ふたつちょうちょうくるわにっき
双蝶々曲輪日記

【別の名前】
                    すもうば  ひきまど
現在、みどりで上演される段の通称が、「角力場」「引窓」

【見どころ】
外題「双蝶々」濡髪長五郎放駒長吉のふたりの「長」を指している。
その、ふたりの主人公がライバルとして顔をあわせるのが「角力場」
こっちの見どころは、濡髪と放駒のふたりの対比かな。
大きくて堂々として怪力で、いかにも大関っつー貫録たっぷりな濡髪に対して、
米屋のせがれで素人力士の放駒は、ちょこまかしていて喋りも軽め。
わっちゃぁ、放駒の方が三枚目入ってて、好きかなぁ(笑)
で、ふたりとも前髪があるから若者っつー設定らしいんだなぁ、これが。
放駒はちゃかちゃかして軽いからまだしも、
どっしり落ち着いた濡髪は絶対にそうは見えない。でも、まぁ、
若いつっぱり同士の意地の張りあいと思って見るがよろしい、ってことかな?
あと、ふたりの喧嘩の火種ともいえる若旦那の与五郎はん。
これが、笑える。つっころばしと言われる役で、お人好しのボンボンですわ。
どんだけボンボンかは、見てのお楽しみ。
「引窓」は、お尋ね者となった濡髪をめぐっての親子兄弟の義理人情話
なんだけど、重要な道具でもある引窓が何のこっちゃか分からないと、
何が何やらになりかねないところが、わっちら現代人にとっては難しいかも。
要は、天井につけた明かり取りの窓なんですが、
それを開けたり閉めたりすることでドラマが展開する仕掛けになっており。
最初の、手水鉢の水面に濡髪の顔が映るってとこについちゃぁ、
どういう位置関係であれ物理的に無理なんじゃないの?なぁ〜んて
ぢつは思っちまったざんすが、そうゆー理屈を考えちゃうと話に入れないので
素直に見たほうがよかろう、っつーのがわっちのアドバイス(苦笑)

【あらすじ】
もともとは全9段の長編なのだが、現在は二段目にあたる「角力場」
八段目の「引窓」の上演が多いので、そのふたつを紹介しておく。

「角力場」
人気の大関濡髪長五郎と飛び入りの素人力士放駒長吉の立ち会いは、
濡髪があっけなく土俵を割って、意外にも放駒が勝った。
自分でも思いがけず勝ってうれしい放駒。いい気分でいる放駒を、
後ろ盾となっている侍の平岡郷左衛門がおだてあげ、
遊女吾妻の身請けを手助けしてくれと頼み込む。
吾妻は、実は、濡髪を贔屓にしている山崎屋の若旦那与五郎と互いに恋仲。
武士の面目にかけても与五郎には負けられない、というわけなのだ。
濡髪が怖くて断ったと思われたくない放駒は、その頼みを引き受ける。
放駒たちが引き上げたあと、やってきたのは与五郎だ。
ふがいない負けが情けなく、角力小屋から出て来た濡髪に食ってかかる。
が、気の晴れるようにしてやると濡髪が言うし、
茶屋の亭主にもおべんちゃらを言われ、すっかりいい気分になって帰る。
やがて、濡髪の呼び出しを受けて、放駒がやってきた。
恩ある親方筋にあたる与五郎の身請け話を成就させたいから
郷左衛門には手を引くよう勧めてくれ、と放駒に申し出る濡髪。
が、どうやら、そうした頼みごとをするために、
濡髪が今日の勝負にわざと負けたと知った放駒は悔しさに憤る。
茶わんを片手で握りつぶす濡髪との力の差は歴然だが、放駒とて意地がある。
引くに引けない男の達引。この遺恨はいずれ、とあいなるのだった。

この後、濡髪と放駒は、互いの遺恨を水に流して兄弟の契りを結ぶ間柄に。
そして、吾妻に無理強いしようとした郷左衛門らを殺してしまった濡髪は、
あとを放駒に託して落ちのびることになる。

「引窓」
濡髪の実母お幸は、八幡村の郷代官をしていた南方十次兵衛の後妻となり、
義理の息子の与兵衛とその女房のお早といっしょに暮らしていた。
そこへ、今はお尋ね者となった濡髪が暇乞いにやってきた。
侍殺しの重罪で逃げている濡髪を、お幸とお早はかくまうことに。
ところが、亡き父親の跡目を継いで郷代官に取り立てられた与兵衛が、
濡髪を捕える役目を仰せつかった、と意気込んで帰ってくる。
その様子を二階でうかがっていた濡髪の姿が手水鉢の水面に映り
ハッとする与兵衛。それに気づいたお早は、とっさに引窓を閉める
だが家の中を暗くしては、夜の探索を任された与兵衛の出番となってしまう。
日はまだ高い」と再び引窓を開けるお早。真相を知った与兵衛は、
濡髪を逃がす決意をし、暗に河内への抜け道も教えて出かける。
そうした与兵衛の気持ちに感じ入った濡髪は自主しようとするが、
お幸が止めて、前髪を剃り、人相を変えようとする。
が、頬のほくろまでは取り去ることはできない。困っていると、
与兵衛が投げた金包みが頬にあたり、傷でほくろが目立たなくなった。
義理とはいえ兄の情に心うたれた濡髪は、自主をすると母親を説得。
お幸も聞き入れ、涙ながらに濡髪を引窓の縄で縛ると、与兵衛に引き渡した。
しかし、与兵衛は濡髪の縄を切る。すると引窓が開いて月の光が差し込んだ。
夜が明けた。みどもの役目は夜ばかり」と濡髪を逃がしてやるのだった。

【うんちく】
寛延二年(1749年)、人形浄瑠璃で初演。
三大狂言の戯作者トリオ竹田出雲、三好松洛、並木千柳の合作。
一ヶ月後には歌舞伎に移されたそうだが、
江戸歌舞伎での上演は安永三年(1774年)と約30年後。
歌舞伎に移されてから人気の上がった作品とのことだ。