邪悪王の闇の城

高野一巳



9 魅惑のマリ

魔女は町では有名で、住んでいるところはすぐにわかった。訪ねると、けげんそうな顔をされたが、深く聴いてくるものはなかった。家は人里離れたところにポツンとあった。畑がまわりにあり、自給自足しているようだった。丹精込めて、手入れされていることは、農民のナムルにはよくわかった。家も小さく粗末だったが、きちんと整えられており、生活のにおいを久しぶりに嗅いだような気がした。

出迎えた魔女と呼ばれている女性は、想像していたいじわるそうなおばあさんではなく、長い黒髪の目がぱっちりと大きい、形のよい鼻に魅惑的な唇をもった、たちまち心をとりこにしてしまうような美女だった。ほっそりした体つきなのに、豊かな胸が印象的だった。

ナムルは顔が熱くなるのを感じた。ガイはと見ると、顔を真っ赤にして、棒立ちになって彼女の顔に釘付けになっていた。
「何だい、いきなり人の顔をまじまじ見るなんて、失礼じゃないか。用がないなら、帰っておくれ」

ドアを閉めようとするのをナムルはあわてて引きもどした。
「申し訳ありません。あなたがあまりにも美しかったから、つい見とれてしまいました」
「ふん、見たところ、農民のようだが、口がうまいね。美しいと言われるのは、聞き慣れているけど、やはり気持ちのいいものだわね。でも、お前たちが見ている私は本当の私じゃないわよ。 私は、800歳のおばあさんなのよ。人の心を操るのが得意なの。あなたたちが見ている私は、あなたたちの心のあらわれなのよ。あなたたちの心が醜ければ、きっと私は醜いおばあさんに見えたことでしょう。それに、それぞれが違って見えているはずよ」

彼女は2人の顔をまじまじと見て言った。
「気に入ったわ、中にはいって」

確かに、ナムルには黒髪のセクシーな美女に見えていたが、ガイにはブロンドの華奢で清楚な美女に見えていたのだった。

家の中は決して広くなかったが、こぎれいに片付けられ、暮しやすそうだった。中央にあるテーブルの椅子をすすめられた。
「用件というのは何かしら。」

彼女の名はマリと言ったが、テーブルを挟んで改めて向かいあい、微笑みかけられると、ナムルは体中がほてり、宙に浮いているような心地になった.ナムルはどぎまぎしながらも話し出した。
「実は僕の村は、邪悪王によって、闇に呑み込まれようとしているんです。僕は、家族を村の人たちを、村を何とか救いたいのです。そのためには、邪悪王を倒さなくてはなりません」
「今まで何人もの腕の覚えのある武人が挑んでいったのにかなわなかったのよ。世界最強の英雄ですら、打ち破れなかった邪悪王を農民のあなたに倒せるの?そちらは兵士のようだけど、そんな力があるのかしら」
「でも、何とかしたいんです。じっとして居られないんです」

泣き出しそうな勢いのナムルの必死な目にマリは一瞬見入った。
「邪悪王は不死身です。でも、どこかに魂があるんです。それを見つけることができたら、僕にでも邪悪王を倒せるかも知れない。その魂のありかをDと呼ばれる少年が知っているはずなんです。でも、少年は記憶を失い、怯え続け、何も語ろうとしないんです。ですから、娘さんに少年の心を覗いてもらいたいんです」
「それはできない相談よ」マリはきっぱり言った。
「娘は今、心を閉ざしているのよ。人の心が見えすぎるのはつらいものなのよ。いいことばかりではない。悪いこと、苦しいことも全部見えてしまうのよ。それにその力を自分たちの利益に利用しようとするものもいれば、怪物だといって、こわがり拒絶する人もいる。 彼女の心はこのままでは壊れてしまうのよ。だから、ユナは、自分の心を閉ざしてしまったわ。ユナは私の娘の名前よ。それを私は今守っているのよ」

ガイは「守る」という言葉に反応した。この人も娘を守るために戦っているんだ。ナムルも、家族や村の人や村を守るために戦っている。戦うのは兵士だけじゃないんだ。人を倒すだけが、戦いじゃない。
「何とかお願いします。もう娘さんの力を借りるしか、僕たちには道がないんです」

ナムルは渾身の心をこめて頭を下げた。
「おれからもお願いします」

ガイが深く頭を下げた。 ナムルは一瞬あっけにとられたが、同じように深く頭を下げた。
「お願いします。僕たちには娘さんの力が必要なんです」

ガイ自身、自分の行動にとまどったが、心を決めた。
「お願いします。ナムルに力を貸してやってください」
「わかった。わかった。そこまで言われて断ったんじゃ、後悔するのは目に見えているわ。 私はユナほど人の心は読めないけれど、うそかどうかははっきりわかる。あなたたちは信頼できそうだわ。 それにあなたたちが、もしかしたら、おばばの預言のユナを救う人間かもしれないわね。あなたたちに賭けてみるわ。」

紹介されたユナは無表情だったが、とてもかわいらしかった。短いがつややかな黒髪、色白のすべすべした肌、まつ毛の長い大きな瞳の目、すっとした鼻、かわいい唇。ナムルには、そう見えた。ガイにはどう見えているんだろう。 胸はふくらみかけているようだが、華奢な体つきで、今にも壊れそうな雰囲気があった。おかあさんが必死に守ろうとする思いが理解できたような気がした。 見たところ13歳くらいに見えるけど、おかあさんが800歳だとしたら、いったい何歳なのだろう。ナムルはいらないことを考えた。
「ユナ、よく聴いてちょうだい。あなたがどんなつらい、苦しい目にあってきたか、おかあさんはよく知っている。 あなたは自分を守るために、自分の心を閉ざしたわ。それはそれでよかったのよ。そうしていないと、あなたの心は壊れていたでしょう。おかあさんもそんなあなたを必死に守ってきた。 でも、ユナ。いつまでもこんなことをしていてはいけないわ。いつまでも閉じこもったままでは、心は腐ってしまうわ。

おかあさんは、今度はあなたに外の世界に飛び出して欲しいのよ。もう、あなたは自分の心を自分でガードする術は十分学んだと思う。自分の意思で、自分の心を開くか閉じるかを決められるはずよ。その力を、実際の世界の経験の中で鍛えて欲しいのよ。 何が正しくて、何が間違っているか、自分の目で見極めて、自分の心を自分でコントロールできるようになるのよ。自分の足で立って、自分の足で歩き、自分の手で自分の幸福をつかんでほしいの。

ユナ、この人たちの力になってあげてちょうだい。この人たちは本当にあなたの力を必要としているわ。それに応えてあげてちょうだい。おかあさんからもお願いするわ。 この人たちはとても大きなチャンスを運んできてくれた。この経験を通じて、成長することで、あなたはこの苦しみから逃れて、心の自由をきっと手にいれられるようになる。おかあさんはそう信じている。わかる?ユナ」
「わかった」

ユナは消え入るような、でもかわいい何かの楽器の音色のような声で答えた。
「ユナ、少しずつでいいんだよ。心を開いてごらん。これは駄目だと思ったら、心を閉じればいい。でも、心開いて、世界が広がっていく嬉しさ、楽しさ、喜びをおかあさんは、ユナに知ってほしいのよ」
「わかった。おかあさん、わたし、やってみる」

やはり、弱よわしい声だったが、芯のある意志の強さを感じさせた。
「そうかい、ありがとう」

マリはユナを思いっきり抱きしめていた。

ガイはそのようすを見ながら、師に今回のことを頼まれた時のことを思い出していた。
「ガイ、私はお前の力を信じている。ナムルを助け、邪悪王の魂を手にできた時、お前はさらに大きく成長でき、今度こそ揺るがぬ本物の自信を手にすることができると、私は思う。 それを成し遂げるかどうかは、お前しだいだ。どうだ、やってみないか。」

師のこの言葉とマリの言葉が重なった。師がどれほど自分のことを深く思い、心配してくれていたのか、今さらながらわかったような気がした。そして、その時、心から素直になれなかった自分にも気付いた。 尊敬する師のお願いだから、しかたなくやるという気持ちで動いた自分が何だか恥ずかしかった。 大切な子供を本当に思うが故に、身を切るような思いで自分たちに委ねてくれた。 そんなマリの気持ちを思うと、何が何でもユナを守り通さねばと決意も新たになるのだった。

ナムルは、いつもやさしかった両親を思い出していた。厳しい時もあった。叱る時もあった。怒る時もあった。でも最後にはいつもやさしい笑顔があった。いつも自分のことを思い、心配してくれていた。やさしく暖かく包み込んでくれるおかあさん。厳しくも正しい道を示してくれたおとうさん。 両親は、そうしてりっぱに自分を一人前の人間に育ててくれたのだ。 この力のかぎり、家族を村をきっと救って見せる。ナムルは闘志が湧き上がってきた。

ナムルはさらに唐突にある女性を思い出した。マリを見た時から、どこかで会ったことがあるような気がしていたのだが、幼馴染のメイに似ているのを今思い出したのである。 子供のころはよく遊んでいたのに、大人になるごとに気恥しくなり、いつのまにか、互いに意識しながらも避けるようになっていた。 思い出すと同時に強い愛おしい思いが沸きたった。村に帰ったら、メイに自分の気持ちを伝えよう。

ナムルの心は元気を取り戻していた。何が何でも、邪悪王を倒すぞ。それまで決してあきらめないぞ。


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