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菅原伝授手習鑑

【別の名前】
上演される段の名前は
どうみょうじ    くるまびき    がのいわい      てらこや
「道明寺」 「車引」 「賀の祝」 「寺子屋」

【見どころ】
通しで上演されることは少ないのですが、基本的にこの作品は、
“肉親の別れ”がテーマになっているのでミドリで見ても比較的わかりやすいかも、
と思いまする。ということで、上演される機会の多い場を解説いたしやす。

原作では二段目にあたるのが「道明寺」
これについては実は見ていないので、見てから詳しい解説をしますが、
菅原道真が政敵の藤原時平に謀反の濡れ衣を着せられて九州へと流される途中で、
河内の伯母覚寿の家に泊まり、養女の苅谷姫と涙の別れをするという話です。
なお、ここの覚寿は「三婆」と言われる難しい役のひとつだとか。

「車引」は原作だと三段目にあたります。荒事での演出がおもしろい場面。
荒事には、怪力の者同士がひとつの物を引っ張り合う「引合事」と言われる型が
あるそうで、三つ子の松王丸梅王丸桜丸時平の牛車を引っ張り合い、
鳴り物にあわせて首を振るというを見せます(いかにも歌舞伎っぽーい! やんややんや)
このとき、三つ子が着ている着物は紫色の「童子格子」と呼ばれるそーで、
荒事は子どもの心で演じるというのが見た目にも分かるようになっているのかな、と。
で、ここの三つ子、微妙に持ち味が異なっているのも見どころですね。
「元禄見得」や「飛び六法」など“勇ましい”荒事を体現するのが梅王丸、
スケールの“大きな”松王丸、しぐさも柔らかな和事の味わいを含んだ桜丸が
ひとり“やさしい”印象を見せます。あと、時平は典型的な公家悪です。
この段は、とにかく衣裳も色彩豊かで華やか。荒事の様式美を堪能してくだされ。

原作では三段目の切にあたり、ストーリー上「車引」に続くのが「賀の祝」
春のうららかな一日が最後には悲劇で暮れるという、そのつくりがうまいでする。
時間の経過とともに陽が傾くように明から暗へ、陰りを帯びていく一家の様子。
最後、たそがれの中で桜丸が切腹するところがクライマックスで、
まさに名の通り桜の花が散るごとく若い命を絶つ。ここがいちばんのポイントかな。
夫が自害する気でいることを知った女房の八重くどきも見どころ。
あと、梅王丸松王丸の喧嘩は「俵立ての立ち回り」と呼ばれているみたい。

原作の四段目の切にあたるのが「寺子屋」
屈指の名作と言われ、上演回数もベストテンの上位にあるという超有名演目でする。
ここは、やはり松王丸の首実検がいちばんの見どころでしょー。
菅原道真の息子の身替わりに自分の息子をそれとなく差し出し、源蔵殺させ
その首を検分し「菅秀才に相違ない」と大ウソをつく。
どうしてそんなことをしたのか、松王丸が本心をあかすところはもどりの演技。
ここの理由というのが、現代人のわっちにゃぁピンとこないのだが、
我が子を失った母親千代のくどき、「にっこり笑うて」死んだという小太郎の
けなげな最期を聞いての松王丸の泣き笑いなどの場面では、ついもらい泣きしちゃう。
また、源蔵が、小太郎を菅秀才の身替わりにしようと決意するところで言う
せまじきものは宮仕えじゃなぁ」というせりふは有名でする。
あと、幕開きに寺子屋の子どもたちに大人の役者がひとり混じっているが、
この「涎くり」は名のある役者が「ごちそう(いわゆる特別出演)」で演じることも。

【あらすじ】
時は平安、醍醐天皇の御代のこと(つまり、古〜い古〜い時代劇ってことですわ)
右大臣の菅原道真と左大臣の藤原時平が勢力を二分していた。
政権の乗っ取りを企む時平は、道真の養女の苅谷姫が帝の弟の斎世親王と恋仲なのを
逆手にとって「道真に謀反の心あり」と帝に吹き込む。
その言葉に惑わされた帝は、道真を遠く九州は太宰府に左遷する。
・・・という前段があってのお話です。

「車引」
道真の別荘の管理人をしている四郎九郎には三つ子の息子たちがいたが、
梅王丸は道真の、桜丸は斎世親王の、松王丸は時平の舎人(とねり)になっていた。
ある日、菅家再興に奔走する梅王丸と、斎世親王と苅谷姫の恋を取り持ったことに
責任を感じていた桜丸が久しぶりに行きあい、互いの不運を嘆きあう。
と、そこへ時平の行列がやって来る。これは道真の恨みを晴らす絶好の機会と、
ふたりは通りかかる牛車の前に立ちはだかる。それを止めようとしたのは松王丸
なんと実の兄弟同士が争いあうことに。梅王丸と桜丸がヤケになって
牛車を壊しにかかると、時平があらわれ、鋭い目つきでふたりを射すくめた。
結局、松王丸に免じて命を助けられた格好になった梅王丸と桜丸は、
父親の「賀の祝」のあとで決着をつけることにする。

「賀の祝」
三つ子の父親は70歳(おー。いくつのときの子どもだろー)を迎えたのを機に、
白太夫という名前を賜り、久しぶりに一家揃って祝いをすることになっていた。
千代(松王丸の女房)(梅王丸の女房)八重(桜丸の女房)も祝いに来たが、
息子たちの来るのが遅いので、白太夫は八重を伴って氏神詣に出かける。
その留守に松王丸梅王丸が来て、日頃の遺恨から喧嘩になり、
その際、桜の枝を折ってしまう(これ、実はあとに続く話の象徴なんだよねー)
やがて戻ってきた白太夫に、梅王丸は筑紫に行きたいと願い出て断られ、
松王丸は勘当を受けたいと言い出し、怒った白太夫に夫婦ともども追い返される。
そうした騒動があったあと、もう陽も傾きかけているというのに
夫が来ないのを案じていた八重の前に、奥から桜丸が姿をあらわした。
実は桜丸、死を決心して納戸に潜んでいたと言う。道真流罪の種をつくったのは
自分だから死んでおわびをすると決意を語ると、自ら命を絶つのだった。

「寺子屋」
菅原道真の筆法を伝授された武部源蔵の寺子屋。庄屋に呼ばれていた源蔵が、
やがて沈痛な面持ちで帰って来た。女房の戸浪が留守の間に弟子入りした小太郎
引きあわせると、利発そうな小太郎の顔を見て何やら一人合点している様子。
それをいぶかった戸浪が何があったのかをたずねると、我が子と偽って
かくまっている道真の子秀才首を討って差し出せと言われたと言うではないか。
しかし恩ある道真の若君の首を討つなどできないから、小太郎を身替わりにする考え。
驚く戸浪だったが、いたしかたない(えー、そうなのかぁ?!)と夫婦で覚悟を決める。
やがて、検使役の春藤玄蕃と首実検をする松王丸がやってくる。
寺子屋の子どもを全員帰したうえで、秀才の首を早く討てと迫る松王丸。
もうダメだ。意を決した源蔵は奥へと入ると、やがて血の気の失せた顔で
首桶を抱えて戻って来て、松王丸の前に差し出した。首を確認した松王丸は、
「秀才の首に相違ない」と言い切ると、そそくさと帰って行く。
玄蕃も首桶を持ち帰り、うまくいった!と源蔵夫婦が胸をなで下ろすまもなく、
小太郎の母親千代が息子を迎えに来た。こうなったら母親も殺すしかない。
ところが、源蔵が斬りかかると千代はすばやく身をかわし、
菅秀才のお身替わり、お役に立ててくださったか」と言うではないか。
なぜ、それを? わけを聞こうとしたとき、松王丸が
女房喜べ、せがれはお役に立ったぞ」と言いながら入ってくる。
実は、小太郎は松王丸の子で、身替わりにするつもりで弟子入りさせたのだった。
(えー、なんでぇ?!と思うじゃん? どうも、梅も桜も菅家のために働いてるのに、
松だけがってな汚名を挽回するためだったみたいなんだけどさー。現代人にゃ分からんよ。苦笑)
けなげに死んだ子を思い、涙にくれる松王丸と千代、源蔵と戸浪であった。

【うんちく】
延享三年(1746年)人形浄瑠璃で初演。同年には歌舞伎化されて上演された。
竹田出雲、並木千柳、三好松洛、竹田小出雲の合作で、全5段の時代物
近松門左衛門の「天神記」を下敷きに生まれた作品とのこと。
主役の三つ子は、当時、大坂の天満に三つ子が生まれて話題になっていたから、という。
この作品は三大狂言のひとつと言われ、特に「寺子屋」は上演回数も多い人気演目。