ラスト・ファイター

高野一巳



5 逃亡

約束の期間で、すべての習得を完了していたが、グリゴンの動向によって少し余裕が生まれた。思いがけず 休息が与えられ、久し振りに地球のよさを味わってこいというのである。 失いたくない地球のよさを実感してこいというわけである。 彼らにとってはヒカルの士気を高めようという意図もあったのだろう。

ギャリオンのマザーシップは非常に巨大で、地球の周回軌道上にあった。 地上から見るそれは、まるで、雲上の悪魔の城のようにまがまがしく、そびえ立ち、 おどろおどろしい威圧感があった。

地球上には世界中の要所要所にギャリオンの基地が作られ、常にマザーシップと連携を とっていた。それぞれが決められたエリアを管理しているのだ。 それはたいてい広大な荒れ地のようなところにあった。 透明なドームに覆われたスペースがいくつもあり、それらが透明のパイプで つながっていた。

ギャリオンは酸素を多く含む地球の空気が合わないのだ。 だから、地球に降ろされたヒカルはすぐにドームの外に出された。 ヒカルにとっては、久し振りの地球の空気がうまかった。

皮肉なことに、ギャリオンに征服されてからの方が緑が豊富になった。 酸素を生み出す植物は邪魔なはずだが、奴らはどうも植物からエネルギーを 得る方法を持っているらしい。二酸化炭素を取り入れる植物と性が合うのかも知れない。

そこに広がる風景はギャリオンの存在を忘れてしまえば、のどかな気持ちのいい 穏やかなものだった。 かつての自然の姿そのものがあった。その豊かさは人類が文明を築く前の原初の自然に近いものかも知れない。野性味がたっぷりある。

ヒカルはその森の中に分け入っていった。 森林浴というものをしたいから、邪魔をしないでくれというと、監視のために着いて きた3人の兵士はあさっり言うとおりにしてくれた。 好きにさせてやれと命令されているのかも知れない。

ヒカルは、兵士たちから見られない位置に入るとそのまま、身を隠しながら 移動を始めた。さまざまなカムフラージュを駆使して、知りつくした秘密の通路を 利用する。 廃墟の上に木々や植物が繁茂して出来た森はそれだけで、複雑な迷路を 形成していたのだ。 これは、ゲリラ戦術を得意とするヒカルのおはこだった。

森の中に点在するように、見えないバリアで区切られたコロニーがあった。 ギャリオンはこれを人間牧場と称していた。 その区画は現代都市を切り取ったように、高層マンションやショッピングモールなどを 含んだ建物群が森の中に唐突にそびえ立っていた。 その中は、ギャリオンの存在を忘れてしまえば、見える風景は全く、以前の都市 と違わない。車、電車、バスもあった。二酸化炭素を生み出すものは大歓迎だった。ただ、飛行機などはなかった。

しかし、そこに住む人たちは、以前の人間とは全く違ってしまっていた。 まるで、去勢されたように従順でそして、無気力だった。 考える力を全く失ってしまったかのようだ。心が死んでしまっていた。 人間の心は深い絶望に押しつぶされていた。 あまりに力の違いの大きさを見せつけられて、刃向かう意欲もなくして、 あきらめてしまっていた。 感情も思考も停止して、ギャリオンの言われるままに喜ばせることをして、 乞われるままに、食糧になる覚悟をして、今だけのことしか思わなければ、 十分に豊かな何不自由のない、暮らしができたのである。 まともに考える人間は自殺するしかなかった。

わずか5年で人間はここまで壊れれしまうのか。 ヒカルはそれを見るたびに胸が張り裂けるような、どうしようもない怒りと 哀しみにとらわれてしまうのだった。

ヒカルは意図的にそこを迂回した。変わり果てた人間の姿から目を背ける というより、ギャリオンの監視の目があることに注意したのだ。

森の中には、これらコロニーの他に過去の都市の残骸が廃墟となって残っている ところも少なくなかった。 森がからまるように、出来上がったその領域は、廃墟と森が複雑に入り組んだまるでキメラのような 立体的に複雑な迷路を形作っていた。 これが、大きな戦力を持たず、ゲリラ的に敵を攻めるレジスタンスのかっこうの 自然要塞となっていた。

この一画にホープジアースの本拠地があった。 多数あったレジスタンス組織は今や、ホープジアースのみになってしまっていた。 武器の調達も食糧の確保も日に日に難しくなっていく今では、戦うよりも 生き抜くことが最重要課題になっていた。 だから、この1年ほとんど活動していない。 逃げることが精いっぱいという状況になってきていた。

最後の1つになってしまった心細さ、先行きが全く見えない不安。 自分たちの力の限界も感じ始めていた。 しだいにいらだつもの、無気力になるもの、無表情になっていくもの。 いっそコロニーに入れば、どんなに楽かと言いだしたものもあった。

少しずつ、同志たちの心が蝕まれていくのを、ヒカルはすでに感じていた。 自分の持ち帰るものが、どうか、みんなの心に再び火を灯してくれることを ヒカルは心から、願っていたのである。


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