第8話  −遍路に肩書きは要らない




お四国のいいところは、やかましい決まりや、禁止事項が少ないことだと思います。宗派はなんだっていい。外国人もOK。巡拝の仕方も、順打ち・逆打ち・通し打ち・区切り打ちと、お遍路さんの都合次第。もちろん服装も。その数、いまや年間、10数万人といわれます。
そして全ての遍路は、職業も地位も関係なく「お遍路さん」というひとくくりの言葉で呼ばれます。
これがお大師さんの懐の深さから来るのか、お接待という習慣を今に残して遍路を迎えてくれる、四国の風土に由来するのかわたしにはわかりません。しかし人数が増えるとどうしても不心得なお遍路さんも出てくるらしい。道中、何度かそんな話が耳に入りました。

高知県、室戸岬の近くの民宿で聞いた話です。
あるとき、その民宿に九州から来たという二人連れのお遍路さんが泊ることになった。楽しい旅をしていると上機嫌だった二人が、何か気に入らないことがあって怒り出した。そのときの台詞。
「お前はわしらをなんと思っているのか、わたしは元警視庁(だったか検察庁だったか忘れました)の○○だ。」
宿の奥さん、そこは客商売、その剣幕に押されたこともあって何はともあれ、一旦は謝ったそうです。しかし何に立腹しているのかわからないので、訊ねたが言ってくれなかったそうです。
翌朝の出発時、勘定はいくらかと尋ねるお客に、
奥さんも意地があるので、「いただくわけにはいきません」、「いや、払う」と押し問答。結局後に残ったのは不愉快な気持ちだけ。
このことがショックで、もう客を迎える気がしなくなって、しばらく営業を休んだそうです。しかし「へんろ道保存協力会」の方からのたっての依頼で、泊める客数も減らして断りきれないときだけやってます、という話です。
高知の女性は"はちきん"といって、正義感が強く、気性の激しい人が多いのです。それだけに余程悔しかったのでしょう。

もう十年以上前の話です。
伊丹の空港で、羽田行きの乗り継ぎ便を待っていたときでした。隣の年配の紳士が、話し掛けてきました。
「本間君は元気かね」
わたしの背広のバッジを見たのでしょう。本間というのは、当時私の勤務している会社の社長経験者です。満州時代の知り合いだということでした。しばらくお話を聞いていました。
そのとき近くで、「この便に乗れなかったら困るわ」という女性の、深刻な声が聞こえたのです。件の紳士が、すぐに彼女達(二人)を手招きして「この番号を受付カウンターに言いなさい」
これで万事OKでした。すぐにお礼を言いに引き返してきた彼女達の喜びようは大変なものでした。その紳士にいただいた名刺は、少し大ぶりで厚手の立派なものでした。肩書きも何もなく中央に、ただ名前だけが印刷されていました。

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