(side大石)
「大石。ちょっといいかな?」
昼休みを知らせるチャイムが鳴ると同時に、不自然なほど笑みを浮かべた不二が現れた。
「・・不二」
「今日は僕と一緒にお昼しない?」
「えっ・・あー・・・そうだな・・・」
言葉を濁してしまうのは、不二がここに現れた理由がおおよそ想像できるからだ。
英二の記憶喪失
その事実を伝えたのは、今日の朝練の時だった。
『みんなに伝えなきゃいけない事があるんだ』
そう話を切り出し、昨日の出来事、今の英二の状況を伝えた。
みんなの衝撃は大きく反応は様々だったが、英二の記憶以外の部分は問題はないという話で少し落ちついた。
前向きに記憶が戻れば、何もかもが元通りになる。
海堂という前例があるだけに、意外とみんな大丈夫だろうという雰囲気なった。
ただ・・その中で不二だけは、話の輪の中に入らず、ずっと俺を睨んでいたんだ。
「取り敢えず言っておくけど、断るなんて選択肢大石にはないからね」
「わ・・わかってるよ。屋上にでも行こうか?」
「うん」
だからきっと改めて俺のところに来るだろうと・・・覚悟はしていたんだ。
「やっぱり屋上は風が通って涼しいよね」
「そうだな」
屋上につくと不二は弁当を膝に乗せ広げ始めた。
俺も不二と向き合う様に座ると同じ様に弁当を広げた。
何だか不思議な気分だな。
不二とも長い付き合いだが、2人だけで屋上でお弁当を食べるのは初めてだ。
いつもならここに英二が・・・
「ところでさ大石。君は今の英二をどう思ってるの?」
「えっ?」
不意をつかれた感じだった。
不二から不自然なほどの笑みは消えていたし、お弁当を広げていたから、つい話は弁当を食べた後からだろうと勝手に思っていたが・・・
「今朝の話で英二に何があったのか、今どういう状況なのかはわかったけど、
僕には今の君の気持ちがわからないんだ。
まさかみんなと同じように楽観視してる訳じゃないよね?」
どうやら不二は俺にはゆっくり弁当を食べる時間は与えてくれないようだ。
俺は不二を真っ直ぐ見ると、箸を置いた。
「そうだな・・楽観視はしていない」
「そのわりには、今朝の君の態度は、冷静に見えたけど?」
「冷静って訳じゃないよ・・ただ・・・・」
あの時病院で英二が記憶を無くしているのを知って真っ白になった俺を英二にお兄さんが引き戻してくれた。
「おいっ!大石っ!しっかりしろ!!大石っ!!」
「・・・・え・・いじ・・・」
「馬鹿っ!しっかりしろっ!お前がそんなのでどうすんだよ!」
「俺の・・俺のせいだ・・・・・・」
頭を抱えしゃがみ込んだ俺を、英二のお兄さんは無理やり立たせた。
「大石っ!シャキッとしろっ!!」
と、同時に左頬に衝撃が走った。
「!!!!!」
顔を上げると、英二のお兄さんと目が合った。
「どうだ?少しは落ち着いたか?」
「えっ?・・あ・・・・はい」
俺は左頬を押さえ、ただお兄さんを見つめた。
手の早さは、菊丸家の遺伝なのだろうか?
だが・・・正直今ので目が覚めた。
「お前・・英二のパートナーなんだろ?こんな時に、お前が取り乱してどうすんだよ?」
「スミマセン・・」
「まぁ・・あれだ。こうなってしまったのは仕方ねぇ。体はなんともないみたいだし。
明日には退院する。後はどう記憶を取り戻させるかが問題なんだ」
そうだ。お兄さんの言う通りだ。
こんな時に俺が取り乱してどうするんだ。これからの事を考えないと・・・・
「本当にスミマセン。その通りですね。俺・・必ず英二の記憶取り戻してみせます」
「そう。その意気だよ。俺達も努力するが、英二が一番頼りにしているのはお前だからな。
お前がしっかりしてくれなきゃ俺らも困る」
「お兄さん・・・」
「どうしたの大石?」
不二が俺を覗き見る。
俺は無意識に左頬をさすっていたようだ。
「いや・・昨日病院で取り乱してさ・・英二のお兄さんに平手打ちされた」
「へぇ〜そうなんだ」
不二は嬉しそうに、弁当を食べ始めた。
「それで気付いたんだ。俺がしっかりしなきゃいけないって・・
英二の記憶を取り戻すためにも、冷静にならなきゃいけないって・・」
「ふ〜ん。でもそれだけじゃ僕は納得いかないな・・・」
不二はご飯を口に運んで呑みこむと、箸で不二の後ろのフェンスの方を差した。
「アレどうにかならないの?」
「えっ?アレ?」
「そう。アレ」
俺は弁当を膝から下ろすと、立ち上がり不二の後ろのフェンスに近寄った。
「何かあるのか?」
「下に見えるでしょ?」
「下?」
不二に言われるまま、フェンス越しに下を覗く。
下には中庭が見えた。
何人かの生徒が出ていて、みんな思い思いに弁当を食べているようだ。
「いつもとあまり変わりはないようだが・・」
「大石の目は節穴なの?」
「ふっ・節穴ってなんだよ・・・」
不二のキツイ指摘にもう一度よく中庭を見た。
校舎・・ベンチ・・花壇・・・木陰・・・
みんな楽しそうに弁当を食べて・・・特に変わりは・・・ん?
あれは・・・
「えい・じ?」
木陰で食べている生徒をよく見ると、赤茶の髪が揺れている。
やはり英二だ。
・・・笑っているのか?
「なら、その横にいるのも、見えるよね?」
不二が俺の方を見ずに話す。
俺は下を見たまま答えた。
「・・ああ。竹本・・だろ」
俺はフェンスを握った。
下に見える二人の声は聞こえないが、楽しそうにしているのは遠目でもわかった。
「アレ。僕は許せないんだけど?大石はこの状況納得しているの?」
なるほど・・そういう事か。
今朝登校してきた英二は、病院から竹本と一緒で、その後も休み時間に入るたびに竹本が英二のクラスを訪れ一緒に行動している。
その姿は瞬く間に噂になって広まって、俺の耳にも届いていた。
「それは・・仕方がないと思っている・・」
「どうして?」
どうして?・・か・・・そうだな・・・俺だって本当は、常に英二の傍にいたい。
だがそれは昨日・・・
「昨日竹本と話をしたんだ」
「どうしたんだ。みんな?」
英二のお兄さんと廊下で、今後の事について話している時に病室から英二の家族が出て来た。
「それがさぁ。英二が竹本くんだけ置いて、みんな帰ってくれって・・」
「何だそれ?」
「でしょ?でも、ちょっと英二の奴・・思い詰めた顔しちゃってさ・・
色々学校の事とか、竹本くんと話したいんだって言うのよ」
英二が・・竹本と・・・?
「それでみんな出て来たのかよ?」
「仕方ないじゃない?ねぇ母さん」
「そうね。体はどこも異常はないみたいだし・・あとは記憶だけだものね。
今英二は中学一年生の初めの頃の記憶までしかないでしょ?
あの頃確か竹本くんと一番仲良かったじゃない?
だからゆっくり話をしたいっていう英二の気持ちもわかるのよね・・」
「マジかよ。ここに大石も来てるんだぜ」
「大石くん本当にごめんなさいね。英二が一番慕っているには大石くんだって事は私もわかっているんだけど・・今は・・・」
「いえ。そんな・・・気にしないで下さい」
英二のお母さんの申し訳なさそうな顔に、俺は慌てて両手を振った。
今の英二の状態を考えれば、家族が英二の気持ちを優先させるのは当たり前だ。
記憶さえ戻れば、英二はいつもの英二に戻るのだから・・
可能性があれば藁にもすがりたい家族なら誰でも思う事だ。
「悪いな大石・・」
英二のお兄さんが俺の肩を叩く。
俺は英二のお兄さんの方へ顔を向けて、首を振った。
「いえ。本当に気にしないで下さい。俺は俺で英二の記憶が元に戻る様に努力しますから」
「そうか・・そう言ってもらえると助かる」
「じゃあ私達は帰るけど・・・」
「俺も帰るよ。大石はどうする?」
「俺は竹本が出てくるのを待ちます。少し話したい事もあるので・・」
「そうかわかった。じゃあ後は頼むな」
「はい」
英二の家族は俺だけを残して、帰っていった。
俺は廊下の壁にもたれ、竹本が病室から出てくるのを待った。
先程まで開けられていたドアは、英二の家族が出て来た時にしめられ中の様子は全くわからない。
英二が竹本に何を聞いているのか?
竹本がどういう風に英二に答えているのか?
気になって仕方なかったけど、俺には待つ事しか出来ず・・
結局竹本に会えたのは、待ち始めて40分程経ってからだった。
「お・・大石・・待っていたのか?」
病室から出て来た竹本は俺が待っている事に気付くと目を見開き驚いている様子だったが
「ああ。どうしても英二の様子を確認しておきたくて」
そう言うと、すぐに俺の傍に来て俺の腕を引いた。
「そうか。じゃあ外で話そう」
「えっ?ああ・・そうだな」
本当は竹本の話次第で英二の顔を見て帰りたかったが・・・
竹本の様子に今日はもう英二に会えない事を悟った俺は竹本に促されるまま病院を後にした。
そして帰り道・・・俺は病室で話をしたという内容を聞いたんだ。
交友関係、勉強の進み具合、部活の事
中一からの2年間何があったのか、英二は詳しく知りたがったらしい。
ひと通り英二に話した内容を俺に伝えた竹本は一端言葉を止めた。
「それでだ・・大石には言いにくいけど、今の英二は俺を一番に頼っている。
だから暫くは俺に英二を任せて欲しいんだ」
「えっ?でもそれは・・・・」
「英二がそうして欲しいって言っているんだ」
「そう・・なのか?」
「ああ。もちろんテニス部が全国を目指している事も、大石とのペアの事も伝えてある。
だが今の英二はその記憶がないんだ。凄く動揺もしている。
大石も辛いと思うがわかって欲しい」
「でも・・記憶を思い出すためにも、部活には出た方がいいと思うんだ。
海堂も以前それで記憶を取り戻したし・・」
「海堂?あぁ・・あの生意気なバンダナ・・・記憶喪失になってたのか?」
「一時的だったけどな。コートに立つことで記憶を取り戻した。
だから英二にも・・体が異常が無いなら部活に出て欲しいと思っているんだ」
「そうか・・わかった。じゃあこうしよう。俺はもうテニス部じゃないが・・
明日は英二と一緒に部活に出るよ。そうすれば英二も安心するだろうしな」
「竹本・・」
「仕方ないだろ。今の英二には俺が必要だからな。それに乗りかかった船だ。
俺も出来る限り協力するぜ」
「そうか・・ありがとう」
「まさか・・竹本が言う事まるまる信用したの?」
「仕方ないじゃないか・・今の英二は入学当初の記憶しかないんだ。
竹本を頼っているのも事実だし、今は英二の気持ちを優先させながら記憶を取り戻すしか・・」
「呆れた。よくそんな悠長な事が言ってられるね。
そこを強引にでも一緒にいるのが君の役目じゃないの?」
「だけどそれで英二を怯えさせて、記憶が戻るのに妨げになったら・・・
そっそれに部活には出るって言ってるんだ。
海堂の例もあるしラケットさえ握れば英二も・・・」
「でも竹本も一緒について来るんでしょ?」
「ああ。だがそれは・・」
「僕はあまり竹本という人間を信用してない。
まさか大石。竹本が英二にした事忘れた訳じゃないよね?」
竹本が・・確かに忘れた訳じゃない。
1年のあの日、それまで仲が良かった英二を竹本達のグループが呼び出して喧嘩になった。
3対1・・俺が止めに入った時は、既に英二はボコボコに殴られて怪我をしていたんだ。
だがあれから2年。
英二と竹本はクラスも別れ、竹本がテニス部をやめた時点で殆ど接点は無くなった。
顔を合わせれば挨拶をする程度、揉めたという話は一度も聞いた事が無い。
英二に危害を加えるなんて、もう流石にないだろう。
「ああ。忘れていない。だがあれから2年も経っているし・・
あの日以来、英二と竹本が揉めているなんて話は聞かないだろ?
心配しすぎだよ不二。竹本の好意を信じようじゃないか」
「大石って本当にお人よしだよね。そんな事じゃいつか竹本に足元すくわれるよ」
「なっ・・い・・嫌な事言うなよ」
俺はもう一度中庭を覗いた。
英二と竹本は弁当を食べ終わったのか、立ち上がるところだった。
竹本が手を差し出し、英二が握る。
俺の胸がチクリと痛んだ。
不二の言いたい事は、良く分かる。
俺も昨日一晩考えた。
英二の状況。竹本の言い分。俺の想い。
納得いかない部分と納得しなきゃいけない部分。
どう考えても今の状況では、竹本を信用する。信用するしかない。という事に行きつく。
だから俺は、竹本の提案を受け入れたんだ。
しかし・・・部活が始まって、すぐにそんな思いにも陰りが差した。
不二の指摘はいつも正しい。
部活に出て来た英二は、常に竹本と一緒で練習もままならない。
後輩達が近づくと、竹本がそれを制止する。
これじゃあ記憶を取り戻すどころか、テニスの楽しさも忘れてしまうんじゃないかと心配になってしまう。
「大石」
「不二・・」
「アレで本当に記憶が戻るの?」
「そうだな・・俺の予定では、もっと積極的に練習に参加して貰うつもりだったんだが・・」
コートの隅にいる英二と竹本を見る。
そこへ乾がノートで肩を叩きながら現れた。
「記憶が戻るどころか、このままじゃ記憶をすり替えられるぞ」
「乾・・」
「大石。ホントに不味いんじゃないの?」
いつのまにかタカさんも俺のところに来ていた。
「タカさん・・」
俺は改めて、英二と竹本を見た。
竹本が英二に何かを説明している。
英二は普段見せない様な真面目な顔で頷いていた。
「乾・・記憶のすり替えっていうのは・・」
「そのままだよ。記憶を取り戻したいと思う菊丸に、あたかもあった事のように物事を教える。
それを信じた菊丸は、それが正しい記憶だと思って覚える」
「それは竹本が偽りの記憶を伝えるという事か?」
「さぁどうだかな。現時点では言いきれないが、少なくとも菊丸と親しい人達との接触をさけているようには見えるがな」
「そうか・・・でも・・それだけですり替えだなんて・・・そんな事・・・」
そんな事が本当に出来るのか?
「で、もう一度聞くけど、大石は本当にこのままでいいの?」
みんなの視線が俺に集まる。
俺は一度目を瞑り、顔を上げた。
「いや・・英二と竹本に話をしてくるよ」
英二の記憶をすり替えるなんて、そんな事を竹本が本当にしているのかどうかはわからない。
だが英二とみんなの距離が離れているのは確かだ。
ここはちゃんと話をして、練習にも積極的に参加してもらおう。
そうすれば変な不安も無くなる。
変な・・・?
「俺達も一緒に行こうか?」
「あっ・・いや。ありがとうタカさん。でもここは俺1人で話をしてくるよ」
そうだ今の英二に大勢で話かければ、プレッシャーになるだろう。
ここは先ずは俺が1人で・・・
「じゃあ。大石しっかり話してきてよね」
「健闘を祈る」
俺は3人に送りだされる様に歩き出した。
しかし・・一歩また一歩と英二と竹本に近付くにつれ俺の中に迷いが生まれ始めた。
竹本を信用するならば、こうやって話をしに行くのは逆効果なのかもしれないな。
まだ初日だし今は英二の体の事を考えて様子をみているのかもしれない・・・
いやでも海堂の時の事を考えれば、こういう事は早いうちに手を打った方がいい。
それにみんなと距離を置き過ぎるのも・・
あぁ駄目だ。迷ってる暇はない。兎に角一度話をしてみよう。
俺は迷いを振り切る様に2人の前に立った。
英二と竹本が俺を見る。英二の目が少し揺れた気がした。
「英二。竹本。話があるんだが・・」
「何だ?大石?」
口を開こうこした英二を制して、竹本が答える。
「英二の記憶を取り戻すためにも、もう少し積極的にコートの中に入って貰えないか?
見ているだけじゃ。感覚はわからない」
「それはまだ無理だな」
「何故だ?体の方は問題ない筈だろ?
それにせっかく部活に出てラケットも満足に握れないじゃ英二だって不満じゃないか?」
英二の方を見ると、英二は困ったように眉を下げた。
「お・・俺もさ・・」
乗り出した英二を、竹本は更に手で制した。
「大石。俺は昨日言った筈だよな。俺に英二を任せて欲しい。
今の英二は万全じゃないんだ。無理に体を動かして何かあったらどうするんだ?」
「しかしそれは・・・」
「それに部活には出ると言ったが、練習に参加させるとは言っていない。
それとも、大石は英二がどうなってもいいというのか?」
なっ・・・そんな・・・
「そんな訳ないだろっ!」
そんな訳・・英二がどうなってもいいだなんて・・・
竹本の言い方にいらついた俺は、思わず竹本の胸倉を掴んでいた。
それに驚いた英二が、竹本の胸倉をつかむ俺の腕にすがる。
「お・・大石やめてよ!」
「英二・・」
俺は英二の顔を見てハッとした。
英二が本当に辛そうな顔をしている。
俺はゆっくりと竹本の胸倉から手を離した。
竹本が自分のポロシャツを直す。
「今日はもう帰った方がよさそうだな。このままここにいても、英二を不安にさせるだけだ」
俺を睨みつけて、竹本は英二の腰に手を回した。
「行こう。英二」
「えっ?でも・・俺はもう少し・・」
英二は戸惑ったように俺を一度見て、竹本に顔を向けた。
英二・・・
竹本はそんな英二を無視して歩き始める。
遠ざかる二人の後ろ姿。
しっかりと英二の腰に回された竹本の手。
俺は咄嗟に駆けより、英二の手首を掴んでいた。
「英二。行くな」
最後まで読んで下さってありがとうございますvvv
続き・・話が進んだり、戻ったりで少しわかりにくかったかな?
大丈夫でしたか?
次は英二。大石と竹本の間で揺れる英二を書けたらと思います。
まだまだ続くので、最後までついて来てくれると嬉しいです。
あと・・1年の時の話は『動き出した想い』から引っ張ってきました☆
2011.7.31