第7話  −歩き遍路は車が怖い−



歩き遍路にとって乗り物の誘惑は怖いという話。
歩いている遍路を見つけて、「乗っていきませんか?送ってあげるよ」と声をかけてくれるお接待があります。先方は本当に親切心から声をかけてくれるのですから、このご好意にどう応えるかは難しい問題です。
但し、最初から〈車のお接待は受ける〉と決めていたら話は別、迷わず「有難うございます」と、ご好意に甘えればいいのです。事実そういうお遍路さんにも何人か出会いました。
わたしの場合は最初から〈乗り物は利用しない〉と決めていたので、数回出会ったその申し出は全て丁重にお断りしました。体調が悪くなるとか、日が暮れて宿に着けないとか、乗せてもらわざるを得ないような状況にならなかったのは幸運だった、ということなんでしょうね。

高知で出会った男性遍路の場合。

「金がないので通夜堂や無料休憩所などで野宿をしながら遍路を始めた。全行程を歩くつもりだったが、あるとき体調が悪くなり、一度だけのつもりで車のお世話になった。ところがこれで緊張感が解けてしまい、歩き遍路を続ける気がしなくなった。遍路を止めて大阪に帰ろうと岡山に渡った。しかしなんとなく心残りで、また四国に舞い戻った。そして気を取り直して、とにかく最後までは回ろうと、以後はヒッチハイク頼みであと二ヶ所を残すだけになった・・・。」というのです。

彼自身は話し好きで憎めない人でした。同じ大阪人ということもあってか、親近感も覚えました。初対面から3日あとで彼がバイクの若者と一緒にいるところに再会したときに、「あなたと会った夜、酒を飲み過ぎて、翌日は二日酔いでまる一日宿で寝ていた」ことを話すと、すごく喜んで連れの若者と握手をするのです。「俺たちは大概いいかげんな遍路だと思っていたが、おじさんみたいな遍路もいたんだ」と言って喜んでくれました。

その翌日、37番岩本寺へ向かう道中で道端に腰を下ろして休憩しているとき、車の窓から顔を突き出して「お先に行ってまーす」と、大きな声を出して通り過ぎていきました。声を聞いただけで彼だとわかりました。〈一度車の味を占めてしまうとこうなる〉という見本のような人だと思いました。同時に彼のヒッチハイクの腕もたいしたものだ、と感心もしました。

もう一例、これは「定年からは同行二人」という本にあった話。(以下引用)

四十台の男性が泊ったがお昼を過ぎても起きてこない。宿の人が心配して部屋に行ってみるとフトンに入ってぐったりしている。
「どうなさったんですか」
と聞いて理由がわかった。この人も全部歩き通す決意で一番から四十番まで来た。自動車道路を歩いているうちに暗くなり、弱っているとダンプカーが通りかかった。
「歩いていたんでは宿へ着けませんよ。野宿するか、夜が明けるまで歩くしかないです。それよりはここにお乗りなさい。宿まで送ってあげますから」
疲れ果てていたこの人は親切な運転手の好意を受け、前夜、この「太山荘」まで運んでもらったのです。だが「歩き通す」という願を破ったので、それまで張りつめていた気持ちが崩れてしまい、意気消沈してフトンから出られないでいるとのことだった。
「そのお遍路さん、それからどうしたんですか」
「お遍路を打ち切りましたよ。バスに乗って引き上げていきました」
(後略)

蛇足ですが、親切な言葉にしたがって乗せてもらったら、目的地で法外な謝礼を要求されたという、お接待とはいえないような悪意のある事例もあるそうです。

車のお接待でなく、歩き遍路にとって文字通り「車が怖い」のもたしかです。国道を行くとき、特にトンネルを通るときの恐怖は、出会うお遍路さんの誰もが口にしています。

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