沿革
文禄五年(1596年)当時歌人として著名な究竟院日槙上人を開山に迎え角倉栄可と了以が名勝小倉山を提供し創立された。 本堂は慶長年間に桃山城の客殿を移築したもの又多宝塔は元和六年(1620年)の建立で重要文化財に指定されている。 妙見尊は慶長年間の保津川洪水の際、漂着した妙見大菩薩御神像を角倉町の一舟夫が発見、久しく同町集会所で祀っていたが享和の頃当山に遷座し鎮護の社としたもの。 小倉の妙見様、酉の妙見宮として関西一円の庶民に親しまれている。
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