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立体農業についてabout toyohiko kagawa

立体農業実験倶楽部

かつて賀川豊彦(18881960)という人がいました。彼は、「妾の子」として神戸で生まれ、孤独な子ども時代を送りました。やがて義祖母の家がある徳島で育ち、アメリカ人宣教師に出会いました。彼らからの感化や支援を受け、東京の明治学院で学び、クリスチャンになりました。しかし、病魔に冒され、余命いくばくもないと宣告されるや、彼は「生涯を貧しい人のために」と思い立ち、神戸のスラム街に入って伝道活動を始めました。その実態を書いた『死線を越えて』は、大正期の大ベストセラーになりました。その印税は待遇改善、地位向上を求める貧しい労働者に与えられました。
 健康を取り戻した彼は、留学したり、生活協同組合などを設立して、国内の貧しい人たちのために働いたり、平和活動に従事したり、立場の弱い人のために一生を捧げました。
 なかでも、当時の貧しい農民のために彼は組合を設立(農協の前身)するとともに、立体農業を唱えました。
 立体農業とは、地面に種をまき、作物を育て、家畜を飼って乳をしぼり、中間では果実を栽培し、さらに空間を利用してミツバチを飼えば、農業は豊かになるという考えでした。賀川はその構想を、『乳と蜜の流るゝ郷』で描いています。
 それは、必ずしも簡単なことでないと、時代は軽視しました。事実、私も多くの困難があると思っています。
 そこで、本当に立体農業ができるのか、せめて空間利用のミツバチ飼育だけでも試行してみようと、2012年からミツバチを飼い始めました。
 初年度は、失敗に終わり、採蜜ができませんでした。しかし、翌年、2013年は、採蜜できました。
 果樹を植え、採れた果実とはちみつで新たな加工ができるのか、これからの課題です。
 賀川が提唱した立体農業は、疲弊したかつての農村を救うことができませんでした。では、本当に賀川の発想は非現実的なのか、少しばかり実験して、可能性を模索してみようと思い立ちました。


立体農業実験倶楽部

神戸市北区六甲山麓  三田市母子
三田市三輪
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