『かなくら山報』への寄稿 2001
最終更新 

 金蔵寺住職として、記名または無記名で
「かなくら山報」に掲載したものです。
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お四国参り報告
『かなくら山報』第94号 2001/03/09


 三月五日(月)〜八日(木)、十五名(男性七名・女性八名)で、早春の四国路を
お参りして、昨日八日午後八時半過ぎに全員無事に帰ってきました。今回の最高
齢は八十四歳の男性、初めて参加された方は五名、見事満願された方は三名で
した。
 南国とあって陽春を思わせるはじめの三日間。桜の花さえ見られました。しかし、
寒波のぶり返しで四日目は朝から急に寒くなり、所によっては雪が舞う天候。これ
が本当に四国かと思う程。しかし、加美町はそれ以上に寒かったようですね。
 雨天が心配されたのですが、雨にあうことは全くなく、私たちにとっては、まあ、
快適な順拝であったと思います。

 今回のお参りは、第三十二番の禅師峰寺から始まりました。御本尊十一面
観世音菩薩がおまつりしてある本堂で、般若心経読誦のあと、御詠歌「静かな
る我がみなもとの禅師峰寺 浮かぶ心は法の早船」を御砂踏御詠歌にてお唱
えし、大師堂では金剛にて弘法大師第一番の御詠歌「有難や高野の山の岩蔭
に大師はいまだ在しますなる」をお唱えしました。以降、本堂・大師堂の勤行は
これと同様にしました。
 禅師峰寺は小高い山の上にあり、境内から見下ろす土佐湾の眺望に初めて
の人はしばしうっとり。
 桂浜サンゴセンターでの食事のあと、桂浜でしばし休憩。坂本龍馬像前で写
真撮影。砂浜で石や貝拾いに興ずるお遍路さんたち。
 三十三番雪蹊寺、三十四番種間寺、三十五番清滝寺、三十六番青龍寺、
そして、三十七番岩本寺に宿泊。
  岩本寺には前回も宿泊。ここは五体の御本尊様があるというお寺。阿弥陀
如来、観世音菩薩、不動明王、薬師如来、地蔵菩薩に「なむ ほんぞん かい
え かん」。
 六日早朝の勤行のあと、住職様から本堂格天井のはめ絵についてのお話。
高知県を中心に全国から公募した現代絵画五百七十五枚が並べられている。
仏画、花、動物、人物等、さながら曼荼羅の如し。
 宿坊の前で、お世話になったお礼を込めて、御詠歌相互供養和讃奉詠後、
午前七時出発。一路足摺岬へ。
 バスに揺られること二時間半、ビデオ「空海への道T 同行二人〜四国遍路
今に生きる空海〜」を上映、そうこうするうちに第三十八番金剛福寺に到着。
参拝後、四国最南端の足摺岬を散策。ジョン万次郎の銅像を見上げ、展望台
から足摺の海岸を展望。
 椿トンネルを通って足摺岬灯台に行く。「もう二度と来れへんやろう。」と口々
に言いながらその絶景を堪能。サニーサイドホテルで昼食後、修行の道場
(土佐)最後の三十九番延光寺、菩提の道場(伊予)最初の四十番観自在寺
を打つ。
 観自在寺は、最初の順拝で宿泊をお世話になった真言宗大覚寺派の寺院。
金剛講愛媛南予地方本部総監をなさっているご住職三好龍諦僧正とお会い
することができ、少しお話。
 車中に帰り、三好僧正からいただいた四国八十八ヶ所霊場の地図入りの
手ぬぐいを肴に「夢遍路」の話と和讃を奉詠。「夢遍路」は、お四国参りを念
願しながら果たせず、ついに寝たきりになった八十六歳のミネさんというおば
あさんが、息子が買ってきた八十八ヶ所の名前が染め抜かれた木綿ののれん
を寝床から毎日見て、お寺の名前と御宝号を何度も唱えているうちに札所の
名前を全部覚えてしまったという話。
 宇和島へ入り別格六番の龍光院に参拝。ご住職の名前を見て、もしやと思
い、納経所を訪ねるとやはり昔の先輩であった。大國諦慧僧正は旧姓を宮田
さんと申しあげ、私の高野山大学在学中の三年先輩で、仏教青年会でお世話
になった方である。お寺に着いて初めて気がついた非礼を詫び、しばしの間思
い出話。三十四年ぶりの再会であった。大層なお接待をお受けし誠に申し訳な
く思ったが、ありがたくいただき、夕食に皆さんと共にいただいた。
 宿泊は、国民年金保養センターうわじま。初めて利用させていただく施設。
ご親切なおもてなしと宇和島の町が一望できる眺望の素晴らしさに一同感激。
 七日早朝、相互供養和讃奉詠の後、四十一番龍光寺へ。今日は、昨日と違っ
て、七か寺順拝となかなか忙しい。四十二番仏木寺、四十三番明石寺と打ち、
昼食は、第四十五番の麓にある「おこうさん」。
 さて、次は、八十八ヶ所中、ある意味では最も難所と考えられる第四十五番
岩屋寺。ここは、下から歩いて上がるしかないお寺である。他の札所のような
ケーブルカーやタクシーでの参拝ができない。抑も歩く道しかないのである。
 前回は積雪のため参道で滑って転んだものだが今回はそんなことはなかっ
た。初めて参拝される方が殆どであったが、ゆっくりゆっくり、休み休み登り、
全員が見事本堂の前に立つことができた。しかも、本堂右側のはしごにも女性
を含む数人が挑戦し成功されたのは見事であった。
 本堂は、約二百メートルほどの垂直に切り立った大岸壁の前に建っている。
大師堂で勤行のあと、弘法大師が掘られたという「穴禅定」へ。このお寺は他
にも色々と行場があるが、こなすのは順拝中はとても無理なので、ここだけに
集中してお参りするしかないと思う。
 次は、逆打ちで第四十四番大宝寺。その後、海抜七百十メートルの三坂峠
にかかる。ここは、「三坂越えすりゃ雪ふりかかる 戻りゃつま子が泣きかかる」
とうたわれた馬子泣かせの峠で、土佐街道最大の難所であったと言われる。
今はバスで通れるからいいが、と言っていたら、翌八日になって道後温泉を
出発するときに、積雪と交通事故で三坂峠が不通になって岩屋寺参
拝ができなくなったとのニュースを聞き、複雑な気分。いくらお大師さんのお
かげといっても、それでは、今日お参りする人はどうなるのかと心配になる。
 四十六番浄瑠璃寺、四十七番八坂寺と打ち、道後温泉ホテル八千代に着
いたのが六時過ぎ。
 六時半からの夕食に、初めて参加された方の一人が、「こんなん遍路の食
事と違いまんがいな」。「まあ、いくら遍路といえ、こんなことあってもええのん
違いますか。」 カラオケをも交えた道後での宴会であった。
 翌八日は、朝ゆっくりして午前八時出発。五十一番石手寺へ向かう。八十
八ヶ所の札所中、観光客の参拝(観光?)もあって、最も人が多いのがこの
石手寺である。参拝前に撮った写真を前々ページに載せた。
 五十二番太山寺、五十三番円明寺と順打ちの後、五十番繁多寺、四十九
番浄土寺、四十八番西林寺と逆打ち。予定の二十二か寺と別格一か寺の
参拝をすべて終え、昼食は足立の庄にて。
 帰路は、アルコールも入り、カラオケ、ナマオケ取り混ぜての車中演芸会。
瀬戸大橋、山陽自動車道、播但連絡道、西脇から加美町へ、最終の奥荒田
公民館到着八時半。
 お世話になった方々、とりわけ神姫バス運転手永良さん、添乗員前田さん
に感謝!
 南無大師遍照金剛。合掌。

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「遍路の唄」について
『かなくら山報』第93号 2001/01/21

        遍路の唄 作詞・作曲 初 女 (はつじょ)

一 時は流れて 百年(ももとせ) 千年(ちとせ)
   人は変われど 遍路の旅は
   お大師様に導かれ
   八十八の寺寺へ
   遍照金剛有難や 遍照金剛有難や

二 阿波の国巡り 今立つ室戸崎(むろとざき)
   波の果て果て 補陀洛浄土(ほだらくじょうど)
   昔人(いにしえびと)は漕ぎ出した
   補陀洛浄土へ漕ぎ出した
   観音様を仰ぎましょう 観音様を仰ぎましょう 

三 土佐は真夏に 稲穂が熟(み)のる
   風がきらめき 鈴の音(ね)揺れる
   修行の道は果てしなく
   幾山河(いくやまかわ)を越えて
   父母の顔浮かび旧(ふる)き友の声聞こえる

四 伊予は不思議よ 菩提の国よ
   独り奥山 分け入り来れば
   海岸山寺(かいがんざんじ)におわします
   大聖不動(だいしょうふどう)の慈悲が待つ
   不動明王聞き給え 我が誓願をかなえ給え
五 讃岐の空を秋の陽(ひ)染めて

   遍路の旅は涅槃に了(おわ)る
   訪ね詣りし寺寺も
   善根(ぜんこん)示せし人々も
   密厳国土(みつごんこくど)の姿なり
   如来の大悲に生かされて
   如来の大悲に生かされて

          
「遍路の唄」について 住職 東野正明

 四国には、学校に勤務していた時代にも何度か行ったことはありましたが、
善通寺や讃岐の金比羅神社や満濃池、また桂浜など、いわば、局地的な旅
でした。
 あれは、教職を退職しいよいよ金蔵寺の住職に就任する数日前、平成五
年三月末のことです。お大師さまが求聞持(ぐもんじ)の法を修行されたとい
う室戸岬の御蔵洞(みくろどう)へ行ってみたいと思い立ち、家族と一緒に訪
ねました。
 御蔵洞は、室戸岬の先端にある洞穴です。中に入り洞の奧から外の室戸
の海を眺めて、約千二百年前にお大師さまもこの景色を見られたのだと思
うと感慨無量でした。
「水や空なる大洋の 逆巻く怒濤花と散る 土州室戸の巌頭に 大師御修行
なし給う」(室戸和讃)とありますお大師さまの御修行の地に立って、住職就
任の決意を固めたと言ったら格好がいいのですが、そんな気持ちも私の心
の中にはありました。
 社会科の教師でありましたので、それでもと思い高知県庁を訪ねて県政資
料その他の資料をもらいましたが、それを開いてまた吃驚。何と第一ページ
目にお大師さまのご修行姿(修行大師像)が載っているではありませんか。
真言宗僧侶としての少しの予備知識はありましたが、行政の資料の上で、
こんなにも重要視されているとは思いもよりませんでした。
 後にお四国を順拝するようになって、四国の風土におけるお大師さまの
地位と役割を具に知ることができ、当時の不明を恥じたものです。
 「かなくら四国」の建立が日程に上った平成八年十一月、金蔵寺でもお四国
詣りを始めることにしました。以来、二度目の順拝を満願し、現在三度目を始
めています。
 その後、御詠歌を始めましたが、御詠歌には当然ながらお大師さまやお四
国のことはよく歌われています。 しかし、一般の歌ではどうか。たくさんある
わけではありませんが、探せば割合に見つかるものです。お四国へ行くたびに、
また高野山へ登るたびに探し求めて今、「
空海」(天光軒満月)「四国遍路慕情」
(古川あけみ)「海鳴りの涯に」(二葉百合子)「鈴の音山河」(芹洋子)「衛門三
郎流れ旅」(三田有里子)など数曲持っています。( )内は歌手名です。
 「遍路の唄」もその一つで、仲代圭吾と行代美都が歌っています。メロディーを
聞かねばよくわからないとは思いますが、歌詞をよく味わってください。

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