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2008/12/16「久しぶりの烏帽子にて」  クライミング
昨日の月曜日は、久しぶりの烏帽子岩に行って来た。記録を見たら4月に1回行ったきりだった。

2時間の道のりが最近はとても遠い。

Sさんからの「美味しいお肉のすき焼き」という招待の電話で、つい釣らされて行ってしまう。

食欲だけではなくて、やっぱり友情もあるとは思う。久しぶりの、SさんとKさんのおばさんクライミング仲間とのクライミングは合間のおしゃべりも楽しい。

重い腰を上げたお陰で、簡単な所を4本登って来られた。そんなに寒くもなくて、とても楽しかった。やっぱり、クライミングも楽しむ程度には続けていたいものだ。

正直、今はクライミングに集中出来ない事情がある。クライミングは、たまにやるだけではグレードアップは出来ない。それに、自分自身の限界も感じている。

長い人生だからいろいろあるのだが、どんなときでも誘ってくれる人がいるのは嬉しいことだ。

来年の山行の話しもでた。その頃には少しは落ちついているだろう。

気の合う人との縦走も、きっと楽しいだろう。


2008/12/14「忘年会」  生活
慌ただしい生活をしていると、なかなかブログを書こうという気力に欠けてしまう。最近はクライミングもご無沙汰気味。山歩きもしていない。とにかく、忙しい日々が続いている。

そんななかで、今日は学生時代の仲間との忘年会で、久しぶりに息抜きとなった。春のお花見と忘年会が恒例になってもう35年ほど続いていいる。10人程が集まって、とりとめの無いおしゃべりをするだけだが、なんとなくホッとする。みんなそれぞれ、いろんなことがあるのだろうが、サラリとしたお付き合いが続いている。私は毎回いっている訳ではない。間が空くときには何年かが過ぎていたりするが、いつも会っているような錯覚をする。

今日の会場は、ロシアレストランキエフだった。このお店は加藤登紀子のお父さんが始めた店で、今は加藤登紀子のお兄さんが経営者だ。

ロシアの家庭料理を出すのだが、一般的にロシア料理のお店は珍しいと思う。ともあれ、私は初めてだった。

 

メニューは

・ザクスカ(前菜盛り合わせ)  ハムとサーモンなどの盛り合わせ

・ボルシチ(ウクライナ風シチュー)   

・ガルショーク(牛タンのシチュー)  壺に入っていて、パン生地を被せて焼いてある。

・ガプスタサラダ  キャベツのサラダ

・黒パン  何故かそば粉が入ってるという

・デザート  パイ風ケーキ

・ロシアンティ  バラの花びらのジャムを入れる

そして、ロシアのビールとワイン。両方美味しく、ビールは甘い感じがした。

 

ロシアの料理の感想は、シチューはパンが乗っていなかったら普通のビーフシチューと同じようなもの。名前はロシア語なので凄い料理かなと思わせるが、けっこう馴染みのある味だった。

バラの花びらのジヤムを紅茶に入れるのは、ちょっと驚いた。そのジャムを紅茶に入れる前になめてみたが、ただ甘いだけでパラの香りはしない。紅茶を飲んだあとの底に残っていたのは、確かに花びらの残骸だった。

そして、「ロームのイルミネーション」を見に行ってきた。ここのイルミネーションは木に電球を取り付けたものだが、私はだいたいイルミネーションを綺麗だとは思わないし、あまり好きではない。何でこんなことをわざわざやって、またわざわざこんなにもたくさんの人が見に来るのか私には理解出来ない。美に対する感性の違いなのだろうか。

一通り見終わると、母の「なんかおいしいもん、買おて来て」と言っていたのを思い出し、京都駅の伊勢丹によって、母の好物の生八つ橋と漬け物をみやげに帰路についた。

帰る頃にはかなり疲れて、いつの間にか私は都会になじめないようになってしまっているのを改めて感じた。

しかし、たまには古い友達と会うことはいいものだと思う。


2008/11/14「ゴミの山?」  生活
ここのところ、実家の片付けに行ってる。昨日も一日、母とおしゃべりしながらゴミ出し。

私「これほかすよ」

母「それまだ使うよ」

私「前にいつ使ったん」

母「忘れた」

私「忘れるような物やったらもういらんやろ」

 

冷蔵庫を開けたら,何だか臭う。せっせと,ゴミ袋に入れるのを心配そうに見ている母。

私「ひや〜、このからし10年前のやわ〜」

母「そやかて、使わへんもん」

私「このドレッシングは,9年物や〜」「いくら使わへんでも、からしやドレッシングの年代物なんて聞いた事無いわ〜」

母「ほかしといて」

 

母の口から「ほかしといて」という言葉を初めて聞いたようだ。

今までは、冷蔵庫を開けさせる事さえも許さなかったのに…。

 

どこを開けても,私にとってはゴミばかり。

しかし、母にとっては日用品であったり思い出がある物ばかりだろう。

自分の物はなかなか捨てられないのに、人の物は平気で捨てられる。

そう思うと、いきなりポンポン捨てるのは少し気が惹ける。

母の思い出に耳を傾けながら、ゆっくりと片付けて行こうと思った。

 

人が生きて行くのに、どうしてこんなにも物が必要なのだろうか。

しかし、「物への執着は、生きる事への執着かも知れない」と頭をかすめる。

そう思うと、母の諦めも心配になる。

 

私自身、もっとシンプルに生きられないだろうか。

私の今の課題でもある。

 

さぁ〜、今日も行って来ま〜す。


2008/11/6「今日の始まりに」  雑感
昨日は、いつもお世話になっている歯医者さんへ、脱臼した歯の治療に行って来た。まだ神経は生きていたそうで、このまま固定しておいたら元の通りに治ると言ってもらって一安心した。前歯の裏はセメントでばっちり固定してもらったお陰でびくともせず、ほとんど気にならない位になって来た。さすがだと感心した。

そうなると,唇の方が今は気になる。ヒゲのようになっていたかさぶたが昨日は剥がれたが、まだ少し違和感があるのは腫れが残っているのだろう。

しかし、まぁこれで一安心。

昨日は,母の家(実家)のかたずけに行ったのだが,お婆さんたち三人に母屋の家でつかまりおしゃべりしてしまう。お婆さんたちのおしゃべりは三人三様だが、聞いていて私が一番憂鬱になるのは「悪口」「愚痴」「人のうわさ話」。このごろ年寄りと話す事が多くなって、自分のこれからの2-30年を考える事が多くなって来た。

今まではいろんな事に突っ走って来たが、これからはどんどん出来なくなって来る人生が待っているような予感がもうし始めて来ている。最終的には、自分自身自由に動けなくなるだろう。

しかしどんな環境になっても、しなやかに、したたかに、好奇心の趣くまま生きていたい。その時々のささやかな感動を大切にしながら…。

さぁ、昨日出来なかった仕事を今日片付けよう。


2008/11/4「城山」  クライミング
この連休は城山に行って来た。今年は1月と5月と今回で3回目の城山である。このように書くとバリバリ岩場に行っているように人は思うだろうが、普段はほとんど岩場でのフリーをしていないので、クライミングというよりは、まるで旅行にでも行くような感覚だ。本当に,岩場には行かなくなってしまったものだ。

今年の5月に泊まった修善寺のユースはペアレントが変わって、待遇にがっかりしてしまった。それでも、今回電話をしたが連絡も取れなかったので、修善寺温泉の「温泉民宿福井」に2泊した。ここは、食事は家庭料理といった感じだが、味はとてもいい。ただカロリーはかなりオーバーしていそうだ。料金はほぼ7000円とユースに比べると高いが,本物の温泉という事では格安料金かも知れない。

今回は,初日のワイルドターキーゴージの春の予感でビレーをしていて、掌位の剥がれたホールドを前歯でもろに受けてしまった。ゴ〜ンと大きな音がしたが一瞬何が起ったのか理解出来なかった。音と共に、左の前歯一本が内側に動いた。思わず舌で定位置に押しもどしたが、とてもビレーを続けていられず、他で登っていた二人を急いで呼んで、ビレーを交代してもらった。出血はあまり無かったが,歯はぐらぐらしていて当たるととても痛む。そのうちに左上唇が腫れて来た。ハンカチを濡らして冷やすが、歯が触れただけで痛い。もうクライミングどころではなく、意欲は全く喪失してしまった。ただ帰る時間を、待つだけだった。

しかし、幸いな事に民宿に行く途中で歯科医院が見つかって治療をしてもらえた。レントゲンでの診察の結果は「脱臼」だという。歯も脱臼するのかと不思議に思った。裏側で固定する治療をして痛み止めの薬をもらった。

困ったのは食事だった。前歯に当たっただけで激痛が走る。何でも小さくして奥歯で噛むのだがそれでも、前歯が触れると痛い。2日目にはだいぶ楽になった。今日で4日目だが、前歯で噛まなければ痛みは忘れてしまっている。治療をすぐに出来たのは良かったと思う。

また、唇の傷は腫れてはいるが大した事が無いのは、歯が動いてクッションになったと考えられる。前歯の一本に集中して当たったのは不幸中の幸いかも知れないと今では思える。

しかし,その後登りたいという気持ちは全く喪失してしまった。

岩場での小さな落石はよくある事だ。しかし命中する事は確率としては少なく,今回は運が悪かった。

しかしもしも自分が落石を起こしたときは、すぐに「ラク」と言わなくては行けないという事を今回の出来事で痛切に思った。


2008/10/28「第11回視覚障害者全国交流登山」  登山
山口県で第11回視覚障害者全国交流登山が行われた。2年に1回開催されていて,私は所属の京都の会からの参加だった。莇ヶ岳という、あまり聞かない山に25日に登って来た。

目の見えない人が山に登っている事を知っている人はどのくらいいるのだろうか。実は朗読をやっていて目の見えない人との接触はあったが、目の見えない人の山の会がある事は全く知らなかった。

2001年に白山に全く見えないTさんと登った。その少し後に岳人に,障害のある人の全国の山岳会がたくさん紹介されていた。これからもずっと山に登りたいというTさんに紹介して一緒に入会したのが,現在所属している京都の山岳会である。

今回の交流登山には,健常者も合わせて300人近い参加者が全国から集まって来ていた。正直、こんなにたくさんの人が集まり盛大に催されているとは驚いてしまった。Tさんは膝を痛めてしまい,今は辞めてしまっているが、私と白山に一緒に行ったNさんとは、そのまま残っている。Nさんは朗読の会の先輩でもある。そして時々例会に参加しながら、かれこれ6年になる。

交流登山では、いろんなコース(莇ヶ岳、白石山,日暮岳等)に別れて一日だけ登山をした。私は山口の山を全く知らない。莇ヶ岳も検索してみたが全くと言っていい程、報告など出ていない。しかし、鎖が場3カ所出て来る難コースという事だ。私はこの莇ヶ岳に登ることになった。

岩場には,地元山岳連盟の人たちが大勢サポートに来られて、ザイルを出して下さっていた。偶然トップに登られたのは京都のMさんだった。岩場の終了から頂上までのサポートをしていた私は、Mさんの満身の喜びが伝わって来た。本当に感激されたようだった。

最近の私は、クライミングに対してこのような感動は味わっていないような気がする。マンネリかな? 

しかし、この日のMさんを見ていてかつて私も達成感や感動をクライミングで味わった事を思い出させてくれた。

この日のことは,朝日新聞の山口版に出ていた。

http://mytown.asahi.com/yamaguchi/news.php?k_id=36000000810270001

こんなにも人を幸せな気持ちにさせてくれる山は、やっぱりいいなぁ〜と改めて思った。

  


2008/10/20「久しぶりの蝙蝠谷でボロボロ」  クライミング
土曜日は5月以来の蝙蝠谷だった。5月にいったときは、ちょうど首から肩にかけて調子が悪かったのでそのときにもあまり登っていなかった。というよりは,岩場に長い間ご無沙汰している。 言い訳はいろいろあるのだが、今回のひどさはどんな言い訳も通用しないと思う。簡単なルートしか登っていないのだが、どのルートも落ちまくり。おまけに,擦り傷だらけ。悲しいよ〜。 何で…??? 自分に問うと,答えは帰って来る。「クライミングをなめたらあかんで〜」と神の声。ほんとうに、その通り。嘗めていました。 ちょっとさぼっただけなのに,大きく後退。クライミングは怖いものだ。そんな事は充分承知の上なのに…。 しかし、久しぶりの岩場は最初は物怖じする程怖かったが、次第に慣れて来て楽しくなって来た。それは、いつもの仲間のお陰でもある。 蝙蝠は、S労山と私たちの貸し切り状態だった。意外に空いていて,びっくりした。
2008/10/13「黒戸尾根から甲斐駒ヶ岳へ」  登山
この連休は黒戸尾根から甲斐駒ヶ岳へ登って来た。

エアリアマップのコースタイムで往復15時間、標高差は約2200メートルのルートである。刀利天狗をすぎた辺りで200メートル程下り登り返すから2400メートルの登りである。

ネットでいろいろ調べていたら,日帰りというのがけっこうある。早いと10時間位で往復している記録がある。山を突っ走っているのだろう。私の体力ではとても日帰りは無理。七丈小屋で1泊での計画を立てたが、結果としてはよかった。

山に行く目的は人によって違うのでとやかくは言えないのだが、この紅葉の美しい時期に行くのは「山の自然の色彩を楽しむ」という目的もある。黒戸尾根の日帰りピストンは、山を楽しむというのからはほど遠い気がする。私には縦走でのんびりと稜線を歩くのが、一番性に合っているように思う。

それでも、一度は行ってもいいなあと思っていた黒戸尾根は、やはり長かった。しかし、その苦労をした分、頂上での360度の大パノラマは,一段と素晴らしかった。鳳凰三山の向こうに見える富士山は、どこから見るよりも大きく思えた。北岳から間ノ岳、農鳥岳の稜線を見ながら、大門沢小屋から奈良田温泉まで遠かった事や、吊り橋の怖かった事など、20年近く前に歩いた時の事を思い出していた。

一番近く見えた千丈岳は,甲斐駒ヶ岳から見たらとても優しい山容に見える。しかし、山岳会で正月にいったときには吹雪の中の過酷な行進だったせいか、この優しい感じに意外な気がした。

遠くには,今年も夏に登った御嶽山の見覚えのある姿も見える。御嶽山は遠くで見ても近くで見ても同じ形に見えわかりやすい。

いろんな事を思いながら眺めていると、時間はあっという間もなく過ぎる。なかなかその場から離れがたい気持ちが湧いて来る。

まだ真っ暗な時間帯に七丈小屋を頂上を目指して出発。八合目御来迎所でピッタリ御来光を見て,頂上では清涼な朝の空気と大パノラマを味わう。そして、下山時には朝見えなかった紅葉を楽しむという、贅沢な山行だった。

それでもやはり、七丈小屋からの下山はとても長く感じた。冬の黒戸尾根は雪も少なく,入山しやすいと小屋番と常連のお客さんから聞いたが、この長さを思うともう冬に来る事は無いだろうと思った。

しかし,雪景色も見たいなぁと一瞬頭をかすめた。


2008/10/10「白山の紅葉」  登山
岐阜県の白水湖から白山の室堂まで続いている平瀬道から、紅葉を楽しみに登って来た。今まで四回白山には登っていたが,いずれも砂防新道からで、平瀬道は初めてだった。

最初は一人でも運転出来るからと計画したのだが、クライミング仲間のKさんが同行してくれたお陰で、運転中も眠くならず、また道中も楽しく過ごせて良かった。

今年の白山は、昨年の涸沢にも引けを取らない綺麗さだった。「綺麗ね!」行きも帰りも連発し続けた山行となった。「百回位は綺麗ね、ゆうたんちゃう?」と私が言ったら、「二百回位はゆうてるよ!」とKさん。「こんなときに,綺麗しか言えない私たちって悲しいね」、「そんなことゆうても、他になんて言えるんやぁ〜」…。

こんな事を言いながら,行きも帰りもやっぱり「綺麗やなぁ〜」の連発だった。

大倉山近くで出会った地元の方だと言う人が,「昨年のこの時期よりもずっと綺麗だ」と話されていた。その後の大倉山から室堂までの大倉尾根から見下ろした、左右の大白水谷とソロ谷は本当に言葉で言い尽くせない程の美しさだった。

大白水谷はナナカマドなのだろうか,赤が引き立った派手な紅葉で、ソロ谷はブナの黄色が中心の落ちついた紅葉だった。

登り続けた5時間弱はかなり大変なルートだが、この景色に救われた思いがする。おまけに帰りも眼下一面に広がる色彩に目がくらみそうになりながらの下山は,全く疲れ知らずだった。本当に堪能する位の紅葉を味わって来た。

途中で出会った青年に「綺麗ですね〜」と話しかけたら、「食べちゃいたいくらいですよ!」と言葉が帰って来た。「面白い事をゆ〜ね」とKさんが笑う。

この風景に出会えたのは、私たちも含めてほんとうに幸せな人たちだと思う。今週末体育の日の連休もまだ綺麗だろうが,人もいっぱいだろう。平日の静かな中で歩けたのは、もっと幸せだと思った二日間であった。

大白水谷側の紅葉

 

ソロ谷側の紅葉

 


2008/9/18「鞍馬?貴船?二ノ瀬ユリ」  ハイキング
敬老の日に鞍馬から貴船、そして二ノ瀬ユリと歩いて来た。昼から雨になり駆け足になってしまったが、充分楽しめた。久しぶりに叡電(叡山電鉄)に乗ったが、「京都は変わらないなぁ?」とつくずく思う。そして,田舎だなぁ?、とも改めて思った。しかし、この変わらない風景に、安堵するのも事実だ。
この日の鞍馬も貴船も,観光客でいっぱいだった。何年か前の秋に貴船に行ったときは、こんなに人はいなかったが、凉を求めて来る人が多いのだろう。川床で食べる京料理に風流を求めるという趣は私には無い。
店の前に掲げてあるお品書きと値段を横目で、「もったいない」の言葉がつい口から出てしまう。
私にとっては,自然が最大の御馳走だ。確かに京都は、四季折々に美しいと思う。貴船川沿いの青々とした紅葉ももうすぐ色付くと綺麗だろうなぁと思いながら歩いていたが、頭の中では昨年見た涸沢の紅葉が浮かんでいた。京都の美は箱庭のような物だ。綺麗に整ってはいるが、人工的に感じてしまう。それは、二ノ瀬ユリの杉山もそうだ。枝打ちされた杉はやはり整然と並んで、真っすぐに伸びていた。
でも、京都は私の故郷。何回行っても懐かしい。それは京都が変わらないから。たとえ、観光京都でもこのまま変わらないでほしい。

鞍馬神社周辺/鞍馬山/新しくなった貴船神社では結婚式が/貴船の夫婦杉/フシグロセンノウの花/叡電貴船駅
     


2008/9/2「夏の総括」  生活
ずいぶんとさぼってしまったものだ。こんなにも間が空くと、何を書いていいのかちょっと戸惑ってしまう。今年の夏は、梅雨明けからとても暑く、連日30度を越してしまっていた。しかし、お盆を過ぎてから急に涼しくなった。
もう秋だなぁ?、と思っていたら9月に入ってまた蒸し暑く、閉口している。梅雨時にあまり雨が降らないかと思ったら、降ったら集中豪雨だ。このごろ何だか変だと思う。
今年の夏は,この天候のせいばかりでもないのかもしれないが、予定が流れてしまう事が多かった。先週の小川山やお盆あけに予定していた南アルプスも、楽しみにしていただけに残念だった。
私的な用事が重なっていたのも、山やクライミングへの意欲喪失につながっていたかも知れない。それでも雨の中、御嶽山には友人と登れたし、相変わらずホシダには行っていた。ホシダも暑いので、そう登れる訳でもないのだがつい足が向いてしまう。
あっという間の夏が過ぎ去り、生活も落ちついて来た。そろそろ,紅葉の山が気になり出して来た。


2008/7/17「不思議な植物」  
かなり長い間ブログをさぼってしまった。風邪が長びき、すっきりしない日が続いている。弥山/八経ヶ岳にいったころからだからもう2週間以上たつが、咳がまだ出る。
クライミングへの気力も無くなり、この暑さも手伝ってホシダでは登れない。長い間,岩場にも行っていない。モチベーションは、このまま低下して行くばかりのような予感がしている。
7月2日に行った弥山/八経ヶ岳では、オオヤマレンゲはほとんどが蕾だった。一生懸命探したがショウキランは見つからなかった。
しかし目を皿のようにしていたお陰で、今まで見たことが無い不思議な植物に出会った。これらはいったい何だ??? 誰か教えて下さい!
  


008/6/17「週末はホシダへ」  クライミング

先週の週末は土日ともにホシダへ行って来た。忙しいのと体重増加でクライミングへの意欲は喪失気味。だからといって、やめる気も起こらない。忙しければ忙しい程、ストレス発散になっているのだろう。
ホシダのいいところは自然がいっぱいの人工壁だから。3羽のハヤブサの雛は、ギャーギャーと泣きながら時々空中旋回をする。その姿を一日中追っている相変わらずのカメラマン達もまだたくさんいる。
今年はカルガモの引っ越しもあったいう。私は残念ながら、見られなかったが…。
日曜日、ピトン小屋のKさんに「ササユリが咲いているよ」と教えてもらい、早速散策に行って来た。星のブランコからわんぱく広場、八つ橋、展望台、ピトン小屋へのルートを歩いて来た。
八つ橋の近くと展望台への道でササユリを見つけた。清楚で美しい花だ。ピンクの花を前に見たが、ここでは白かった。10本ほど見つけたが、Kさんの話しだと40本程咲いているそうだ。
久しぶりに歩いて、気持ちがよかった。



2008/6/12「忙しくて」  雑感

毎日何かの予定が入っていてゆっくり出来ない。そういうときは、知らない間に日々が過ぎ去り、残っているのはストレスのみ。
今日は、ぽっかり時間が空いたので、去年いった近くの山田池公園の菖蒲が今頃見頃だったのを思い出し母を誘って行って来た。
85歳と92歳の二人のお婆さんの歩みはゆっくりで、駐車場から菖蒲園まで普通は10分位なのに1時間近くかかってしまった。日頃バタバタと日々送っている私にとっては、あまりにゆっくりの時間の流れに戸惑ってしまう。
それでも、菖蒲園にたどり着いて良かった。

それにしてもこの猫、行くときも帰るときもここで寝そべっていた。このポーズも変わらない。近寄って見ると少し目を開けたがまたつぶってしまい、近寄っていくら相手になっても頑として反応しない。
猫というのは、ほんとうに不思議な動物だと思う。
何でも無い事にも大騒ぎの人間どもを、小馬鹿にしているようにも思える。
夏目漱石の「我が輩は猫である」を思い出し、ちょっと今の人間社会の感想でも聞いてみたくなった。

   
 



2008/6/2「ホシダのハヤブサ雛が巣立つ」  クライミング
ここ数年、ホシダクライミングウォールの横の岩壁でハヤブサが巣を作っていた。昨年は雛は2羽生まれたが、巣から落ちて死んでしまった。今年は5月24日に、やっと3羽の雛が巣立った。
巣立ちの日、まず一羽が朝飛び立った。その後の雛はなかなか飛び立つことが出来なかった。出たり戻ったりの繰り返しだ。ハヤブサの親鳥は厳しく、見守っているようだった。夕方にやっと3羽とも巣立ったらしい。ヤレヤレである。感動的なシーンだった。
最近の人間の子どもは、親の過保護のせいか巣立つ事の出来ない子が多いような気がする。自然界では、過保護は生きてはいけない。厳しく突き放し自立を促すハヤブサの子育てを、人間が見習わなくてはならないような時代だという気がする。
いったん巣から飛び出した雛には、もう餌は与えられないのだろう。自分で食い扶持は確保しなくてはならないという、厳しい現実が待ち受けているのだろう。
手を貸すことよりも、厳しく見守ることの方が親には辛いときもある。心を鬼にして見守る事も、大きな愛情だといえるだろう。
この巣立ちの日に立ち会えたのは、私にとっては嬉しい出来事だった。28日水曜日には、巣立ちした雛がまだ周辺にいた。ハヤブサの家族は、いつまでホシダにいてくれるのだろう。


写真は、ホシダのKさんより戴いた。


2008/5/30「慌ただしい日々に加えて首が…?!」  健康

「◯◯で首が回らん」などと冗談めかして言っていたが、かれこれ2週間過ぎるがいまだに良くならない。ふだんから肩こりがひどいのだが、今回の肩こりはいつもと違っていて肩から背中にかけて重苦しい感じがする。
最近は、毎日予定があって忙しくしていたので疲れも出ているのだろうか。一番辛いのは、ビレーをすることだ。痛くて上を向いていられなくなって来る。もちろん、クライミング意欲も低下気味。
今日も朝からフル活動だった。忙しいのに母から携帯に電話が入る。「明日、雨みたいやからタマネギ抜きに来て」だった。夕方、実家に寄ってみると大方抜いてあったが、母は疲れて中断し放り出してしまっていた。
まるまると太ったタマネギは5個位で紐で束ねるのだが、母はそれを持って歩けないという。それでも、まだまだ意欲だけは衰えていない。しかしいろんなことが出来なくなって来たことを時々嘆いている。気持ちに体が付いて来ないようだ。2?3日前には、植木の葉っぱにびっしりと付いていた毛虫をやっつけた。そのような事情で、私の仕事は増える一方だ。
庭の紫陽花の花が咲き始めていた。紫陽花が咲くとそろそろ梅雨時だ。母の好きなユリの花も、蕾を膨らませて来ている。日々の移り変わりを庭の花で感じながら、静かな日々を送っている。こんな平和な日がいつまでも続くといいのにと、ふと思った。
持って帰った紫陽花が、我が家でも咲き誇っている。せっかくの土曜日だが、明日は雨のようだ。

2008/5/16「ホシダカップ08が終わって」  クライミング

11日のホシダカップの熱戦が終わった。今回はビギナー予選から観戦した。2005年が最初で今年が4回目の開催となる。私は、1回目に参加してそれっきり参加していない。
この4年の間にホシダカップのレベルはかなり上がっている。特にマスターは、凄いメンバーで迫力満点のクライミングで見る人も興奮の渦中に巻き込まれてしまった。
私もこの日は一日中、ウォールに釘付けだった。それは今回知ってる人の参加も多かったことにも一因はある。もう一度参加してみたいとふと思ったが、こうもレベルが高くなってしまってはお呼びではなくなってしまったような気がして一抹の寂しさを感じた。
水曜日は、新しく出来たコンペのルートを登るのが楽しみでホシダへ出かけた。いきなりビギナー決勝11abに取り付いたが、途中で敗退した。次のビギナー予選ルート10cは、テンションだらけでやっとのことで終了まで行けた。しかし、コンペに出ていたら無惨な結果となってしまったことだろう。
今回のミドルは、予選よりも決勝の方が易しかったのか完登者が決勝で3名も出た。このルートもヌンチャクが掛っていたので登ってみたが、それでも出だしからバランスが悪く登りにくい。私にとっては、とても難しいルートだった。
何年経っても成長出来ていないと思うと少し悲しいが、まぁ?しょうがない。上手くなると思うからいけないのだ。ぼちぼちチャレンジして行くのもまた楽しみでもある。


2008/5/7「城山でのGW」  クライミング
3日早朝、城山に向かった。事故渋滞のために、かなり遅れて昼頃になってしまった。もう遅いので南壁にしようということになって向かうと、大阪の労山系のグループが10名程支度をしていた。すでに南壁を見に行った人に聞くと、壁はビショビショだったという。私たちはワイルドボアコージに予定を変更した。ベンチのある駐車スペースには1台の車も無い。今まで城山に十数回行って、こんなことは初めてのことである。岩場に着いても、当たり前だが誰もいない。私たち4人の貸し切りだった。しかし、残念なことに岩は濡れていて水が滴り落ちている。唯一、チューブロックのみ濡れていなかった。時間もすでに1時を過ぎていたので、ここでみんなでTRで遊んでこの日は終わってしまった。
以前から、いつもの定宿にしていた修善寺ユースのペアレントが昨年の5月に辞めてしばらく休業していた。3月からオープンしているのを知って予約をした。ペアレントが変わっただけでかなり違ってしまっていた。一番がっかりしたのは食事だった。でも、クライマーにとっては食事は重要な問題ではないのだろうが…。
4日は、やはりまだ登れていない「心の愛」のRP狙いでワイルドボアコージに向かった。この日は車は3台程停まっていたが、1組の男女のみですでに登っていた。他は城山のピークハントだった。天気予報は曇りだった。雨は降らなかったが、空はどんよりとしていた。城山物語でアップ後心の愛に取り掛かった。ムーブは出だしから忘れてしまっていた。4便出したが、ムーブはつながっているが疲れがでて来たのか最後は持久力が無くなってしまった。
5日は雨が少しぱらついたが何とかこの日2便目でやっとRPできた。いつも思うのだがRPで来たときにはかなり楽になっている。
トータルで、20便程出したと思う。すんなり登ってしまう人を尻目に、よく諦めなかったと思う。感想はとても嬉しいといった感じは無く、やっと終わったといった感じだった。
これでしばらくは、城山にも行かなくてもいいような安堵感の方が強かった。
帰りも渋滞で、夜中になってしまった。次の日にホシダに行ったが、かなり疲労感があった。今日もまだ残っている。
歳とともにこれから、どんどんクライミングも辛いものとなるような気がして来た。

2008/4/30「GWのスタートは久しぶりの蝙蝠谷へ」  クライミング

もう夏到来かと思うような暑さである。まだタンスの中にはセーターが入っているような状態なので、着る服に困ってしまっている。いよいよ、タンスの中身も整理しないといけないなぁ?。
そして早や恒例のGWが始まった。27日と29日は蝙蝠谷に久しぶりに行った。今年に入って3回目だった。一回目は3月9日に行ったが、その時は見事に復活のムーブを忘れてしまっていた。マスターで取り付き3ピン目が掛けられず、何回も落ちているうちに怖くなって下りてしまい、落ち込んで帰ってしまった。
そんなことがあったせいか、今回は全く蝙蝠には気乗りがしなかったが行ってしまった。やはり未練が少しは残っていたのだろう。27日は取り敢えず、1回目はトップロープで登り、ムーブを確認。ちょっとした足の位置が違うだけでもう落ちてしまう。2回目は意を決してリードでトライ。何とかハング下までザイルを延ばしただけ。それでも満足。
昨日の29日は、少しはましになっていた。ムーブもだいぶ記憶がよみがえり3テンで終了まで2回とも抜けられた。核心のムーブも、確かなものとしての手応えを掴んだ。
後は持久力だけだが、それが復活では一番の課題。気持ち的には一からの出直しなので、終了点へ到達できただけでも嬉しかった。ずいぶんと、長い間復活にかかっているがそんなことは気にならない。登れることが、嬉しいといったレベルである。また蝙蝠谷にも復活出来て楽しく登れる。しかしいったい、いつまで掛るのだろうか。
GW後半は、城山の予定なのでしばらくはまた蝙蝠谷にいけなくなる。しっかり、ムーブを反芻しておかなくては…。


もうすぐ夏山のシーズン。また穂高や尾瀬に行った友人との計画を練るための情報を得るために、本屋さんに入った。ヤマケイJOYの増刊号の尾瀬特集を衝動買いしてしまった。持ってるガイドブックとそう変わらないというのに…。
「今年は、どこに行こうかな?」 じゃ無くて「いけるかな」でした。

2008/4/24「このごろ」  雑感
昨日は平日の星田へ。もう暑くなって来た。半袖でも汗ばんでしまう。ここのところ忙しくて、水曜日にホシダに行けていなかった。懐かしく温かな水曜メンバーにホッとした。

相変わらずの赤スラッシュだったが、最高点到達が出来た。しかし、行けないのが問題の箇所なのでもう少しは掛るだろう。

今日は雨の中、図書館へ対面読書に行って来た。帰ってからは、朗読の校正をする。人の朗読したものを校正するのは、自分の勉強にもなる。しかし、何でも引き受けてしまう性格はますます忙しくさせてしまう。

そしてもう一つ、テープをCDにするというのを頼まれたのだが、どうしても音楽のCDデッキで聞けない。どうしてだろう。前はすんなり出来たのだが何が原因なのだろう。

脳味噌も、だいぶお疲れのようだ。


2008/4/21「優しい緑に包まれて」  クライミング
2週間振りのホシダは、芽吹いた木々の優しい緑に包まれていた。駐車場に続く木道を歩いていて、この一週間重苦しくのしかかっていたものが、す〜っと消えて行くような気持ちになった。なんと、希望に満ち満ちた色なのだろ。

岩場に行こうという気持ちは萎えてしまっていた。この日のホシダはいつもと変わらない賑わいがある。ホシダカップが近づいているせいか活気がある。

いつの間にか桜の季節は終わり、ピンクのツツジが山を彩っていた。ハイカーの姿も多く、クライマーも多い。やはりホシダが好いのは、この自然の中で登れるからだと思う。

ホッとした一日だった。

 

 


2008/4/17「悲しいクライミング事故(追悼)」  クライミング
4月13日の日曜日、ショッキングなクライミング事故が雪彦山で起こってしまった。

通夜と昨日の葬儀に参列して、やっと今頃認めざるを得ない現実を認識し、事実を冷静に受け止める気持ちになって来た。

 

亡くなられたSさんは、ホシダで最初にクライミングを始められたときからのお付き合いで、私のHPやブログを良く見て下さり、どこかに行くたびにメールを下さっていた。

最初の岩場も、私と行った烏帽子岩だった。その時、太陽がいっぱい5.9をすんなり登り、私の登れていなかったジャスティス11aも2回目のトライでRPしてしまった。私は目を丸くして驚くばかりだった。あまりに吃驚して、人にも「ジャスティスを初めての岩場でOSした人がいるんやで」と吹聴したりしていた。ずっと後になるまでジャスティスはOSだと勘違いしていて、つい最近Sさんからその日の2回目のRPだと訂正された。

その後は、しばらく私の駒形、烏帽子のイレブン台のトライに付き合ってくれていた。しかし、どのルートも彼の方が早く登ってしまう有り様だった。唯一、おじいちゃんのどたどた落ち11aのみ彼が苦手で私が先にRPで来たルートだった。

その後彼はパートナーを見つけアルパインにも目覚めて行き、御在所や大台のサマコレにも足を運んではその度にメールで報告を貰っていた。

 

13日の早朝に、ホシダの仲間のIさんから「ネットのニュースで、雪彦でロープが切れてなくなったという事故があったけれど、それってあのSさんとちゃうかな?」と電話をもらった。半信半疑でネット検索をしてみると「ロープ切れ?ロッククライミングの男性死亡 姫路・雪彦山 」、一週間前にも雪彦へ行ったと言うメールをもらっていたので、あわててメールを受信してみると土曜日の夜遅くの日付で「 明日(日曜日)また 雪彦山にチャレンジしてきます 又報告いたします 」が入っていた。

体中の力が抜けて行くようだった。ロープが切れて…。なぜ? なんで? そんなアホな! 頭の中は疑問がグルグル巡る。彼のクライミングの能力だと、滑落など考えられない。それに、ロープまで切れるとは…。

その日は、朗読の予定が入っていたがとうとう行けなかった。一日中、「なぜ?」という言葉が堂々巡りしていた。

 

その日の夜、パートナー二人のうち一人の所属山岳会に知り合いのAさんがいるのを思い出し、詳細を知っているかもしれないと思い、電話して詳しく聞くことが出来た。

事故の原因は落石によるロープ切断だという。しかし、そこは右上していく所なので落石でロープが切れるという状況が納得出来なかった。しかし、通夜のときに聞いた畳1枚位の岩とSさんが落ちたというのと結び目から1メートルぐらいでロープが切断と聞いて、状況が想像出来た。岩が落ちるとき下の方が鋭角になっていて足下のロープに当たり切断されたのだろう。

あまりにもありえない偶然、不運に、ただただ驚いてしまった。そしてSさんに何のミスも無かったことに安堵しながらも、こんなことも起こるのがアルパインなのかということを思い知らされた。

この、温故知新というルートには知っている人もかなり登っている。誰の身に起こっても仕方が無かった事故だったのだと思うと、寒気がして来た。

山に行ったりクライミングをしたりすることは、こういうことも、自分にもいつ降り掛かってもおかしくないことだったんだ。私は、今までラッキーだっただけだったのかも知れない。これはSさんが犠牲になって、教えてくれたのだと思えた。

 

どこで出会ってもいつも誰にでもにこやかなSさんの笑顔が浮かんで来る。「いくさ〜ん」と顔を見たとたんに戯けながら近寄って来た人懐っこいSさんにはもう会えない。命ははかないゆえに、ほんとうに大切だと思った。

 

クライミングとてもとても好きだったSさん、さようなら。ありがとう。天国で、ガンガン登って下さい。そして、私たちを見守っていて下さい。

ご冥福を、お祈りしています。

 

以下は、P会のSさんからの伝言です。

その折に、パートナーの方(お2人)からお聞きした話を一部お知らせして、これから雪彦山に登攀される方の注意喚起に供したいと思います。

1) 事故現場:逆くの字ルートor温故知新への取り付きルート。三峰終了後の下降路懸垂地点(ビレーステーション)を少し壁に向かって左へ少しトラバースした地点より登るピッチ。

2) 状況:ここよりトップが右上気味に登って行き、途中ハーケンにランニングビレーをとり更に右上したところで落石と共に転落。ロープ2本とも切断され、ビレーステーション・懸垂地点から約40〜50mくらい下まで落ちた。

3) 上記の落石について:一人は畳一枚分くらいの大きさ。もう一人は小冷蔵庫大の大きさだったと言っていました。

4) お願い:それほどの大きな岩が落ちたとなれば、岩が抜けた場所は、まだ不安定な状態だと推察されます。このルートを登られる方、不行沢を登られる方は十分ご注意をして頂きたいと思います。

5) この状況をできるだけ多くの方に知っていただき、事故に遭わないように願っております。ホームページ等で内容をお知らせくだされば幸いです。

 

 


2008/4/7「やっと落ちつく」  クライミング
一ヶ月近く入院していた母が帰り、心配していた入院ぼけもなく、すんなり元の生活に戻ってホッとした。帰った次の日に草むしりをしている。人間って以外と逞しいのかも知れないと思った。

これでまた私は、山やクライミングへのモチベーションは出て来るのかな? 岩場のシーズンも短い。そろそろ復帰しなくては。満開だった桜も、今日の雨でおしまいになりそう。今年の桜は、ゆっくり見られなかった。昨日行ったホシダはユキヤナギと桜が美しく、山々も新芽で優しい色に変わりつつある。何があろうと自然は毎年繰り返される。

結局人間も含めて、生の営みは単調なのかも知れない。複雑にしないで、さらっと流して受け止めて生きて行くのが自然流かも。あるがまま、無理をしない。母を見ていると、そう思う。入院中の規則正しい生活も、帰ってからの気ままな生活もすんなり受け入れる柔軟さには驚く。

ただ、新しいことには苦手だった。でも出来ないことに落ち込んだりクヨクヨはしない。だんだん、いい性格なってるように思うのは気のせいかしら。

このまま最後までケセラセラで、出来るだけ長生きしてほしいものだ。

 

ケセラセラは『ウィキペディア(Wikipedia)


2008/4/1「もう桜の季節」  生活
今日から4月に入った。桜が咲いている。私の部屋の窓から見える桜も、もう七分程咲いているようだ。このころになるといつもならソワソワと落ちつかず外に出たくなるのだが、ことしは、そんな気分にもなれない。

花冷えというのか、ここのところまた冬に舞い戻ったように寒い日が続いている。

昨日の夕方病院へ母を見舞うと、病室に入って来たおばあさんが看護婦さんを困らせていた。トイレで倒れていて,救急車で運ばれて来たらしいが、起き上がろうとしては「そろそろ夕飯の用意をせんといかんから,買い物行って来る」といいなが立ち上がろうとする。看護婦さんが、「ここは病院だからじっとしていて,時間が来たらご飯は運ばれて来るから寝とって」と何度も繰り返しいうのに、「どなたさんか知らないけれど、あなたのところは近いから良いけれど、私のところは遠いのでもう行かんとあかん」といっては立ち上がる。

同じ病室の人たちは思わず笑っていたが、私もつられて笑った後、なんだか悲しくなった。どんな形でかは人によって違うのだろうが、人はかならず老いがやって来る。私の年齢でももう、少しずつ忍び寄っては来ているのだろうが、まだ潜伏中で気がつかない。

徐々に,何だか変だなと気がつくのだろう。そうして、否が応でも認めなくてはならなくなるのだろう。このお婆さんのように、自分が倒れてしまったり病気になってるのに、まだ買い物や食事など日常の生活の繰り返しが、まるで機械化されたように刷り込まれているのだろう。たぶん、しんどいのに頑張って来た証なのだろう。けして笑ってはいけないことなのだと深く反省した。


2008/3/20「お彼岸」  クライミング
今日は,「春分の日」である。この日を挟んで前後3日を合わせた7日間を「彼岸会」というそうだ。7日の最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」というそうだ。昨日,私は墓参りに行って来た。

火曜日に霊仙山に行った帰りに実家の近くの峠の茶屋で、久しぶりに「ぼたもち」を買った。偶然お彼岸のお供えはぼたもちだということだが,私は知らなかったので自分で食べてしまった。

「ぼたもち」は「おはぎ」ともいうが、それは春のお彼岸のころに咲く「牡丹」の花と、秋の彼岸の頃に咲く「萩」の花が名前の由来だという。

昨日からの雨が今日の朝も降り続けていたが,ホシダに向かった。天気が悪かったせいか、キャンセルが相次ぎ申し込みは多かったらしいが、物好きは7名だった。赤四角と赤スラッシュ2回と左の壁を3回取り付いた。赤スラッシュは、頑張ったら登れそうだと思えた。

火曜日の18日は、霊仙山の西南尾根から登って来た。目的は福寿草だった。昨年の同時期に開花情報で行ったが前日に降った雪で冬山状態だった。しかし、今回は念願の福寿草がたっぷり見られた。おまけに、雪割草(ミスミソウ)の群生にも出会った。快晴にも恵まれ、雪は残っていたが爽やかで寒くもなく、私たち二人だけの静かな山に大満足だった。

山でお花に出会うとどうしてこんなにも嬉しいのだろう。福寿草は,藤原岳で何回も見ているのに何故か藤原岳の福寿草とは少し違った感じがする。まだ、満開には早かったようで芽をだしたばかりや蕾が多く,踏まないように気をつけなくてはならなかった。きっと、来週あたりは見事だろうなぁ。

それと、あんなにたくさんのミスミソウを見たのは初めてだった。これも私を喜ばせてくれた。

頂上や稜線からの眺めも最高だった。さすがに,昨年の方が伊吹も白かった。伊吹を眺めながら、伊吹の夏のお花をまだ見ていないことを思い出した。こんなに近いのだから、今年はぜひ行ってみよう。

 

   


2008/3/17「週末いろいろ」  レジャー
土曜日は,一人だったが星田に行って来た。かなり空いていた。日曜日は定員オーバーの申し込みがあったようだ。行ったのも遅く、帰るもの早かったので2本しか登れない。しかし、次の目標にしている赤スラッシュが前より上まで行けたのは嬉しかった。パワーがあればムーブはそれ程難しくないので、行けそうな気がする。

しかし、今月は予定も多いので平日のクライミングには行けそうにもない。まあ、ぼちぼちやろう。

日曜日は,「京都山の子会」の例会で静原で餅つき大会だった。金比羅の岩場に行くときの最寄りのバス停と戸寺から、静原までハイングコースを歩いて「F山岳会」山小屋をお借りしての餅つき大会だった。

総勢50名近い参加者だった。豚汁は大きな鍋が3個、餅米は一升だったそうだ。よもぎ餅、きな粉餅、おろし大根餅といろいろ。それに珍しいのは、焼きもちをぺったんこにして焼き、きな粉で揉んで,あんこに包むという、F山岳会の会長Iさんのお住まいの地方の、お正月など目出たいときに食べるという餅を作って食べさせて下さった。名前を、うっかり忘れてしまった。

こんなに、大勢の人数分の下ごしらえには,かなりの人の手が掛ったようだ。本当に,頭が下がる。この,京都山の子会は,いつ行っても温かい雰囲気で迎えてもらえて素晴らしい会だと思う。優しさに溢れていると,私は感じる。

自分の山やクライミング優先の私は,ほんとうに申し訳ないような参加の仕方しか出来ない。しかし、出来るだけ参加して行きたいと想い、次年度の会費を払って来た。

昨日,一緒に歩いたMさんはとても活発な女性で、「見えなくなってからの方が,いろんなことをしたくなって来て、いろいろやっている」と話され、私をぐいぐい先導して歩かれる。

もっと、いろんなことを楽める機会が沢山あれば良いのにと思った。

 

 

      


2008/3/14「平日ホシダクライミング」  クライミング
月曜日から水曜日まで、ホシダクライミングウォールがメンテナンスで使用出来なかった。さっそく、木曜日にMさんに連絡すると行けるということなので,行ってみた。

母の入院している病院にも、毎日行ってる。こんなときには,岩場に行くにはちょっと気力に欠けてしまうが、ホシダはちょうどいい息抜きになる。そうでないと、ストレスがたまってしまうだろう。

メンテナンスのついでに作られたのであろう,新しいルートが向かって左に4本できていた。見た目にも一番簡単そうなのは赤色四角のルート。これは、サンドと同じラインに出来ていて,新しいホールドもだいぶ付けられていた。

ルートを見たとたんに,行けそうな気がした。Mさんに最初に登ってヌンチャクをセットしてもらい、お陰でフラッシングが出来た。最近サンド10dでもテンションしてしまうので、とても嬉しかった。あとで登ったAさんのグレーディングだと、10dか11aだという。

次に簡単そうなのは赤のスラッシュで、2回登ったがこれは途中までしか行けなかった。これは11a/bぐらいとAさん。私にとってはかなりの差を感じてしまった。これらのルートのお陰でとても楽しいクライミングとなった。感謝!

しかし、これらのルートが出来たお陰で,銀黒と赤黒ルートが消えてしまった。これが、人工壁の宿命と言えるのかも知れないが、登れないうちに消えてしまうのも切ないものだ。

お陰で少しの時間でも、ホシダに行ってみたいという意欲も湧いて来たようだ。明日も行ってみよう。

 


2008/3/10「蝙蝠谷はもう春だった」  クライミング
日曜日はポカポカ陽気になるという予報なので、蝙蝠谷に行った。3ヶ月ぶりである。最近,著しくモチベーションが低下している。星田で遊んでいるとけっこう楽しいのだが、岩場にあまり行きたいとは思わなくなって来ている。それは、季節のせいなのかとも思うがどうもそれだけでもなさそうだ。

私は、やはりフリークライミングが向いていないのではないかと思ったりする。10年もやっているのに…。だいたいフリーをやってる人は一筋の人が多いが、私は気が多い。

特にこの時期になると、そろそろ芽を出す木々や花の芽に目がいってしまう。蝙蝠谷へ行く途中にはもうスミレの花が咲いていた。そして,気持ちはウキウキしてくる。

母が入院(糖尿病の検査)したりと,日常生活でも落ちつかないのがクライミングへの意欲喪失の一因にもなってるのかも知れないなあ。

今日は,母を病院に送って行ってから実家に戻り冷蔵庫の中身を捨てまくった。いつも賞味期限が切れても、平気で長い間入れておくので気になっていた。母がいると捨てられないので、チャンスだった。この間に、ちょっとは綺麗にしておいてあげたいと思ってる。空っぽの冷蔵庫を見て、怒るかな。


2008/3/3「今日はひなまつり」  クライミング
2月はもう終わり,3月に入った。今年の冬はどうも雪の日が多かった。3月に入ってもまだ冷え込んでいる。山行記録を眺めていたら,2月は星田ばかりだった。こう岩場からはなれてしまうと、岩場に行くのが億劫になって来る。

3月と言えばもう春ではないか。そろそろ岩場にも復帰したいものだ。しかし、登れないのが当たり前のような感覚にもなってしまってる。気持ちも、「さぁ、やるぞ」というにはほど遠く、この辺りで行とかんとあかんという半ば使命的なものだ。

最低限、力を維持しておきたいという想いがあるのだが、維持することも並大抵のことではない。それでも登らなかったら、ますます登れなくなる。ぶつぶつ言ってないで、今週末は久しぶりに烏帽子に行くことにした。これが、弾みになってくれればいいなあと思う。その弾みに加速がつけば、もっと嬉しいのだが…?!

日曜日は星田へ磐船神社から歩いて行った。少しは春の予感を感じるだろうかと期待していたが,まだまだといった感じだった。私のデスクトップには,春の星田の写真が一足先に広がっている。

 

2日の星田の風景(ハヤブサ撮影隊の大砲のようなカメラがこの日は並んでいた)

 

 


2008/3/1「「龍の棲む家」を読んで」  読書
「龍の棲む家」玄侑宗久著(文芸春秋)を読んだ。家族の老いはこれからの私のテーマーである。人が生まれて来た限りはかならず通る道だ。成り行き上痴呆になった父親と同居しなくてはならなくなった息子の幹夫は、父親と向き合うことになる。

親子といえども、お互いにどれほどのことを理解しているのだろうかと改めて疑問に思った。幹夫も父親が痴呆になってから、徘徊したり日頃の言動や行動の中に過去の父親の人生を見るようになる。

それは、徘徊した父親に寄り添って立ち寄った公園で偶然知り合った、介護士の佳代子のアドバイスによるところが大きい。徘徊も意味の無い行動ではないことを知る。それからは、この3人の生活を通していろいろなことが語られている小説となっている。

 

 

一度は崩壊した家族が、父親の病気に寄り添うことで、また新たな家族が出来上がる。それは理解しようと言う想いが、また新たな愛情や思いやりを生むということだろう。

私も,最近よく実家に行って母の話しに耳を傾けるようにしている。何度も何度も繰り返す話しは,母もだいぶ惚けて来たのかと思うのだが、内容は自分の嫁いで来た家(私の生まれた家)の人たちのことばかり。どうして、自分の実家の話しはしないのだろうと思うが、この小説を読んで何となく解った気がする。

母の人生は、嫁ぎ先での生活と人間関係が全てだったということが理解出来て来た。この本を読んで、「もうその話しは聞いた,知ってる,何回言うの?」などとしょっちゅう言っていた私は反省した。これからは、母が話したいときにはゆっくり話しを聞いてあげようと思うようになった。

今まで封印して母が言わなかったことも、ポロポロと出て来る。難しいことだが、一番なのは寄り添ってあげることなのだろうが…。


2008/3/1「Macの再生作業に専念」  雑感
私の可愛いiMacG5が新しいHDになって帰って来た。買ったときに3年間のサポートに入っていたので、修理代は無料だった。なんだか得した気分になった。今回は外付けのHDにバックアップが取れていたのでより助かった。今日の夜はソフトのインストールと設定に明け暮れていた。やっと、以前のMacの姿に戻りつつありホッとしている。苦労をさせられたお陰で,肩はバリバリに凝っている。

一段落して、やれやれである。Macに付き合ってからは,苦労の連続だった。我が家の娘ですらこんなに手こずらせることは無かったのに…。やっかいなものだ。しかし、見捨てることが出来ない。

よく手がかかる子程可愛いと言うが,苦労した分愛着が湧いて行くのだろう。


2008/2/27「今日も雪がちらちら」  健康
昨日は車検で京都に行ったついでに友人と北山へハイキングに行く約束をしていたが、あいにくの雨で中止となり、急遽昼食を一緒にすることになった。

そして、もう一つついでに最近調子の悪い私のMacも修理に持っていった。なんでもついでに片付けようということになると慌しい。

慌しい日々を送っていて疲れたのか、また腰や目の奥が痛かったり頭痛がしたりと危険信号が点滅している。

それでも今日、ホシダに行った。春はまだまだ遠く、今日も雪が降って寒かった。こんな日はやっぱり調子が出ない。やっぱり、かなり疲れてもいるようだ。

ちょっと、忙しくしすぎかな…。

こんなときは、おもいきり寝るに限る。


2008/2/25「雪の高見山」  登山
2月も終わりになって来た。なのに雪が珍しいこの辺りでも雪の日が続いている。こんな日が続くとさすがに、岩場への足が遠ざかり、星田へ日参する日々となってしまう。しかし、昨日のように寒いと星田でもやる気は出ない。昨日の申し込みは30名近くあったそうだが、実際には十数名と少ないのは頷ける。

土曜日は、樹氷で有名な高見山に登って来た。十年ほど前に一度行ったことがあるのだが,吹雪だったというだけの記憶しか残っていなくて、どこから入山したのかも定かでなかった。

ところが帰ってから,自分のHPで探してみたら1998.2.8の日付でちゃんと報告を書いていた。

先にこれを読んでいたら、平野から入っていただろう。しかしそんなことは全く考えなかった私は、今回は杉谷から入った。冬場はこの平野から入るのが、正統派のような…。地図上のコースタイムも15分程短縮出来る。

しかし、杉谷にも車は5-6台路駐されていて,私たちが着いた頃にはもう登り始めていた人を見かけた。

登り始めはほとんど雪がなかっが、中峠の手前辺りから雪が積もっていた。頂上に近くなると,刺すような風がほほに当たって痛い。久しぶりのアイゼン歩行は、足も重かった。

頂上では前に行ったときの記憶と同じで、やはり吹雪だった。避難小屋は人でいっぱいだっが、わずかの隙間に潜り込みラーメンを作った。温かいもので,生き返った心地がした。

帰りは大峠への道を下ったが、この道はほとんど無風でなだらかなスロープの歩きやすい道だった。ちょうど高見山が風よけになってるのだろう。視界も開けて,薊岳、国見山、池小屋山が見えていたようだ。

高見峠(大峠)には、立派な駐車場もあるが雪の下だった。1台車が停まっていたが、この時期に車でここまで来るのはちょっと大変そうだ。

雪道を道路を小峠まで歩き、杉谷の車に戻った。下山途中から降り出した雪は大雪となった。たかすみ温泉に向かいながら、今頃山は大荒れだろうなぁ、と思った。雪景色の露天風呂は最高に良かった。帰り道でも木々に光っている雪はが真珠のように輝いて美しかった。

本格的な樹氷はもう過ぎ去ってしまったようだが、思わぬ寒波で雪山を堪能出来、得した気分になった。

 

高見山の写真へ

 


2008/2/18「ご先祖さま」  雑感

私の実家の仏壇を、「洗い」に出すことになった。大正元年に私のひお婆さんの「おひささん」が、家を建てたときに購入した仏壇である。家と共に百年の歳月が過ぎようとしている。このお婆さんは働き者で、この人の代で爪に火をともすようにして、少しずつ田畑を増やしたそうだ。また当時の女性としては珍しく、自立した女性だったようだ。私の知っている限りでは、私の祖父も父も家長そのものの人だった。家長が男性である時代のことなのでこのことが信じられず、本当だとしたら凄いことだと思った。

私の母は、このおひささんの苦労を思うと自分の代で仏壇を綺麗にしたいと相談して来た。私は最初は当然のように反対した。その仏壇はキンキラキンで,どんな家にも収まるというようなものではない。お寺のミニチュア版のようなものだ。母はそれで満足だろうが、次の代ではいったいどうすれば良いのだろうかとかなり悩んでしまった。しかし、いくら悩んでも解決出来るものではない。

団塊の世代である私の世代は,価値観でも一つの節目だと思う。古い因習と決別した世代でもある。それが私の回りでは、時代の流れに逆行するような方向に導かれて行くようで、歯がゆい想いのすることがいっぱいある。しかし、古くさいことと言って切り捨てることも出来ない自分も自覚してしまう。

母の懇願にとうとう負けて、最後の大きな親孝行になるかなと思ってとうとう承諾した。お仏壇の魂を抜く儀式であるお正念抜きを、お寺にお願いして今日行われた。今度新しくなった仏壇には、お正念を入れる開眼法要というのをするということだ。

亡くなった人に魂があって、仏壇に入ってるということなのだが、そうしたらお墓には魂は無いと言うことなのか。それとも、魂とは自由に行き交うものなのか。

昨年流行した「千の風になって」では、「そこ(お墓)に私はいません」と歌われている。そもそも、この歌は魂がどこにあるのかが問題なのではなく、身近な人を無くして悲しみから抜けきれない人に、亡くなった人は「無」になるのではなくて「風になったり鳥になったりしてあなたの身近(心)であなたを見守っていますよ」という慰めを歌ってるのだと思う。

そう考えると、魂はお墓にあっても仏壇にあっても風になってもどこにあってもいい。残された人の心にあるもの、と考えたら母の想いも理解出来る。そういう私も,お墓参りもするし、また仏壇にもお参りする。ということは、日常として受け入れていることなのだ。

ちなみに、ネットでお正念を抜くというのを検索していたら、お坊さんのブログに「魂を抜いたり入れたり出来るような器用な坊さんはいるはずはない」というようなことが書かれていて、思わず笑ってしまった。

今日何も見えなかった私には,仏壇のお正念が抜けたのかどうかはわからない。しかし、気持ちが治まったことは確かだ。

 


2008/2/16「朗読ブログ開設」  朗読

朗読を公開しているブログを以前から見かけていて、どうしたら出来るのだろうと興味を持っていた。

生来の好奇心でいろいろ調べていたら「ポッドキャスト」という聞き慣れない言葉に行き当たった。

「ふ〜ん、これって何なに? パソコンに録音した音声をブログで公開出来る。へ〜、面白そう!」というわけで試行錯誤の結果、ブログで私の朗読が公開出来た。

野山に咲く花のように/朗読で遊ぶ」と今回は少し気取ったタイトルを付けてみた。あ〜ぁ、またひとつ恥を晒すこととなってしまった。

一応、しばらくは大阪弁で大阪の文化がよく表れていると思って面白く読んだ「ごめんやす「大阪弁」」という本を抜粋して録音したいと思ってる。何年か前にも、テープ雑誌でも取り上げて録音したことがある。

この本を読んでいると、言葉は文化だということが実感出来る。吉本興行ではないけれど、大阪弁を発するだけで喜劇的だと感じてしまう。

パソコンを触り出して十数年がたち、最初の頃からは様変わりしてしまったが、そのお陰で私は豊かな人生を送れるようになった。パソコンの進化に伴って,私も少しは進化出来て来たと思う。脳の機能はこれからは衰えていく年齢になって来る。少しは,老化を防ぐのに役立つかも知れない。


2008/2/11「ホシダで連休は終わる」  クライミング

9日の大雪で、とうとう次の日も次の日もホシダで過ごした連休も終わった。「雪は好き?」と問われると、私は返事に困ってしまう。雪が降って来ると、ワクワクして子どものように落ちつかなくなるのも事実。良い歳をしたおばさんなのに外に飛び出したくなる。これって、雪には不思議な魅力があることだということだろう。

ところが、雪のモノトーンの世界はしばらくすると私は退屈になる。白と黒の世界は単調だからだろうか。どうしてなのか、私には分らない。

9日の雪解けのホシダは、もう美しくはなかった。グショグショの雪は不愉快な感触しか無い。この日は、Tさんのお孫さんが3人来ていたが、クライミングをそっちのけで雪と戯れていた。夢中で雪といつまでも遊べるのは子どもだけかな? 私も仲間に入れてもらって、雪玉投げをしてみた。投げる距離を競争したが、実力は同じ位だった。童心に帰り、けっこう楽しかった。

今の子どもは外で遊ばなくなった影響が出て来て、ボールを投げたりの運動能力が低下していると、ちょっと前のTVニュースでやっていた。しかし、この3人は心配なさそうだ。クライミングも楽しそうに毎週やっている。遊ばない子どもが増えているなら、大人はもっと遊ぶ楽しさを教えてあげなくてはいけないと思う。

ホシダでは、中高年が夢中で遊んでいる。きっとこの人たちは、子どもの頃にも夢中で遊んでいたんだろうなぁ、とふと思った。

子どもたちが帰った後には、2つの可愛い雪だるまが残されていた。

     ホシダの雪景色2008.2.10

 


2008/2/9「大阪で雪が積もった」  生活

今日は朝から雪が一日降っていた。昨日行ったばかりなのに、急に雪のホシダが見たくなって昼過ぎにピトン小屋に電話してみた。こんな天気なのに4人来ていて登っているという。

行こうかなと思って駐車場で車の雪を払っていたら、帰って来た人がかなり滑って危なかったという。

大阪でこんなにたくさん降ることは珍しいので、多分スタッドレスを履いた車は少ないだろう。ということは自分の車が大丈夫でも、他の車が滑ってぶつからないとも限らないと思い、ホシダは中止した。注文していた本を近くのコンビニにとりに行くついでに、雪の降る中を一時間程散歩してきた。

帰ってからもう一度ピトン小屋に電話を入れたら、ホシダ辺りで生駒方面は通行止めになっているという。行かなくて、正解だった。

ここのところ、ホシダ詣でが続いている。昨日も行って来た。銀黒キラキラルートがまだまだテンションの嵐だが、どうしても届かなかったところが届いた。ただそれだけの成果なのに嬉しい。

一緒に登っていたMさんは昨日RPした。Mさんはホシダに来てクライミングを始めて7ヶ月ばかり。私は十年なのに、どうしてこんなに差があるのだろう。でも、普通の人はそんなに簡単には登れないはず。

こんな天気が続くと、どうも岩場に行こうという気力が欠けて来る。せっかくの連休なのに、ホシダ詣でとなりそうである。


2008/2/3「最近読んだ本」  読書

朗読の録音が終わり一段落して少し時間が出来たので、本屋に行き文庫を数冊買い込み、久しぶりに連続で本を読んだ。

真保裕一著「灰色の北壁」講談社文庫2008年1月16日第1刷発行

玄侑宗久著「中陰の花」文春文庫2005年1月10日第1刷発行

この2冊だ。

どちらも、一気に読んでしまったので、面白かったということだろう。

 

「灰色の北壁」は新田次郎文学賞を受賞して「『ホワイトアウト』から10年。渾身の山岳ミステリー」と広告文に謳われているが、それほどでも無かったかな?

『黒部の羆』『灰色の北壁』『雪の慰霊碑』の3編で構成されている。

いつも、山岳小説を読むときは、モデルの人がいるのだろうかと思ってしまう。新田次郎の小説は、実在の人がモデルの場合が多い。それが、またリアリティーがあって面白くさせているように思う。

この「灰色の北壁」の中にも実在の人物が登場していて、これは誰がモデルなのだろうかと思い巡らせながら読んでしまった。著者の真保裕一氏は登山をしないで山岳小説を書いているということだが、まるで山を熟知しているような描写には感心した。ついカスール・ベーラをネット検索してしまった。

『黒部の羆』は、富山県警の山岳警備隊を辞めて劔の小屋の主におさまっている主人公が、自分の若かった頃に起こした遭難事故と同じような滑落事故の救助に向かい、山に掛けた男同士のパートナーとの葛藤が描かれている。山は美しくて雄大だが、自然を征服しようという人間の傲慢さを思った。何のために…。

『雪の慰霊碑』は、もう山を借りた恋愛小説でしかない。中途半端な感じがしたなぁ。

 

玄侑宗久著「中陰の花」を読むきっかけになったのは、朝のNHKのインタビュー番組で「死」「老い」「認知症」について語っていたのを何気なく聞いていて興味を持った。テレビに映っているのは、袈裟をつけたお坊さんだった。れっきとした、禅宗のお坊さんだと言う。

さっそく、近所の本屋で芥川賞を受賞した「中陰の花」と「多生の縁」という対談集が目に留り買って来た。ほんとうは「アミターバ―無量光明」を探したが見つからなかった。「多生の縁」はまだ読んでいない。

「中陰の花」は、確かにいろいろ考えさせられてしまった。子どもの頃から私は、人の死に敏感だった。それは農家の大家族で、人の死に出会う機会が多かったから。仏壇には、名前も知らないご先祖の古い位牌がたくさんあったし、仏間は気色の悪い場所であることは今でも変わらない。

最初に衝撃的な死に出合ったのは、4歳の頃に兄が近くの池で水死したときのこと。今でも、モノクロ写真で切り取ったような記憶で残っている。とても優しい兄でよく遊んでくれた。兄が買ってもらった自転車も、ほとんど私が占拠していたことも覚えている。

保育園に行っていて「兄ちゃんが死んだ」といって近所のお姉さんが自転車で迎えに来たが、その時はまだどういう意味か分っていなかったと思う。足など包帯で巻かれた動かない兄を見た時はとても怖かった。仏間から「おう、おう」と聞こえて来る祖父の泣き声も怖かった。

自宅で死んだ祖父の死の瞬間も、小学3年生の私は隣の部屋で眠れずにいた。今まで、生きていた人がお墓の大きな穴に埋められてしまう。その頃は、土葬だった。子どもの頃は、よく死んだ身近な人がお墓から出て来る夢を見た。死んだ人の夢は今でもよく見るが、それは全く怖くない。

そして家の宗教の浄土宗で、人が死んだときの一連の儀式が四十九日(満中陰)まで一週間ごとに行われる。この法要が満中陰で成仏するためだという意味も、子どもの頃に祖母から教えられていた。

この本の中で「人は死んだらどうなるん?」という、僧侶の妻の疑問は、私の子どもの頃から思っていた疑問でもあった。「極楽や地獄はほんとにあるのん?」という問いに「しらん?」と夫の僧侶は応える。これは、子どもの頃はあると信じていた。人は、死をどのように捉えているのだろうか。

子どもの頃に知らないうちに祖母から教え込まれた教育や学校での宗教教育は、未だに私の中に生きているように思う。死を考える時、それは「死ぬまで生きる」という生きることを考えることだとこのごろは思う。

もう、子どもの頃のような恐怖心は無くなってしまった。それよりも、最近はこれからの生き方の方が気になる。それが、どんな死を迎えるかに深く関わって来るようにも思える。

この著者の、他の本も読んでみたくなった。

 


2008/1/29「寒い日が続いている」  クライミング

ここのところ寒い日が続いている。それでもめげずに、土曜日は不動で日曜日は星田でクライミングだった。

不動はさすがに寒かったせいか空いていた。ミート&ポテトでのアップでも落ち、次の小熊物語は二回登ったがハングすら越えられない。情けない!

ワンマンショー11dにTが取り付いたので、トップロープで登ってみた。これもかなり厳しい。不動の正面は、私に取ってはまだまだ敷居が高いことを認識させられたクライミングだった。

日曜日の星田は、時々降りしきる雪の中でのクライミングとなった。当然、指先は冷たく感覚は無くなって行く。それでも、これだけの人たちが集まる星田は何となく不思議な気がして来る。

こんな日に、登れるはずは無い。最後に人気の黒パールに取り付くことが出来たが、すでに私の腕は終わっていた。途中で降りて来てしまった。その後、このルートをUさんが綺麗なムーブで登って行くのを眺めながら、つくづく自分の下手さを自覚させられた。Uさんは女性で私より年上だ。凄いなぁ〜。

録音していたテープも今日で終了した。やらなければならないことを抱えていると、気になるし落ちつかない。すこしは、ホッとした。


2008/1/23「雨の星田」  クライミング

天気予報では、雨は早いうちに上がるということだったので星田が久しぶりのSさんと向かった。11時頃に着いたが、雨はまだ降り続けていた。グレーでアップしたが、手が冷たくて感覚が無くなる。指先が痛い。息を吹きかけながら登ったが、カイロを忘れたことを後悔した。体も重い。また体重が増えたのかな?
読売テレビの取材で、アナウンサーが登るのを撮影していた。やはり、初めての人には至難の業ではないようだ。クライミングは、力でねじ伏せることは出来ないことが見ていてわかる。「私の最初はもっとひどかったなぁ?」と撮影を横目で見ながら思い出していた。
黒パールのルートを初めてマスターで登ってみる。やはりこう寒いと、このルートはますますきつい。しかし、自分でヌンチャクを掛けられたのは収穫だった。これから安心して取り付くことが出来る。もう一度登ってみたが、まだまだといったところだ。
こんなコンディションの悪い雨の中でも、星田では登れるので嬉しい。だがSさんが来なかったら、多分中止していただろう。雨でも気分はルンルンの一日だった。

2008/1/21「週末は」  クライミング
先週末は、とても寒かった。
寒くても土曜日のホシダは賑わっていた。朝から、分別ゴミの説明会に参加した。私の住んでいる市は、やっと2月からプラスチックとペットボトルを分別しなくてはならなくなった。かなり、遅れていると思う。
しかし、プラスチックの分別が変なのである。プラマークが付いているのが対象であるが、コンビニ弁当などに付いているプラスチックのスプーンは対象外だそうだ。要するに「プラスチック製容器包装」のみ対象だというややこしいのだ。他の自治体もそうなのだろうか。ちゃんと、分別出来るかな?
その、ややこしい説明会を聞いてからホシダに向かったらもう昼前だった。とても寒い割には人は多かった。しかし遅く行った割には、4本登れて満足である。左右のハング3本だったので良いトレーニングにはなっただろう。
今私は黒パール11bが楽しい。今回で2回目だが、しばらく楽しめそうだ。密かに次の目標にしている。
日曜日は、京都山の子会の例会でハイキングだった。京阪伏見稲荷から稲荷神社を東山トレイルで豊国廟まで歩き長い階段を下りて東山七条を京阪七条までの懐かしいコースだった。
2008/1/18「もうテープ録音は?」  雑感
ある人から、お盆や命日に流してるお経のテープをCDにしてほしいと頼まれていたのを思い出し、久しぶりに時間が出来たので届けて来た。パソコンにカセットデッキを接続して音楽ソフトに取り込んでiTunesで作成した。
音楽を昔はテープでよく聞いていた。レコードはわざわざテープに録音し直して日々聞いていたが、そういえばCDが普及してテープで音楽を聞くということは全くなくなってしまったことに今ごろ改めて気がついた。
本箱の引き出しに、いっぱい残骸のテープが詰まっているがそろそろ処分した方がよさそうだ。何もかも捨てられないでいることにも改めて気がついた。
目の見えない人が本を読むのは、今までは点字かテープ録音だったが、今ではDAISY図書と言ってCDに移行している。
私たちが朗読をするのも、いまだ旧態依然とテープ録音しているが、そろそろきっぱりとデジタル録音に切り替えた方がよさそうだ。徐々にテープデッキでの録音からデジタル録音器か、パソコン録音へ変わりつつあるのに、朗読ボランティアの高齢化で、なかなか人間がデジタル化出来ないでいるのが現状のようだ。
歳をとるとなかなか新しいことを取り入れるのに苦労するし、億劫になるようだ。歳とともにより柔軟な頭と好奇心を持っていないと、何事も落ちこぼれてしまう。またいろんなことにアンテナを張っておかなければ、情報難民になってしまう。
せっかく、今までやって来たことだから時代の流れにも付いて行かなければならないと思った。ほんとうに、何をやっても大変だぁ。
実家の母がコーヒーが好きで、いつもドリップしている。耐熱ガラスのポットを割ってしまったので、楽をさせてあげようと保温ポット付きのコーヒーメーカーを買って持って行った。何度か入れ方を実習した。また保温まで出来ているのを知って、「便利やなぁ?」と感心しているのだが、3回の講習でもまだ自分で入れられないでいる。今日も電話で「蓋が開かへんから、コーヒー入れられへん」という電話があった。やれやれ!
そういえば乾燥機付きの洗濯機のときも携帯電話も大分講習会をしたっけ。新しいことを吸収するのには、やはり若いということが一番の条件のようだ。
しかし、一番は諦めないことだとつくづく思った。

2008/1/18も「うテープ録音は?」

ある人から、お盆や命日に流してるお経のテープをCDにしてほしいと頼まれていたのを思い出し、久しぶりに時間が出来たので届けて来た。パソコンにカセットデッキを接続して音楽ソフトに取り込んでiTunesで作成した。

音楽を昔はテープでよく聞いていた。レコードはわざわざテープに録音し直して日々聞いていたが、そういえばCDが普及してテープで音楽を聞くということは全くなくなってしまったことに今ごろ改めて気がついた。

本箱の引き出しに、いっぱい残骸のテープが詰まっているがそろそろ処分した方がよさそうだ。何もかも捨てられないでいることにも改めて気がついた。

目の見えない人が本を読むのは、今までは点字かテープ録音だったが、今ではDAISY図書と言ってCDに移行している。

私たちが朗読をするのも、いまだ旧態依然とテープ録音しているが、そろそろきっぱりとデジタル録音に切り替えた方がよさそうだ。徐々にテープデッキでの録音からデジタル録音器か、パソコン録音へ変わりつつあるのに、朗読ボランティアの高齢化で、なかなか人間がデジタル化出来ないでいるのが現状のようだ。

歳をとるとなかなか新しいことを取り入れるのに苦労するし、億劫になるようだ。歳とともにより柔軟な頭と好奇心を持っていないと、何事も落ちこぼれてしまう。またいろんなことにアンテナを張っておかなければ、情報難民になってしまう。

せっかく、今までやって来たことだから時代の流れにも付いて行かなければならないと思った。ほんとうに、何をやっても大変だぁ。

実家の母がコーヒーが好きで、いつもドリップしている。耐熱ガラスのポットを割ってしまったので、楽をさせてあげようと保温ポット付きのコーヒーメーカーを買って持って行った。何度か入れ方を実習した。また保温まで出来ているのを知って、「便利やなぁ〜」と感心しているのだが、3回の講習でもまだ自分で入れられないでいる。今日も電話で「蓋が開かへんから、コーヒー入れられへん」という電話があった。やれやれ!


2008/1/16「連休の備中」  クライミング

この連休のお天気は今ひとつだった。それでも、備中方面は少しましで日曜日は曇りで、月曜日は晴れるという予報で備中に決定。その予報のお陰か、長屋坂は顔見知りの人たちで2日とも賑わっていた。
何と私は2004年の1月以来だから4年振りである。そのときに長屋坂で初イレブンのスプリングを登った。その時は、2003年の骨折のあと登れなくなっていた後だけにとても嬉しかった。
あれから4年経ってるのだが、今回長屋坂に行ってそれほど上手くはなっていないことを思い知った結果となった。アップに登ったミセスリエコはさすがに前よりは簡単には感じたが、2日間取り付いていた99は上部のムーブが帰るまでに出来なかった。最初にとりついたときには11cにしては簡単だと思ったが、そんなに甘くはなかった。
自分の最高グレードなので当たり前なのだが、ちょっぴり悔しい気持ちが湧いて来た。それは、家から遠いのでなかなか来れないからなのだろうかと思ったが、最近この位のグレードを登れないでほってあるのが多いからだろう。ただ登っているだけでも楽しいのだが、一つ位はRPしたいものだ。
今日も不動かホシダか迷ったのだが、お気軽ホシダに逃げてしまった。小熊物語には登りたかったが、気合いが足らない。どうもその辺に登れない原因があるように思える。いわゆる根性が無いのだろう。
備中では、初めて用瀬小屋に泊まった。ここは、ガスも調理器具もストーブもあり快適に過ごせる。また一緒だった人たちは、知っている人たちだったので楽しく過ごせた。
これで私は5回目の備中だった。もう少しましな登りが出来るように、また行ってみたいと思う。しかしなかなかだなぁ?。何をやっても、小さな自分を自覚するのみ。

2008/1/12「お正月気分もそろそろ」  雑感
連休の初日の今日は雨なので、久しぶりに家でのんびりとしている。
水曜日は、不動でクライミング。s労山では恒例らしいが、不動でお雑煮を作り、ケーキ屋さんのメンバーの差し入れの特製パイを頂く。このパイには驚いた。「タイパイ」とメンバーの一人が言うのだが、見るまでその意味が分からなかった。見ると、それは魚の鯛の形をしたアップルパイであった。
子どもが小さい頃にはお菓子やパンなどを作っていたので、パイを作る手間ひまは充分分る。丸型でも大変なのに、鯛の形に作るなんてさすがだと感心すること頻りである。パイは生地自体大変な手間と時間がかかるので、私は市販の冷凍のパイ生地を購入していた。それでもパイは面倒なのであまり作っていない。
この日は、私と同様餌に釣られたのか、16人程の人が集まる。他のパーティーもあって不動の正面は20人近くもいて、思うようには登れなかった。というよりも、お餅とパイの重量がずしんと応えて、思うようなクライミングは午後からは出来なかった。これは、新年早速の言い訳になってしまった。
しかし、楽しいひとときを皆さんと共有出来たのはとても嬉しかった。不動は春のようなポカポカ陽気で、それも気分がいい。我が家からは遠いのだが、行って良かったと思った。ホシダもそうだが、やっぱりワイワイと同じ趣味を過ごせる仲間は私には大切な存在だ。
10日は、朗読の会の新年会だった。こちらも総勢で25名程が集まりワイワイと過ごす。新年号のテープ雑誌も本の朗読も終わり一段落してやっとホッとしていただけに、ビールの酔いも心地よかった。
11日の、対面読書も午前中に終わってぎっしり詰まっていたスケジュールから解放され、ストーブの前で2時間程、意識不明の昏睡状態に陥り死んだように眠ってしまった。よっぽど疲れていたのだろう。
年末年始の慌ただしさからずっと続いた忙しさから解放され、緊張感も無くなってしまった。明日からは、クライミングの予定が入っているので、束の間ではあるがほっこりしている。天気が良くなってほしいものだ。


差し入れのタイパイ


タイパイの解体に大騒ぎ! やっ、三枚には下ろせぬぞ?!


満足! ごちそうさまでした。美味しかった。

2008/1/8「昨日のNHKスペシャル」  クライミング
昨日の夜十時、テレビの画面に釘付けとなった。城山でご夫妻にお会いしたばかりだけに、近親感が湧いていた。沢木耕太郎著「凍(とう)」の朗読を以前聞いて頂いた人たちも何人か、電話やメールで放送の案内を頂いた。
自分の可能性を信じ、限界に立ち向かう。何かに向かっている人の目は、きらきらと輝いている。山野井さんの岩壁を見つめる目はとても印象的だった。多分、子どもの頃からそんな目でいろんなものを見つめて来られたのだろう。妙子さんは淡々としているだけに、指が無いというハンディーを見る人に忘れさせている。「指が無いとかいうのは、登るのに関係ない」と山野井さんは何度も登攀中に言ってる。
ただ、登りたいという衝動でひたすら向かうだけ。こんなにも、純粋に生きられるというのは幸せなこと。指が無いことなど、どうと言うことが無いという。ありのままを受け入れ、それでもやりたいことをやり続ける。
私の回りにも、障害を感じさせないで前向きに行きている人がたくさんいる。その人は山野井さんに負けずに魅力的に見える。
凄いことをするだけが、偉いのではないよ。きらきらと、目を輝かせて生きていることが素敵なんだよ。この番組の二人の登攀から、私はそういう風なメッセージを受け取っていた。


2008/1/6「ホシダ登り始め」  クライミング

年が変わっても生活が変わるという訳ではない。行きつけのホシダで今日は登ってきた。ホシダに行き始めてから今年で十年目になる。

40人の定員に近い人数になると、さすがにルートも混んでいてなかなか思うようには登れなかった。

この十年で顔ぶれは変わってしまっているが、いつものホシダの情景だった。当初からの人も数人混ざっているが、ほとんどの人は最近の人たちだ。長い間飽きずにやっているなぁ〜と我ながら感心する。十年前に比べたら左右のハングも登れるルートが出来たし、十年にしては僅かだが進歩をしている。しかし、まだまだ登れないルートばかりだ。登れないということが、私の場合は続く一因かもしれない。

私がホシダに行き始めた十年程前に、60歳の3人程のグループをホシダで見かけ、凄いなぁ〜と思って感心していた。そのうちの一人は少し前までホシダで見かけていたが、もう来られていない。その頃から見ると今では60歳以上の人も珍しくなく、だいぶ増えているが全体からの割合は当然少ない。私も、60歳までにもう僅かしか残っていない。

これからクライミングを長く楽しむには、ホシダは適しているかも知れない。それは、岩場に比べると安全だというのと中高年の仲間が多いということ。それに、家から行きやすいという条件が揃っている。平日、いつ行ってもビレーをしてもらえるのも大きな魅力だ。

よく考えたら、ホシダでも70歳以上といえば一人だけしかいない。自分の年齢を考えたら、あと十年も続けられるとは思わないが出来るだけ細く長くクライミングや山は楽しんでいきたいと思った。

いや、今私がやっていること全て、たとえ進歩しなくてもあと十年続けられればいいなあと思った。

私も知らない間に歳をとったものだ。


2008/1/5「2008年のスタートは城山から」  雑感

新しい年2008年がスタートし早くも5日が過ぎてしまった。今年はどんな年になるのだろうか。

年末年始恒例の城山クライミングは、今年は2日からとなった。お陰で30日は母の餅つきを手伝い、実家の掃除をする。年老いた母に取って掃除はどうも苦痛なようで、かなり汚い。それでもそこで暮らしていたら、その汚さも麻痺してしまっているらしい。とくに生活の中心の茶の間は、ゴミだらけになっている。母に「何もかもほかされて(捨てられて)しまう!」と文句を言われながら、せっせとゴミ袋に押し込むと何と3個も出来上がってしまった。

31日は、我が家の掃除と買い物とちょっとした煮物をしてみた。特筆すべきは、母のお正月の定番である棒ダラを今年は私が煮てみた。母の棒ダラは、我が家の子ども達が小さい頃からの好物で「おばあちゃんの棒ダラ」と言い毎年楽しみにしていた。しかし棒ダラは、一週間程水に浸けてから出来上がるまでかなりの手間ひまがかかり、数年前から面倒がってもう煮なくなってしまっていた。たまたますでに水に浸けてある棒ダラをスーパーで見つけて、今年は私が煮てみた。柔らかく出来上がったが、母の味と比べると薄味になってしまったようだ。それでも初めてにしては上出来で、母も娘達も喜んで食べてくれて、あっという間に無くなってしまった。

お正月元旦は、母も交えて5年ぶりに家族揃ってお正月を迎えた。そして何よりも珍しいのは、石清水八幡宮まで家から歩いて初詣に家族で出かけたことだ。お正月を初詣でスタートというごく普通の過ごし方を、山へ行き出してからはしていなかったことを初めて自覚したこととなった。いざ出かけてみると八幡宮の本殿へは長い行列で前まではなかなかたどり着けない。しばらく並んでみたが諦めて、列から外れていたところでお参りして帰ってしまった。

初詣の人出を見て、これが日本人の正しいお正月の過ごし方なのでは、と思い出させてくれた気がした。特にこの4年間は、修善寺ユースホステルのお雑煮やお節料理と、岩場でクライミングに興じて過ごしてきたが、やっぱりこれは尋常ではない。

久しぶりに人並みの元旦を迎えて初詣にも行き、単純な私はきっと今年は良い年になるに違いないと思えるのだからお目出度い。

それでも2日の早朝から城山に向かった。修善寺ユースは改修中ということで休館らしいので、クライミング仲間から聞いていた民宿福井に宿泊した。ここは温泉というメリットはあるが、やはり修善寺ユースに軍配が上がる。

3日間のクライミングはとくに成果はなかった。心の愛も登れなかった。ほとんどムーブも固まっているのだが力つきてしまう。自分の限界をつくづく感じたクライミングだった。初詣でしっかり本殿まで行ってお願いしなかったせいだろうかとふと頭をかすめるが、これは実力だから仕方がない。いやいや、他力本願は良くない。しかし楽しく登れたので、良しとしよう。

これは余談だが、城山でとても嬉しかったのは山野井泰史さんと妙子さんご夫妻にお会い出来たことだ。特に妙子さんは沢木耕太郎の「凍」を読んで以来のフアンであるだけに、少しお話が出来たのも嬉しかった。会った印象は、凄い人というよりも優しそうで気さくな感じがした。しかし、その手に私の目がいった瞬間妙子さんの強さを目の当たりにしたようでたじろいでしまった。

どんな困難に出くわしても、ごく当たり前のように平気でいられる強さを感じる。「あまり登れないんですよ」とおっしゃりながら、指の無い手でちゃんとホールドを掴み登って、山野井さんのビレーもされている。それも、ごく当たり前に…。

本での印象以上に、凄い妙子さんがさらりと私の中に入って来たような気がした。