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浄土真宗の実践活動の教学的根拠について考えてみる 1

安芸門徒の実践活動 是山恵覚と福間浄観

 今は忘れられようとしているけれど、明治から大正時代に是山恵覚(これやまえかく)というお坊さんがおられました。是山和上は浄土真宗の学者さんですが、その教学はすごく実践ということを意識されていて、実際に和上も様々な実践活動をされていました。この時代の教学には現代の私達の参考になることがたくさんあると思います。今浄土真宗では対社会の実践ということがすごく求められているのだけれど、その教学的な背景がしっかりしないと糸の切れた凧みたいに変な方向に行ってしまうと思うのです。
 私はこれまで社会福祉を勉強し様々な活動をしてきて、社会的な実践活動ということは宗教者には当たり前と思ってきたけれど、どうも真宗学を学んだ人の中に混乱している人がいるように思うのです。特に、「私達は凡夫であって良いことができない」と強調してみたり、「ボランティアは所詮雑毒の善ですから」と言って、立ち止まっている人たちなんかは、もはやそれは仏教でもなんでもなくて、真宗学を学ばないほうが良かったんじゃないかと思うほどです。迷ったときは、今来た道を振り返ってみることが大事。浄土真宗には深い歴史があるのだから、まずは歴史から学んでみようということで、特に実践についてすごく考えておられた是山和上を取り上げて考えてみました。

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一.社会的実践活動の教学的根拠の問題

 真宗の社会的実践活動の教学的根拠については、現在の本願寺派における大きなテーマの一つであり、これは現在でもなお論じられています。平成二〇年には龍谷大学において真宗学の研究者と社会福祉関係者を交え、真宗教学からどのように社会福祉活動への論理が導き出せるのかという内容で討論会が行われましたが、参加者には複雑でわかりにくいという印象が残ったようです。
 この問題を複雑にしている要因は、親鸞の説いた教義に対社会への実践を直接的に説いたものがみられないということと、教義の中心が弥陀回向の名号法の救いにあり、機無である衆生の行為に一切の効を見ないことにあると思われます。
 また教学理解にも差がみられ、その違いにより様々な解釈が成り立つことも大きな問題です。
 つまり教義から導き出されるものは基本的には仏恩報謝からの活動ということになるのでしょうが、名号から相発する徳が衆生の行為全般に影響を及ぼすとする場合には、衆生の上では弥陀の願力によって任運に廃悪修善の実践活動が行われることになるし、相発するものが信心と称名のみとするのであれば、間接的に衆生の行動に何らかの影響が起こることとなります。
 今回取り上げる是山恵覚(安政四<一八五七>年〜昭和六年<一九三一>年・以下恵覚)は、明治から昭和初期の本願寺派の教学研究の中心にいた一人で、その著作には実践を意識したものが数多くみられます。恵覚の教学理解では、名号に相発するものは信心と称名※と往生のみであって、恵覚はそこから実践の根拠を導き出すのですが、その内容は大正期を境に変化が見られるように思われます。そこで恵覚の実践の根拠の変化とその背景を考察しようと思います。※称名など衆生上の三業の行為については極論で言えば無くても良い感じです。

二.恵覚の略歴とその教学

略歴

 恵覚について簡単にその経歴を概観すると、恵覚は明治末から昭和にかけて活躍した宗学者で、現在の本願寺派の教学にも多大な影響を与えています。
 広島県世羅郡真行寺に生まれ、幼少から漢籍を学び、石泉学派慧海門下の福間浄観(以下浄観)や空華学派の松島善譲(以下善譲)に師事しています。学徹に固執せず理に長けている学説であればそれが誰の説であっても採用する「理長為宗」という研究態度で、能行派といわれる石泉僧叡の学説を復興させたことでも知られます。
 親鸞聖人六五〇回大遠忌の明治四四年に本願寺派勧学・仏教大学教授となり、大正一三年には宗学院の創設における中心的な役割を果たしています。
 恵覚の著作には念仏者の積極的な実践活動について述べたものが多く見られ、当時教団が強力に推進していた御同朋からの社会的貢献活動が強く意識されていますが、恵覚がここで実践を重視する理由として、大谷家との深い関係と、地元広島での積極的な社会的実践活動が挙げられると思われます。
 恵覚は明如に信頼を寄せられ、大谷光明や大谷家の一族などに講義を行い、明如の命により木辺派侍講として本典を講義しています。明如は明治三三年に大日本仏教慈善会財団を設立し、宗門を挙げて社会貢献活動を推進しており、明如と親しい関係にある恵覚が実践的な教学により明如の意向に最大限に応えようとしたことは想像に難くありません。
 また、恵覚の地元広島も大変に社会貢献活動に熱心な地域で、恵覚はその活動の中心人物である浄観に師事しています。浄観は世羅に近い萩原の専教寺に住して足利義山とともに慧海の流れを汲み、明治維新期には開国派として活躍し、頼山陽や山岡鉄舟との交流も伝わっています。明治初期の武一騒動では開国の必要性を説いて農民の説得にあたり、僧侶や門信徒に働きかけて様々な実践活動を強力に推進しており、特に普通学の普及に熱心で、京都の普通教校の設立にも関わっています。
 浄観は困窮する学生に自らの布教の法礼をそのまま学資として与えて勉学を続けさせており、恵覚も少年時代は浄観のスカウトの後に浄観による経済的援助を受けています。
 明治初期に広島県猫屋町の妙教寺での浄観の法話より始まった献金活動は、後に明如より崇徳の名が与えられて崇徳教社闡教部となり、浄観はその総理に就任します。教社では襖張り、木炭販売、鋲打ち、縄作りなどの収益により広島県や本願寺、国への献金活動をして度々表彰され、育児院、感化院、保護院などの少年の保護育成事業を行い、それらには浄観門下の観山綜貫、大洲純道などが深く関わっています。
 またそこでは興学・布教・慈善の三事業を重視して学校の運営や様々な社会貢献活動を積極的に行い、これらが当時の本願寺派の実践活動のモデルとして全国から注目されています。浄観は晩年には世羅教社財団を設立し、地域の教育改善にも多大な貢献をします。浄観の死後も崇徳教社は存続し、大正期には水害、凶作、地震などの被害に対して救援金や慰問品を送っていて、恵覚はこのように社会的実践活動に熱心な人々に囲まれる環境にあって、自らも世羅に光宣寮を開き僧侶や門信徒を集めて教育活動を行うなど、積極的に社会に働きかけて地域の発展に大きな貢献をしています。
 以上のように、恵覚には社会貢献活動に繋がる教学を考察する背景がありました。しかし江戸宗学に代表される本願寺派の伝統的な教学には積極的な社会貢献を意識したものがなく、この解明がこの時代の宗学者に求められていたのです。

真宗における実践の根拠の変化

 真宗における社会的実践活動の根拠は親鸞から恵覚に至るまでに大きく変化してきました。親鸞には直接的に対社会への実践の必要性が述べられたものがほとんど見られず、『御消息』で造悪無碍に対しての抑止を強調している程度であり、存覚、蓮如にも抑止への配慮が見られますが、社会的な実践活動が重視されることはありませんでした。
 そこで見られた抑止について、その主たる目的は造悪無碍を禁ずるためであり、「為政者に念仏弾圧の口実を与えない」ことが意識されていましたが、江戸時代になると幕府と教団においての御恩と奉公の関係が重視されて、その目的が「為政者からの保護」に変化しました。
 幕府は寺院諸法度を定めて寺院をその支配下に置き、従順に幕府に従う教団を公認し保護を与え、教団はその公認と保護に恩を表して一層幕府に協力するという形で返しますが、そこでは幕府の善悪の基準である儒教の五倫五常が実践の根拠として重視されて、儒教的善悪と混同した形で社会的な実践が語られるようになりました。
 またそこでは寺請制度などにより積極的な布教活動が抑制されたため、この時代に社会貢献活動が重視されることはありませんでした。
 幕末の動乱期になると宗教者に慈善的活動が求められるようになり、積極的に社会貢献活動を行おうとする機運が起こり始めます。
 明治維新期には既存の仏教教団は佐幕側とされ、またその教義が仏教非仏説などにより無益とされたために廃仏毀釈の嵐が吹き荒れました。
 本願寺派は早くから倒幕側にあったためその被害は抑えられましたが、維新以後寺院には社会に有用な実践活動が求められるようになり、西洋化の影響を受けながら実践の論理が再構築され始めます。
 そこでは哲学や倫理学などの新しい学問や近代的研究方法が取り入れられ、親鸞を根拠とした実践の論理に回帰することが求められるようになりました。そこで重視されたのがいわゆる真俗二諦の論理です。
 しかしそこでは依然として儒教的倫理観が重視され、新政府と教団との間にも御恩と奉公の関係がみられたために、親鸞に純粋に回帰したところから積極的な社会貢献活動を見いだそうとする宗学者を悩ませました。もし親鸞に回帰するならば五倫五常は必要なく、新政府に協力してその保護を期待するような行動も不要です。しかし政教一致により神道国教化が推進される中で、神祇不拝を標榜する本願寺教団が新政府の意向に非協力的態度を示した場合は弾圧される危険性が高く、社会に常識として通用している儒教的倫理観を尊重し国益にかなう実践活動を行って弾圧の口実を与えないよう配慮がなされることになります。

続く



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