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浄土真宗の実践活動の教学的根拠について考えてみる 2


真俗二諦と恵覚の教学

 本願寺派では明治維新期の広如の時代より国益にかなう社会貢献が推奨され、そこでは真宗独自の真俗二諦論が用いられてきました。しかしこの言葉に含まれる教学的な内容が、次第に大きな問題となっていきます。つまり真宗の用いている成仏道を真諦、世間道徳を俗諦とする真俗二諦の概念が、龍樹の説く第一義諦・世俗諦や親鸞が『化身土文類』に引用する『末法灯明記』にみられる一如と仁王とどのように関係するのかという点や、二諦がどのように交渉して衆生の上に現れるのかという点が大きな問題となっていきます。恵覚はこれについて、

  「之を仏説の『三部経』に探すに見ませぬ。之を七高僧の論釈に求むるにありませぬ。宗祖聖人や、覚如宗主はた中興上人のうへにも、さらにこの語は見当たりませぬ」

とその根拠を見いだすのは難しいとしながらも、

  「転迷開悟の道程に進行する方法が真諦で、時処に相応したる適宜の行動を俗諦といふのであります。近く『領解文』に就て言はゞ、先づ安心を治定し、その上より仏恩報謝の称名を相続し、尚教示の師徳を感戴する、此等の前の三節がこれ真諦で、後の信心治定のうへは聖人指示の法度を守るとあるが、即ち俗諦であります。是を弥陀如来本願の本源についてうかがわんに、摂取の願力を信ずる初起の三信より仏恩を感謝する後続称名の乃至十念までがこれ真諦で、唯除逆謗の抑止の仏意が、即ち俗諦であります」

と真諦と俗諦の関係を『領解文』と本願文の上で解釈しています。真諦と俗諦がどのように交渉するのかという点は当時の宗学者に様々な説が見られ、例えば赤松連城は弥陀の願力に最大限の影響力を見て、名号から相発する願力によって、衆生は任運にしかも積極的に廃悪修善を行えるとする直接的影響説を説いていますが、恵覚はここまで直接的な影響を見ず、間接的に機無なる衆生に何らかの影響が及ぶとするようです。
 ここで恵覚が名号法から相発するものをどのように捉えていたかという点について、その教学の内容を簡単に確認しておきましょう。

 まず大行論についてですが、恵覚の書いた「真宗の教行信証」という論文には、

  「行といふは、南無阿弥陀仏の名号の謂で、前の教即ち釈尊が大経に説き詮された法体で、衆生信仰の対象である。第十七の願に、「十方諸仏に我名を咨嗟称られんと誓はれた」我名とあるのが、南無阿弥陀仏で、第十八の願に乃至十念とあるの法体」

と法体大行を示しており、称名については、

  「法体円成の故に、機受は無作なり。機受が無作ならば、法体円成ならざるべからず。衆生の称名に此二徳を具す、(中略)称名即ち名号なり、即ち信心なり、といふ他力不共の行」

と法体大行の独用による信心と称名の相発が述べられています。また、

  「南無阿弥陀仏の名号は、衆生往生の行として成就せられたるが、衆生の之を受くる全相を云はゞ信ずると称ふるとである。(中略)本願に「至心に信楽して我国に生れんと欲して乃至十念せん」とある十念といふは、衆生が信心治定の後に念々相続する称名の行である。(中略)乃至は不定の辞で、この不定の辞を十念に冠らせたるが、修行の長短にも?数の多少にも拘はらぬことを示すので、この意義を推し拡むれば、有無不定までにも帰着せねばならぬ。即ち正因満足安心定得の上の報恩の行たる意趣が伺はれる」

と述べて、名号から相発するものは信心と称名であって、その上で信前称後、信因称報の関係が述べられており、これらは主に善譲を承けているように思われます。

  次に五念門観ですが、これは本願文における乃至十念の誓意と密接に関わっていて、名号に備わる仏徳の根拠となるものです。これについては、

  「五とは数法で、行に五あるが故なり。念とは此に約仏約生の二釈あり、約仏釈では、念は観念を謂ふ、通途の所談では、六度の行の中、前五を福とし、第六を智とし、而して智を主として、福は之に従ふといふ。三業二利の萬行は、観を以て主となす、故に観に余を従へて五念といふ、通途に準じて法蔵の所修を顕す、故に此名あり。約生釈では、此に亦二義あり。一には、念とは憶念で即ち信心を謂ふ、上に偈文の一心を釈して念無碍光如来といふ、彼念の言は偈の帰命の意で、即ち一心の信心なり。五念は衆生三業の行なれども、皆一心信心の所修なるゆゑ、五通じて念と名けたもの、此は安心に約して解釈するなり。二には、念とは称念で即ち称名を謂ふ、五念門中の讃嘆門の称名なり、此五念門を衆生所修の報恩行となすときは、讃嘆門の称名が主となる」

と述べており、約仏では「念」は「観念」の念で、五念門全体は法蔵の所修の行、約生では「念」は「憶念」つまり信心で、その略讃が本願文「乃至十念」の称名ということとなるのでしょう。さらに『往生論註』の起観生信章を釈して、

  「五念の因、五徳の果、すべてこれ願力回向で、如来成就ならざるなしと示すなり。極めて之を言へば、衆生の為に成ずる法蔵所修を、衆生に施設したるものと見る意なり、之を約本となす。已に三業二利の行を成じたるが正覚なり、名号なりで、其を信知せるが是一心で、此一心が速得菩提の因といふは、仏徳全じて因となり、一心が仏徳を全領せるに由る」

と起観生信を観(聞)即信の関係で見ているようです。つまり名号に込められ届けられるのは、聞かせしめ信じさせ称えさせる徳であるから、ここでも名号に相発するのは信心と称名が中心ということになると思われます。また、

  「安心は是れ決定の正因にして、起行作業は其相続報恩の務なり」

と報恩による称名の相続が述べられていて、これは主に慧海の報恩義を承けて、善譲の体具・相発説と近似するものと言えそうです。

 以上のように恵覚の理解では相発するものは信心と称名が中心のようです。それではここからどのように積極的な社会的実践活動への論理を導き出したのかを見ていきましょう。

明治末期の実践の論理 ― 歓喜

 まず恵覚が勧学になった明治四四年の社会の雰囲気について、明治四四年の宗祖六百五十回大遠忌に出された門主鏡如の『御消息』には、

  「宗祖大師の大遠忌は一宗重大の式典なり、余幸にこの勝縁に値ひ、巨万の同朋と共に二期の法要を修了せしこと喜び之に過ぎず候、然りと雖も若しただ一時の盛況に止りて、将来発展に資するなくんば、報恩謝徳の真意に副からず、是れ深く意を留むべき所なり。抑大師の一流は教義真俗に亘り、利益現当にあまねし、其真諦はかねて申示す如く、具縛の凡夫如来の願力によらずんば、いかでか生死を出離することを得ん、故に一向に弥陀に帰し一心に本願をたのみ、毫末も自力の妄計をまじへざれば、往生は仏の方より治定せしめたまふ、この信決定の上よりは、行住坐臥に称名相続し広大の仏恩を念報し奉るべし、俗諦に於ては王法を本とす、つらつら方今の世態を観ずるに、貧富日に遠ざかり互に軋礫を醸し、邪見熾盛にして動もすれば常道を逸す、是れ深く恐るべき所なり。顧るに朝旨の存する所博愛を先とし慈善を急とす、彼れを思ひ此を考ふるに、苟くも仏教の弘通に志す者、世道を正うし救済に勤めざる可らず、本宗の行者触光柔軟の願益を仰ぎ、当相敬愛の金言に随ひ、宜く同朋相励まして人の後に在ることなきを期すべし、能くこの旨を体せば社会の安寧以て保つべく、国体の精華以て存すべし、仏の履したまふ所天下和順なり、大師つねに世の中安穏なれ仏法弘まれと希ひたまふも亦この意なり、希くば一宗の道俗この遠忌に値遇せるを記念とし、益二諦の妙教を遐代に流通すべき基礎を鞏固にし、以て真実報恩の経営に供すべく侯、此旨永く忘却すべからざるものなり」

とあって、ここには宗教ブーム、現実主義、共産主義への警戒、近代的教学研究、御同朋と報恩謝徳の精神からの積極的な社会貢献活動などが注目されていることが分かります。当時は「日露戦争で勝てたのは祖先崇拝のおかげ」として宗教に現実主義が強く求められましたが、真宗が伝統的に世俗的な現世利益を否定していることは広く知られており、恵覚もその時代性を考慮しながら実践への論理を述べています。例えば当時の法話には弁円を引いて、いわゆる世俗的な現世利益が真宗にそぐわないことを述べた上で、

  「吾人の精進と懈怠とは、毫も斯間に没交渉と信ずるゆゑ、生涯平安にして、綽々として余裕ある光陰を送ることを得るのである(中略)出離解脱の一大事件は、此に解決の期に達し、明かに慈光を尋りて、優に大道を歩むことゝなれり、嗚呼、愉快々々、真個に愉快の極みであります」

  「吾人をして斯やうな歓喜の人たらしむるは、真に是れ宗祖であります。(中略)然る上は宗祖の開闡せられたる、真宗を護持することに於ては、吾人の一身を献げ、全力を竭尽さねばならぬことであります。(中略)唯此の実行が真宗を護持することゝなり、仏祖の大恩に報ふことゝなる」

と、信心の利益として平穏で愉快な心境が名号の徳によりなされることを強調し、弥陀の救いが生活の中に慶喜せられて報恩謝徳となり、親鸞の言葉を守らせ自分を律する動機となることを述べています。恵覚はここで実践の根拠として信心にある歓喜に注目するのですが、信心に必ず歓喜が伴うのかという点については、

  「歓喜を釈するに其二途あり、一には初起に約す、二には後続に約す。(中略)今謂く、二途ありと雖も体別なるにあらず。初起の歓喜が一形相続し後続に至るに及んで喜相愈顕るるなり。」

と、歓喜を信心の義相であるとし、信心には初起・後続ともに歓喜があるとしながらも、

  「帰命の一心仏願に安住し大果を決定す、即ち堕獄の恐惧心を離れて定生の安堵心を生ず、所聞を愛楽し往生を慶喜す、之を歓喜と名く。若し夫れ定散自力の機は己が修業をもて浄土に生ぜんことを願ふ、懈怠の凡夫自策して生業を修成せんこと甚以難し、是を以て一期慶喜心なし、是れ信の不如実なるが致す所なり。(中略)至心の即是其行が欲生の勅命となりて回向せらるゝゆへ、必ずや衆生心中に聞へて信喜となる、この信喜は全く名義の印現せるものなるをもて、本願の名号をもて十方衆生に与へたまふみのりなり」

と、それが安堵心であり名義の印現であるとして、唯信正因が崩れないよう配慮が為されます。

 次に『消息』に意識されている御同朋については、

  「啻に自分のみならず皆人が此広大な慈悲中に、入るべき人であると知れたなら、利己主義我利々々主義の行ひはできぬ、どうか人も引き入れて、慈悲中に住はしむる様にしたいものであると、誠にうつくしい心を起す様になる」

と、人はすべて弥陀の慈悲中に入るべき存在と捉えており、これが恵覚の考える人間の尊厳の根拠と見て良さそうです。そして一人でも多くの人を信心へと引き入れたいという願いが念仏者を人格者たらしめるところからも社会的実践活動が行われるとしますが、共産主義者に対しては、

  「幸徳等の二十五人無政府共産主義云々といふ、開国未曾有の凶事あり、我々同胞の内にかゝる悪見を持し、驚た考を持たものゝ出現せしことは、実に突飛なことであるが、併し事実は事実である、実に陛下に対して恐れ入った考えを持たものである」

と糾弾しており、御同朋において個人の自由な思想までもが無条件に許されるということではなさそうです。
 ところでこの時期には倫理学や哲学などが教学にも影響し、伝統的な教学以外からも二諦の交渉についての指摘が為されます。たとえば野々村直太朗は、倫理学の立場から信仰と倫理の関係に必然性を認めておらず、恵覚はそういった主張のある新しい学問について、
  「或いは哲学とか、或は倫理とか、此等理論上の研究をしてをる様なことではまどろい、一般にゆきわたらぬ。そこで単刀直入直感的に、我心が道にはまる様になるには、信ずるが最も近道であります」

と、これらよりも信心のほうが直感的としてその優位性を主張しています。当時はこの関係に必然性を見る積極論とそれを見ない消極論があり、伝統的な教学の立場からは主に積極論が展開されていたようで、杉紫朗は当時そこに、機の深信に根底を置いて謙譲や慚愧の美徳を道徳の基本とするもの、万善円備の仏陀の徳を仰いで其の徳の如くになろうと努力するもの、善遷せられた仏の思し召しに注目するものなどがあり、さらにそこに、弥陀に慚じる気持ちや、正定聚や厭離穢土・欣求浄土などに注目するものなどが見られることを述べています。
 このように当時恵覚が重視したのは信後の歓喜を中心とした報仏恩による社会的実践活動ですが、その一方で実践の根拠として歓喜のみを強調するだけでは、親鸞教義の上でも仏教の普遍的価値観の上でも不十分だと思います。本願寺派では反省会などにより積極的に仏教的な廃悪修善を行おうとする活動が行われており、ここで恵覚が機の深信からの実践にほとんど触れないのは不自然に思われるのです。これは恐らく恵覚が日露戦争での戦勝に沸く世論や、世俗的な現世利益を求める世間の風潮を考慮して、明るく強力に推進される信心の利益を強調したためでないかと推察されます。

続く

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