ひこさんごんげんちかいのすけだち
彦山権現誓助剣

【別の名前】
              けやむら
よく上演される段の名前が 毛谷村

【見どころ】
原作は全十一段からなる、敵討を題材にした長編時代物だが、
通しでの上演はほとんどなく、九段目にあたる「毛谷村」のみが人気狂言として
たびたび上演されています。なので、その部分だけを解説しますね。
そうですねー、見どころは主人公ふたりの設定ですかねー。
六助は剣術の極意を受けたほどの男なんですが、バカがつくほど人がいいんですね。
すべてを受け入れるような器のデカさを感じさせてほしい役。
その六助の嫁になるお園は、女武道と言われる役。武芸が達者で、そのうえ
重い臼も軽々と持ち上げるほどの怪力女(そんなん、いるんかーーー! 笑)なんですが、
六助が夫とわかった途端、急に女らしくなるとこが見ものです。

【あらすじ】
長州藩の武芸師範をしていた吉岡一味斎(いちみさい)は試合の遺恨により、
京極内匠(たくみ)に闇討ちされて殺されてしまう。敵討を許された妻と娘達が
内匠を追うが、妹娘のお菊は無残にも返り討ちにあってしまう。
が、お菊の子弥三松(やさまつ)は難を逃れ、毛谷村に住む六助に拾われる。
その六助、百姓ながら武芸にすぐれ、実は一味斎から極意を授けられた腕前なのだ。
なんと小倉藩は、六助と試合をして勝った者を五百石で召し抱える、と高札を立てた。
・・・という話が本来あって、「毛谷村」がはじまります。

六助の家に小倉藩から立会人が来て、これから剣術の試合が行われることろ。
相手は微塵弾正と名乗る男。実は六助、先日この男から、
命に限りある母親に安楽な暮らしをさせたいから試合に負けてくれと頼まれていた。
母親をなくしたばかりの六助は、男の孝行心を真に受け、試合に負けてやった。
が、弾正は仕官が決まるや、扇で六助の眉間を割るといった
恩を仇で返すような仕打ちに出た。が、六助は静かに見送るのだった。
そこへ一夜の宿を乞う老女がやって来て「わしを親にせぬか」などと言い出すのを
六助は鷹揚に受け答えして、奥の一間で休んでもらうことにする。
ところで、六助は身元のわからぬ弥三松の着物を外の物干しにかけていたのだが、
それに目をとめた虚無僧が来て「家来の敵」と六助に斬りかかってきた。
剣術の達者な虚無僧は、なんとだった。
その顔を見て「おばさまか」とすがりついたのは弥三松。
そこで六助が弥三松を預かることになったいきさつを話し、名を名乗ると、
女は急にしおらしくなって(ここ笑えます。すがりついてた弥三松を落とすんだもん。笑)
「あたしゃ、お前の女房じゃ」と言い出すから、六助は面食らう(そりゃそーだ。笑)
さらに話を聞けば、女は一味斎の姉娘のお園だった。
師のあえない最期を聞かされ、ふたりして嘆きあっていると、奥から最前の老女。
なんと老女は一味斎の妻でお園の母親のお幸だった。
お幸は、お園と六助に祝言させると、一味斎の形見の刀を六助に与える。
と、そこへ、近在の斧右衛門が、殺された母親の敵を討ってくれと頼みに来る。
運び込まれた死骸を見れば、弾正の母親と言って紹介された老女ではないか!
それが実は斧右衛門の母親だったとは・・・! はかられた!と悔しがる六助。
「その男こそ一味斎の敵、京極内匠に違いない」と言うお幸の言葉に、
なおさら悔しさが募る。こうなったら師であり舅である一味斎の敵を討つしかない!
と、六助たちは勇んで出かけていくのだった。

【うんちく】
天明六年(1786年)、人形浄瑠璃で初演。作者は、梅野下風、近松保蔵。
なんでも、この作品ができた時代って、怪力女が流行だったみたいですー(笑)
浮世絵にも、やたらと背の高い相撲取りみたいな女の人が描かれているらしいっす。
なんだろー? 女子プロレスでもあったんかいな?!(爆)
どーゆーこっちゃかよくわからんが、江戸の衆らってば面白い。
なお、歌舞伎に移されたのは寛政二年(1790年)です。