのか知りたがった。 ナムルは、ガイとユナとディーンのおかげで滅ぼすことができたことを伝えた。 まさか、ディーンが邪悪王だったなどとは言えない。 そして、青白い、まだ怯えが少し残っているひ弱そうな少年が邪悪王だったとは夢にも思わないことだろう。 ガイは兵士姿が勇ましいから、邪悪王を倒したことを納得したが、か弱そうなまだ幼さが残る少年少女がどのように働いたのか、けげんそうだった。 しかし、とにかく、村の人たちは、邪悪王が滅んだことを心から喜び、彼らをたちまち英雄扱いにした。 村の人たちは、彼らを称え、何度もお礼を言った。 ガイは、ナムルの力があったからこそ、それが出来たのだと説明した。するとたちまち、ナムルも英雄に祭り上げられ、村は一気に盛りあがった。 互いに譲り合う英雄2人を、まるでやじ馬のようにからかう女の子。それをただ、微笑みながら眺めているひ弱そうな少年という奇妙な英雄たちだったが、村人たちは、邪悪王から解放されたのを心から喜び、浮かれ踊り、にわかにお祭り騒ぎになった。 ガイやナムルに武勇伝を聞きたがる人たちもいたが、彼らは適当にごまかした。

邪悪王のために、収穫が乏しく、村には蓄えがなかったが、村の人たちが、みんな少しずつ持ち寄り、ささやかな宴を開き、英雄たちを暖かくていねいに、もてなした。 英雄たちは恐縮しながら、心から楽しんだ。 ナムル、ガイ、ユナはそれぞれ、ディーンを気遣いやさしく守っていた。 やさしく暖かい人たちに囲まれ、ディーンの表情がしだいにほぐれていくのがわかった。それを見て、3人も心から喜んだ。

いよいよ、ガイ、ユナ、ディーンが旅立つ日がやってきた。

ナムルは本当に心から寂しく思った。 身をもがれるという表現があるが、本当に彼らはいつのまにか、ナムルの心の1部になっていたようだった。 ナムルは、ディーンの方を向いた。 ディーンの顔はほのかに赤みが差し、少し悲しそうな目で、ナムルの目を見た。 ナムルは言った。
「ディーン、これからが大変だと思うが、お前ならきっとやれるよ。きっと幸せになってくれよ。新しい人生を開いてくれ。頑張れよ」
「ありがとう」

ディーンは、明るく微笑み、はにかみながら言った。その言葉と表情は何よりも、ナムルにとってうれしいものだった。
「ユナ、ディーンを頼むよ」

ナムルは横のユナに向き直って言った。ディーンは行く道が見つかるまで、しばらくユナのところで暮すことになっていた。
「まかせておいて。心配しないでいいよ。ナムル、本当にありがとう。あのまま、おかあさんのところにいたら、私、きっと腐っていたよ。私にとっても、これは新しい人生の始まりだわ。ナムルが来てくれたおかげだよ。すてきな道を開いてくれて、本当にありがとう」

ユナは潤んだ大きな目でナムルの目を見て、にっこり微笑んだ。花の香りがはじけたような気がした。 かっ、かわいいい、ナムルは思わずそう思い、行かせたくないと思って、はっとした。心を読まれたか。 ユナは顔を赤らめて、潤んだ目で、ナムルの目を見つめた。ナムルはどぎまぎした。でも、すぐに感謝の心でいっぱいにした。
「ユナ、本当にありがとう。本当に大きな力になってくれたよ。おかげで、僕の思いを達することができた。ありがとう。 僕は年上だけれど、いろんなことをユナに教えてもらった。 いつまでも忘れないよ。元気でね。ユナも幸せになってね。」
「ナムルもね。」これは、心の中に直接響いてきた。 心の中が美しい音楽と花でいっぱい満たされたようなでとても心地よかった。

名残りを惜しみながら、ガイの方を見た。相変わらず無愛想な生真面目な顔がそこにあった。
「ガイ、ユナとディーンをしっかり送り届けてくれ。」
「お前に言われるまでもない。」
「ユナに変な気を起こすなよ。」
「馬鹿な。お前じゃないぞ。お前、ユナに気があるだろう。 心が読めなくてもわかる。」
「なんだと。」
「こんなところでけんかしない。」ユナが間に入った。
「ガイが好きなのは、私のおかあさんよ。ね、そうでしょう。 会えるのを楽しみにしているんでしょう。」
「むむむ、馬鹿な。」
言いながら、ガイの顔が真っ赤になった。
「なるほど、その手もあったか、うらやましい。」
「そんなこと言っていると、メイに振られるよ。かわいいじゃない。今がチャンスよ。あなたに心が傾いているわ。ナムル、頑張って。」
「ナムル、幸せになれ。」ガイが柄にもないことを言う。
「ガイ、本当に僕のような農民のためにこんなにまで力を貸してくれて、ありがとう。 本当にあの時、引き受けてくれなかったら、今の僕はなかっただろう。 ガイの素晴らしい働きがあったおかげで、僕の思いは成し遂げることができた。 こんな僕のために働いてくれて本当にありがとう」
「礼を言いたいのはこちらの方だよ、ナムル。 俺は、兵士としても、人間としても自信を失っていた。あのままでは、一生浮かび上がることができなかっただろう。 ナムル、お前とともに働けてよかった。 おかげで新しい自分を、新しい道を見つけることができたような気がするよ。 お前は農民だが、俺は人間としてお前を尊敬しているよ。 本当にありがとう」 ガイはナムルに深く頭を下げた。

ナムルはあんぐりと口を開けて、ガイを目を見開いて見た。 兵士が農民に頭を下げることはありえないことであるばかりか、ガイが「ありがとう」と言ったのを初めて聞いたのだった。 ナムルの目から涙がとめどなくあふれ出した。
「みんな、本当にありがとう。僕は僕の大切な人たちを救い、守ることができた。 本当にみんなのおかげだ。みんながいなければ、僕は何もできなかった。 本当にありがとう。ガイ、ユナ、ディーン、お前たちは僕にはかけがえのない大切なものだ。」
「ああ、おれたちはずっと仲間だ。」ガイが言う。
「身は離ればなれでも、心はいつでもつながっているよ」 ユナも泣きながら言った。 ディーンは顔をくしゃくしゃにして泣いていた。ナムルは思わず、ディーンを力いっぱい抱きしめた。

ガイ、ユナ、ディーンは、ナムルをはじめすべての村人たちに見送られて旅立った。 ガイ、ユナ、ディーンは、姿が見えなくなるまで、手を振り続けた。ナムルもずっと手を振り続け、姿が見えなくなっても、ナムルはその方角をずっと見つめつづけていた。 やがて、豊穣の神の木の方を向いた。堂々とおおらかな力強く、生命力あふれる姿があった。 ナムルは両手を合わし、深く深く頭を下げた。

ユナの共感力は、ナムルがこの旅を始めるきっかけとなった、あの怒りと憎しみが実は、邪悪王つまり、ディーンが救いを懸命に求める心のもがきだったことを教えた。 ディーンこそ、真の勇者を心から欲し、知らずに試練を与えたのだった。 真の勇者を懸命に呼んでいたのだった。でも、それに応えることができたのは、ナムルだけだったのである。 それは、真の愛で育っていたからに違いない。身分も富も関係ない。彼自身が大切に、愛に包まれて育ったからだった。 一時こそ、ナムルはディーンを憎み、殺したいと思った。 でも、その根底にあったのは、自分の好きな大切な人たちを救いたい一心だった。 相手を倒したい、自分が助かりたいという気持ちよりも、自分の好きな大切な人たちを救いたいという思いの方がはるかに強かったのだった。 それが、ラルウを、老人を、ガイを、マリを、ユナを、そして、邪悪王、実はディーンの心さえも動かしたのだった。

愛が悪を救い、本当の幸福をもたらしてくれる。 昔から言われる真実だが、なかなか実感できるものではない。 両親に、弟に、村の人たち、自分を愛してくれた人たちすべてに心の底から「ありがとう」を言いたかった。 ナムルは、目の前に拡がっている、明るく美しい光景を見ながら、その思いを心に刻み込んでいた。 そして、改めてこの豊富な緑を、当たり前の光景を決して失ってはならないと心に誓うのだった。


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