高野一巳
1 死に場所
モトムは、死に場所を探し続けていた。 プラットホームで線路に飛び込んで死のうと思ったことも1度や2度ではない。 首吊り、リストカット、毒、飛び降り、さまざまな死に方が頭に浮かぶ。 でも、準備が必要なものはそれを考えるだけで心が折れる。 手っ取り早くできるものはないか。 しかし、それが見つかり、いざ、死のうとすると、これをすると、どんな迷惑がかかるのか、とか世間はどう見るのかとか 想像してしまう。どんな死にざまをさらすことになるのか。 死のうとする時まで世間体を気にして、やりきれない自分がいる。 死ぬことさえ満足にできぬ自分がさらにいやになり、情けなくなる。 そんな時、自分で死ねないから、関係ない多くの人を殺して「死刑にしてほしい」と訴えるニュースを見た。 モトムも自分に苦しみしか与えない、こんな自分しか生まなかった社会を恨み、怒りと憎しみでこの世を めちゃめちゃに滅ぼしたいと夢想したことがあったが、その男のみじめな姿を見て、その愚かしさにむかついた。 あんなみじめな愚かなことはしたくない。 できれば、静かに誰にも気付かないうちに消え去ってしまいたい。 いざという時には、両親や弟の顔が浮かぶ。申し訳ないという気持ちが起こり、決心がにぶる。 でも、しかたないんだ。彼らだって悪いんだ。罰を受ければいい。そう思うものの、ためらう気持ちを捨てきれない。 今日は、通勤途上ぼんやりと電車の外を見ているうち、山に入ろうと思い付き、衝動的に途中下車した。 そして、山の中をあてどもなく、歩きつづけた。 このまま、溶けてなくなってしまいたい。死体も見つからないように、神隠しにでもあってみたい。 いっそ、山奥で遭難しよう。 歩いている間、まるで死ぬ間際の走馬灯のようにいろいろなことが頭に浮かんできた。 両親はともに自分を大事にしてくれる。 でも、父親は、モトムに対して、こうあるべきだというメッセージを投げかけてきて、出来ていない彼を無言で責める。 認められていないことをひしひし感じる。 いろいろ、人間とはこうあるべきだと語り、教えてくれるが、それに反発したり、従わないことを許さない。 父親にはモトムに求める姿があり、そうでない彼を決して受け入れようとしてくれない。 今の自分が否定されているようだ。そんなのでは駄目だ。こう変わらなくては。そう責める。 モトムもそれに応えようとがんばるが、父親のめがねになかなかかなわない自分がいやになり、自信がなくなってくる。 結局父親は、自分の思いを押し付けるばかりで、彼の言うことなど聞こうとはしなかったのである。 母親はモトムにいつも気遣い、大切に大切に扱い、機嫌をとり、甘やかしてくれる。 モトムもつい、そんな母の過保護気味の対応に甘えている。 何のかのと世話を焼いてくれる。モトムは母が自分を愛してくれていることはわかるが、一方で自分はそんなに頼りなく見えるのかと 思ってしまうことがある。 でも、それに反発することなく、つい母に依存して楽な道を選んでしまう自分を発見する。 こんなことでいいんだろうか、自分でしなきゃと思いつつ、安易な方向へ流れてしまう自分がいる。 3歳年下の弟は、こんな兄でも慕ってくれて頼りにしてくれる。でも悲しいかな、何をやっても弟の方がうまくやる。 兄としていいところを見せなくてはと思いながら、何をやってもうまくできない自分をどうしても好きになれなかった。 何で、自分はいつもこうなんだと情けなく思ってしまうことがたびたびあった。 両親も出来のいい弟の方にばかり、目が向きがちだった。 中学校の時の屈辱的ないじめの経験がよみがえる。 クラスの子たちや、先生の冷たいまなざし。 みんなが自分をさげすんでいるように思えた。誰も助けてくれない。 先生に相談しても自分できっぱり断る強さをもたなくては駄目だと付き離されるばかり。 強い人間であることを求める父や神経質に心配する母には言えなかった。 また、親を介して先生にチクると、どんな仕返しがあるかもしれなかった。 弟を知っているから、告げ口したら、弟を痛い目に合わすと脅されてもいた。 その時も自殺が頭をかすめたが、思い切ることができなかった。 高校は何とか現役で入れたものの、誰でも入れると評判の3流校だった。 高校も最初は自分の行きたい学校を目指せといいながら、学校はテストの成績で振り分けられ、 どんどん受けられる学校のレベルを落とされ、自分で決める余地などなかった。 高校は中学校でのいじめで、人間恐怖症になり、半ば登校拒否や引きこもりに近い状態になった。 それでも親の目もあり、無理にでも学校に行った。感情というものがないロボットにでもなったような気分だった。 あるいは自分をそう思い込もうとしたのかも知れない。 特定していじめられることはなかったが、クラスで空気を読むことが求められ、人間関係を作ることに恐怖をもつ モトムは、だんだんとのけ者にされ、三流校においてさえ、劣等者の烙印を押されたのだった。 先生も親身にはなってくれなかった。最初こそ、いろいろ働きかけてくれたが、何の反応も返ってこないと、 後は知らないというようすだった。心配してくれてくるようでもなかった。 いつにまにか、クラスにはもともと存在していなかった人間になっていた。 そうなると、勉強は全く面白くなかった。隠れて漫画やゲームにふけった。 卒業を待たずに中退した。 そんなだから、父は見放したようにモトムと関わらなくなったし、 母はまるで腫れものに触るように、ご機嫌ばかり伺い、まだ小さい子供のように世話を焼く。鬱陶しく思うことがままある。 父も母も関心は優秀な弟に向かうのだった。 まるで、兄で得られなかった代償を求めるかのように、弟は両親の寵愛を受け、しかもそれに十分応えていた。 弟はしかし、やさしく、いつもモトムのことを心配してくれた。 だが、モトムはそれを素直に受け取ることができなくなっていた。 やさしくされればされるほど、自分が情けなくなってくるだけだった。 まるで、弟に憐みをかけられているように思えてくるのだった。やさしさがかえって苦しく居たたまれなかった。 高校中退では工場や工事現場のような肉体を使うような仕事が多かった。 何をやりたいというものはなかったので、家からも学校からも遠く離れたところに行くことだけを思って探した。 幸いなことに、就職難の時代だったが、非正規社員だが、中堅の運送会社に採用された。 そこでは朝は早くから、夜遅くまで働かされ、休みもろくになく、その上給料も安かった。 頑張れば、正規社員に引き立てられ、給料も上がると発破をかけられる。 しかし、仕事をろくに教えてもらえないのに、間違ったことをするとこっぴどく怒鳴られるばかりだった。 怒鳴られないように前に失敗したことを覚えておいて、同じミスをしないように気をつけても、 うまくいったところがあっても褒められることなく、どんな小さなミスも見つけ出して怒鳴るのだった。 ミスしていないのに、でっち上げられて怒鳴られることもあった。 まるで、怒鳴ることで自分のストレスを発散しているようだった。 怒鳴られてばかりで少しも認められないと、だんだん仕事がいやになり、身が入らなくなる。 そうして怠けていると、怒鳴られ、ただでさえ少ない給料を減らされたりした。 モトムはだんだん生きているのがいやになってきた。生きるのに疲れを感じるようになってきた。 自分は何をやっても駄目なんだ。自分なんて何の価値もない。 生まれてこなければよかったとさえ思うようになっていった。 生きていても、何も楽しいこともいいこともない。先が真っ暗だ。よい未来が想像できない。 こんな落ちこぼれの人間にこの世のどこにも居場所なんかあるものかと思えてくるのだった。 生きて息をしているだけでも、申し訳なくなってくる。 こんな自分なんかいなくなってしまった方が、世のためになるに違いない。 自分が唯一世の役にたつとしたら、消えてなくなってしまうことだ。 そんなことを考えるようになり、死ぬ方法ばかりを探すようになったのだった。 そして、死ぬことさえ満足にできない自分にさらに嫌気がさし、 今、山奥に死に場所を求め続けているのだった。 もう何時間歩いたのだろうか。 足が言うことをきかなくなってきた。 ふと足を止めて、前を見ると鬱蒼と茂った木々の葉っぱが途切れて視界が開けた。 雲の多い空と遠くに山々が見える。 思ったよりも高いところまで来たようだ。 足元を見てびっくりした。断崖になっていて、はるか下には川が流れている。 ここが死に場所だ。 モトムはそう直感した。 空を仰ぐ。雲の間から、太陽の光がもれてくる。 まるで、御迎えが来る時のような神々しい光のように思えた。 モトムの体が吸い込まれるように落ちていった。 |