2001年
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 は山行報告があります。               

1 月

2 月

3 月

椿岩クライミング1/3(水)

ホシダ1/7(日)

ホシダ1/8(月)

ホシダ1/13(土)

ホシダ1/14(日)

ホシダ1/17(水)

ホシダ1/21(日)

懇親会(静原荘)1/27(土)

 

 

 

ホシダ2/3(土)

ホシダ2/4(日)

ホシダ2/7(水)

醍醐から高塚山(485.2M)/音羽山(593.4M)ハイキング2/11日)

ホシダ2/12(月)

ホシダ2/17(土)

志津川2/18(日)

ホシダ2/21(水)

比良(武奈ヶ岳の最後の冬を歩く)2/25(日)

レベルテン2/28(水)

志津川3/3(土)

ホシダ3/7(水)

ホシダ3/11(日)

ホシダ3/14(水)

ホシダ3/18(日)

烏帽子岩3/20(火)

ホシダ3/24(土)

ホシダ3/25(日)

ホシダ3/28(水)

 

 

4 月

5 月

6 月

ホシダ4/1(日)

ホシダ4/4(水)

ホシダ4/7(土)

ホシダ4/8(日)

ホシダ4/11(水)

志津川4/13(金)

ホシダ4/14(土)

ホシダ4/18(水)

目俵体育館4/21(土)

沢池ハイキング(京都山の子会)4/22(日)

ホシダ4/28(土)

金比羅岩登り講習会4/29(日)

ホシダ4/30(月)

春合宿・穂高5/3〜6(木〜日)

ホシダ5/12(土)

ホシダ5/14(月)

ホシダ5/19(土)

岩登り講習会千石岩5/20(日)

 

 

 

 

 

 

 

 

御在所岳前尾根6/2〜3(土〜日)

ホシダ6/9(土)

岩登り講習会金比羅北尾根6/10(日)

烏帽子岩6/11(土)

ホシダ6/17(日)

ホシダ6/23(土)

ホシダ6/24(日)

ホシダ6/30(土)

 

 

 

 

 

7 月

8 月

9 月

無雪期救助訓練7/1(日)

針ノ木岳7/6〜8(金〜日)

北岳バットレス第4尾根7/13〜15(金〜日)写真

ホシダ7/20(金)

白山・お花とお池巡り7/23〜25(月〜水)★tyumaの白山で一句写真(花)

ホシダ7/29(日)

 

ホシダ8/1(水)

ホシダ8/3(金)

御在所・中尾根8/5(日)写真

ホシダ8/13(月)

剱岳 源治郎尾根8/16〜19(木〜日)mizuの報告★iku の感想写真

 

 

ホシダ9/1(土)

ホシダ9/2(日)

剱岳・チンネ左稜線9/5〜9(水〜日)写真

ホシダ9/16(日)

ホシダ9/19(水)

錫杖岳・3ルンゼ9/22〜24(土〜月)

烏帽子9/29(土)

 

10 月

11 月

12 月

千石岩10/3(水)

山形の山と温泉・朝日岳・鳥海山10/5〜11(金〜木)特報・写真

ホシダ10/13夜〜14(土〜日)

雪彦・地蔵岳・東陵10/20〜21(土〜日)

不動・フリー10/27(土)

 

冠山11/3(土)

ホシダ11/4(日)

金比羅・アイゼントレ11/10(土)

不動・フリー11/11(日)

ホシダ11/15(木)

金比羅・アイゼントレ11/17(土)

御在所岳・前尾根/11/18(日)

鹿島槍ヶ岳/11/22夜〜25(木〜日)

ホシダ11/26(月)

ホシダ12/1(土)

ホシダ12/2(日)

ホシダ12/6(木)

八が岳・地蔵谷アイスクライミング12/7〜11(金〜9)

ホシダ12/15(土)

ホシダ12/16(日)

ホシダ12/20(木)

ホシダ12/23(日)

ホシダ12/24(月)

ホシダ12/26(水)

ホシダで遊ぶ2001.11.15

醍醐から高塚山(485.2M)/音羽山(593.4M)
【 題名 】 醍醐から高塚山(485.2M)/音羽山(593.4M)
【 目的 】
【 期間 】 2001年2月11日(日)
【 参加 】 iku、M
【 山域 】
【 山名 】 高塚山(485.2M)/音羽山(593.4M)
【 形態 】 ハイキング
【 地図 】
【 資料 】
【 天候 】 晴天
【 装備 】 【個人装備】雨具・タオル・地図・磁石・お茶・昼食・コップ・お金・ヘッドランプ・レスキューセット・防寒具一式・ツェルト
【食料】

食料各自

【小屋費】
【集合】
【 日程 】

京阪樟葉駅(9:30)待ち合わせ→京阪六地蔵→醍醐三宝院(10:30)→上醍醐開山堂(11:45)昼食→高塚山→牛尾観音→音羽山→東海道自然歩道→京阪京津線大谷駅(3:30)→樟葉駅(5:00)

【 写真 】

 【感想】

 突然手を後ろにまわすと肩が痛い、クライミングのやり過ぎだと思い込んでいたところ、あっさり五十肩と言われてしまい、ショック。こんなに手を上げ下げしているのに、なんでや? こんな時にクライミングなんかしたらあかんと、ホシダで一緒に遊んでいるM女史に誘われてハイキングにいった。醍醐方面と最初から注文をつけられ、十年ほど前に行ったコースに行くことにした。

 醍醐は、近いこともあって、いろんなコースをいっている。一番短いのは、上醍醐までのピストン、それに上醍醐から日野(例の日野小学校のあるところだ)、岩間山(岩間寺)〜石山寺、高塚山〜牛尾観音〜京阪四宮駅、と今回のルート高塚山〜牛尾観音〜音羽山〜京阪大谷駅とバリエーションが多い。

このルートは、2つの山のピークを踏める点でもいいルートだと思う。途中少し、自動車道に出るがおおかたは山道だ。

 それに加え、観光名所である下醍醐の五重塔、上醍醐の準胝堂は西国第十一番札所であり、牛尾観音などその他にもどのルートをとっても由緒正しい寺院が点在している歴史の宝庫である。

 このてんで、一緒にいったパートナーには随分と喜んでいただいた。

 私は次の日から元の木阿弥、クライミング三昧となってしまった。もう決して、肩は痛いと言わんとこと決心した次第です。でも、たまに歩くと気持ちのいいのも事実です。この日は5時間歩き、次の日はしっかり足が筋肉痛でした。

武奈ヶ岳の最後の冬を歩く
【 題名 】 武奈ヶ岳の最後の冬を歩く
【 目的 】 脚力強化と育はプラブーツの履き初め
【 期間 】 2001年2月25日(日)
【 参加 】 iku/nakayumi
【 山域 】
【 山名 】 高塚山(485.2M)/音羽山(593.4M)
【 形態 】 ハイキング
【 地図 】
【 資料 】
【 天候 】 曇りのち雪/稜線吹雪
【 装備 】

【個人装備】雨具・タオル・カメラ・地図・磁石・お茶・昼食・コップ・お金・ヘッドランプ・アイゼン・スパッツ・ストック・レスキューセット他

【共同装備】ツェルト・ガスとヘッドコッヘル・ポリタン・テルモス・お茶セット

【食料】

食料各自

【小屋費】
【集合】
【 日程 】

京都駅7:40待ち合わせ(JR7:57)→比良8:48→イン谷口9:00→大山口→青ガレ→金糞峠→中峠→ワサビ峠→武奈ヶ岳昼食→イブルギのコバの分岐→ヤクモヶ原→北比良峠→大山口→イン谷口(バス)→京都

【 写真 】

穂高岳・涸沢春合宿
【 題名 】 穂高岳・涸沢春合宿
【 目的 】 脚力強化と育はプラブーツの履き初め
【 期間 】 2001/5/2(水)深夜〜2001/5/6(日)
【 参加 】 iM/iku/k/kuma/ao/miya
【 山域 】 穂高連峰
【 山名 】 奥穂高岳(おくほだかだけ/3190m)・北穂高岳(きたほだかだけ/ 3106m)
【 形態 】

涸沢ベース/奥穂高岳往復/北穂高岳往復/北穂高岳〜涸沢岳直下の最低コルから涸沢テン場/スノーボード(miya)

【 地図 】 昭文社・エリアマップ 山と高原地図38 25000/1上高地・槍・穂高
【 資料 】 日本の雪山登山ルート集(山と渓谷社)
【 天候 】 曇りのち雪/稜線吹雪
【 装備 】

【個人装備】雨具・タオル・カメラ・地図・磁石・お茶・昼食・コップ・お金・ヘッドランプ・アイゼン・スパッツ・ストック・レスキューセット他

【共同装備】ツェルト・ガスとヘッドコッヘル・ポリタン・テルモス・お茶セット

【食料】

食料各自

【小屋費】
【集合】
【 日程 】

1日目 5月2日(水)雨

夜23:30京都駅出発

 

2日目 5月3日(木)霙のち曇りのち晴

―名神中央道→松本→6:00沢渡(p)7:30→タクシー→8:00上高地9:00→9:50明神10:10→11:00徳沢11:10→12:00横尾12:50→14:00本谷橋14:10→16:20涸沢(泊)就寝21:15

 

3日目 5月4日(金)晴

起床5:00・アイゼン歩行練習/ビーコン練習(7:00〜9:30)涸沢10:35→13:20白出のコル13:40→14:40奥穂高岳(▲3190)15:15→16:00白出のコル16:50→18:00涸沢・就寝21:15

 

4日目 5月5日(土)晴

起床4:10涸沢6:45→南稜→9:40北穂高岳(▲3106)10:45→北穂高小屋11:45→13:10最低コル14:20→15:40涸沢・就寝21:00

 

5日目 5月6日(日)晴

起床3:00涸沢6:00→7:45横尾8:10→8:50徳沢9:00→9:40明神9:55→10:30上高地11:00バス→12:00沢渡(p)→大町→松本→京都20:30自宅21:30

 

【 写真 】

--------------------[ 山行記録 ]--------------------------------------

1〜2日目 5月2日(水)〜3日(木)

朝から雨がじとじと降っている。一日中止まない。出かける日がこんなだと憂鬱だ。食料係りということもあって荷物が多いので、くずは駅までタクシーで行くことにした。京都駅には早めに着いたが、もうすでにkumaちゃんが来ていた。中川一さんが見送ってくれた。

 11時半に京都駅出発。土岐のインターでmiyaさんをひろう。私は車中ではぐっすり眠りながら沢渡に到着した。着いた時はすでに明るくなっていた。雨は霙状態の雪にかわっていた。早速、屋根の付いている駐車場で出発の準備にとり掛かる。タクシーで上高地まで入る。食堂で朝食をとり、涸沢までの長い道のりを出発した。

 遠くに見える穂高や焼岳には雪が冠ってはいるもののいつもと変わらない上高地であり、歩き慣れた道程である。上高地のこの風景もかつては新鮮な感動をもって向かえてくれていた。しかし今は単なる歩き慣れた道にしか過ぎない。こんなことを思いながら足を運んでいると、徳沢園の手前で猿の一群に出会った。人慣れしていてシラン顔で草など食べていた。思わずカメラを向けた。いつの間にか晴れ間が見え始めほっとした。横尾まではほとんど雪のない道だ。横尾を過ぎると雪が積もりだした。

 横尾谷本谷橋に下りると、いつもの橋は雪に埋まっていた。谷も雪の下になってしまっている。ここからはひたすら谷筋の雪の登りだ。人は多い。だらだらと列は続いている。ここでひと休み。Mさんが本谷橋と勘違いしていたここは、もう少し登った所の本谷沢の出合だった。少しもうけた気分だったが甘かった。人の列は延々と続き豆粒のように小さくなりながらもまだ先の方まで続いている。嫌になってしまう。いつもながら、荷物も重い。20キロぐらいあるのだろう。しかし、足を前に運びさえすればいつかは辿り着く。一歩一歩、前進あるのみ。左右の斜面には雪崩の跡がけっこうある。

 登りはほとんど急登だ。いつまでも続き、もう飽きた、うんざりだと思ったころ後ろの女性が「あっ! 小屋が見える」といった。思わず目をこらして上を見た。確かにガスのなかから小屋らしきものが見えた。不思議なものでそのとたんまた歩く意欲らしきものが出始めて来た。ピッチを上げる。最後の急騰は、息苦しくなるほどにしんどい。テン場への登りだった。嬉しかった。真っ白の中の、色とりどりのテント。写真で見なれた光景だ。まぎれもない涸沢だった。夏とは様変わりしてしまっている、一面の雪の下だ。しかしそのぶん、空に聳える純粋な岩稜としての穂高連峰は神々しくもある。

 この日はすぐにオニューのテントを設営し潜り込む。いつもながらの夕食の準備。しばらく歓談のうちに眠りに付く。となりには娘の「八日市山の会」のテントが二張り、ひっそりとしている。月明かりと雪でヘッドランプがいらないほどの明るさだ。因に私は、夜に外でヘッドランプは使わなかった。

 

3日目 5月4日(金)

 朝から快晴。素晴らしい天気だ。真っ青の空と真っ白の雪。そのなかにチラチラと見える黒い岩肌。何と単調でスッキリとした風景なんでしょう。ここに豆粒よりも小さな人がいなかったら、この雄大なスケールも箱庭かなんかと錯覚を起こしてしまいそうだ。もう、穂高に向かって点が続いている。

 私たちは前穂高岳北尾根側の斜面、涸沢ヒュッテの裏手でアイゼンの歩行練習とビーコンの練習を行った。雪は2日に降ったのか柔らかい。よく考えたら、雪稜に入ってこんな練習をしたのは私は初めてだ。次にビーコンの練習。要領がわかるまでけっこう難しい。宝探しゲームのようだ。実際に使う時はそんなのんきなことは言っていられないのだろうが…。最初は、けっこう時間が掛かったが回を重ねるごとに要領がわかって来て早くなった。最後は2個埋めてやってみた。一個の方に集中してしまうとまずい。

 2時間程で切り上げ、10時半ごろ奥穂高岳に向かう列に加わる。テン場からすぐそこに見える白出しのコルだが、歩き始めると遠い。登りはほんの少し見えているザイテンの左側から登る。途中からザイテンを横切り右手をいく。ちょうどその横切る所で休憩していた所、アズキ沢側の上の方から人が落ちて滑って来た。滑落したようだ。さっとmiyaさんが飛んで行った。ちょうど私たちの横の辺りで停止した。上に登って滑落場所を見た所、トレースをはずれ雪庇を踏んだようだ。大事には至らなかったものの、油断大敵だ。帰りには、aoyumiちゃんも滑落してしまった。見事な停止体制を取り自力で止まった。娘のパーティーが登る時にも滑落を見たと言っていたのでたびたびあるのだろう。

 白出しのコルで少し休み、ここからスノボードで下るmiyaさんと別れ、私たちは奥穂高岳に向かった。登り口は夏のまま梯子と鎖で岩が出ていたが次第に雪になっている。右の方に滑落すると大変だ。やはり慎重を要する。一時間ばかりいくと右手に懐かしのジャンダルムが見えた。雪をまだらに冠りながらも勇々しくそこにあった。墨絵のような無彩色はなおいっそう凛として見える。梓川と横尾が下に見え、そこから聳える蝶ヶ岳や常念岳が美しい。しかしジャンダルムの方はガスが流れ視界はあまりよくない。ジャンダルムは見え隠れしていた。ジャンダルムの上に人がいるのも合間に見えた。

 さすがに頂上は風もあり寒い。30分程周りの風景を楽しみ、元来た道を下山した。穂高山荘は屋根がちょうど雪の通路と同じ高さになっていて、本来雪の下になっていると思われるのだが、掘り起こされ営業していた。その通路と小屋の間で風を避け、お湯を湧かしココアを入れた。雪を溶かすのに時間がかかったが冷えた体に染み渡った。

 

4日目 5月5日(土)

昨日に続いて快晴。6時45分北穂高岳に向かう。昨日に続き相変わらず単調な雪の登りである。食傷気味になってきた。雪道の欠点は道が単調であることと目指す所が近くに見えることだ。行けども行けども同じ風景がある。あるのは雪のみ。そして、ひたすら登るのみ。苦行を課せられた僧の心境だ。だんだん愚痴っぽくなる。そんなとき真っ青な空に突然カラフルな気球がポカリと現われた。ちょうど一瞬、心がなごむ。それもつかの間、またまた単調な登りだ。頂上直下の登りはとくに苦しい、我慢して辿り着く。パッと視界が開ける。三百六十度の大パノラマ。これですべてが帳消しにさせられてしまう。このための苦しみであったことが理解できる。素晴らしい。昨年、一昨年と滝谷を夏登りに来た。一昨年は5日間滞在中ずっと雨に祟られ、近くまでいってツェルトを冠り雨が止むのを待ったが、甲斐なく一本も登られず。昨年も雨でドーム北壁1ピッチのみで敗退。その怨念深き滝谷もよく見える。槍も遠くながらはっきりと見える。北穂高岳の頂上は山頂を表わす物は何もない、みんな雪の下だ。石ころひとつない。人は多い。どこへ行っても人人…。人だけがカラフルだ。後は、無彩色の世界。黒と白だけ。そして色といえば空の青色、それだけのはず。そして静寂。人が多いということは、それだけ緊張感もなくなる。観光地にがやがや行っているようで味わいも薄れる。その点、岩で自分一人がビレイヤーとして雄大な風景にぽつねんと置かれると、総てが自分のためにだけ存在しているという充実感を味わえる。

 けっこう長い間北穂高岳頂上にいたと思う。離れがたい風景だ。北穂高岳小屋で本格ドリップコーヒーを飲む。おいしかった。ここにもたくさんの人がいた。あとで時間を見ると9時40分に北穂高岳について11時45分に涸沢岳方面に向かって出発と記録してあった。2時間ものんびりと過ごしたことになる。

 北穂高岳を下った所にツェルトが張ってあった。Mさんが縦走コースを下見にいった。しばらく待っている間に滝谷を覗いてみた。やはり冬はなおいっそう、厳しく立ちはだかっている。アプローチさえ厳しそうだ。Mさんがもどってきた。「どうしはります」という声にkさんの「おります」が即座に帰ってきた。「岩だけどどうする」というと、aoyumiちゃんが「いきたい」といったので、kさん以外は行ってみることにして涸沢岳に向かった。

 岩の経験どころか、十二本歯アイゼン、ピッケルが初めてのaoyumiちゃんが行くことになり、少々緊張感がただよった。やはり多少は金比羅辺りで岩に馴染んでおいて欲しかったと思ったのはMさんも一緒だろう。後ろから足取りをみている方が怖い。しかし、当の本人とkumaちゃんは足取りとは裏腹に楽しそうにしている。意外と怖がらないんだなぁーというのが私の感想である。状態は岩肌が出ている部分と雪でつまっている部分が交互である。南稜との分岐でほとんどの人が涸沢に下り、涸沢岳に向かう人はいなかったが、途中で二人連れとすれ違った。すれ違いざま向こうから「きょーとのまつだ」と声が掛かり、Mさんが「ぐんま」といった。kumaチャンが、「まるで合い言葉みたいやね「やま」「かわ」といっしょや」なんて喜んでいた。その二人連れは滝谷第四尾根を登攀しての帰りだった。南稜の分岐に張ってあったツェルトとトレースはこの二人のものだった。二人のうち一人は名塚秀二さんという群馬の有名な登山家だということだ。それで、Mさんの「ぐんま」の意味が解った。とっさに名前が出なかったらしい。しばらく行ってから、Mさんは名前を思い出した。岩場にくるとMさんは足の置き場など丁寧に教えている。やはり心配そうだ。自嘲気味に「アイゼン・ピッケルが初めての人をようこんなとこにつれてくるなぁー」と何度もいっていた。

 1時間半ほどで涸沢岳が目の前に見えた、下はコルになっていて急岩稜の登りが見える。ここからも厳しい。独り青年が大きなザックを背負い、こちらに向かってやってきた。今日中に槍まで縦走するようなことをいっていた。その時すでに1時を過ぎていたから結構厳しいだろう。Mさんはここでかなり悩んでいた。リーダーとしてこのまま涸沢岳に向かうかこのままコルから下るか、しきりに悩んでいる。

 結論は無理をせずに降りようということになった。しかし、ここは穂高からの下降ルートに比べて人が降りた形跡もなく、もっと傾斜がきつく思え、私は降りるにしても不安がよぎった。

 Mさんの決断で、これでゆっくりできる。ここでお茶にすることになり雪を溶かしはじめた。ここは絶好の見晴らし台だった。天気も良く、やっとのんびりと風景を楽しむゆとりも出てきた。雪が解けるのには相変わらず時間が掛かる。30分ぐらいは掛かったと思う。その間、近くに見える奥穂高岳や北尾根をバックに写真を撮った。このコースは先ほどの青年と群馬の名塚さんたちとしか会わず。奥穂高岳や話に聞いた前穂高岳北尾根の混雑が嘘のようだ。下の方に見えるテントも点以下にしか見えない穂高岳の登山者も人という認識もなく、風景のみが視界に入ってくる。観光地のような、奥穂高岳や北穂高岳に比べてここは別天地のようだ。心から解放されて自然の中に溶け込んで行く。やっぱり、こうでなくっちゃ。雪の中に混じっていた乾燥草入りの温かくて甘いココアに舌鼓をうった。

 離れがたい気持ちに打ち勝って最低コルより涸沢寄りに下降を始めた。一歩一歩Mさんに続く。先にルートを作ってもらって安心して降りる。途中、深い穴があいていた。Mさんにクレバスだと説明を受ける。このクレバスなら落ちてもそれ程心配はないだろうなぁーと思いつつもかなり避けてとおる。途中かなり急なところもあり、後ろ向けに降りた。昨日の滑落もあるのでより慎重である。かなり下に降りると傾斜も大分緩くなり、気分的にも楽になった。滑りながら足を進める。一緒に来たmiyaさんはスノーボードで白出しのコルから滑っておりたが10分だったそうだ。登るのに2時間40分かかって降りるのにたった10分とは何ともったいないことだと思う反面、スキーやスノーボードでさっそうと降りられたら気持ちいいだろうなぁー、とも思う。下山中もスノーボードを担いで登るパーティーを見かけたが、スキーで滑っている人は見かけなかった。

 テント場に着くと、隣の「八日市山の会」のテント前にいた人が中に声を掛けてくれて、テントから娘が出てきた。奥穂高岳から帰っていた。真っ黒に雪焼けしていた。北穂高岳から北穂高沢を先に降りて帰っていたkさんもテントから声を掛けてくれた。紅茶を沸かしてくれていた。aoyumiちゃんも熊ちゃんも顔が満足げにtいて見えた気がしたのは、岩稜縦走を少し体験できたせいかな、と思うのは気のせいでしょうか。

 いよいよ、最後の夜となった最後の晩さんはワイン付きで豪華だった。食事は毎回豪華だったが、豪華にするほど軽量化には遠くなる。この矛盾を何とか解決したい、と思いつつも食料当番になるとつい食欲に負けてしまう弱い私なんです。今回はカレーと豚汁をぺミカンにした。ぺミカンにすると生よりも重さは二分の一以下になる。それでいて豪華さは保てる。しかし、Mさんからは露骨な批判はされていないが、ひとこと言いたげであった。行く前は、豪華な食事を期待されて私は食料当番に任命されたと思うのだが。これからの課題として「豪華な食事での軽量化」を追究していきたいと思っている。それぞれ、今回の合宿山行の感想などおしゃべりし最後のひとときを過ごした。

 

5日目 5月6日(日)

 ゴールデンウイーク最終日で帰りの混雑を予想して3時に起きた。順調にテント撤収も

終え6時前に涸沢から下山を始めた。

 本谷橋まで踏み跡だらけのでこぼこの雪道をいく。穴だらけだと歩きにくい。途中で足の親指が痛くなってきた。本谷橋の少し手前で見ると血豆になっていた。テーピングをしてまた歩き出したが、痛みは増してくる。嫌な予感がする。本谷橋からも横尾谷をいく。途中からは登山道に入ると屏風岩が右手に聳え立つ。足がますます痛む。アイゼンはここで外した。横尾でひと休み。あちこちに出来た水膨れに、テープを巻き付ける。ここからは、さすがの私も寡黙な人に変わってしまった。黙々と俯いて上高地まで必死に歩いたが、明神から徐々に遅れてしまった。

 バスで沢渡駐車場までいき、沢渡の近くにある上高地ホテルの温泉にはいった。前に来た時にはその左隣の沢渡温泉に入ったが、そこはお湯がぬるく洗い場にもちょろちょろしかお湯が出なくて二度とごめん、と思っていたが、横にある上高地ホテルはまあまあよかった。

 このホテルの食堂に入ったがメニューの価格がみんなのお気に召さずコーヒーのみにして、2年前の合宿での報告にあった、酔っ払いおじいちゃんのいる「赤松」という蕎麦屋で昼食を取ることになった。この蕎麦屋は新島々を少しいったところにある、農家と兼業といった店構えだ。入ると噂のおじいちゃんは、厨房で真面目に蕎麦を湯がいていた。注目していたが2年の間に改心したのか噂とは打って変わって、真面目に働く普通のおじいちゃんだった。蕎麦の味はとても美味しい。ざる蕎麦についてくる蕎麦つゆも、ざるを頼んでいない人みんなが十分満足できるほど沢山あったのもうれしい。たぶん今度前を通っても入りたくなるだろう。

 これで、思い残すこともなく帰路についた。miyaさんとボードを土岐で下ろし、京都に向かった。予想に反して高速はすいていた。行く時と同じく私は曝睡のまま京都に帰ってきた。

 今回の収穫は、岩稜縦走コースをいった、aoyumiちゃんが岩に目覚めたことだ。早速先日の千石岩に参加して頑張って登っていた。これからの活躍に注目。熊ちゃんはお正月に奥穂高岳に登られなかったが今回いけて、おまけの岩稜縦走コース付ととますますの自信に繋がったことでしょう。

 そして私は、合宿といえばいつも逃げ腰になってしまうが、今回参加して雪景色の涸沢を初めて見られてとても嬉しかった。昨年の夏に登った前穂高岳の北尾根も、雪を冠った美しい姿が見られた。今度こそは登るから待っててね。とはいえやっぱり涸沢までの登りはしんどい。そしてあの人人…。これは何とかならないかなぁー。そうだゴールデンウイークをさければいいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

北アルプス後立山連峰 《 針ノ木岳 》

【 題 名 】 北アルプス後立山連峰 《 針ノ木岳 》

【目 的】夏山事始め山行

【 期 間 】 2001年7月6日(金)〜 7月8日(日)

【 参 加 】L kakum(計画書・作成)

SL nakayumi

      装備 iku

      装備 tk 

      食糧 k 

      食糧 ao

      医療 nkh 

      気象 M 

 

【 山域 】 北アルプス

【 山名 】 針ノ木岳(はりのきだけ/2820m)

【 形態 】 扇沢から大沢小屋にベース。針ノ木岳ピストン 

【 地図 】昭文社エアリアマップ『鹿島槍・黒部湖』1/25000地形図『黒部湖』

 

【 資料 】

【日程/コース】(iku記録)

7/6(金) JR京都駅11:00集合11:50出発 ⇒ (Mケ号,k号)⇒ 

    ⇒ 扇沢P(仮眠)

7/7(土) 3:00駒ヶ岳3:30⇒5:35M号着扇沢(標高1433m)6:25⇒(コースタイム1H30M)→ 7:30大沢小屋(1670m)8:15(コースタイム3H30M)→10:45(11:15) 針ノ木峠(2536m)11:30(コースタイム1H00M)→ 12:20針ノ木岳(2820.9)13:20(コースタイム30M)→ 針ノ木峠 2H00M→ 14:00針ノ木峠(2536m)14:15→15:45休憩・アイゼンはずす→16:35大沢小屋〈 コースタイム計:8時間30分 〉就寝21:00

7/8(日) 気性:30大沢小屋 8:30(コースタイム1H00M)→8:50湧き水9:15→9:30扇沢10:00 〈 コースタイム計:1時間 〉⇒ 7:00帰京

【天 候】晴れ

【費 用】一人11200円

【食 料】(k・ao)

7/7(土)夕食:ウナギ丼(ウナギ・α米)・昆布巻き・野菜炊き合わせ・みそ汁・漬け物

7/8(日)朝食:丸干し・煮豆・みそ汁・漬け物・ふりかけ・α米

【装 備】(tk作成・iku口出し)

【感 想】

 プレ夏山合宿は日程的にも短いため、なかなか山域が決まらなかった。最後は鹿島槍か針ノ木かというところまで絞れてきて、参加人数もふえてきた。だいぶ前に山渓の募集広告(5月号)を見て電話したという自称大沢小屋のおやじに「針ノ木」の宣伝を聞かされて潜在的に私の単純な頭にインプットされてしまっていたのか、私の意識は針ノ木に傾いていった。それに1998年に剱から縦走して五色ヶ原から黒部に下ったときに、黒部湖の向かいに目の前に聳えていた針ノ木をみてその時いつかは登りたいなぁーと思っていた。何となく、誰の反対もなく針ノ木の方にみんなの意識はいつのまにか傾いていった。

 今回は、若い人中心に計画を進めてもらうことになり、リーダーにたちゃん、サブリーダーnakayumiちゃんに決まり、お任せらくちん雪稜ツアーに乗っかったようなものだ。ただ、梅雨時なので天気だけは週間天気予報を絶えず見ていた。週間天気予報では、梅雨前線停滞のため7日の土曜日は雨、8日の日曜日は曇とずっと出ていた。私は、中止の可能性が大と勝手に決め込んで、用意は全くしていなかった(ごめんなさい)。6日金曜日も朝からパソコンに向かい、時々は週間天気予報にアクセスしたり、長野気象台に電話したりしていて、こりゃ駄目だわ、と勝手に納得していた。2時頃に会社を早退していたにたちゃんに電話連絡したところ、中止にしようという話だった。私も納得してそのままパソコンに集中してしまっていた。

 そこへ、山梨在住のsさんの「週末晴れますよ。こちら晴れてきました」というメール。あわてて、インターネットを天気予報に繋ぐと、な、な、なんと晴れマークではないか、こりゃ大変とすぐににたちゃんに「晴れるみたいよ!」と電話を入れると「いきます」ということ。慌てたのなんのって。すでに時間は7時前だった。あとで分かったのだが、みんなはいく気満々だったらしい。

京都駅に11時待ち合わせである。食料の買い物もある、用意もこれから、ご飯も食べて、お風呂に入り、なんて思っているところに追い打ちの夫の迎えに来てコール。しかし、そこは適当な性格が幸いして何とか準備は整って、京都駅に向かった。

 京都駅には、仕事で遅くなると行っていたもうMさんとnkhさんがまだだったが、残りは揃っていた。河原さんが見送りに来てくださっていた。しばらくして、Mさんの車は入ってきた。そこへnkhさんが今仕事が終わって帰ってきたところ、という電話。このまま出てnkhさんをひろうことにし手京都駅を出発した。

扇沢に5時半着。扇沢の駐車場は、無料と有料があるもちろん無料に止める。後で、大沢小屋のおやじにきくと、町営は無料だということである。早速用意をして6時半頃、大沢小屋に向かう。1時間ほどで、小屋に着くと、大声で、小屋のおやじが出迎えてくれた。このおやじが家に電話をかけてきた、主だった。「おめーら、本気でくるとは思わなかったなー」という第一声。これからの口の悪さは並ではない。「おめーら、おめーら…」で続く毒舌。しかし不思議に嫌味はない。詳しい情報を教えてくれた。結構毎年滑落が何人かでて、けが人がでること。紅殻でルートに印がしてあるから、そちらの傾斜がゆるいからそちらから行くこと。もう少ししたら、コマクサが山一面咲いて小屋から見ても山がピンク色に染まると言うこと(ほんとかな?)などである。山がピンクに染まるのならぜひとも見てみたい。

大沢後や小屋でテントを張り、ザックも軽くなりいよいよ8時15分頂上に向けて出発。途中で、ニッコウキスゲ、タニウツギ、シラネアオイ、ショウジョウバカマ、イワカガミ、キヌガサソウ、シナノキンバイなど高山植物が出迎えてくれる。針ノ木峠では、チングルマ、針ノ木の頂上では、tkちゃんの奥様がお好きだという、ミヤマオダマキが清楚に咲いていた。

大沢小屋から40分ほど行って雪渓に入る。ここでアイゼンを装着。登りはじめると結構急だ。雪渓には大小の石がころげている。滑落したら危ないだろう。登りは滑落の心配はない。ただ急なのでけっこうしんどい。5月の春合宿の涸沢の登りを思い出した。私はマイペースで、50歩登って一呼吸を繰り返していた。

途中で沢のおいしい水が飲め疲れをいやしてくれる。

針ノ木峠近くは特に急勾配になっている。紅殻でルートのしるしをつけあり、そこをたどる。大沢小屋のおやじが言うのには、「紅殻のルートを歩くんだよといってやってんのに、何を勘違いしてやんのか右の方に行く馬鹿がいて毎年何人かがおちやーがる。紅殻は危ないからとおるなよと言ったと勝手に勘違いして解釈するやつがいるんだよな」(本人の口調のママ)、登山者は必ずここに寄って、おやじの毒舌ルート説明を聞いていった方がよさそうだ。しかし、このおやじも今年で最後だという。最近は小屋にはアルバイトばかりでやまを知っている者がいなくなってきたと、おやじも嘆いていた。私も、そう思う。こんなおやじがいたらまたここに登りに(会いに)来ようと思うのに…。話は戻るが、やはりルートをそれるとかなりな急勾配で毎年事故があるそうだ。笑い話ではなさそうだ。

針ノ木峠まで、ゆっくり歩いていたつもりだったが、コースタイムよりは1時間も早く以外な感じだ。

ここで私は2-3箇所ブヨに刺された。目の上を一カ所指されたため、帰ってからも瞼が腫れてお岩さん状態だった。ここで、tkちゃんは特性ミルク金時を作ってくれた。作り方は、雪にコンデンスミルク、それに甘納豆を入れてかきまぜる。疲れた所にこの甘さは五臓六腑に染み渡る。おいしかった。

そこから、いよいよ核心の針ノ木への登りである。1時間ほどであるが、ほんとにしんどい。途中雪渓を渡るところがあるが、スコップで足がかりを作っておいてくれてあるので問題なくわたれる。登山道はガレガレだ。途中で雷鳥に出くわす。ラッキー。おやじの話だと朝のうちしか見れないと言っていたが、子供までいて大サービスだ。

 頂上は貸し切り状態である。文字通り大パノラマ鹿島、爺、剱、槍まで見える。下には黒部が黄緑色に小さく見える。ここで、またまたtkちゃん登場。今度は美味しいドリップコーヒーだ。なんという贅沢。京都駅でtkちゃんのザックを持った私は、「なんでこんなに重いんや」といっていたがやっと納得。いっぺんに「ありがたやー」と感謝の気持ちでいっぱいになった。

一時間ほどのんびりと過ごしたが、まだまだ堪能しきれない。リーダーのそろそろ、というのを無視してずるずる引き延ばす。しかし、名残はつかぬとも下山をしなくてはならない。

やはり、下山の雪渓の下りは恐い。下りはじめたが、特に最初が急勾配である。アイゼンが4本歯が三人いた。けんちゃんが先頭を下りはじめたが、夏道が左に出ていたので取り敢えずそこを下ろうという指示を出した。しかし、夏道もかなりのガレガレだ。慎重に下りはじめる。さすが10本歯のkさんと8本歯の私はしっかり雪面に食い込む。思ったよりも雪は柔らかく水分も含んでいたので傾斜の割には滑らないなぁーと言うのが私の印象だ。ルートを吟味しながらの下りとなった。4本歯の軽アイゼンはスプーンカットになっていたら全く刺さらず駄目だ、とけんちゃんがミーティングで言っていたのだが、3人は軽アイゼンだった。

先に下りた、私とkさんとtkちゃんは行くときにアイゼンを付けた場所で待っていた。じっとしているとさすがに寒く、フリースを出した。

小屋につくとおやじが待ち受けていて、話を聞きたがる、いや自分が話したがる。後は夕食も外のテーブルを提供してくれてまるで仲間同然だ。早速ビールで乾杯。おいしい夕食に舌鼓を打つ。話も弾む。特におやじの声が高らかに響く。しかしまったくあんなに毒舌家なのにいやみにのない人だ。誰かとしゃべりっぷりや

雰囲気がにているなと思ったら、立川団志(字は合ってますか?)でした。

私は、前夜あまり寝ていないのと一缶のビールでやたら眠くなり座ったままで居眠り。横を向くと哲ちゃんだ。哲ちゃんはこらえきれずに先に寝にテントに帰ってしまった。次に私も我慢が出来ず、テントに潜り込みそのまま爆睡となった。

朝は、小鳥の声に起こされた。素晴らしい目覚め、しかしもう帰らなくてはならない。

朝食に取りかかる、ご飯もアルファー米だというのに美味しい。

小屋のおやじに頼まれて朝食後にみんなで屋根に登り布団干し、そして屋根の上で全員の記念写真を撮ってもらう。後は、風呂に入って帰るのみだと思うと心残りだ。下山途中に「湧き水」があるということをおやじに聞いた。小屋の水よりも美味しいというので、おやじもわざわざ汲みに行くそうだ。帰りにハありったけのポリタンに汲んで持ち帰った。。小さく見える針ノ木に別れを告げる。雪渓を登る人もかすかに見えた。

駐車場近くで一握りの蕗を摘んでもって帰り、早速煮て食べたところ家族にも好評だった。

そして、持ち帰った「湧き水」は帰ってからコーヒをこの水で入れ、針ノ木の頂上の余韻も共に味わっている。

 

北岳バットレス第四尾根 主稜

【 題名 】 北岳バットレス第四尾根 主稜

【 期間 】 2001/07/13(金)晩〜2001/07/15(日)

【 参加 】kocyan・iku(記録)and t・naritama

【 山域 】 南アルプス

【 山名 】 北岳(きただけ/3192m)

【 形態 】 クライミング

【 地図 】

【 資料 】 白山書房/日本の岩場・山と渓谷社/日本のクラシックルート(アルパインクライミングルート集

 

--------------------[ コースタイム ]--------------------

◆7月13日(金)

自宅20:45マkocyan21:30マ

◆7月14日(土)晴頂上付近ガス

3:15広河原・仮眠5:30naritama合流6:30出発→9:30白根御池小屋・就寝6:10

◆ 7月15日(日)晴頂上付近ガス

2:00 起床・出発3:20→3:45二股4:00→4:50水場5:00→5:35下部岩壁dガリー大滝(3p)6:30→8:00トラバース(1p)8:30→クラック(1p)→右に回り込む(3p)→10:50第四尾根取り付き11:30→14:30終了15:20→北岳頂上15:45→北岳肩の小屋16:40→17:40白根御池小屋18:50→21:00広河原21:30→

◆7月16日(月)

kocyan帰宅3:45→t/iku帰宅4:30

 

(写真は思いでの写真のコーナーに掲載)

 

--------------------[ 山行記録 ]--------------------

山を歩きはじめて間もない1992年の夏に、北岳から間ノ岳、農鳥岳、奈良田温泉へと白峰三山を夫と二人で縦走した。その時の印象は、岳樺の白と緑のコントラストが美しく高山植物が沢山あり綺麗な山だなと思っていた。穂高のごつごつした岩肌に比べ、緑に包まれた優しい山というイメージだった。そのころは岩登りなんて全く別世界のことで、北岳に岩場がありそこでクライミングというものが行われていることなど夢にも見ることもなく、またクライミングは卓越した者のみの世界であるというような認識もあり、私には縁もゆかりもないものであった。年月の流れは、いろんな認識をも変えてしまう。そしてこれからも、自分の偏狭な認識は次から次へと打ち砕かれ、自分の可能性に自分で驚きながらも新たな挑戦へと向かっていくことだろう。可能性とは、一歩前へ足を踏み出すことに過ぎないのかも知れない。

印象の美しかった北岳でクライミングをしてみたいとおもぃだしたのは数年前のことだ。昨年も計画はあったが天気が悪いと言うことで、せっかくのチャンスが急遽南の小豆島でのクライミングとなってしまい北岳バットレスは流れてしまった。ますます北岳バットレスへの熱い思いは募るばかりだった。今回のお誘いは私にしては渡りに船だった。おまけにkocyanという初めての本チャンの女性パートナーまで巡り会え、こんなに嬉しいことはない(娘とは何回かパートナーを組んでいるが)。

最初の予定は6月の22〜24日だった。梅雨真っ只中予想通り雨のためまた流れてしまった。よほど縁がないんだなぁー、とその時は思っていた。今年は梅雨明けも早く(東京は確か9日)予定の7月13日はもう関西も梅雨明けしたようだった。

13日夜出発。途中kocyanを拾い、こちらからは三人。naritamaさんとは広河原で待ち合わせた。交代で運転をしたのだが、私は車ではほんとによく寝られる。運転していないときはほとんど寝ていた。広河原についてからも車の中で仮眠をとる。14日の5時半naritamaさんに起こされるまで熟睡。kocyanはtさんの鼾で寝られなかったらしい。久しぶりのnaritamaさんは、変わりなかった。足もとの荷物には、ザックの横に桃が1ケース、それにビール6缶が置いてある。naritamaさんが荷揚げしてくれる。相変わらず頼もしい。naritamaさんは4時半ごろからそこに座って待っていてくれたらしい。なんと優しいんだろう。

白根御池小屋までは、けっこう時間が掛かった。荷物を持っての登りはきつい。テン場で早速テントを張り、これからどうしようかということになった。この日登るにしては時間が半端であるのと、頂上付近はガスが出ていて視界は望めないということもあり登攀は明日に賭けることになった。tさんとnaritamaさんは取り敢えず取り付きの偵察にでかけるということになった。私とkocyanは明日の登攀への体力温存のためにも残ることにした。しばらくお喋りをしていたが、そのまま二人とも眠ってしまった。

4時前ごろ偵察隊は帰宅。早かったが明日のことを考えて食事の用意に取りかかる。ビールで乾杯し、後はワインに焼酎と続く。雪で冷やしてもらった、美味しい桃も頂く。地上でもこんなにたらふく高価な桃を食べることはないのになぁーと感激してしまった。明日は2時起床の予定ということもあり6時過ぎにはもう眠りについた。

 

2時、kocyanのアラームで目が覚める。ヘッドランプの明かりで急いで朝食の準備に取りかかる。気持ちはもう、登攀の方にいってしまっている。慌ただしくラーメンをすすり、出発の準備に取りかかる。ヘッドランプの明かりで出発した。二股からは雪渓に入る。雪渓は、フリクションの効いていない私の靴ではどうしてもへっぴり腰になる。しばらく雪渓をいくとまた右の方に踏み後がでていてそこを登る。この登りで、空が赤くなって行くのが見え、群青色の山の上の空がオレンジ色を増す度に空が明るくなり美しい。

途中で、水飲み場があり美味しい水に一息入れた。そこから上を見上げるとバットレスの下部岩壁が見えてもうすぐだと思いきや、そこからまだひとしきりの登りがあった。やがて、下部岩壁が目の前に立ちはだかる。上の方はその後になるのか見えない。ここからはこれから目指す第四尾根は視界には入らない。見えるのはピラミッドフェイスの三角の岩だ。それと下部の十字クラックが明らかに十字に裂けていてよくわかる。その横のピラミッドフェイスの取り付きらしきところには、男女の2名がもうすでに取り付いていた。そこでハーネスを装着した。dガリーの取り付きはピラミッドフェイスの取り付きを通り越したところである。もう少し進むと第五尾根主稜だ。第五尾根主稜からはt・naritama組みが取り付こうとしている。私たちは進みすぎていたので、もう一度もどりdガリーの取り付きを探した。ピンは2カ所のルートを示していた。向かって左は少し簡単そうだが、右の方は出だしがいやらしい。しかし、そこからkocyanが最初のリードで行くことになった。2p目は私がリードをし、以後ほぼつるべで登る。私がリードの途中左の方で「ikuさ〜ん」と呼ぶ声が聞こえそちらを向くと5尾根でビレーしているnaritamaさんがカメラを向けている。(このコーナーの写真はこのときのもの)2p目でdガリーを終了したものとおもいきや、まだ上の方の大きなハングの下と、そのもう少し下の方に右にトラバースできそうなところが見える。トポで見ると大きなハングの下をトラバースの点線が書いてありそこから、もう1p40メートルほど今度はkocyanがザイルを上に延ばした。

すでに前を行くt・成パーティーはトラバースを始めていた。私は、セカンドでその3p目をいったがここもザイルなしでは不安だったと思う。次の4p目のトラバースを、今度は私が行く。最初はしっかりした踏み後があり不安無く進むとピラミッドフェイスの何P目かの終了点があった。そこにランニングビレーを取り先に進むと、今度は足場のないフェイスに出た。以外とフリクションが効いたのと、上の方に手のホールドが引っかかりそこをトラバースした。そこでは、t・成パーティーが何やらムシャムシャ食べていた。ビレー点を開けてくれていたのでそこで終了点をセットしてkocyanを迎えた。そのまま行ってと言うことだったが、私たちも腹ごしらえをしたくなり先に行ってもらう。ここは、小さなテラスになっていて上にまたボルトが打ってある。t・成パーティーが先行している間に休憩を取り、しゃべっていたら私たちの後に下から登ってきた男性二人組みがいた。私たちがいるのを見て、そのまま右からザイルなしで登っていった。今から思えばそこがbガリーからの正式ルートだったのだ。t・成パーティーが行き、そしてkocyanがリードしたこの5p目のクラックはルートからはそれていたようだ。セカンドの私はkocyanがセットしていった、フレンズがはずれず手こずってしまった。細いクラックに入り込んで指は入るが曲がらず全く抜けない。力任せに引っこ抜こうとしたがびくともしない。困り果てて、今度は左手に変え指の関節を壁の隙間に擦りつけ痛いのをこらえて曲げてみると少し動いた、ここぞとばかり一気に力を入れて抜いた。「とれたー」という声にkocyanもホッとしたようだ。このピッチは私ガ

セカンドだったがリードだとけっこう難しそうに思えた。さっきのテラスは四尾根の取り付きでもなさそうだし、今のピッチはトポも見あたらず、果たして何級なのかは見当もつかないのだが「+以上はあったと思う。

私が登っていくと、先行していたt・成パーティーはもう左にトラバースしていって次のピッチをセカンドのtさんがけっこう厳しそうに登っている。何んだか変だなと思う。私が左に今度はリードしたのだが、戻り右に何かルートがないのか見に行こうと言うことになった。kocyanが先に右にいくと「踏み後があるという」こっちだ、ということになり私も次に進む。苔のついた大きな岩が木の間にあった。そこをkocyanがのぼる。6p目となる。またざらざらとした岩がある。ここが四尾根の取り付き?、否違う。などといいながら今度は私が登り始める。7p目。ここは簡単だ。「金比羅のYケンみたいやね」といいながら私は行く。と今度は男性三人パーティーが下でkocyanと話している。bガリーから来たらしい。やっぱり、bガリーからが楽なんだ。そこでkocyanが登ってきて次ぎの8p目を行こうとしたが。前の直登は結構きつそうと思いきやkocyanは右から回る。回りきったところでピッチを切った。ここでビレーしているときに、待ちきれなくなった後の三人組が右側を真っ直ぐに登り始め、けっこう長くザイルが延びている。私はそのザイルをくぐり左にいく。そこからはリッジで9p目にあたりここは私がリードした。ガスの中で全く下は見えない。

しばらく行くと突然大きなテラスに出た。前の壁で先行した男性三人組みが終了点を作っていた。やっと第四尾根の取り付きだ。もう昼前になっていた。ここまでたどり着くのに一苦労だ。ザイルを引っ張って右にもう一組ボルトがあいていたので私はそこに終了点をつくった。そして、kocyanをあげている間にnaritamaさんが左から登ってきたではないか。「おや、まー、お久しぶり」「ここが第四尾根の取り付きよ」などと話していると、ビックリしていた。ここで、めでたく全員集合となった。t・成パーティーはピラミッドフェイスに寄り道していたようだ。あと2pでピラミッドフェイスの終了となったらしい。

ここで、先行パーティーを少し待って、私たちが先で次がt・成パーティーでいよいよ第四尾根の登攀の始まりだ。t・成りパーティーはここが四尾根の取り付きだと知って「狐につままれたようだ」といっていた。t・成パーティーは分かれた後ピラミッドフェイス(6p目〜8p目)に入り込み、残り2pを残すところで右にトラバースし四尾根の取り付きに出たらしい。

ここで、先行が行くまで写真を撮ったり、お喋りをして過ごし、kocyanが1p目のクラックを最初に登る。ここも出だしのクラックが少しいやらしい。しかし全体としては今までに取り付きに来るまでより簡単に思えた。

ここからもつるべで、2p目のフェイスは私がリード。ここは快適なフェイスで途中左にピラミッドフェイスの終了があり、3-4人の人がいた。1パーティーは第四尾根を先行していた三人組のフォローで、もう一組の男女はdガリーで私たちが下部岩壁を目指して登っていったときにすでにピラミッドフェイスの下部に取り付いていた人たちだ。私はそのひとかたまりの人を避け、もう少し右に巻いた上で終了点をとった。左脇をピラミッドフェイスにいた人が次々に通り過ぎていった。

3p目は下から登ってきたkocyanがそのままいった。そこへ、naritamaさんが登ってきて横でピッチをきる。この後も、t・成チームは私たちの後を登ってきていた。

つぎの4p目は私の番で、快適なリッジを馬乗り状態で進む。足場もしっかりあり不安はない。そして、核心の」級の垂壁の下でピッチを切る。ここは思っていたより小規模でボルトも細かくついていて「なぁ〜んだ」という感じだが上の方はつるつるだ。上の方は無理をせず右に回り込んだところ、ちょっと素っ気ない感じもした。

少し行くとマッチ箱である。ここを懸垂で下降。下にはピラミッドフェイスの先行パーティーがいた。ここは狭いコルなのでやっと二人たっている場所があるだけだ。かつてはタタミ2畳ほどのスペースがあったのが1981年に大崩壊があり消失したということだ。

次の6p目は私がリード。右のクラックをいきそのまま左に移りフェイス状を少し登り先行隊をさけて手前のバンドで終了点をとる。あと1pで終わりだと思うと何となくもの足りないのは、取り付きまでの方がアクティブだったからだろうか。最後の7p目はkocyanの番である。リッジ状を行くのがピレー点からよく見える。ザイルの流れが悪いのか、盛んに引っ張っている。「ザイル出してるよ」といっても「流れへん」という返事。そこからもまだ左に大きくカーブを描くので、kocyanは「もうちょっとやと思うんやけど…」といいながらそこでピッチを切った。そこからも、kocyanに行ってもらうと、本当にすぐにkocyanの奇声「え〜、こんなとこにでるんや〜」。その声で下にいた私にも終了したことが理解出来た。

私が登るとニコニコしてkocyanが待っていた。kocyanの後には大きなクラックが走っている。下を覗くと左の方に大きなDガリー奥壁のチムニーが下に見える。kocyanは前にこのルートを登り、チムニーに手を焼いたと行っていた。覗いてみてもかなり幅のありそうなチムニーだ。終了してみれば第四尾根自体は本当に初級ルートということで登りやすいルートだった。今回はガスのために視界が無かったのはほんとうに残念だった。結局第四尾根のみでは2時間45分ほどだった。

そのまましばららく登ると少し広いところがあり、そこで窮屈な足を解放し、腹ごしらえをしているとt・成パーティーがやってきた。みんなで堅い握手を交わし、しばらく写真など撮り、私たちは一足早く北岳に向かった。疲れた足に登りはきつい。重い足をやっとの思いで一歩一歩上げゆっくりと進む。この登りは、高山植物の宝庫だった。疲れた体を和ましてくれる。ここにはあまり人が来ないので、こんなにも沢山の花が咲き乱れているのだろう。

懐かしの(十年ぶり)北岳の頂上である。今回はバットレスからの頂上に感慨も一汐である。やっぱり、魅力のある山である。しばらく頂上にいた人と歓談し、時間も迫ってきているのでそこそこに下山した。

肩の小屋は、宿泊客で賑わっていた。ここで泊まれればどんなに楽だろう、と心の中で思いながら休憩もそこそこに下山する。

naritamaさんのスピードは凄まじく速い。白根御池小屋のテン場まで40分ぐらいで下りたらしい。テントを撤収して待っていてくれた。なのに疲れていたためにか、みんなの行動が遅くなり19時の出発となってしまった。出発し始めた頃は、まだ明るかったのだが途中からはヘッドランプでの下山となった。途中の休憩にみんなでヘッドランプを消すと、ほんとうの闇夜だった。道も不安だったが先頭のnaritamaさんのヘッドランプが離れていてもあったのと、ところどころに道標があり不安はあまり無かったが、時間的にはかなり長く感じ、降りても降りてもたどり着かないと行った感じだ。先にいったnaritamaさんの「小屋があった」という声に心底ホッとした。舗装道路に出てからも駐車場まで長く感じられた。車を見つけて「やっと終了した」という気持ちが湧いてきた。

駐車場のテラスでランタンの明かりで若者が二人いた。バットレスに向かった、友人がまだ帰らないと言う。心配しているようすである。取り敢えず着替えなどしていると、ヘッドランプの明かりが見えた。その人も帰ってきたようだ。無事であったことを喜んで、我々は急いで帰路についた。naritamaさんの車とはしばらく一緒だったが途中で別れた。別れた後、途中でラーメンで腹ごしらえをし、それからは家につくまで交代で運転をしたのだが、みんな運転をしていないときは爆睡である。私も途中で運転を代わったが、高速では睡魔との戦いであった。高速道路でスピードがだんだん遅くなり我に返ると言うこともあった。恐いことである。ひょっとしたら、ここが一番の核心であったのかもしれない。最後に車で帰ることを考えてももっとゆとりある計画にしなければならなかった。

 

 

白山・お花とお池めぐり

白山のお花・写真参照

【 題名 】 白山・お花とお池めぐり

【 期間 】 2001/07/23(月)〜2001/07/25(水)

【 参加 】iku(記録)/tyuma/naka/take/mizu

【 山域 】 白山

【 山名 】 御前峰(ごぜんがみね/2702m)

【 形態 】 ハイキング

【 地図 】 昭文社・エリアマップ 山と高原地図45 白山

【 資料 】

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--------------------[ コースタイム ]--------------------

7/23A  晴れ ガス にわか雨(小雨) 早朝出発3:30→nakaさん拾う3:45→tyumaさんを拾う4:05→tkさんを拾う4:45→名神瀬田5:00→北陸自動車道/米原5:35→福井北6:30→観光トイレ7:10→市ノ瀬8:00→8;15別当出合9:00→10:10中飯場10:30→別当覗き11:40→13:00甚之助小屋13:30→14:00南竜道との分岐→15:22延命水→15:50黒ボコ岩16:00→弥陀ヶ原→室堂17:00・食事17:30・泊就寝20:00

7/24B 早朝ガス 晴れ 起床3:30・出発4:10→5:12御前峰(2702m)5:30→6:30室堂・食事8:50出発→10:10千蛇ヶ池10;45→11:30紺屋池12:30→千蛇ヶ池13:30→室堂15:00・自然観察会・16:30食事・就寝19:00

7/25C 晴れ 起床4:00・出発4:30エコーライン→エコーラインと南竜分岐6:30→黒ボコ岩方面との分岐6:50→7:15甚之助小屋・朝食8:35→別当覗き9:50→10:45中飯場11:10→12:20別当出合12:40→12:50白山温泉14:30→昼食ポコ・ア・ポコ15:00→tk→tyuma→naka→帰宅20:30

 

--------------------[ 山行記録 ]--------------------

まずは、今回の主役tyumaさんを紹介しなくてはならない。tyumaさんは1925年(大正14年)生まれ76歳の女性で、これだけならどうと言うことはないのだがtyumaさんは全盲だ。私とのなれそめは、私がやっている朗読グループの活動を通じてだった。お話しする前から有名な方で、噂ではいろいろ聞いていた。それはホノルルマラソンを退職されてから、68歳と70歳の2回完走したことや、なみはや国体の聖火リレーを間寛平氏の伴走で走り、朝日新聞のトップを飾ったこと(この新聞は私も切り抜いて同世代の母に見せた)。また今なお一週間に3回、10キロほど走っているということ…。そしてハンディを背負いながらも妻であり母でありながら定年の1984年(昭和59年)まで勤務。いやまだある。その後の数年間も嘱託として勤務。それだけでも凄い人だと私は恐れ入っていた。

しかし、お会いしてみると何とも気さくなどこにでもいる(失礼)おばさんというイメージ。間違ってもおばあさんには見えません。それはtyumaさんの気負ない謙虚な人柄にあることがお話ししてすぐに理解できた。お話しているうちに、「前に富士山に登ったが凄い雨で降りてきて恐い思いをした」と話され、「えっ、山に登られるんですか」ということで話が山のことになり盛り上がった。そのとき「山に行きたいんだけれども、連れていってくれる人がいなくてねぇー」とおっしゃり、「じゃー、今度私でよければ一緒にいきましょう」ということになった。それがはっきりしないが2000年の秋ごろだったと思う。

それから一緒に行くのだったらお花がいっぱいで風景も緑も美しい、そして比較的家から近い(3時間ほど)ので白山だなぁーと思い、「白山に行きますか」と聞いてみたらすぐに「私でもいけるんだったら行きたいです」という返事。これで私のお尻にも火がついた。

その後、雑誌「岳人」の2001年3月号を見たら特集2として『やっぱり山は楽しい』──バリアフリー登山とサポート──として、障害を持つ人と健常者の山岳会が写真入りで紹介されていた。たまたま私は京都の山岳会に入っていることもあり、京都の「京都山の子会」という視覚障害者と健常者の山の会に目が止まった。その記事を見たときに、即座に頭の中にはtyumaさんのことが意識にあった。早速京都山の子会に連絡してみると例会の案内をFAXで送ってくださり、4月例会の京都北山広沢の池のハイキングをtyumaさんにお知らせしたところ、すぐに「行きたい」とおっしゃった。

そこで私は、日頃tyumaさんの目となり公私共に十年以上の間一緒に行動をしているnakaさんに協力をお願いした。次なる主役はnakaさんだ。nakaさんと私とは朗読で一緒に活動していて、山も時々行っているということだ。私とは何年か前に武奈ヶ岳にハイキングに一緒に行っている。白山も京都山の子会の広沢の池のハイキングも快く参加してくださった。

そういうわけで白山のお花とお池巡りの計画は現実のものとなった。そこで出来るだけサポートが欲しかったのとみんな楽しくいければという思いもあり、私の所属している「京都雪稜クラブ」のメーリングリストで参加の呼びかけをしたところ、tkちゃんが参加くださった。また一緒にクライミングや山に私と行っている娘がその時点では保留だったが、時間の都合がついたら参加すると言ってくれた。

時期は、花の見頃で雨の降らないという確率の高い7月の最後の週に決定。そして人の少ない平日に、荷物も少なくて済むように小屋泊まりということにした。私は小屋泊まり山行は6年振りである。それからはtyumaさんもゴアのレインウエアやザックなど装備も充実して、当日まで指折り数えていらしたことでしょう。最初の計画では南竜山荘での宿泊の計画だったが10日ほど前の予約の電話にもういっぱいだということであった。平日の予定だったので安心していたがシーズン中はもっと早くから予約がいると思った。

 

当日23日は我が家を3時半頃出発して、それぞれを拾い5時に高速に入った。早朝なので車は空いていて朝焼けを見ながらの快適な3時間のドライブだった。土日は市ノ瀬からはバスでしか別当出合に入れないが、平日なので別当出合まで車が入った。近くに路駐をとも思ったが、張り紙をされると言うこともあり、少し降りたところの駐車場まで車を止めに降りた。けっこう大きな駐車場があり、上の方はすでに満車だったが、一段下の方はまだだいぶスペースは空いていた。私たちが着いたころはまだ早いせいか別当出合はひっそりとしていたが私たちが出発した頃に来たバスで、小学生など交えた団体やツアーのような人たちが降り後から登ってきて、思っていたよりは人が多いと感じた。金沢の小学生の一団はその後も追いつ抜かれつの道中であった。登山道は砂防新道を取る。

nakaさんがtyumaさんの手を繋ぎtyumaさんの前を歩くかたちで出発。シュリンゲを手引き用にザックに固定してそれをもってという方法もあるのだが、tyumaさんは手を繋いでいると動きがストレートに伝わるというのでこの方を希望された。

登る一方の登山道である。中飯場までは1時間10分と、ゆっくりであろうことは予測していたのでなかなかいいペースである。樹林帯である。ガクアジサイが咲いている。途中でタマガワホトトギスをnakaさんが見つけひとしきり観察をする。tyumaさんは交通事故で嗅覚も無くなっているので、もっぱらさわって形を見る。この花は黄色に紫の斑点がある。右の柳谷の方では堰堤の工事の音がやかましく興ざめだ。

中飯場ではかなりの人が休憩していた。かなり暑い。トイレの裏の日陰が空いていたので少々臭うが我慢してそこで休憩した。

ここから甚之助小屋までがまた長く、ただひたすら登る。今度はnakaさんとかわって私がtyumaさんの手引きをする。tyumaさんの「ヨイショ、ヨイショ」というかけ声が聞こえてくる。頑張っているなぁー、と思いながら歩く。ゴゼンタチバナヨツバシオガマを見つけた。甚之助小屋からは30分で南竜道と室堂との分岐に着いた。ここでも休憩している人が結構いた。ここはお花が咲き乱れていた。ここからはエコーラインの方が道がよいのでそちらに最初はしようと思っていたのだが、黒ボコ岩の方も道は悪くないと休憩していた人に聞き、こちらから行くことにした。

甚ノ助小屋

ここからも、お花の宝庫である。ベニバナイチゴの花が目に止まった。最初は何だかわからなかったのだが、次の日の室堂での自然観察会で聞いて名前がわかった。葉っぱは正に野いちごの葉っぱだ。確か野いちごは白い花だがこれは濃い臙脂色をしている。後は、ミヤマキンポウゲオタカラコウダイモンジソウイブキトラノヲ、ハクサンフウロウ、ハクサンボウフウ、キヌガサソウ、コイワカガミニ、クルマユリ…、そして白山名物クロユリがもう出現。感動の連続である。しかし途中からガスが出てきて、ぽつりぽつりと雨が当たる。しかしそのまま雨は上がった。黒ボコ岩に到着。本当に黒い岩がごろごろしていて、ちょっとしたモニュメントだ。けっこう大きいのが二つ、ボルダー用の岩のようでもある。右の岩はホールドもいっぱいあり簡単だが左はスラブでホールドも余りなく難しそうで、登れても降りにくそうと思っていたらtkちゃんがよじ登った。やっぱり下りるのに苦労していて反対側から何とか下りてきた。tkちゃんは、クライミングのセンスがあるのかもしれない。

黒ボコ岩

黒ボコ岩をでるとすぐに弥陀ヶ原である。ここからはしばらく、大草原の中にあるお花畑の真ん中を通る整備された道を進む。ちょうどガスが晴れて青空が見える。ここぞと言うときには、いつも天が味方して素晴らしい景色を見せてくれる。クロユリだらけ。ほんとにあちらこちらに咲いている。コバイケソウも咲いている。まるで天国のように美しい。みんなの足取りも歩いているときよりも止まっていることの方が多い。tyumaさんもクロユリとしっかりご対面。いろんな花に触れて観察していた。私も試しに目をつぶってさわってみたが全く葉っぱなんだか花なんだかさっぱりわからない。触覚も鍛錬しないと出来ないものなんだろうと思う。平坦な弥陀ヶ原が過ぎるとエコーラインの分岐だ。

弥陀ヶ原

左に水屋尻雪渓を見ながらの岩場の急登である。tyumaさんはさすがに疲れが出てきたようだ。おまけに足場の悪い急登で足下も大変だ。まだかまだかの登りだったことだろう。ここは疲れも手伝って最後で一番の難所となったようだ。しかし頑張って黙々と歩くtyumaさんには頭が下がる。

やっと、室堂に着いた。けっこう長い登りの連続だったが、ウグイスや岩ヒバリの鳴き声、そして水の流れる音、咲き乱れる花、さわやかな風などが絶えず心地よく一日のこの厳しい登りも苦にならなかったのだろう。

受付を済ませ部屋に案内してもらうと、もうすでに部屋はいっぱいだった。案内してもらった部屋のベッドは2段になっていて、その上段だったので、tyumaさんは全盲なので上だと危険なので下に替えて欲しいとお願いしていたら、すでにそこにいた人が快く変わってくれ、tyumaさんは入り口の端の下段にしてもらえた。

室堂センターは食事は出ない。大きな自炊場があり、ちょうど夕食時でいっぱいである。空きを見つけて、すぐに食事の用意に取りかかることにした。小屋泊まりなので荷物も軽いので食事はグルメにということで用意をした。8時に消灯である。私はぐっすりと眠ったのだが、nakaさんの話だと、鼾の大合唱でなかなか寝られなかったらしい。

   

次の24日は御前峰の頂上でのご来光を見たいということなので3時半に起床。外に出るとガスで全く視界がない。しかし取り敢えず上まで行こうということになり、4時10分にヘッドランプの明かりで登り始める。だんだん空は明るくなってくるがガスは相変わらす出ている。一足先にいったmizuはガスの晴れ間からご来光が見えたと興奮してしゃべっていた。私たちがご来光を見られなかったのは登ったのが少し遅れたからである。mizuが見られたのもほんの一瞬のことで、あとは全てガスに包まれていて、視界は全くなかった。残念だった。頂上で記念撮影をして、ガスが晴れそうもないのでお池巡りはそこから行くのを断念して元来た道を下山して朝食を取ることになった。

御前峰の登山道も昨年に比べたらお花が多い。イワギキョウが可憐にさいていた。室堂の炊事室で食事をしていたら、青空が見えてきた。コースを相談して、御前峰の途中から分岐している道から千蛇ケ池に出る道を取ってお池巡りに行くことにした。この道の主役の花はハクサンフウロ、ハクサンコザクラコイワカガミ、とピンクの花が主役である。イワツメクサも可愛く小さい花を私たちの足下に咲かせている。イワギキョウとイワツメクサがまるで寄せ植えをしたようであり、白と紫と緑のコントラストが美しい。ミヤマキンポウゲとシナノキンバイも競うように咲いている。ハイマツの間を抜けて登ると下の方に千蛇ケ池が雪にすっぽりおおわれて下の方にあった。伝説の蛇たちは、この雪の下にまだ封印されたままなのだろう。雪渓が谷筋まで残っている。昨年はもっと雪があったが今年は少ない。雪渓をtyumaさんは触り夏の雪に感激していた。雪渓を渡らず回り込む道をさがしていたら、「雪渓を渡りたい、そうでないと来たかいがない」とtyumaさんがおっしゃるので試しに少し行ったが大丈夫みたいなので、tkちゃんに少し下で待機してもらいながら雪渓上を歩いてもらった。tyumaさんは大喜びだった。

千蛇ケ池を渡ると、御前峰からお池巡りコースをいったmizuがやってきた。ここでひとしきり大休止をとってお喋りに花が咲く。ここからは私たちはお池巡りコースをいく。mizuは大汝峰にむかう。

千蛇ヶ池御前峰

御前峰

少し行くと翠ヶ池が下に見え、大きくて美しい池だ。池の向こう側が何もなく空が見えている。池のすぐ上が空と行った感じだ。しばらく行くと紺屋ヶ池だ。この池は半分が雪渓に埋まり、向こう半分は紺色の池が見えている。白と紺のコントラストも美しい。ここで昼食にした。雪渓の下はえぐれたようになっていて水がポタポタ落ちている。その雪を崩したりしてtyumaさんも童心に返って遊んでいる。tkちゃんは、池の雪渓をどんどん歩いていく、tkちゃんも童心に返っていると思い見ていると、コップにきれいな雪をすくってきてくれてコンデンスミルクを入れてミルク氷を作ってくれた。それを聞いていた、tyumaさんも「私もいけるかしら」というので、じゃー自分の分は取りにいこうということになり、コップをもって雪渓を中頃まで進んで雪を取りにいった。コンデンスミルクをかけると甘くて美味しいかき氷になった。tkちゃんは今回の山行でも本格ドリップコーヒーとかき氷といいほんとにありがたい。ここでものんびり過ごし、また来た道を引き返した。

千蛇ケ池にまた戻った。そこからは室堂に右側の道をとった。降りがガレ場で少し緊張して歩く。あとはなだらかな道だ。また、お花がいっぱいである。ハイマツ帯に入ると、tkちゃんがハクサンシャクナゲを見つけはしゃいでいる。白いシャクナゲでうっすらとピンクのぼかしが入っている。興奮してtkちゃんは写真を撮っている。「この花だけ見に、こんどまた白山に登りたいと思っていたが、今回見られるとは…」といっていた。感慨も一汐だったようだ。一輪で感激していたのに少し行くと、いっぱいあるではないか。蕾もあった。私は北岳で白いシャクナゲを見ていたがこれと一緒ではなく真っ白だったと思う。やがて、室堂が見えてきた。赤い屋根が美しい。左に聳える御前峰も下に雪があり美しい。お池側の裏から見た御前峰はごつごつした岩山だが、こちらから見ると緑で裾に雪渓と高山植物を配した草原があるなだらかな優しい山という印象だ。

室堂につくと、ちょうど自然観察会が3時からあるというアナウンスがあり、取り敢えず部屋に入ってからそれに参加して、花の勉強をすることになった。ここでは、ナナカマドの名前の由来から白山の代表的な花の説明を聞きながら室堂のお花畑を一周した。

終わってから、少し早いが外のベンチで夕食にした。ビールで乾杯。時間はたっぷりあり、おしゃべりしながら楽しい食事となった。

最終日の朝食は途中の甚之助小屋で取ることにして、4時半に出発。途中での朝焼けが美しい。お花のフルコースのデザートはエコーラインでしめる。というような訳で弥陀ヶ原との分岐までの急なガレ場を下りる。そこからのエコーラインへの道は木道で歩きやすい。また、お花を観察しながらの下山となる。ここには、チングルマが花の状態と枯れた状態と両方見られた。南竜ヶ馬場が見えてからは斜面にニツコウキスゲが団体で咲いている。シナノオトギリソウもあった。この花の名前の由来はこの草から作る鷹の傷薬を他人にもらした弟を兄が斬り殺したという平安時代の伝説から付けられたということを前日の自然観察会で聞いた。ちょうど南竜道との出合の少し上で、白いクロユリらしきものがあった。これが昨日自然観察会で話していた、クロユリの白色をしたものなのかは定かではない。最後まで、花、花、…の白山だった。

甚之助小屋で朝食のラーメンを作る。ひとしきり歩いてきたのでとても美味しい。あとはひたすら下山である。帰りは、tkちゃんの手引きでずっとtyumaさんは降りた。途中で変わろうと思って言ったが「やっと息が合ってきたのに…」とtyumaさんに断られてしまい、中飯場までずっとtkちゃんの手引きで降りた。そこからはtkちゃんに先に行ってもらい、駐車場の車を別当出合まで持ってきてもらうことにした。

私たちが、別当出合に着いたときはもうtkちゃんと車が待っていてくれた。ここはバスターミナルでもあるので早々に車に乗り込み、白山温泉まで直行した。温泉に浸かり無事に山行が終えたことにホッとした。

コースタイムからすればかなりのゆっくりタイムであったがお花を見ながら、また休憩もたびたび取りながらのことなので、このくらいは最初に掛かるだろうと思っていた。それにしても転んでも「大丈夫、大丈夫」といってにっこりと立ち上がるtyumaさんを見て、私も安心したことが何度かあった。降りはやはり登りよりも大変みたいだが、杖で高さを測り的確に足をおろす。下ろしたところに石などあり、不安定な状態になってもすぐにバランスをとって、また次ぎに歩を進める。見えていても恐がる人が多いガレ場でもしっかりした足取りには感心した。日頃の前向きな姿勢がいろんな所に垣間見られ、ほんとうに私自身が励まされているように思えた。それは、今回参加してくださった、他の人も同じ思いでいてくださると思う。私たちも思いっきりお花を楽しんだ白山だった。tyumaさん、nakaさん、tkちゃん、mizuありがとう。

 

 室堂

tyumaの白山で一句

転んでも笑顔で起きる夏登山

岩雲雀(いわひばり)つがいの声のそれそこに

雪渓の閉ざせる池を渡りけり

御前峰に立てばまつわる夏の星

黒百合や寧々(ねね)淀君を語らせて

    **********

登山道交わす挨拶子供らの声のはずみて飛び越えてゆく

白山に登り得(え)たればもし我に姥捨山ににならんとも良し

車百合 黒百合 白山小桜と弟切草(おとぎりそう)の悲話もききつつ

 

 

御在所岳中尾根オールリード

【 題名 】 御在所岳中尾根

【 期間 】 2001/08/5(日)

【 参加 】iku・mizu・T

【 山名 】 御在所岳(ございしょだけ)

【 形態 】 クライミング

【 地図 】

【 資料 】「日本登山体系10」関西・ 中国・四国・九州の山

 

--------------------[ コースタイム ]--------------------

 

自宅5:10マ7:25登山口駐車場7:41→藤内小屋8:09→8:25水場8:30→9:10取り付き9:501p目登攀開始→

10:40-10:45→11:00P4トラバース・休憩11:25→12:10p3・懸垂・ツルムのコル→12:50-13:15→13:18-13:50→懸垂・ツルムのコル 14:10→1ルンゼ側に懸垂15:30→15:45一の壁下部→15:55休憩16:15→藤内小屋16:35→駐車場17:00→17:10希望荘18:00→帰宅9:00

 

--------------------[ 山行記録 ]--------------------

御在所のクライミングはTさんの急な提案で決まった。出発前から私がオールリードをすると言うことだった。私自身は、前に2回(1999年と2000年)中尾根は登っている。どちらもフォローである。いつかはリードで登りたいとは思っていたが、なかなか難しいルートだと思っていた。1999年は三人で登ったのだが、全員中尾根は初めてで取り付きや下降路を探し、登攀開始が遅く、時間もかかりヘッドランプでの下山となった。下山途中の暗闇に浮かぶ伊勢湾の夜景が美しかったのが今でも印象に残っている。このときはフォローながらも手強いルートだという印象だった。2000年秋にもこのルートにまたフォローであるが挑戦する機会があった。このときは時間がなかったので2ピッチのみの登攀であった。しかし印象としては最初ほど難しいとは感じなかった。2ピッチで降りたことも残念だったが、今度こそはリードをしてみたいとその時から思っていた。今年の6月にも御在所に行ったのだが、このときは前尾根と一の壁で中尾根にはいけず、ますます中尾根リードへの熱い思いはふつふつと湧いてきていた。

早朝の出発である。車は混んではいなかったが、いつもの駐車場はすでに車がいっぱいだった。路駐もけっこうある。登山道を歩いている人もけっこういる。藤内小屋のベンチにも人がいっぱいいた。テスト岩や前尾根取り付きにも人がいた。いつもながらの御在所の風景だ。とにかく登山道を歩いていると暑い。こんなに暑いのにけっこう人がいることにびっくりした。今回は取り付きに迷うこともなく1時間半で到着。すでに先行パーティーの4人が登攀準備をしていた。そこにいた人に聞くと、先にもう1パーティー3人先行しているらしい。

用意をして少し待った。1ピッチはやはりチムニーにはまってしまった。ザックが邪魔である。恐いと思うほどチムニーにはいりこんでしまう。やっぱりリードとなると緊張する。ランニングビレーを取るたびにホッとして一呼吸する。テラスに出る。一ピッチの終了ではない。まだその上に真っ直ぐチムニーが続いてP4に出るのだが、緊張感でパニックになっていたのか前の岩が見えず、右の大きなスラブに行ってしまった。この辺の事情は何でそうしたのか自分でもよく分からない。右の方に腐った終了点があったのとその上にまた腐ったボルトが見えていたから、ということしか言えない。そこの大きな石を登り切って変だなと思った。すると下から「真っ直ぐだよ」というTさんの声。下を見たら真っ正面にボルトが2個並んでいる。「ありゃ、間違ってしまった」しかし、降りるのが恐そう。降りられるルートを探してみるが難しそう。しかし、意を決して降りる。冷や汗が出たが何とか降りられほっとした。その上までピッチはあるのだが、精神的に疲れてしまい、休憩も兼ねてここでピッチを切る。やれやれである。2番目にmizuが登り出すと、続いてすぐにTさんも登り出す。この後もこのパターンで終了までいく。お陰で時間的には早く終わったのだが、ビレーをするのが慌ただしく腕も疲れた。

次は残してしまった1ピッチの続きを行く。最初の出だしがいやらしい。ヌンチャクを先に掛けてA0でエイヤーと登る。ここは完全にチムニー登り。手と足を壁に突っ張ってこなすが、これもリードとなると不安になる。やっと1ピッチ目が終了した。

P4からはほんの少し下降して右に取り付くと2ピッチ目だ。まっすぐに上まで25メートル延びたクラックからチムニーである。最初に(1999年)このピッチを見たときはギョッとしてしまったが、今回はホールドもいっぱい見え「簡単そー」と思ったのだが、やっぱりリードだと私の実力だと手強い。三分の二ぐらいまではそれほどでもないが、チムニーに来るとどうしても怖さで入り込んでしまう。私が入ると、身動きできないくらいの狭さなので入ると苦しい。しかしチムニーの奥の方に、ハーケンが見えどうしてもそれにランニングビレーを取らないと恐いと思い、無理矢理チムニーに入り込み奥の方の手を伸ばしやっと届き、長いシュリンゲでプロテクションを取れたときはホッとした(つぎのmizuが外すときに苦労したらしい)。一息ついてホッとしてやっと体を出して登った。ここではキャメロットもクラックに使えた。

2ピッチ目の終了ツルムからは懸垂で下降。順調に3人ツルムのコルに降り立った後、ハプニングが起こった。ザイルを下ろそうと引っ張ったら結び目が岩の間に挟まりびくともしない。ここは懸垂の他にもクライムダウンで下降できると「登山体系」にも書いてあるので、きっと登り返すことも出きるとTさんが左の方からノーザイルで登り始めた。見ている方が恐い、緊張して待っていると到達したという声がして、コルにいた私たちもホッとした。

3ピッチ目はそのまま前から大きな岩をよじ登り、左にトラバース。そして右斜めに40度ぐらいの傾斜を登る。その頂点が終了で下から見える。ここは3級でこの中尾根では一番簡単だが、最初の直上に私は戸惑いをおぼえ、左から回り込んで登った。あとはやっぱり簡単だ。終了は狭いテラスですぐに最終4ピッチ目をぼった。

ここは出だしは簡単だったが途中で上に斜めのクラックが走っていてそれをホールドにして上にいけばいいのが分かるが、クラックのホールドが恐くて持てない、と思いこんでしまった。

ザイルが自分の前のあるのと無いのとで大違いであるのを実感した。恐くてそのホールドを持って思い切ってあがれないのだ。躊躇していたが、アブミを出してしまった。何でもありでそこを通り越したときは、ほんとにほっとした。私にとっては、ここが一番の核心となった。下からTさんの「せっかくだから、オニギリを直上したら」という声が聞こえていたがここで私の精も根も尽き果て、さっさと左に逃げてしまった。そこには前にいた4人パーティーが懸垂の準備をしていて、リーダが降り3人まだ残っていた。終了まで這い登りやっとセルフをとって一息つく。終わった。もうくたくただった。mizuを引き上げるが、手こずらずさっさと登って来るではないか、ムム…、私のあの苦労はいったい何だったんだ。おまけに「そんなに、難しないで〜」とのたまう。「疲れていたんだ」と弁解がましく言うのだが、その後Tさんもオニギリ岩直上で難なく登ってくる。内心(顔には出さないが)ショックである。

やっぱり、まだまだリードではゆとりが無いんだと言うことを自覚した中尾根だった。さいごまでここがゆとりをもって登れるといいなぁ〜、とまたまた思いを残してしまった。やっぱりそれはイレブンの壁に到達しないと出ないのかも知れない。それはいつのことだろう。

下降は前には2ルンゼから懸垂で下りたのだが、今度はツルムのコルまで50メートルで一気に懸垂しそのまま1ルンゼ側にもう一回懸垂。そしてそのまま1ルンゼ下降すると右にまた踏み後があり、そこを行くと一の壁下部へトラバース。そこでは、一人フリーソロで登っていた。そこからは少し下りてまた1ルンゼに出て、登山道を下山した。藤内小屋では、やはり多くの人がビール片手にテラスでくつろいでいる。そのまま私たちは駐車場まで降り、いつもの希望荘の温泉で疲れをいやし帰路に就いた。

今回は、初めてのオールリードである。ルート的にも私にしてはレベルが高かったので、最後までの緊張感はセカンドの時とは比べものにならない。その緊張感の結果が4ピッチ目にあらわれた。しかし、最後までやり遂げられたことは、私にとってはかなりの充実感があった。それに3人でのリードも初めてで、ザイルをいつも引き上げているということはかなり疲れた。

しかし、いい経験ができてよかった。今度は自信を持ってリードが出きるようになりたいものだ。

mizuの初めてのアルプス・バリエーションルート

剱岳 源治郎尾根

mizu

剱の写真

日・2001年8月15日C〜19日@

メンバー・(L)iku・mizu

 

 今年の夏は夏合宿の縦走に参加しようと楽しみにしていたのだが、よ〜く手帳を眺めてみると友人の結婚パーティが入っていて結局参加できなくなってしまった。このままどこにも行かずに夏山が終わるのはもったいない!!どこか山に登りたいなぁと思っていたら、ikuさん(母)も今年は彼女の山岳会の合宿は前に行ったことのある縦走なので、参加しないと言う。それじゃあ、二人でどこかに行こう!ということになった。二人とも前から行きたかった剱の岩に行くということはすぐに決まったが、お互い忙しく具体的にはなかなか話は進まなかった。8月に入ってやっと源治郎尾根と八ツ峰六峰Cフェースに行くことが決まった。こうして二人だけのドキドキ山行がはじまった。

 

* 8月15日C 晴れ

14:15 自宅出発

18:30 北陸自動車道 立山I.C.

19:10  アルペンルート立山駅

20:30 仮眠

 

 初めは京都から室堂までの直通バス(片道¥12000)で行く予定だったが、二人で行くと車の方がちょっと安くなる!ということで、車でのんびり行くことになった。荷物を詰め込み、快晴の中、ikuさんは快調に車を飛ばす。おかげで立山I.Cまではわりと早く着いたように感じた。立山駅に着いたころにはもう真っ暗になっていた。どこかで夕食を食べないといけないんだけど、ほとんどの店がすでに閉まっている・・・。明日からの山行に備えて豪華な食事を期待していたのに・・・。しょうがないので、かろうじて開いていた売店でパンを買ってさみしく腹ごしらえをし、車の中で仮眠した。暑くてなかなか寝付けなかった。

 

* 8月16日D 晴れ

4:25 起床

5:18 切符売り場

6:00 ケーブル出発(6:07 美女平 着)

6:25バス出発(7:15 室堂 着)

7:45 室堂出発

8:15 雷鳥沢(休憩8:26出発)

10:25 剱御前小舎(別山乗越)(休憩10:55出発)

11:30 剱沢テン場 着

12:33 テント受付

    源治郎尾根取り付き下見

16:10 テン場

16:20 食事(ウナギ丼 春雨サラダ 玉子野菜スープ 紅茶)

19:30 就寝

 

 朝、明るくなってくると同時に人の声もしてきた。ケーブルは早く行かないと混むと聞いていたので、さっそく起き、重たい荷物を持って切符売り場に向かう。すでにたくさんの人が並んでいたが、なんとか始発の切符を手に入れる。ピッケルやヘルメットを持ったパーティも何組かいた。その中にベテランそうな熊さんのようなおじさんと、ikuさんと同年代くらいの女性、そして茶髪にピアスで力持ちそうなおにーさんというなんとも個性的な3人パーティがいたが、彼らとはこれからちょこちょこお会いすることになった。

 観光客に混じって、ケーブルに乗り、バスに乗りこむ。バスはカーブの道と車内のBGMが心地よくゆらゆらとお眠りタイム。でも、立山杉の大木と滝だけはしっかり確認!室堂に着き、水を確保し、立山のおいしい水を飲んで、いざ出発。雷鳥沢までは石段で綺麗に整備されていて歩きやすい。キラキラと太陽の光でひかっているミクリガ池に感動しながら、写真をとったりなんかして、はじめだけはいつも余裕がある。途中、硫黄の臭いがすごかった。ゆで卵のようなきつい臭いでわたしはどうも苦手だった。

 雷鳥沢からはとうとう登り。室堂までバスで一気に高度が上がったためか、だんだん、頭がガンガンしてきた。。。泣。こんなことは初めてだった。重〜い、重〜い荷物にフラフラしながら剱御前小舎までの最後の登りは本当にしんどかった〜。途中、例の3人パーティの方とお会いし、お話をしてみると、彼らは明日がCフェースで次の日が源治郎らしい。わたしたちとちょうど反対のパターンだった。剱御前小舎では、大好きな牛乳を飲みながら(山で牛乳を飲んだのは初めて!)、ゆっくり休憩した。そこから剱沢までは下り。途中、お花畑が綺麗だった。ウサギギクやキリンソウなど黄色い花が目立っていた。

 テン場に着くとちょうどいい場所が見つかり、新しいアライテントのエアライズを立てる。まだ時間もあったので、受付を済まし(何日いても一人¥500でキーホルダー付き!)、明日の源治郎尾根の取り付きまでの下見に行くことにする。行きしは剱山荘に行く道を降りてしまい沢を降りて行ったが、しばらくは剱沢には雪渓がほとんどなかった。「え〜!?雪がないやん!これなら明日アイゼン持っていかへんでもいい!?」と喜んでいるとちゃんと立派な雪渓が出てきた・・・。さすがは日本三大雪渓のひとつ。そこからはアイゼンを付け、快調に降りていく。源治郎尾根の取り付きはわかりやすく、大きな石があり、その上にテープスリングがちゃんとかかっていた。相変わらず頭はガンガンして足もだるくて帰りの雪渓の登り返しはしんどかった。帰りは剱沢から真砂に行く登山道を見つけ、そこを登って帰った。この道の方が行きしよりはやかった。下見をしておいてよかった。

 テン場に着き、外で食事の準備をしていると、剱沢派出所の方が話しかけてきてくれた。優しそうなおじさんである。きっと女二人でいかにも頼りなさそうに見えたんだと思う。明日、源治郎尾根に行くと言ったら、いろいろとアドバイスをしてくださった。一峰まではやっぱり迷いやすいらしく、迷っても落ち着いてもとに戻るようにとのこと、また、二峰をすぎるまではほとんど長次郎谷側の道をとるようにとのことだった。本当にありがたい。

 明日は早いので、食事をすませ、早々に寝た。夜は風もなく寒くもなく快適だった。

 

*8月17日E 晴れ

 2:30 起床 朝食(ごはん みりん干し 漬け物 みそ汁 お茶)

 4:20 出発

 5:20 源治郎尾根 取り付き

 11:15 一峰 ピーク

 11:25 二峰 取り付き

 12:17 二峰 ピーク 懸垂

 13:00 懸垂終了(休憩13:30出発)

 14:42 剱岳本峰頂上(休憩15:10出発)

 18:00 剱山荘(休憩18:15出発)

 18:42 テン場

 19:00 食事(カレー オニオンスープ ポテトサラダ)

 21:10 就寝

 

 朝、まだ夜が明けないうちに起きる。天気を見ようと外に出ると空一面にパウダーの粉を振りかけたような星空だった。天の川も見える。(こんな夜空が下山するまでずっと続いた)初めてこんなにすごい星空を見た。なんだか嬉しくなってくる。準備をし、ヘッドランプで出発するが、すぐに明るくなってきた。雪渓を降り、昨日見に来た源治郎の取り付きに着く。後からは八ツ峰に向かう人たちが続々と降りてきている。アイゼンをはずし、さっそく登りにかかる。

 急登を登るとすぐに前方に大きな岩が前に現れ、つまっている。右に踏み跡があったのでそっちを行く。(本当は左の尾根を強引に登るのが正解)するとすぐにルンゼに出てしまった。ルンゼの上にはチョックストーンが見える。尾根道を選んだつもりがルンゼの方に出てしまったようだ。左(右岸)に赤テープがちらっと見えた。チョックストーンの手前の左の壁を登り、尾根に戻ることにする。途中、木を支点にした懸垂の跡があった。最後の方は怖かったので、ikuさんが登ってから念のためザイルを出してもらった。そこからは尾根道に戻ったようで、ハイ松帯の中を登っていく。ほっと一安心。

 しかし、一時間もしないうちにまたルンゼに出てしまった。ルンゼの右岸の20メートルくらいの高さの岩壁の下で踏み跡がとぎれている。その岩壁を登ると尾根に戻れそうで、岩も簡単に登れそうだったので、そこを直登すると、ikuさんは言う。しかし実際、取り付いてみるとむちゃくちゃ怖かった・・・。ノーザイルで、重い荷物を持って、登山靴。おまけに下を見ればはるか彼方にルンゼのガレ場が見える。ちょっとでも手や足がすべらしたら落ちて死んじゃうと思うとますます怖くなる。心臓がドキドキ。一歩一歩慎重にゆっくり登る。登り切ったら、なんとちゃんと尾根道があった。やはりまた間違えてしまっていたようだった。

 そこからはまた踏み跡をたどって行く。取り付いてから4時間がたとうとしていた。一峰までにそんなにかかると思っていなかったので、そんなはずないとわかっていても尾根を間違えたんじゃないかと不安になってくる。右手に八ツ峰も長次郎雪渓も見えない。(実際はまだまだ一峰の手前だったので、源治郎の末端の二つの尾根の片一方が見えていた)やっぱり、何かあった時のために無線と高度計くらいは必要だと実感する。(無線はいつか使えるようになりたい)「ビバーク」「遭難」という嫌〜な文字が早くも臆病なわたしの頭の中をかすめ始めた・・・。不安が高まる中、ikuさんと地図や説明書を見て確認していると、下から単独で登ってきた人がいた。「よかった〜、間違っていなかった」本当に安心した。その人の話によるとやっぱり一峰はもうちょっと先らしい。その人はあっという間に登って行き、見えなくなってしまった。寂しい・・・。

 それから一峰までに、また道を外れてしまい、ザイルを出す。その上はすごいハイ松帯で、なんとかかき分けそこを抜ける。抜けたら今度は藪こぎ。そしてやっと踏み跡に戻ることができた。それからは順調に踏み跡をたどり、一峰のピークに立つことができた。嬉しかった〜。やっと八ツ峰も見ることができた。そこからは二峰も見えた。でもすでに、昨日からの頭痛と度重なる緊張と不安でかなり疲れていた。天気も良すぎてかえって水分ばっかり欲しくなる。一人2リットル持ってた水もだんだん無くなってきた。とりあえず二峰の懸垂が終わってからゆっくり休憩しようと言いながら重たい足をあげ先にすすむ。

 一峰と二峰のコルに降り、二峰の登りに入る。岩と長次郎側のハイ松の間を快適に登っていく。すぐに二峰のピークに立つことができた。熊の岩の上にテントが二張りあるのが見えた。ピークを越え、懸垂の地点まで行く。懸垂の支点はしっかりしていた。初めにikuさんが降り、わたしが降りた。ザイルを片づけていると「危ないよぉ!!」というすごく大きな声が聞こえてきて、びっくりした。「もしかして八ツ峰で滑落でもあったん!?」と二人で不安げに話していると、しばらくして二峰の上から「ザイルダウンしま〜す」と聞こえてくる。若い男性二人と中高年の女性一人のパーティが降りてきた。彼らは名古屋山岳会の方々で、源治郎のフェースを登ってきたらしい。わたしたちが「危ないよぉ!!」と聞こえたのは本峰にいた仲間とのコールで「案配よ〜い!」と言っていたらしかった。なんだか紛らわしいコールだ。

 休憩をし、本峰に向かって歩く。前を見ると、名古屋山岳会の人たちはあっという間に見えなくなってしまった。なんというスピードだ。わたしたちも踏み跡をたどりながら、ゆっくり登る。疲れていたせいか、実際はそんなに時間はかかってなかったのに、随分長く感じた。けっこう歩きにくい道だった。登っても登っても着かない感じがして、また、道を間違ったのでは!?と不安になった。行ったことのない道を行くって本当に大変だ。すると、上の方に三人パーティ(中高年の男性二人と女性一人)が見え、「あと10メートルも登れば本峰の祠がみえますよ〜」と教えてくれた。やったー!!やっと着いた!!頂上で三人パーティの方々と休憩しながらお話する。彼らも名古屋の人たちだった。チンネを登ってきて、早月尾根を通って今日帰るらしい。とても穏やかな人たちだった。彼らにとったら源治郎なんて簡単だろうに、わたしが「もう、ばてました〜」と泣き言を言ってると、「源治郎を登ってくるなんてすごいよ!」と誉めてくれる。なんという優しい人たちだ。

 彼らに別れを告げ、私たちは登山道を通って下山することにした。登山者は誰もいない。普段は渋滞するというカニのヨコバイや梯子もすんなり通ることができた。随分綺麗に整備されていた。クサリも綺麗で、注意書きも日本語の他にハングルと英語で書かれていた。

 前剱までが長く感じた。前剱の手前に一度ピークがあり、ここを前剱と勘違いしてしまったので、余計に長く感じた。(平蔵の頭だったのかなぁ?)前剱あたりからガスがかかってきた。前剱からの下山は踏み跡をたどって行ったのだが、4,5年前にikuさんが来た時とだいぶ印象が変わっていたらしく、もしかして違う?と思って、二人で引き返してみたがやっぱり他に道はなく、地図を確認してみると、この道に間違いなかった。すると、すぐにきれ〜いなクサリが見えた。引き返して損した・・・。貴重な時間を費やしてしまった。疲れていて二人ともだいぶ思考能力が落ちていたのかもしれない。

 一服剱の手前はトリカブトがたくさんあった。でも、「はやく下山しなきゃ」と思っていたわたしたちには写真を撮る余裕なんてもちろんない。そして、その途中でとうとう水も全部なくなってしまった。一服剱の登りはそれまでに比べるとあっけなく、ようやく剱山荘の赤い屋根が見えてきた。もう、赤い屋根目指して、ジュースを思いっきり飲むことしか考えてなかった。。。

 剱山荘ではジュースをがぶ飲みし、おまけに剱沢の沢の水までゴクゴク飲んだ。おいしかった〜。水を思いっきり飲めるなんて、なんて幸せなんだろうと思った。そうして、明るいうちになんとかテン場に帰ることができた。

 テン場に帰ると、入山の時にお会いした個性的な三人パーティの人たちがわたしたちの隣にテントを移動していて(前のところは水の音がうるさかったらしい)、リーダーが心配して話しかけてきてくれた。おまけにお手製の貴重な岩魚の薫製までくださった。

 二人ともだいぶ疲れていたので、明日は無理せずにはやく起きられたら八ツ峰に行こうということになった。

 

* 8月18日F 晴れ

5:00 起床 食事(昨夜のカレーの残り 漬け物の残り 野菜玉子スープ)

8:01 出発

9:12 別山頂上(休憩9:23出発)

9:32 北峰頂上(休憩10:53出発)

12:15 真砂岳頂上(休憩1:30出発)

14:13 別山頂上(休憩14:25出発)

15:00 テン場

16:00 食事(とり飯 ビーフン 玉子野菜スープ いただいた岩魚)

18:40 隣のテントの人とおしゃべり(ワイン 岩魚 岩魚と山菜のみそ汁)

20:10 就寝

 

 この日は案の定、二人とも寝坊してしまい、せっかく重い荷物を持って剱まで来たので心残りではあったが、無理せず歩くことに決めた。ゆっくり準備をしていると、剱沢派出所の方が来られて、「昨日、何時頃帰られましたか?」と聞かれた。初日に話しかけてくれた剱沢派出所の方が心配してくださっていたらしく、今日は、わざわざCフェースにパトロールに行かれたということだった。なんだか申し訳ないことをしてしまった。でもテン場のパーティをきちんと把握されていたのには驚いた。「山の上のお巡りさん」はかっこいいけど、大変な仕事だろうなと改めて思う。

 登山道から別山目指して歩く。昨日に比べると荷物はずっと軽いのに疲れからか、足取りは重い。でも北峰からの剱の眺めはすばらしかった。昨日、苦戦してきた源治郎尾根や剱の登山道もよく見える。やっぱり剱は大きいなぁと改めて実感する。写真を撮ったり、ボーっとしたりして、ゆっくり景色を楽しんで過ごす。ここで食べたゼリーは最高に美味しかった。それからせっかくだから真砂岳の方までのんびり歩こうということになった。また、真砂の頂上で、紅茶をわかしながらゆっくりする。雷鳥沢、室堂がよく見えた。

 この日の山行は昨日の山行とは正反対の山だったけど、こんな山もいいな〜と思った。

 テン場に帰り、食事を取り、ゆっくりしていると、隣のテントの人が一緒に飲みませんか?と誘ってくれた。美味しいものをごちそうになりながら楽しくおしゃべりをする。でも、彼らが登攀具と一緒に沢山のお酒をしかもビンごと持ってきていたのにはびっくりした。すごい体力だ。うらやましい・・・。そして話を聞くと彼らもまた愛知県の人たちだった。今回の山行はなんだか愛知の人とは縁があるなぁ。。。(そういえば八ヶ岳の事故で助けてくださったのも愛知の方だった)

 

*8月19日 晴れ

 2:30 起床 食事(ラーメン)

 4:40 出発

 5:25 剱御前小舎(休憩5:35出発)

 6:30 雷鳥沢(休憩6:50出発)

 7:25 室堂

 8:00 バス出発(8:40 美女平 着)

 8:55 ケーブル(9:02 立山駅 着)

 10:00 お風呂 食事

 11:27 立山駅 出発

 17:00 帰宅

 

 最終日、下山の日。山に入っていると日が過ぎるのが本当にはやい。帰りの車が混むと面倒なので、早めに起きて、ヘッドランプをつけながら片づけをする。剱御前小舎に着くまでに、徐々に日が昇ってきて、とても綺麗だった。あとは下りるだけ。今回は最初から体調があまりよくなかったが、この日が一番元気だったように思う。残念。雷鳥沢でまた隣のテントにいた個性的な三人パーティと一緒になった。帰りのバスでは観光客に「くさい〜」と言われながらも、ぐっすり眠った。駐車場で彼らと別れ、お風呂に入ってきれいになり、帰路についた。

 

    ☆       ☆        ☆        ☆       ☆    

 

 今回の山行は初めて二人という少人数で、おまけに二人とも初めてのルートでした。事前にだいぶ調べたり教えてもらったりしたけれど、実際に行ってみるのと頭の中で想像していたのとはだいぶ違っていました。やっぱりわたしにとったら剱は大きかったです。その分、充実感もあったのですが、この先に道があるのだろうかと絶えず不安になり考えながら行くのは精神的にも大変でした。これから、少しずつでも経験を積んでいきたいなと思います。今回、八ツ峰に行けなかったのがとても残念です。行けなかっただけに、ますます行きたくなりました。

剱岳・源治郎尾根/別山・真砂岳

【 題名 】剱岳・源治郎尾根/別山・真砂岳

【 期間 】2001/08/15(水)〜8/19(日)

【 参加 】iku・mizu

【 山名 】剱岳(つるぎだけ)

【 形態 】バリエーション・縦走

【 地図 】

【 資料 】白山書房/日本の岩場・山と渓谷社/日本のクラシックルート(アルパインクライミングルート集

【感想】

今年の夏はいろいろ迷った末、mizuとの初めての剱でのバリエーションルートとなった。まだまだ二人とも経験不足のため、不安はあったが誰でも最初はある。その分下調べは綿密に行った。最初の計画の源治郎尾根は行けたが、八ツ峰六峰Cフェースは中止した。それは源治郎尾根で一峰に行くまでにかなり踏み跡に惑わされたために時間的に思った以上かかってしまい。次の日起きたのが5時になってしまい行程を考えたら、きついという判断があった。かわりに別山から真砂岳までのんびりと歩いてきた。天気も良く別山からの剱は素晴らしく、長い時間見とれていたが飽きることがない。

今回メインの源治郎尾根は、やっぱり見かけ以上に長く感じた。それは迷ったということもあったが、それだけではないと思う。一言で言えば剱のスケールの大きさだと思う。その分達成した充実感もまた大きい。

アルパインのルートのようにボルトが打ってるわけではないので、よりルートファイティングが難しいと思った。一峰までかなり右往左往したので、時間がだいぶたっていたのが余計に不安に感じてしまった。一度目は草付きを行くとルンゼに出てしまい。そこを尾根に登るところがあるが、そこがいやらしい。おそるおそる、登ったがけっこう怖かった。mizuには上からザイルを垂らして確保した。そのまま樹林帯に入って登っていくとしばらくよかったが、またルンゼの上の方に出てしまった。そのルンゼ沿いに踏み跡を見つけて行くと大きな岩壁だ。迷ったが2-3級ぐらいで登れると判断して登った。上に尾根筋が見えていてそこまで登ればルートに戻れる確信があった。しかし、大きな計算違いはmizuが高度感に慣れていないと言うことだった。

怖さで動きがのろくなっている。ここはザイルを出すべきであった。その後も、よっぽど怖い思いをしたのか、ペースが遅くなる。私は初めてのアルプスでキレットを通過したとこのことを思いだし、心情的に気持ちがよくわかった。ザイルを出した方が精神衛生上よかったと思った。

一峰はもうすぐだからと励ましながら進んだが、そこからもまだだいぶあった。そこで初めて単独の男性とすれ違ったが、あっという間にいってしまった。一方までにまたまたもう一度ルートを間違えてしまった、また岩壁の下の踏み跡をたどって右の方から登った、はい松に遮られ勧めない。そこで左だったと思ったが仕方がない、降りるには危ないのでザイルを出しはい松の上から左にトラバースしたらはい松の下にちょっとした水の流れた後のように小さなくぼみが上に延びていた。そこをくぐって登れば絶対にまたルートが戻るという確信があり、次にきたmizuに先にいかした。ザックが引っかかると文句たらたら登っていったが、草付きに出たという声がした。そこでセルフをとって待つようにいい私も登った。上に道があるのがわかり一安心した。あとは順調に一峰についた。その後も間違えることもなく本峰まで行けたが、やっぱり長かった。後は、詳しくmizuが書いているので省略する。

反省点は、迷ったときの原則である元に戻ると言うことをせず、突き進んでしまった。これはここを行ってもルートに戻れるという確信があったからだが、戻ることの方が難しくなっている場合もある。判断が難しい。結果としては、迷ってもルートに戻れたので良かったがもっと尾根幅が広範囲に渡っていたり、枝尾根が入り組んでいたらと思うと怖い。

今回は私にとってはとてもいい経験となった。時間はかかっても自分たちの力でやり遂げられたことには意義があるとおもう。今までのみんなの報告を見ても初めての所は取り付きからして大変である。ビバークになったり、藪こぎをしたりという報告を読んでいたので、あらゆる場面を想定していた。実際には完登できたので、充分満足している。

八ツ峰六峰Cフェースを中止したのは、重い荷物をもって登った分も含めて残念だが、また次の楽しみにしたい。

最後になったが、別山から真砂に行く途中、gataファミリーにあった。雄山〜別山〜雷鳥平への縦走中だった。頑張るご家族でした。帰りもテン場で紅茶をごちそうになり、私たちは先に帰った。

 

2001.8.28 iku 

剱岳・チンネ左稜線

剱の写真2

 

【 題名 】 剱岳・チンネ左稜線

【 期間 】 2001/09/5(水)晩〜2001/09/9(日)

【 参加 】クラさん/テルさん/なりたまさん/ヤッピー/iku

【 山域 】 北アルプス

【 山名 】 剱岳(つるぎだけ/2998M)

【 形態 】岩登り

【 地図 】

【 資料 】 白山書房/日本の岩場・山と渓谷社/日本のクラシックルート(アルパインクライミングルート集

 

--------------------[ コースタイム ]--------------------

9/5(水)  晴れ 

自宅出発20:15→

9/6(木)  晴れ・薄曇り・ 雨

0:50立山(仮眠)起床5:10→6:00立山ケーブル駅7:00→8:15室堂(2450M)8:25→10:33剱御前小屋(2815M)→11:15剱沢幕営管理所前11:30→12:00剱沢雪渓アイゼン装着12:30→12:50長次郎雪渓と剱沢の出合い(なりたま合流)雨降り出す13:10→14:07アイゼン外す(2335M)14::15→アイゼン装着→15:45熊ノ岩・就寝20:00

9/7(金)曇・雨 

5:00起床7:30→Cフェース取り付き8:30→8:50テントikuのみ帰る/12:00クラさん・なりたま・テル・ヤッピー帰る/就寝18:35

9/8(土)晴れ

起床3:30・4:55出発→5:55池谷乗越(2870M)6:05→三ノ窓(2710M)6:28→取り付き6:50→13:25チンネの頭14:00→懸垂(2810M)14:30→池谷乗越14:35→熊ノ岩テン場15:27/クラさんパーティー18:50/就寝20:15

9/9(日)朝は晴れ・曇・雨・立山では晴れ

起床6:00・出発7:20→長次郎雪渓と剱沢の出合い(なりたま別れ)8:35→9:35アイゼン外す・登山道9:40→10:25剱沢幕営管理所前10:40→11:20剱御前小屋11:30→12:20雷鳥平12:40→室堂13:35→立山15:30→帰宅22:30

 

--------------------[ 山行記録 ]--------------------

テルさんたちの剱での岩登りの企画に誘ってもらった。先月(8/15〜19)にmizuと剱の源治郎尾根に行ったばかりなのにまた剱でのクライミングである。予定では、八ツ峰Dフェース富山大ルートとチンネ左稜線である。初日にテン場の熊ノ岩まで入るということだった。最初聞いたときはルートは魅力的だが、正直しんどいなーと思った。8月の時に私たちは剱沢をベースにしていたので、そこから八ツ峰のCフェースに登りに行く人がいて、取り付きまで4時間かかったということを聞いていた。それも長次郎谷雪渓の登りを今回は重い荷物を持ってのことだ。この過酷なアプローチと、憧れのチンネ左稜線を登れるということを天秤にかける気持ちがあり、迷っていた。それは夏前からのたて続きの山行で疲れもあったのが、引く気持ちにさせていたのかもしれない。結果としては、チンネ左稜線の魅力に負けてしまった。我ながら呆れかえってしまう。

 

9/5-6(水-木)

クラさんに自宅へ寄ってもらい、三人にはゆとりのあるクラさんの車で8時過ぎに立山へ向かう。途中富山駅で8月の初めから北・南・中央アルプスの山を放浪しているという学生のヤッピーを拾う。夜中に立山についた。辺りは静まりかえっている。川沿いの公園にテントを張り、仮眠する。星空が美しい。

先月行ったとき始発の6時に乗ったので、それで行くことになった。5時10分に目覚めたが、時間に余裕がない、ザックに荷物を詰めていると何だかやたらに酒類が多い(缶ビール24缶、焼酎1.8リットル、なりたまさんのビール12缶とウイスキー500ミリリットルが後で追加)と私は思ったが、誰も文句も言わず自分たちのザックに押し込んでいる。男性三人は異様に大きいザックだ。バスに乗るとき計ったところ、クラさんは41.5キロ、ヤッピーは31.5キロ、テルさんは27.5キロ、私は一番ハンディーをつけてもらい21キロだった。

用意が整って時間がないので慌てて駅に駆け込むと、辺りは静まりかえっている。土産物屋がオープンの用意をしている。私は先に行ってチケットを買いに走ったが、チケット売り場は閉まっている。何だかおかしい。発車時間は迫ってきている。でもドアは開かない。すぐに張り紙に目がいった。始発7時であった。もう夏時間は終わっていた。あわてて損をしてしまった。朝食を取りながら待つことにした。

7時前に切符を買いに行くと、すでにかなりの人が並んでいる。雨の予報なのに何でこんなにという感じだ。観光客がほとんどで、登山者は夏に比べると少ない。我々のように大きなザックの人は皆無だ。もう季節は、終わりなのか、天気が影響しているのだろうか?

雷鳥平からの登りはきつい。クラさんとヤッピーは正に強力だ。黙々と歩く。剱沢のテン場も夏に比べると寂しい。通り過ぎて、富山県警の派出所の前まで行くと、8月に行ったとき、心配して声をかけてくれた顔見知りの人がベンチに座っていた。挨拶をしたが、もうすっかり忘れていたようだ。話しているうちに思い出していただいた。天気が崩れるから気をつけるように言われた。また、ボルトも抜けて事故が起こりやすいから用心するようになどとも話されていた。しばらく休憩かたがた話し込み、しばらくして熊ノ岩にむかった。

剱沢の雪渓に入るときアイゼンを着けた。見慣れた風景の中雪渓を下っていった。そこに源治郎尾根の取り付きの目印にしていた岩がない。ムムム…、あった。前に来たときには下の方が雪に埋まっていたのに2週間ほどで宙に浮いている、というか尾根にくっついて上の方にあった。

通り過ぎるとすぐに長次郎谷の出合だ。誰か人がいる。なりたまさんだ。まるで待ち合わせたようにぴったりと出合いで巡り会った。他には誰もいない。雨がとうとう降り出してきた。レインウエアを着て長次郎谷を登り始めた。

ここからの登りは辛い。だいぶ雪が少なくなっていて途中で雪渓が途切れている。熊ノ岩が見えてからもかなり遠く感じた。熊ノ岩のテン場は、源治郎尾根の2峰から見たときもこぢんまりとして見えていたが、思っていたより広かった。中程に雪解けの水が流れていて、水には不自由はない。ビールを早速なりたまさんはここに冷やしていた。テントは私たちの他に一張りだけだった。テント設営もそこそこに、もう夕食である。早速ビールも缶があいた。雨は止みそうにない。

 

9/7(金)

5時に取り敢えず起きると、雨が降っていた。これは停滞だな、ということでまた寝た。私は6時に起きて外にでたところ、雨が止んでいる。7時全員起床、雨が止んでいるうちに簡単だからCフェースの剱稜会ルートに登りに行こうということになり急いで準備をする。せっかく取り付きまで行ったのにまた降り出してきた。なのに、もうクラさんはザイルを結んでいる。登る気満々である。私は雨だったらもう登る気かしない。ますます雨足が強くなってきたので、私は一足先に帰ることにした。男性4人は2組に別れてもう登りだしていた。

私はこれじゃあ沢登りじゃないかと思いながら、その様子をテントの中から見物していた。見ている分には、けっこう面白かった。みんなの姿は11時頃私の視界から消えた。その後私はシュラフに潜り込み寝てしまった。12時頃みんなの声が聞こえてきて目が覚めた。みんな濡れ鼠だ。よくやるよ。登ってきたみんなを羨ましいとは私にはとても思えない。

帰ったみんなは濡れたまま、飲み会となった。そのうちめいめい居眠りを始めた。そのうち、クラさんは隣のテントに行って寝てしまい、なりたまさんはズボンまでビショビショのまま丸虫のように丸こまり、がたがた震えながら眠っている。何という人たちか。

雨は降ったり止んだりの状態になってきた。4時半頃夕食にする。外を見たら青空が見えていて綺麗な虹が出ている。嬉しくなった。明日に備えて、早く寝ることにした。

 

6/8(土)

期待を胸に、3時半に起きて空を見上げると満天の星。やったー。急いでパンとスープで朝食を済ませ、5時に出発した。雪渓を渡ると雨で冷えたため昨日と打って変わってツルツルになっている。恐くてなかなか動けない。アイゼンを持ってくればよかった。みんなはさっさと渡って待ってくれている。雪渓を渡ると池ノ谷乗越までは雪が無く、ガレ場の急登だ。ズルズル滑って歩きにくい。池ノ谷の縦走路を下る。ここからはわりと歩きやすい。三ノ窓のテン場跡が下の方に見えて目印になり、右に行くと三ノ窓にでる。下には三ノ窓谷の雪渓が見える。右にトラバースしてチンネの下部を行くがまたガレ場である。チンネ左稜線はすぐににわかり、取り付きはバンドになっている。本ちゃんはノーザイルでいく取り付きまでが恐い。私たちの後からは、熊ノ岩のもう一組みのテントのパーティーの二人がきた。私とテルさんがチンネ左稜線を先に登ることにして、残り三人は効率よく登るために中央チムニーに先に行くことにした。

早速用意をして、テルさんが最初でそのまま4Pまでリードする。そこで、キャメ事件である。詳しくは説明するとくどくなるので書くのは止めておく。トポ通りにはピッチはきっていない。次は、私がバンドからルンゼを登り、ピナクルを目指した。そしてその右上の次のフェースまで私がリードした。あとでトポを見ると5Pに当たるのか? この辺から何ピッチ目かはよく分からない。ただ私がピナクルでピッチを切らずにそのままフェースを行ってしまい、嫌にザイルが重いのでしまったと思ったがもう遅い。そのままZ状になった重いザイルを引っ張りながら登ってしまった。一度ピナクルで切るべきだった。セカンドを引き上げるのもザイルが重くていやになった。次のリッジ40メートルはコンテで歩くと簡単そうなフェースに出る。ボルトが見あたらずグルッと後まで回り見に行ったが、真っ直ぐ正面から登る。私がリードで行く。後でトポを見ると8P目に当たる。次はT5までテルさん。次は核心ピッチで、またテルさんがリード。ビレーしながら見ていたが、核心はホールドを持っていて「アッ」という、ビレーしている私にも緊張感が走ったが、持っていたホールドが20センチ弱の幅で剥がれたらしい。しかし、かかっていたお助けシュリンゲを持ってA0で突破し事なきを得た。つぎにセカンドで登ったときに、ホールドが剥がれた跡がはっきりと分かった。(これからチンネ左稜線にいく人はこのテルさんの欠けさせたホールドを確認してきてほしい)左手でその隣を持つとやっぱりグラリときた。上からテルさんが「右にガバがある」というのを聞いて右手を出すとほんとにガバがあり、スメアもきいて「なぁーんだ」という感じだった。その次ぎはそのまま私が行く。三ノ窓谷の雪渓が下の方に小さく見えるが、まるで絵はがきか何かを見ているようで不思議と恐さは感じない。高度感はすぐに馴染んでしまうようだ。回りが全て岩だらけである。これで天気でも悪ければ、私の印象もまるで違って見えただろう。ひょっとしたら地獄の谷の体にも見えたかもしれない。山は天気で全く違った顔を見せる。

後は、チンネの頭までテルさんにいってもらった。高度感はあるが、簡単だった。頭に立って記念写真を撮ろうというので上に立とうとしたが、ここで初めて恐くなった。結局またいだ状態で撮った。出来上がった写真を見ると、少し情けない。交代で写真を撮っていると、後からのパーティーがやってきた。そして、手紙があるのを教えてくれた。クラさんパーティーからだった。すでに11時半に登り終えていて、もう一本左稜線を登ると書いてあった。私たちは、もうテン場に先に戻ることにした。腹ごしらえをして、私たちもその旨手紙に書き残しておいた。少し下まで降り右の方に行くと懸垂の支点があり、そこを懸垂で降りると、そこは池ノ谷の縦走路だった。少し登ると池ノ谷乗越だ。ガレ場を下り、テン場である熊ノ岩に戻った。雪渓は朝のように滑ることもなく柔らかくなり渡たりやすくなっていた。

クラさんパーティーは遅くなるだろうという予測していた。なりたまさんが昨年に来たときに作ったという、テーブルセットがまだ残っていて、そこで熊ノ岩からの眺めを堪能しながら、二人でビールを飲んで過ごした。私はビールのせいか寒くなりテントに戻って、うたた寝をしていた。テルさんは外でみんなの帰りを待っていた。やっぱり、遅くなりそうだ。そのうちに、いつ帰ってもすぐに食事が出来るようにと用意をしておくことにした。6時半ごろ大分薄暗くなり心配しだしたころ、石がガレる音にまじって声らしい音が聞こえた。テルさんがヘッドランプで照らすと、向こうからもライトの光が見えた。これで一安心した。7時少し前に帰ってきた。みんな元気いっぱいだった。そして、達成感で満たされているようだった。

すぐに残りのビールで乾杯して食事が始まった。みんなご機嫌だ。明日の午前中にもう一本近場の八ツ峰Aフェースを登って帰ろうということで、話はまとまった。

 

6/9(日)

昨夜、早起きしてもう一本登って帰ろうという話は、寝坊してというか…。いや起きられずに必然的に流れた形となってしまった。誰も起き出さなかったのはやっぱり疲れていたのだろう。

起きたときは天気だったが、だんだん下の方から雲が張り出してきた。雲が頭上まで来るのにあっという間の出来事だった。雨がポツリと降り出した。こんなにも早く雲が動くのを初めて見た。誰かが「登らなくて良かったね」と自分に納得させてでもいるようにいっていた。急いでテントを撤収して下山する。一時間ほどで、長次郎沢と剱沢の出合に出た。なりたまさんと、別れを告げ反対方向に行く。ここからの雪渓の登りがきつかった。そして、剱沢までも登りがきつい。雨は止んだり降ったりだった。雷鳥平までの下りも晴れているのに雨が降っているという状態だ。最後のおまけの、地獄のような地獄谷からの石段の登りにヘキヘキしながら、室堂にやっとたどり着いた。

立山に着くと真夏のような暑さと晴天が待っていた。雨だったなんて、全く嘘だったみたいだ。gataさんからも聞いていたが、この前は入れなかった、厚生年金センターの温泉にクラさんに案内してもらい、さっぱりして帰路についた。

 

今回の剱は入山から雨ばかりのなか、やっと恵みの快晴を一日与えてもらい、それも一度は登ってみたいと前から思っていた、チンネ左稜線に登れたことは本当に嬉しかった。思い切って行って良かった。今回行っていなかったら、八ツ峰から見るとだいぶ奥になるため、次は本当にいけたかどうか分からなかっただろう。やっぱり少し無理をしてでも行けるときに行っておいたほうがいいと思った。

チンネ左稜線は本当に長いルートで、高度感も充分あり、眺めも素晴らしく、それでいてそんなに難しいところもなく(核心も5級というが、お助けシュリンゲがあったためか)人気ルートであることが理解できた。

たまたま、雨の予想があったためか空いていてよかった。よく耳にし、私の中で言葉が空回りしていた三ノ窓とかチンネとかが、やっと実感として体現できた。

これからはますます剱の岩場が身近に感じられるようになるだろう。

錫杖岳・3ルンゼ

錫杖の写真

【 題名 】 錫杖岳・3ルンゼ

【 期間 】 2001/09/22(土)晩〜2001/09/24(月)

【 参加】ko/konとマリリン、naritama/mizu、I/iku、

ハイキング=okaとkoya

【 山域 】 北アルプス

【 山名 】 錫杖岳(2168M)

【 形態 】 クライミング

【 地図 】

【 資料 】 白山書房/日本の岩場・山と渓谷社/日本のクラシックルート(アルパインクライミングルート集

 

--------------------[ コースタイム ]マリリン記録--------------------

22日(土)

20:00 京都駅集合 → 20:15 京都出発 → 1:00 槍見温泉駐車場・テント設営・仮眠

23日(日)

6:00 起床・朝食 → 7:10 駐車場出発 → 8:30 テント場予定地到着・ここで錫杖岩の全景を眺め、水を補給・休憩 → 8:50 出発 → 9:25取り付き場到着 → 9:50 登攀開始 → 14:50 登攀終了 → 15:10下山・懸垂下降 → 15:50 懸垂終了・登山道下山 → 17:30 駐車場戻りテント設営予定地は先客が多数のため、設営を断念。温泉地近くのキャンプ場にて設営。19時過ぎから夕食の準備及び宴会。翌日の予定について話し合う。結局アプローチの時間や登攀時間、帰りの渋滞などを考慮すると、厳しいということで、翌日はクライミングをせずに温泉につかって早めに引き上げることとなる。22時就寝。

24日(月)

7:00 起床・朝食 → 9:00 片付け → 10:00 槍見の湯「槍見館」 → 11:30 温泉地出発 → 12:00 昼食 → 12:40 帰路につく→ 18:30 茨木到着

--------------------[ 山行記録 ]--------------------

今回の錫杖は、雪稜の初級岩登り講習会の総仕上げとして、卒業山行であった。メインは薫ちゃんと、マリリンである。リーダは、こーさんことkoさん。そしてたまたまアメリカ放浪クライミング中なのだがやむなく一時帰国となってしまったO-だんなのokaさん。東京からはなりたま(naritama)さん、ハイキングに参加の小谷野さん。そして、今雪稜に見学中のIさん。Oさんの助っ人があり特別参加を認めてもらったmizu、そしてわたしである。

22日午後8時に京都駅に全員集合。

23日午前1時着。すぐに駐車場でテントを張り仮眠する。フライ無しだったせいかかなり冷え込んで寒かった。駐車場はざわついていた。やはり連休のいい季節なのでいっぱいだ。朝6時におきる。小谷野さん、なりたまさんの東京組と、Iさんのご家族と合流。Iさんは子どもさんを旦那さんに託しての参加である。こんなに、混んでいてはとても取り付き近くのテン場は確保できないだろうと言うことになり、ベースはこのままで、登攀具のみ持参で、駐車場に日帰りすることにし左方カンテは混むだろうということで3ルンゼの登攀になった。そこでパートナーを決めて、ギアを調整していたら、Oさんがハーネスを持っていないと言うことが判明。事情はOさんが持ってきたのは、フラットソールとチョークバッグだと、こーさんに言ったのだが、こーさんはフラットソールとハーネスを持ってきたと聞いたらしい。それで、急にOさんは行かないことになった。こうなるとパートナーの組み合わせに影響が出てくる。

結局、こーさん-薫ちゃんとマリリン、iku-I、なりたま-mizuという組み合わせで登ることになった。7時過ぎ、残り組のメンバーに別れを告げて出発した。槍見温泉から笠ガ岳への登山道をいく。結構な登りである。寒かったのがすぐに暑くなる。30分ほどで上着を脱ぐ。1時間20分の登りでクリヤ沢と錫杖沢の出合いに着く。やはり、予想通りテン場の空きはなさそうである。後で私たちを取り付きまで追いかけてきたOさんが

数えたところ十数張りあったそうだ。

ここから少し行き、左に沢を渡るとクリヤの岩小屋だ。ここも4張りのテントで満員御礼である。その左の脇に踏み跡があり、そこからかなりの急登を30分ほどで取り付きに出る。出だしは水が染み出していていやらしそうだ。私たち(I-iku)は最初に登る。次ぎになりたま-mizu、最後にko-マリリン、薫。という順番になった。私たちの組みはじゃんけんに負けて、Iさんが先にikuことになった。基本的にはつるべで行くことにした。

少し岩をよじ登ったところの支点から1p目をIさんが最初に行く。1p目は大きな岩を乗っ越すのが恐い。濡れているので余計に恐く感じる。そこを登り切ったところで、Iさんはピッチを切った。1p(F1)の真ん中だったようだ。続きは私である。トポの2p目(F2)はIさん。

3p目(F3)は私である。3p目は割と難しく、リードをすると恐い。A0になってしまった。

次の4P目は、Iさんであるがチョックストーンの下からくぐって上に出ていた。出たところはけっこう広いテラスである。後でトポを見たら、「ここはチョックストーン裏側を登るより左のフェースの方が快適」と書いてある。後続のみんなは左にいった。

つぎは私のリードで大きなルートミスしてしまった。左のスラブにボルトやハーケンが見えていたのと、わりと登りやすそうに思えて私はここがルートだと信じ切って登りはじめたところ、ハーケンの連打がコーナークラックにあったあと急に上になにもない。プロテクションが見えないのに上に行くにはとても勇気がいる。しばらく思案していたが、ここまでくれば上にいくしかない。少し登ってみるがまだプロテクションが取れない。一瞬恐怖が走り、「こわい〜」と言いながら探していると、右にハーケンかボルトが見える。

それに、向かってそーっと足を開いて小さなホールドに右足を載せる。それからそーっと体重移動をした。うまくいった。やっとプロテクションがとれて一安心。やっと緊張感もほぐれ、そこから少しいくと終了点があった。嬉しくて、ホッとした。Iさんに登ってきてもらった。その下からは、なりたまさんも同じルートを登ってきている。

登ってきたIさんに、そのままリードしてもらった。そこからも結構難しくなかなかザイルが延びない。Iさんが登り切って、「何かここ変ですよ。間違ってるみたい」という声。「えーっ、どういうこと」なんていいながらとにかく次ぎに私が登る。Iさんのビレイしているところまで登ると、そこはシュリンゲがいっぱい付いていてあきらかに懸垂の支点に見えた。セルフを取って辺りを観察。上に大きな逆層の壁が立ちはだかり、右に上に3ルンゼのコルが見える。第三フェースに突入したことが理解できた。さてどうしようかということになった。このままとても登れない。右にトラバースすれば6P目の終了点辺りに出そうだ。しかし登るのも大変なところをトラバースなんてとんでもない。そこにいっぱいかかったシュリンゲを見ても、ここに紛れ込んだ者の取った行動は明らかだ。我々の結論も、右へ倣え、ということになって懸垂をすることにした。斜め右にコースを取って降りると、F6のテラスに出られ、5P目はショートカットできる。そのテラスでは私たちとなりたまチームを追い越した、こーさんがすでにセカンドを上げるためにビレイをしていた。

まずはIさんが上手く斜めに所定の位置に降りた。それを見て、私も落下位置を定め下降した。そこではこーさんが下から上がれないでいる薫ちゃんに大声でアドバイスをしていた。しかし、それでも大変なようでザックを先に上げようとしていた。しかし、私たちは自分たちのことで精一杯の状態である。私たち(iku-I)は間違って2ピッチいったが、そこを1P分をすでに登っていたなりたまさんがやはり懸垂で下降したようで、下のテラスは賑わっていた。よく考えたら私のミスで、かなりの被害がみなさんに被ったようだった。私の未熟さ所以の出来事なので、申し訳なく思う。登る前も途中もトポを見てはいたのだが、ほんとにルートをちゃんと把握するのは難しい。帰ってから改めて見るとやっと自分の行動が明らかになるという次第だ。いい経験をまたまたした。

ここで、また気をとりなおしてやっぱり一番に出発したのだから一番に行きたいという私の気持ちもあり、こーさんチームがもたもたしているうちに登ろうと思った。Iさんがリードで右の方から行ってくれたが、ここも途中からプロテクションが無く恐いといって降りてきた。もう一度チャレンジしてかなり上まで行ったがクライムダウンして降りてきた。そんなことをしているうちに、こーさんチームは全員登ってきた。そしてこーさんは「僕だったらこっちだ」なんていいながら真ん中のチョックストーンにさっさとフレンズをかましてかっこよく登ってしまった。いつもながら、すばやい。正直な感想だと、私はここをリードは難しいと思っていた。それならまだ右ルートの方が行けそうにも思っていた。それで、仕方なく私たちもここを登ることにした。我々はもうリードはあきらめて、こーさんチームの最後のマリリンにザイルをくっつけて上がってもらうことにした。最後の難所で何とも無念な複雑な気持ちが私のなかで湧いていた。それは、悔しさとホッとした気持ちと錯綜したものだった。これが実力だったんだと、今は素直に思っている。セカンドだとわりと楽だった。「なんだ、これだったら行けたかも!」なんて、また心の中では、あさましく負け惜しみをつぶやいていた。次のなりたまチームも、私たちに習って登ってきた。

そこでザイルを片付け靴を履き替え腹ごしらえをしながら全員終了するのを待つ。最終ピッチは、あきらかに簡単な草付きのガレた岩場になっていた。そこを登り切ったところがコルである。穂高連峰の展望が開ける。槍も小さいながらよく見える。

今回登攀した3ルンゼからの展望はあまり良くなく、どうしても隙間から覗き見していているという感じだ。私としては不満足な感もあったが、ここからの眺望で帳消しにしよう。

そこからは反対側に少し不安定な立木を支点にして懸垂を4回。そのままガレ場を下ると、登山道に出る。クリヤ谷に出合う。ここまでの下りが、けっこう長く感じた。

駐車場に着いたところ、小谷野さん、Oだんな、Iだんなさんと子供さんが待っていて、Iさんの子どもさんが駈け寄ってきた。嬉しそうである。みんな揃ったところで、ギアを片付け、なりたま、小谷野、Oだんなはビールの買い出しにいった。

もう大分暮れかかっていた。最初は新穂高の駐車場でテントを張ろうということで向かったが車でいっぱいだった。仕方なく、上の方に張れそうなところを探しに行ったが、見つからず、小谷野さんが聞いてきてくれたところ、近くにキャンプ場があるという。

私も、7-8年前にキャンプ場を通ったのを思い出したがなかなか見つからない。シーズンが過ぎていたので、電気もきえていたせいもある。真っ暗でよく見えないが、何張りかのテントはすでにあった。これも後で地図を見たら新穂高野営場として載っていた。

やっとの事で、食事と寝どころにありつけた。いつもの如く、雪稜の食事風景が始まった。最初の人はこの風景を見て必ず驚く。腹ごしらえも一段落したころ、明日の予定になった。

みんな疲れていたのと、帰る時間と、アプローチを考えると引いてしまった。唯一、Oだんなのみ登攀意欲を見せて、「注文の多い料理店」に登りたいなどと言っていた。私も、左方カンテに少し未練が残っていたが、総合的に考えて無理だろうと思っていた。やはり、ベースは近くに置いた方がいいと思った。

結果としては次の日は6時前に私とOだんなは目覚めた。そのうちになりたまさんとOだんなはビールに手を出してしまっていた。そのうちに隣のテントで寝ていた、薫ちゃんとマリリンも起きてきて(実は早くから起きていたらしいが)朝食にとりかかった。ここはロープウェイへの抜け道にもなっていて、人がぞろぞろと覗きながら通っていく。

後はする事もなく、温泉に入って帰ろうということになり、槍見温泉に向かった。Oだんなのみ無料の混浴露天風呂に入ったが期待はずれだったらしい。槍見温泉の風呂はぬるかったが、出た後はわりと暖まっていた。熊牧場近くで昼食をとり、そこで関東組と別れ賑やかに帰路に就いた。

 

秋田の山と温泉・蔵王/朝日岳/鳥海山

秋田の山・写真

【 題名 】 秋田の山と温泉・上山温泉〜蔵王〜蔵王温泉〜朝日鉱泉〜朝日岳〜鳥海山〜湯殿〜温海温泉

【 期間 】 2001/10/05(金)〜2001/10/11(木)

【 参加 】iku、T、他(婆さんA、婆さんB)

【 山域 】 東北

【 山名 】 蔵王岳・朝日岳・鳥海山

【 形態 】 登山・観光

【 地図 】エアリアマップ8「鳥海山」・9「朝日岳・出羽三山」

【 資料 】

--------------------[ コースタイム ] --------------------

10/05(金)6:30出発→7:00京滋バイパス→名神高速道路・米原→北陸自動車道・新潟中央→

磐越自動車道・郡山→東北自動車道・村田→gata自動車道・gata蔵王→gata16:00→上山温泉(ホテル古窯)16:30

10/06(土)上山温泉ホテル出発10:00→ニッポン国古屋敷村・観光→蔵王エコーライン・ドライブ→お釜見学(リフト)→14:00蔵王温泉(つるやホテル泊)

10/07(日)蔵王温泉ホテル出発10:00→鳥兜山(1387M)(ロープウエイ往復)散策到着→若松屋旅館に母と叔母を送る14:20→15:00gataでt待ち合わせ→ 17:15朝日鉱泉・ナチュラリストの家(泊)

10/08(月)朝日鉱泉・起床4:10・出発4:45→8:10鳥原山(1430M)8:30→9:25小朝日(1647M)→10:40金玉水への分岐11:00→11:20大朝日小屋11:35→11:43大朝日岳11:47→鳥原山への分岐→16:00朝日鉱泉16:30 → 18:30左沢駅近くのそば屋で食事19:30→gata自動車道→おけさおばこライン(酒田街道)→鳥海ブルーライン→21:15国民宿舎大平山荘の駐車場でテント設営(泊)国民宿舎大平山荘の駐車場22:00就寝

10/09(火)国民宿舎大平山荘の駐車場・起床5:25・出発6:00→6:05鉾立(1150M)・朝食・出発7:00→賽の河原(1510M)7:55→8:24御浜小屋8:50→千蛇谷→10:50御本社11:05→11:23新山頂上(2205M)11:38→11:57昼食13:00→14:55御浜小屋15:10→16:15鉾立駐車場17:00→酒田・食事「伊豆菊」→櫛引PAの東屋でテント設営・21:30就寝

10/10(水)櫛引PAの東屋・起床5:15出発6:30→湯殿山神社駐車場→鶴岡観光→13:00温海温泉(萬国屋:泊)

10/11(木)温海温泉9:00→19:30帰宅

鹿島槍ヶ岳(プレ冬山)

写真

【 題名 】 プレ冬山・鹿島槍ヶ岳

【 期間 】 2001/11/22(木)〜2001/11/25(日)

【 参加 】M、ko、k、tk、gata、iku、tni、saka、naka、O(特別参加)

【 山域 】 北アルプス・後立山連峰

【 山名 】 鹿島槍ヶ岳

【 形態 】 登山

【 地図 】エアリアマップ3「鹿島槍・黒部湖」/「神城」「十字峡」

【 資料 】

【コース】

11月22日(金)京都駅22:00集合22:30発→

11月23日(木)大谷原4:00着・仮眠6:30起床・7:40出発→8:35西俣出合8:45→休憩(30分)→11:30高千穂平12:00→13:40冷乗越14:00→14:30冷池山荘テン場・就寝19:30

11月24日(土)4:00起床・6:30出発→9:00鹿島槍ヶ岳(2時間過ごす)11:00→12:30テン場

(gata・tk13:15爺ヶ岳に向かう16:00帰る。ko、naka15:50、saka16:15ぐらい。この辺は時間が確かではない)就寝20:00

11月25日(日)3:30起床・6:00出発→6:55高千穂平7:15→8:20西俣出合8:40→9:20大谷原9:50発→10:10薬師の湯11:10→11:50食事12:40→土産物屋・わさび漬屋→7:00京都

 

 

【感想】

 

今回のプレ冬山山行「鹿島槍ヶ岳」は総勢9名だった。あとの1人は一日遅れの入山だった。そしてその中で私は紅一点だった。この点で私も少しは悩んだ。それは体力的なことだ。若い人が多い上に男性ばかりでついていけるのだろうかということもあった。

しかし鹿島槍は魅惑的だった。今年の夏も剱から眺めながら、いつか登りたいと思っていた山の一つでもあった。地図で見ると、大谷原からの標高は1250メートルである。だんだん厳しい山行は引く気持ちが大きくなってきている。反面今のうちしか行けないという思いもあり、つい行きたくなってしまう。実際荷物を担いでの山行はかなりしんどいものだ。

葛藤の末、行くと決心してからも何だか不安な気持ちを払拭できなかった。今の会に同世代の同じような志向の女性がいてくれれば本当に嬉しいと思うのだが…。無い物ねだりは仕方がない。何とか行きたければ頑張るしかないのだ。

といわけで、うだうだ言っても仕方がない。結局出発日を迎えてしまった。22日京都駅に一番に着く。徐々に集合。10時半の30分遅れで2台の車で出発。途中私も運転を交代した。あとはうつらうつらと眠りながら大谷原についた。しかし私の睡魔は限界状態でそのまま、車で毛布にくるまり寝てしまっていた。仮眠は2時間ほどで、私は車から降りる気力もなくしていた。目覚めたときはとても寒かった。朝そのまま冷たいおむすびをほうばり、無理矢理お茶で流し込み出発の用意をした。

立派な林道が西俣出合いまで続いている。こんなにいい道だったら車が入るのにと思いながらも歩く。昨年は新穂高の林道を歩いているときにコフラックのプラブーツで親指の裏に水ぶくれが出来てしまい。そのあとも辛い思い出となったのだが、今回は新調したローバーで足のトラブルはない。少し当たるところには、前もってケアーをしておいたお陰で帰りまで足は問題なかった。

西俣出合いからは急登である。30分もたたないうちに息切れがして体が火照り、汗がしたたり落ちてくる。こりゃちょっと様子がへんだ。最後尾になってしまった。しばらく休むことにした。上着を脱ぎザックを下に下ろして休む。30分ほどしたら気分も回復また歩き出した。あとは自分のペースを取り戻せた。

急登のしんどい分、ぐんぐん高度を上げていく、雪の被った稜線が近づいてくる。高千穂平につくともう最初の何組かが休んでいた。会のメンバーがいたが私とは行き違いに出発するところだった。もっと先に行った二人はすでに先発してしまっていて影も形もない。私はここでまた30分休んでしまった。

ここからは雪も深くなってきた。ふかふかの雪は苦手だ。足が重い。自分でもかなりのゆっくりペースだと思う。しかし帰ってから地図を見ていたらコースタイムは大谷原から冷池山荘まで6時間10分である。私は休憩も入れて6時間だった。私のいつものペースから見たらこんなものだ。

冷乗越の稜線に出ると向こうに立山連峰が美しい姿を現した。疲れも吹っ飛んでしまう。ここで先頭以外の他のメンバーと合流し、美しい剱をバックに写真を撮ってもらう。冷池山荘はもう見えていた。一安心である。

冷池山荘の前にはもうすでにテントが数張り張られていた。われわれの、ジャンボも加わる。温かいミルク紅茶に一息つく。

次の日24日は鹿島槍ヶ岳の往復である。朝から食欲がなく無理矢理流し込む。体調は思わしくない。ちょうど出発の時、美しいご来光が見られた。最後からボチボチついていく。マイペースである。昨日と同じようだ。リーダにマイペースで行きますのでと言って自分のペースで行くことにした。気分的には楽になってきた。布引山の登りと南峰の登りはホントにしんどい。特に南峰への登りは急に思えた。天気もよく眺めは素晴らしい。2時間半かかかって私は頂上を踏んだ。すでにそこには先着組みのうち、残っていたのはk、tkさんのみで、お湯を沸かして紅茶を入れてくださっていた。ko、saka、nakaさんはキレット小屋まで、M、gataさんは北峰までいった。私は目の前にアップで見える剱に大感激。しばらくは呆然とたたずんでしまった。ほんとに綺麗。夏にいった源治郎尾根や八ツ峰、チンネや三ノ窓雪渓を目で追う。いろいろとその時のことが思い出される。夏には反対からこの鹿島槍ヶ岳をいつか行きたいと思いながら見ていた。こんなに早くそれも雪の鹿島槍に登れて幸せである。

展望は何一つ遮るものもなく視界に入ってくる。tniさんの「あれは白山、蓮華、針ノ木、富士山、雄山、白馬…」という声をぼんやり聞きながら陶酔のひとときを過ごした。最初は寒かったが、そのうちに慣れたのか寒さも気にならなくなった。北峰にぃったMさんに写真を撮ってもらいたくて、2時間ほど待ちながら過ごしたが、ちっとも長くは感じられなかった。いつもは頂上であまりゆっくり出来ず、別れを惜しみながら下山することが多かったが、この日は堪能するぐらい頂上からの眺めを楽しんだ。この至福の時が、私の心を浄化してくれるのがわかる。

 

 「…しかし苦しみのないのはなぜだろう。ただこの景色を一幅の画として観、一巻の詩として読むからである。画であり詩である以上は地面を貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲けする了見も起らぬ。ただこの景色が――腹の足しにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も心配も伴わぬのだろう。自然の力はここにおいて尊とい。……」 (漱石の草枕より)

 

私はまさに地上での雑念は忘れてしまって、この雄大な大自然にのみ心を楽しまされている。たまにはこんな贅沢な場所で、のんびり過ごすのも良いことだと思う。

Mさんに写真を撮ってもらい大満足で引き返した。鼻歌で歩いていたら、「ikuさん」と呼びかけられビックリ仰天。Oさんだった。そういえば一日遅れで来るようなことをアイゼントレの金比羅でおっしゃっていたのを思い出した。24日6時頃大谷原出発だったらしいがすごく早い。しばらく立ち話をして、反対方向に別れた。

布引山からの降りは、アイゼンにつく雪で手を焼いた。団子になると転びそうになる。高ゲタ状態だ。プレートがついているにも拘わらずである。他の人はここはアイゼンを外したらしい。

テン場に帰ってから、tkさんとgataさんは爺ヶ岳に向かうというので、水作りの氷を取るのを手伝った。あとはしばらくして帰ってきたMkさんとお喋りをしてのんびりと過ごす。

そのうちに、Oさんが鹿島槍をピストンして帰ってきた。2時にkoさんたちと無線が繋がって3時半ごろ帰るという。私たちは鹿島の方に目を向け稜線を追う。Mさんのまた空振りの「見えまっしゃろ!」という言葉に私も目を凝らして見てみる。しかし人であるような無いような点々は、動く気配は感じられない。あれがそうだ。これがそうだとめいめいが言っているうちに、やっと布引山の下あたりに動く点が見えた。これこそ本当だった。

そうこうするうちに、爺ヶ岳組もご帰還。全員でテントに入り温かい紅茶でくつろぐ。夕食はOさんも交えて総勢10名で賑やかにはじまった。kさんの作ってくれたペミカンが多いと言うことで何らかんらといっていたが、みんな綺麗になくなった。10人分はやはり想像を絶する量になる。とても美味しいカレーだった。

その日は、8時頃眠りについた。

次の日は、3時半起床6時出発である。毎朝2時間半起きてから出発までかかっているが、それはやはり水作りに時間がかかる。たまたまつららが小屋から垂れ下がり、その下の氷を取れて少しは早いと思ったのだが時間はけっこうかかる。暗いうちにテントを撤収し、朝焼けの中を降り始める。やっぱり降りは楽だ。高千穂平まではアイゼンを着けて歩く。ここで鹿島槍ヶ岳をバックに全員で記念写真を撮る。いよいよ、お別れである。登るときあんなにしんどい思いをしたのに楽勝で下れる。アイゼンを外したがところどころ凍っていて滑ってしまった。ホントに降りは早い、大谷原まで3時間20分である。さらに小さくなった鹿島をバックに最後の別れの記念写真を撮り、名残を惜しみながら帰路に就いた。