郭巨山は元禄六年(1693年)に創建されました。

明治二十五年(1892年)より後在家町、
下小唐崎町による所有となり現在に至っています。



郭巨山は『釜掘山』とも呼ばれています。中国二十四孝の一人、郭巨に基づく説話が由来となっています。

郭巨の家はとても貧しく、母が可愛い孫に食物を分けてあげていましたが、親思いの郭巨は老母を養う為、自分の子供を埋めようと地面を掘ったところ、三尺の黄金の釜が出てきたというものです。

釜の中には紙片が入っており、「天が汝の孝行をめでてこの釜を与える」と記されていました。



郭巨山の装飾品をご紹介します。

これは郭巨山の天井を曳山の内側から見たところです。

格天井となっており、28のマスに別れています、各マスには金箔を施した花の彫刻がはめこまれています。

また、波模様の彫刻部分は欄間飾りといいます、表側に装飾が施されています。



表側から見たところです、欄間飾りはひときわ精巧な彫刻でできています。



欄間飾りをアップ撮影してみました。
 (その1)



アップ撮影(その2)

郭巨山の欄間は中国の騎馬武者達を表現している様です。



頑張って幕類の復元を行いました。

見送り幕「陳廬岡祝賀叙文刺繍」です。
平成十五年に製作完了しました。



「陳廬岡祝賀叙文刺繍」の文字部です。
(左はハメコミ合成によるものです)

中国の明(みん)代の事跡が刺繍により
記載されています。



「胴幕:立花文様草花図幕」
(下側の連続模様の幕)
平成十八年に製作完了しました。
曳山の正面、左右の三面構成です。

「水引幕:二十四孝刺繍幕」
(上側の横方向に細長い幕)
平成十九年に製作完了しました。
曳山の正面、左右の三面構成です。




胴幕と水引幕を曳山の左側から見たところです。

水引幕の刺繍は二十四孝の説話から印象的な五つの場面を描いています。





これは老母の為、雪の中から筍を掘り当てる孟宗を描いたものです。
(水引幕の全体像は→ こちら




曳山の前後、屋根下に取り付けられる
鳳凰をかたどった彫刻です。
懸魚(げぎょ)といいます。

まだまだ見所は盛りだくさんです。
ぜひ大津祭へお越しいただき実物を
ご堪能ください。