地獄案内

高野一巳



2 地獄の案内人

モトムは気がついた。 自分は死ねなかったのだろうか。 体のどこにも痛みがない。

誰かがそこにいる。 しかし、目がぼうっとしてよく見えない。 やがて、目の焦点が合ってきたのでよく見ようとした。 その瞬間、モトムはこの上ない恐怖を感じた。 なぜなら、そこに見たのは今も忘れることのできないいじめっ子の顔だったからである。 もちろん、中学生のままではない。しかし、どんなに年をとろうがわかる。忘れようにも忘れられない。 未だに夢に見てうななれることがあるのだ。

モトムは咄嗟に起き上がり、とにかく必死に走って逃げた。 しかし、すぐに周りの異様な光景に気付いた。 ここには色というものがない。たそがれ時のような感じがあるが、明らかに何か違う。 太陽そのものがここには存在しない。ここは地の底なのか。 空はどんより曇っている。しかし、あれは雲か靄や霧か。重苦しさが圧し掛かってくるようだ。 木が苦しみによじれた末に朽ち果てて化石になったようなものや恐ろしい形相の人の顔のようなさまざまな奇妙な形のものが乱立している。 見るからに汚らわしく、どこまでも冷たく、虚しいものがあった。狂気に近い恐怖が満ちていることをひしひしと感じる。 遠くにいくほど、灰色が濃くなり、真の闇がわだかまっているようだ。 モトムはさらなる戦慄を覚えて立ち止まった。

「逃げても無駄だ。ここは地獄だ。永遠に逃れられない」 その男が言った。

モトムが振り返ると、かなり走ったつもりだったのに、すぐ後ろにさっきのようにどっかと地面に座ったままで男がいた。 ここには、距離も時間もないのか。
「僕は死んだのか」
「そうだ」
「なぜ、お前がここにいる」
「おれも死んだからだ」
「お前も自殺なのか」
「俺は事故死だ。俺は先に来ていた。お前よりはここのことはわかる。案内してやる」
「僕は地獄に落ちたのか」
「そうだ」
「地獄は苦しいところなのか」
「もちろんだ。半端じゃないぜ。それが永遠に続く」
「僕は生きている時、地獄のような苦しみの中にいた。死ねばそこから逃れられると思ったのに。 閻魔さまに裁かれてから地獄に落ちるんじゃないのか」
「人を傷つけたり、命を奪ったリ、知って不幸に落とし込んだり、自分の命を粗末にするものは地獄に直行だ。考慮の余地はない」
「僕は苦しめられていたんだ。誰にも迷惑かけたりしていない。命は粗末にしてしまったけれど」
「自分の命だろうが、他人の命だろうが、粗末にした罪は重いぜ。殺人は他人を殺すが自殺は自分を殺す。 自殺は殺人と罪の重さは何ら変わりはない。しかも多くの人を不幸に引きずりこむんだからしかたないさ」
「僕はここで永遠に苦しまなくてはならないの?」
「ま、そういうことだ。どんな苦しみがあるか、俺が案内してやる」


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