『加美仏教』への寄稿1990〜99
最終更新 

蓮華寺住職(1992年以前)・金蔵寺住職(1993年以後)として、『加美仏教』に発表したものです。

ホーム かなくら雑筆集

インターネットを始めませんか?
         
 『加美仏教』第152号(1999/09/10)より

  この頃、毎日テレビや新聞などで耳にし、また目にする、http://… をご
存じの方も次第に増えてきました。ホームページのことですね。つい最近
の法事でも、「今はインターネットの世の中やから」という人がありました。
その方はインターネットを実際にやっているのではなく、時代の移り変わり
が激しいことの例えに使われていたようです。
 30数年前、大学の工学部の研究室をたずねたときのこと。部屋いっぱ
いに機械が置いてありますので、何かと聞くと、コンピュータということ。何
でも計算できるというので、いたずら心から、ある数を0で割ったらいくらに
なるかやってみました。画面には、888…という訳のわからない答えが出て
きました。やはりこの演算は、コンピュータでもできなかったようです。
 20数年前、県立高等学校にもコンピュータが導入され始めました。当時
最新式という機械は1メートル四方はあったでしょうか、先生方はテストの
点数を入力して成績処理に利用し始めました。しかし、もう算盤は使われ
なくなっていましたが、まだ電卓全盛時代であり、多くの人は電卓を使って
いました。コンピュータと電卓の違いが時折話題となっていました。プログ
ラムを組まなければならないのがコンピュータで、電卓は組む必要がない
ということでしたが、入力等の数値を保存し、後で見直しができるということ
で、コンピュータは魅力的でした。
 15年前、ワープロが導入され始めました。コンピュータのワープロソフト
もありましたが、ワープロ専用機の方が遙かに速いし便利だということで重
宝がられていました。
 10年前、コンピュータは、プログラミングが必要ということで、学校では
数学と理科の先生中心に運営がなされていましたが、ワープロや表計算
のソフトも開発されましたので、授業でもとりいれられ、一般にも次第に使
う人が増え始め、家庭でも購入する人が出てきました。
 そして、4年前、ウインドウズ95の登場。コンピュータブームのきっかけ
となりました。プログラミングの知識は必要ないし、理科系であろうとなか
ろうと、学歴があろうとなかろうと、さして問題なく一般の人がコンピュータ
を使えるようになったのです。
 今日の爆発的ブームを作り出したのは、インターネットでしょう。ブラウザ
とよばれるソフトが開発され、機械本体の技術革新と共に、最近のコマー
シャルでは、「ボタンひとつで、クイックアクセス」というコピーが巷にあふれ
るようになりました。
 今や、インターネットとは何かではなく、インターネットで何をするかという
時代になったともいわれます。隣の町では、「パソコンの町にする」ことが、
町行政の目標であるとも聞きます。
 加美町から世界に向けて情報を発信する。町ホームページを持つ企業・
個人・団体が何十にものぼり、電子メールはその何倍もの方が利用して
おられることでしょう。
 すでに、交通。通信の発達によって、町と田舎の区別がなくなろうとして
いますが、インターネットの普及はこの傾向に更に拍車をかけることで
しょう。
 21世紀をどう生きるかを考えるためにも、インターネットを始めません
か?  

TOP ホーム かなくら雑筆集

舞鶴引揚記念館に思う
         
『加美仏教』第140号(1997/07/15)より

 私は戦後生まれですので太平洋戦争の直接体験はありません。だから、
「引き揚げ」については、小学生のころ、NHKのラジオ放送で「引揚船が舞
鶴に入港しました。岸壁は迎える人々であふれて一杯になりました。」とい
うようなニュースを聞いた記憶がわずかにある程度です。
 私にとってはわずかな記憶しかない「引き揚げ」ですが、このたびの参拝
旅行で、舞鶴引揚記念館を見学して追体験することができました。
  (以下、『舞鶴引揚記念館図録』 1995年3月、を参考にしました。)
 舞鶴引揚記念館は、再び繰り返してはならない戦争の悲劇、悲惨な引き
揚げの史実を後世に伝えるために、昭和63年4月に開館しました。
 第2次世界大戦終結時には、実に660万人以上の人々が海外諸地域に
とり残されたということです。政府は、これらの人々を速やかに帰国させる
ため、引揚港として全国に舞鶴港を含む10港を指定しました。
 舞鶴港は、昭和20年から昭和33年までの間、実に13年間の長きにわた
り、その使命を果たしました。特に昭和25年以降は、国内唯一の引揚港と
して、「引き揚げの町・舞鶴」の名を全国に広めました。
 舞鶴には、主として旧ソ連邦や中国などの大陸からの引揚者を迎え入
れ、13年間で、実に664,531の引揚者と16,269柱の遺骨を受け入れ
たとのことです。
 記念館には、この間の歴史を物語る「苦境の記録」「帰還そして再会」
「未来への願い」の3つの常設展示コーナーとシベリア抑留に関連した企画
展示コーナーがあり、常設展示には、それぞれ「引き揚げまでの、辛く悲し
い抑留生活のすべて。」「祖国へ、今、帰る。再会の町、舞鶴の当時の出
来事。」「引き揚げに功績の人々を偲ぶ。そして、平和の祈りは次の世代
へ、国際交流へ。」という副題が副えられていました。
 ラーゲリ(収容所)での過酷な強制収容の様子を再現した模型の前で、
旅行に同行した二人の方がしきりに思い出話をしておられました。
 この方々は、強制収容の体験者であったのです。あとでバスの中で、当
時の様子や現在のことについて語っていただきました。「ヤポンスキー、
トウキョウ、ダモイ」(日本人、東京に帰る)のことばにだまされて強制収容
されたこと、当時の辛い抑留生活の実態、引揚船から舞鶴の緑の山々が
見えた時はじめて本当に日本に帰ってきたと思ったこと、帰還から現在に
至るまでの生活とお二人の友情、・・・。

  母は来ました 今日も来た
     この岸壁に 今日も来た
  届かぬ願いと 知りながら
  もしやもしや
     もしやもしやに
   ひかされて

 引揚船が着くたびに、海岸にたたずみ、はるかシベリアの空を仰いで、
未だ帰らぬわが子や夫を待つ婦人の姿がいつしか「岸壁の母・岸壁の妻」
といわれ、唄や映画になり、全国民の涙を誘いました。
 レコードで有名になった「岸壁の母」のモデルは、東京都の老婦人、
端野いせさんです。昭和25年1月より引揚船が入港の度、6年間岸壁で一
人息子の信二さんを待ち続けましたが、昭和56年7月、「もしや・・・」が果た
せないまま81歳で、ついにこの世を去られたとのことです。
 私は、これらの展示を見学しながら、広島・長崎の原爆資料館や沖縄の
「ひめゆり平和記念館」などと同じように、心を揺り動かされましたが、その
感じ方が少し違っているように思いました。同じように戦争の悲惨さを訴え
ているのですが、なぜか違っているように思えたのです。
 どちらがどうということではあろませんが、強いて言えば、原爆や「ひめゆ
り」は歴史の表舞台に出ているのに対し、「引き揚げ」は、 当事者の方に
は失礼な表現かもしれませんが、歴史の裏面史であるような感じがしたの
です。
 しかし、どちらが身近に感じられるかといえば、やはり、裏面的な要素を
持つと思われる「引き揚げ」の方だと思います。戦争の悲惨な実態を知る
には、爆撃とか虐殺とかの痛ましい場面を目にすることと同時に、より多く
の人々が体験した「引き揚げ」の意味を考えることが大切だと思いながら、
記念館を後にしました。

TOP ホーム かなくら雑筆集

このごろ思うこと(4)
            『加美仏教』第130号(1995/11/15)より

 最近めっきり寒くなって、あんなに暑かった夏がうそみたいです。そら
11月ですものね。考えてみれば寒くなって当然ですね。
 季節が変われども、いっこうに変わらないのは、マスコミ報道。3月以来
の「オウム真理教」事件の報道は、犯人逮捕から公判のニュースが主に
なったとはいえ、週刊誌などでは、次々と新事実が明らかにされ、いった
いいつまで続くのか、こう毎日毎日繰り返されると当初の憤りを忘れて、
またか、と思ってやり過ごしてしまいそうになる毎日です。
 地下鉄サリン事件が起こったころ、テレビに出ていたオウム教団関係者
の発言を聞いて、何も予備知識のなかった私は、本当にオウム教団がこ
んな殺人事件を起こしたのだろうか、いや、かりにも人間の救済を説く宗
教教団が、そんなことをするはずがないと思ったのを思い出します。
 その後、信者や教祖の逮捕を通じて次々と事実が明らかにされ、やりき
れない気持ちになりました。
 オウム教団では、出家・布施・修行などの仏教用語を間違った使い方に
しろ、巧みに使っていますので、我々仏教徒にとっては、「あれは本当の
仏教とは関係のないことや」ということではすまされないような気持ちにも
なりました。
 そして、今日、毎日のように流される公判のニュースに、教祖や信者の
生い立ちや入信の動機などを知って、一人一人は、殺人鬼でも何でもな
く、むしろ人生をまじめに生きようとしていた人たちが多いのに驚きました。
だから、よけいにかわいそうであり、だから、よけいにこのような殺人をさ
せた教祖が憎らしく、許せないのです。
 オウム教団では、「宣伝ビデオ」などを使って信者をマインドコントロール
していたということですが、これを知った時、数年前に読んだ本を思い出し
ました。
 先年亡くなった羽仁五郎の『君の心が戦争を起こす』(光文社、1982)とい
う本です。
 彼は、「戦争を起こすのもふせぐのも君の心だ」と言って、現代社会のさ
まざまな例を出して、反戦と平和の論理を説いていました。
 その中で、当時人気絶頂であった山口百恵についてのマスコミの扱い方
を引き合いに出して、
 「山口百恵というのはかわいいじゃないか。山口百恵がかわいくないとい
うなら、それはおまえがどうかしているんだ」
というような形でマスコミが騒ぎ立て、そういわれた人は、
 「そうかな、山口百恵がかわいいと思わなければならないのかな」
と思っているうちに、誰かの術策にはまっていく。
 羽仁五郎は、テレビのブラウン管が流す情報操作ということで、今風に言
うとマインドコントロールの危険を指摘したかったのだと思います。
 と思っていたら、フランスの核実験再開と沖縄のアメリカ兵による少女暴
行事件。まだ戦争を起こすことを考えている者がいる。人間はなかなか賢
くならないものですね。
 毎日やりきれないニュースの洪水の中で、どのようにしたらすべての人が
幸せになるんかなあと思っていたら、ある本に、次のような一節がありまし
た。

 「仏教では、人間はもともと欲望のカタマリであり、それぞれ自分の欲望を
満足させようとしているのだと説いている。人間をも含めて全ての生物は、
自分の存在に執着し、自分が一番可愛いものだと思いこみ、他を犠牲にし
てまでも生きのびようとする。そこで仏教では、人をそこなうことなしに、各
人の特異性を認めつつ共存共栄をはかるには、全ての命が同一根源より
発しているのだから、そこにさかのぼり、それを追体験することによっての
み可能であるとする。
 我々の世界は全てが相互に依存し合い、何一つとして孤立しているもの
はない。この事実を知らずに、人びとは全ての命の根源にある同一なもの
を細分し、自分のものと他人のものとを区分している。・・・中略・・・
 もしわれわれが、ひとと同じ命の根源をわかち合うならば、ひとと生きる喜
びを確かめ合い、ひとの幸せを自分のこととして喜べるはずである。仏教の
一番大切な教えとは、われわれがこの命の根源を認め、その上に立って生
きるかどうかにかかわっているのである。」
   (松濤弘道『続 仏教のわかる本』廣済堂、1974)
 
 人間はもちろんのこと、この大宇宙にあるすべてのものと共に生きる、こ
のように仏教の教えが人びとの中に広まっていくことが、現代社会の諸問
題(戦争・差別・環境破壊・・・)の解決につながるのだと思いました。

TOP ホーム かなくら雑筆集

本当に人間を大切にするということは?
          『加美仏教』第120号(1994/01/01)より

 謹んで新春のご祝詞を申しあげます。
 年頭に当たりまして、平素から当仏教会にいただいております皆様方の
お力添えに感謝いたしますとともに、本年もさらに一層のご理解・ご支援・
ご協力をたまわりますよう何とぞよろしくお願いいたします。
 さて、「現代は物質的に豊かになっているけれども精神的には誠に貧し
い」というようなことが言われてから何年経ったでしょうか。物心がついて
からこのようなことばをずっと聞いてきたような気がしますから、ずっと前
から同じことが言われているのでしょう。
 「物質文明の危機」が自覚されたのは、割合最近のような気がするので
すが・・・。つまり、人間を幸福にするはずの科学が人間の命をむしばむ
結果を生み出したということです。これは、公害・環境破壊・薬物汚染など
を考えるとすぐにわかることです。交通事故を考えてみたらなお一層はっ
きりします。
 しかし、そうはいうものの科学をまったく無視した生活は考えられません。
現代人に電灯も電話も新聞も自動車もない不便な生活なんてもはや考え
られないからです。
 ではどうしたらいいのか。今まで便利さ、あるいは、効率だけを追求する
あまり、気がついたら命が危険にさらされる結果となったのだから、物事を
考える時に便利さや効率を二の次にしたら少しは解決できるかも知れませ
ん。しかし、根本的には解決しないでしょう。人々は以前より不便になった
生活に不満を抱くのではないでしょうか。
 そこで思い出すのが東洋の思想です。自然と人間を対立的にとらえず
に、人間も自然の一部ととらえる思想です。自然が破壊されたら当然人間
も破壊されます。その逆も真理です。あるいは、人間だけを優先的に考え
て、他の動植物や鉱物を人間のためだけに役立たせようとすると、これも
また自然が破壊されますから人間の破壊につながります。
 先日のある講演会で、「登山家は『山を征服する』とか言って、まるで山は
人間が登るために作られたもののように考えているが、これをカモシカが聞
いたら何というか。」という話を聞きました。
 私は何が言いたいのか。西洋思想はヒューマニズムというと格好はいい
がこの人間中心主義を人間以外をも含む全世界・地球社会、そして、宇宙
にまで無理に及ぼそうとするとはなはだ問題があるということです。
 現代において、自然の摂理に従い、生態系を守るという考え方、そして、
本当に人間を大切にするという考え方は東洋思想の方が理解しやすいと思
うのですが・・・。 

TOP ホーム かなくら雑筆集

タイム イズ タイム!ー新年度の始めにあたってー
            
『加美仏教』第116号(1993/05/01)より

 新緑の候、皆様にはいよいよご清祥のこととお慶び申しあげます。今年
一年間、私が仏教会の理事を務めさせていただくことになりました。どうか
よろしくお願いいたします。
 日頃は、当仏教会に深いご理解と温かいご支援を賜り誠にありがとうご
ざいます。
 本年度もこの「加美仏教」第116号の発行をかわきりに、「加美っ子仏
教」の発行、参拝旅行、夏・秋の托鉢、仏教徒の集い、夏・秋の仏教講演
会、中学生の夏期講座、秋・春の英霊塔参拝、歳末見舞い、長寿者お祝
い、善意の日預託、愛の持ち寄り等々の恒例の事業を計画しております。
このような諸活動が毎年滞りなく実施できますのも皆様方からお寄せいた
だきました尊い托鉢のご浄財のおかげと、会員一同、ひとえに感謝申しあ
げる次第でございます。
 さて、最近考えさせられたことのひとつ。
 この間、あるパンフレットに、「タイム イズ タイム!」と書いてあるのを
目にしました。 フォークソング歌手の高石ともやさんが、公演をしながら
アイルランドを旅行した時のことです。当地の友人に「タイム イズ マネー」
(時は金なり)ということばはアイルランドにはないと言われて、とてもびっく
りされたそうです。
 アイルランドでは、「タイム イズ タイム」(時は時だ)と言い、その意味
は、「時間は神から与えられた大切なもので、お金などには換えられないも
のだ」ということだそうです。
 私は、この何気ない記事を読んでハッとさせられました。これまで、私は
ずいぶん忙しい生活をしてきたなあということです。今もまったく忙しいこと
には変わりませんが、むしろそれを美徳のように考えてきた嫌いがありまし
た。
 考えてみたら、このごろ新聞もろくに読んでいません。テレビはまったく見
ていないし、書物もこれといって読んでいません。こんなことでいいはずが
ありません。
 「忙しい」というのは、「心を亡くす」、すなわち、「あれこれと気が散って落
ち着かない状態」だそうです。
 「時は金なり」というのは、「時というものは金のように貴重なものだから、
浪費してはならない」ということですが、その結果として、私たちは、「休む
間もなく、考える間もなく、働き、勉強する」生活を送るようになってしまって
いたのではないだろうかと思うのです。
 「時間を大切にする」という意味では、「タイム イズ マネー」というより
も、「タイム イズ タイム」と考える方が、より人間らしい、地に着いた生活
が送れるのではないでしょうか
 日々の忙しさの中で、思索することの大切さをあらためて考えさせられた
次第です。  

TOP ホーム かなくら雑筆集

気づこう 学ぼう 取り組もう
            『加美仏教』第105号(1991/07/15)より

  毎日、本当に暑いですね。こんな時には、お風呂に入って汗を流すと身
も心もすっきりとして、生き返ったような気持ちになります。冷たいものでも
あるとなおよいのですが…。
 ある人が畑仕事を終えて家に入ってきた時に、よく冷えたトマトを一個食
べて、「ああ、生き返ったような気がする」と言うと、そばにいた子どもが、
「お母さんの命って、安いんやなあ」と言ったそうです。
 人間というものは、些細なことで元気が出るものですね。
 しかし、考えてみれば、お風呂に入って極楽と思ったり、冷たいトマトを口
にして満足したりできるのは、平和な暮らしがあるからではないでしょうか。
 雲仙岳の火山活動で多くの人たちが命を失ったり、生活基盤をなくしたり
しておられます。被災者のみなさんは毎日どのような気持ちで過ごされてい
るのかと案じます。
 戦争もあちこちで起きています。湾岸戦争が始まった時、、その背景は別
として、「人間は何とばかな動物だ」と思った人も多かっただろうと思いま
す。
 天変地異・戦争・自然破壊。
 この世の中には、人間にとって大きすぎる苦の種がいろいろあります。
 この間、ある講演会で、講師さんから、
  気づこう 学ぼう 取り組もう
という標語を教えていただきました。世の中の諸問題に気づく人、そして、
それを学ぶ人は割合に多いが、取り組む人は案外少ないものだということ
でした。
 単に、自然破壊の惨状に苦言を呈したり、総括論的に環境保護の問題
について発言するのみでなく、今や何かをするときだと言われているような
気がしました。
 アルミ缶や牛乳パックの回収など、粉石鹸を使う運動等々、私たちの身
近でもすでに行動が起こされています。
 湾岸戦争や島原の被災者救援の取り組みも行われています。
 割り箸を使わないでおこうという運動すらあるようです。これは、資源保
護とゴミの減量作戦といったところでしょうか。
 大自然からみると、人間は、小さくて実に弱いものですが、パスカルの言
うように「考える葦」です。英知を結集して、大自然と共に、みんなで、命を
安売りせずに生きていけたらいいですね。 

TOP ホーム かなくら雑筆集

新年のご挨拶
            『加美仏教』第96号(1990/01/01)より

 加美町の皆様、あけましておめでとうございます。
 年頭にあたりまして、平素から当仏教会にいただいております皆様方の
お力添えに感謝いたしますとともに、今年もなお一層のご理解・ご協力を
たまわりますよう、よろしくお願い申しあげます。
 昨年は激動の年でした。国内的には、昭和が平成になりました。間もな
く四月からの消費税導入による混乱の中で、「人間らしい幸せな生活と
は」と考えさせられました。竹下・宇野・海部と内閣の首班もめまぐるしく
交替しました。
 国際的には、何といっても、「ベルリンの壁」が崩されたことです。第二次
世界大戦後のアメリカ・ソ連の冷戦の終結を象徴的にあらわす事件でし
た。これも、一口で言えば、「人間らしい幸せな生活とは」が、真剣に考え
られた結果と言えるのではないでしょうか。
 ともあれ、1989年という年は、将来とも、歴史的に大きくクローズアップさ
れることは間違いありません。
 今年も様々なことが起こりそうです。世界の人類は、人間の尊厳を求め
て、様々な行動を起こすでしょう。私たち仏教徒も世界平和・人類福祉・乃
至法界・平等利益と祈り続けずにはおれません。
 とりわけ、私たちは、故郷加美町が美しく、豊かな自然を保ち続け、すべ
ての人々が活力をもって生活できることを願わずにはいられません。
 それにつけても思い出すのは「加美町歌」です。30年前に作られたこの
歌には、そのメロディーの美しさとともに、私たち加美町民のものの考え
方、行動の仕方、生き方の基本となるようなものが歌いこまれているような
気がします。
 次に、全文を掲げておきますので、皆様とともに、その意味をよくかみし
めてみたいものです。

   
加美町歌
        作詞 阪口  保
        作曲 村山貞雄

一 思えば遠き昔より 名も多可郡(たかごおり)
   川清く 山うるわしき
   この郷(さと)を 拓(ひら)きて代々(よよ)に
   うけつぎて 今とはなりぬ
   讃(たた)えよ祖先
   ああ 我らの我らの 加美の里

二 時の流れの束(つか)の間も 
   惜しみて力 協(あわ)せつつ
   町作りせむ 
   杉ひのき ときはかきはに
   家々の 窓もあかるく
   護(まも)れよ 村是(そんぜ)
   ああ 我らの我らの 加美の里

三 進み 伸びゆく
   世の中の 柱とならむ
   若人(わこうど)の 夢ゆたかなれ
   永遠(とこしえ)の 明日(あす)を照らさん
   巨(おお)いなる 光かかげて
   ミ(たか)めよ 理想
   ああ 我らの我らの 加美の里  

TOP ホーム かなくら雑筆集