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沿革
当山は文禄三年(1594年)教行院日受上人の開山による寺であり創建建当時より徳川家康公の第二息女督姫殿の篤い帰依を受け、姫が池田輝政公の令室として嫁がれるにあたり、その屋敷跡(現在地)に西浜堺町にあった当寺を移した。(慶長1614年)庭内には大閤秀吉遺愛の牡丹があり牡丹寺として親しまれている。境内には「開運堂」があり池田公伝来の守護神北辰妙見尊が祀られ優れた霊験対果により「大手筋の妙見様」として地域の人々に深く信奉されている。又、「秋山白雲霊神」のほこらも痔疾祈願の霊場として有名である。