いろもようちょっとかりまめ
色彩間苅豆【別の名前】
かさね(累とも書く)
【見どころ】
これ、舞踏劇なんすよね〜。わっちの苦手な・・・(苦笑)
けど、内容が内容(怪談物)なので、面白く見ることができました。
いちばんの見どころは、やはり累の変化ですな。
可憐な印象の女の人が艶っぽく語ってたかと思ったら、
後半に顔が醜くなると同時に一転して、恐ろしくも怪奇な女になっちゃう。
ですが、あくまでも歌舞伎の舞踏ですんで、キレイでする〜。
土橋の上での決まりの見得も、すごーく綺麗。歌舞伎特有の殺し場の美ですね。
与右衛門は色悪の典型。艶っぽくていい男、だけどメチャ悪なの。
わっちの好みの役どころで〜す(笑)
【あらすじ】
与右衛門は、侍だったころ、同じ家中に使える腰元の累と深い仲になった。
が、当時、いわゆる社内恋愛は不義密通とされ御家の御法度。
そのため、ふたりはいったん心中を言い交わすが、なぜか与右衛門ひとりが
屋敷を抜け出し、生まれ故郷の下総国に戻って来ていたのだった。
書き置きひとつで取り残された累は、いなくなった恋人が恨めしく、
あとを慕って木下川(きねがわ)堤までやってきた。
と、どうやら先を行くのは、あれは恋しい与右衛門じゃないか。
累は必死で追いつくと、いっしょに死のうとかきくどく。
不義の子をみごもったのを恥じて生きながらえるわけにもいかない、という
累の哀願に、与右衛門ついに心中を決意するのだった。
が、そのとき、錆びついた鎌が突き刺さった髑髏が卒塔婆に乗って流れてくる。
ハッ!と息をのむ与右衛門。実は思い当たることがあったのだ。
以前、与右衛門は累の母親とも不義密通をし、累の父親の助を鎌で殺していたのだ。
(えーーーっ!! そんなんで、よく娘といい仲になれるなぁ・・・! 唖然・・・)
恐る恐る見れば、卒塔婆には「俗名助」と書かれていた。やはり、そうか!
与右衛門は恐れおののいて卒塔婆を折り、髑髏を鎌で打ち割った。
すると、どうしたことか、累が苦しみもがいて倒れてしまった。
追い打ちをかけるように与右衛門を捕手たちが囲む。旧悪がすべてばれたのだ。
一刻も早く逃げようとする与右衛門に、とりすがる累。
しかし、その顔は醜くただれ、足も引きずっている。助の恨みのなせるワザか!
驚いた与右衛門は、累をも鎌で斬りつけたうえに、残酷にも
醜くなった顔を鏡で見せ、こうなった因果を語り聞かせてから、とどめを刺した。
急いで立ち去ろうとする与右衛門。しかし、累の怨念に引き戻され、
一歩も前に進むことができなくなってしまうのだった・・・。
【うんちく】
文政六年(1823年)、「法懸松成田利剣(けさかけまつなりたのけん)」の
一場面として初演。当時、累を三代目菊五郎が、与右衛門を七代目團十郎が演じた。
作者は怪談物の名手、かの鶴屋南北。やはり、と言うべきか。
しばらく上演が絶えていたが、大正九年(1920年)、
六代目梅幸と十五代目羽左衛門とによって復活上演されてから、
人気舞踏として独立上演されるようになった。
大正十四年(1925年)には六代目菊五郎と十三代目守田勘弥とが新演出で上演。
そのため、現在でも梅幸型と菊五郎型のふた通りの演出があるらしい。
最初の出で、両花道を使うのが梅幸型、本花道だけのが菊五郎型だそうで、
主役ふたりの衣裳も型によって異なっているとのこと。
わっちが見たのは累が薄紫色の振袖だったから梅幸型なのかな?
菊五郎型だと矢がすりなんだって。与右衛門の衣裳も違うらしいけど、
黒かったというだけで詳しいこたぁもう覚えてないや・・・(苦笑)
なお、これは「累もの」とも言われる演目のひとつ。
下総羽生村(今の茨城県水海道市)に伝わる累伝説がもとになっているそうだ。