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浄土真宗の実践活動の教学的根拠について考えてみる 3

大正期から昭和初期の実践の論理 ― 慚愧

 大正期から昭和にかけて、恵覚はこれまでの歓喜からの実践に加えて、慚愧に伴う抑止を積極的に明言するようになります。大正四年には、

  「慶喜の心が吾人慣習の非行を顧みて慚愧となり、よく煩悩を抑へよく罪悪を誡むるの動機となる」

  「方今、口を真俗二諦に藉りて、在家にも劣る俗僧あり」

と次第に門信徒や僧侶の言動に節度を求めるようになり、昭和二年には、親鸞の罪悪感に二種類あるとして、それまで信心により優然と行われるとされてきた実践の論理に、積極的に自分を律していこうとする厳しさを加えています。ここで恵覚が注目する親鸞の罪悪感とは、一つは寛容に許容されたもので、『歎異抄』の、

  「本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆへに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆへに」

などに見られる自力作善への執着から離れ絶対他力の信心を徹底するもので、これは歓喜からの実践にみられたものと同一のものです。そしてもう一つは厳重に抑止されるべきものであり、『末灯鈔』の、

  「ゑひもさめぬさきに、なほ酒をすすめ、毒も消えやらぬに、いよいよ毒をすすめんがごとし。薬あり毒を好めと候ふらんことは、あるべくも候はずとぞおぼえ候ふ」

などにみられるもので、これは罪業を好み為すべきではないという念仏者の信後における用心をいいます。これが実践の根拠としてどのように展開するのかといえば、

  「如実の信者は此世を厭い後世を願ふ徴象として、年久しく念仏するにつけ、自ら三業の罪悪も滅すべく、善行をも励むべき道理である。此れは信後の行儀である。信後俗諦の行儀は、各自宿業に催され煩悩に狂はされて一概に悪業を停止すること能わずとも、大悲願力を信ずるもの、その微象として、念仏して年月を経るに随て悪業も漸く薄らぎ自ら徳義を修せらるべし」

と、厭穢欣浄の立場から、自らも三業の罪悪を滅そうと善行に励むべき道理があるとするのです。これは初後一貫する二種深信のうち、特に機の深信に注目するものであり、弥陀の哀れみによって知らされた我が身のすがたをかえりみて、慚愧や悲歎から廃悪修善の行動を行おうとするものです。つまりこれは善悪のはからいが往生には全く無効であっても、人間の煩悩生活を反省するところから厳粛な仏教的倫理生活に入るという方向性であり、後に普賢大円が展開した実践の論理と近いものと言えそうです。尤もここで恵覚は人間の理性や信心のための器を尊厳の根拠として注目するのではなくて、あくまでも機無であることを徹底しています。そしてその行動においての善悪の基準についても、本願成就文の逆謗抑止について、

  「仮の抑止は勿論、真実の抑止も亦発遣の釈迦に属すべきなり、同く願海より出づと雖も止悪作善以て濁世の機を護して摂取の法を飾るは、此土教主の任なればなり(中略)濁世の凡夫?々みなこれ十悪の人なり、之をしも猶除くとせば、仏願の所被は賢聖に限ることとなる、摂化の正意何によりてか之を示さん、故に逆謗を除く外以て所被と定めたり、然れども能く此逆謗抑止の仏意を体せば微少の止悪豈捨てて顧みざるべき、釈尊已に斯意を拡充して五善五悪の勧誡をなし」

と、それが我々に罪悪深重の凡夫であることを知らせ、それを見捨てずに救う弥陀の名号法を知らしめるためであって、廃悪修善にこだわらずとも良いことを述べており、

  「俗とは世俗とも風俗とも熟字して、時の風、処の習で、それらのならはせのこと、古代は古代風、現代は現代風で、毫も拘泥せずよくその宜に適ふこと、西洋に在れば西洋風、東洋に居れば東洋風で、決して固定することなく、たゞその処の習に随ふ」

と、念仏者があくまでも属する社会の倫理観に積極的に従うべきことを求めています。

 ところで恵覚がこの頃に機の深信に注目する背景として、特に第一次世界大戦と社会不安の影響があると思われます。第一次大戦は大正三年から大正七年にかけて起こり、科学技術が有毒ガスなどの大量破壊兵器を産み、それが非人道的に用いられることで一般市民を巻き込み多くの犠牲に繋がりました。恵覚は大正五年に、

  「欧州戦後の経営、東洋平和の保持、世は刻々に変転し、毫も油断を許さず、今や世に物質的文明の進歩の長足にして、精神界の文明の遅々不振なるを観て、人世の前途を悲観するものがあります、必ずしも杞憂でもありますまい。人類救済の道は幾多あるべきも、精神的文明の指導より先きなるものはあるまい。その精神的文明の指導は、必ずや宗教に根底せねば成功せぬ。而して宗教多しといへども、吾人の信ずる所、必ず我浄土真宗ならざるべからず」

と、大戦を悲歎し科学技術の発展と同時に宗教心の育成が行われてこそ平和が実現されると述べています。同時期に米国では万国仏教大会が行われ、本願寺派の内田晄融と曹洞宗の日置黙仙が米国のウイルソン大統領と面会し早期の平和的解決を促しており、その宣言には、

  「今回の欧州大戦争は人類史上未曽有の大事変にして、この延引はこの恐るべき残念なる悲劇の局面を無制限に拡張することになれば、ここに会合せる世界仏教徒は、平和及び博愛の信奉者として、一刻も早く、この残酷なる戦争の休止と、世界平和の克復されん事を念願して止まず」

とあって、当時の仏教界全体が平和を希求していたことが窺われます。

 また社会不安についても、当時は貧富の格差が拡大し、そこにロシア革命の共産主義思想が加わって、全国的に暴動が起き社会問題となっています。恵覚の拠点である広島でも暴動が激化したため、広島市や呉市では軍隊が鎮圧に当たっており、恵覚の故郷世羅においても小作争議が発生しています。真宗は農村部や労働者に強い影響力があったため、当時頻発していた小作争議や労働争議に真宗門徒が関係しないよう当寺教団の中心にいた恵覚が配慮したのかも知れません。

 また恵覚はこの頃家族と次々に死別しており、孫の葬儀に際して善導の帰去来の文を示し、

  「魔界を離れて真報土に入らんと誘ひたまふ善導の意味はこの時なり」

と述べて、周りの涙を誘ったことが伝わっています。この頃の恵覚の説く信心の利益には変化が見られ、以前は心に余裕が生まれ物事に動じない人格になることばかりが強調してされていた点が、

  「憂喜苦楽感情の日夜に変動極まりなき中に在りて、弥陀本願力を信ずるのみは、金剛堅固にして、すこしも動揺く事なく、善悪浄穢出入の動作に転変限りなき間にも、唯仏恩を仰ぎ自の幸福を喜ぶ念仏のみは前後一貫して、何者にも拘束せらるゝことなく、さながら世事に超然たる現状は、真個に一心一行至純の信仰である」

と、感情の動揺に触れており、

  「現在の人間界は、有漏業の威得で、如何に吾人の努力を払うとも、吾人の徹底的満足するまでに浄化して楽天境とすることは絶対不可能事である。畢竟生死の世界、火宅無常の究竟を転ずることは、誰人にも何れの時にも、感じ得られぬといふが仏説であつて、吾人は之を金言として信するものである。」

と、この世を神聖なる皇国とみなそうとしはじめた世間の風潮に反し、そこに穢土を重ねようとしている点は注目されると思います。

 以上のように大正から昭和にかけて、恵覚の主張する信心の利益に変化が見られ、歓喜と慚愧の両面から社会的実践活動への論理が示されるようになりました。恵覚の生きた時代は全く新しい価値観が国境を越えて押し寄せた時代であり、科学技術などの文明もその進歩の速度を速め始めます。恵覚は時代が急速に変化する中で、新しい価値観と向き合い、人々の心の変化に配慮しながら実践的な教学を提示し続けました。そしてそれは伝統的解釈を参考にしながらも、客観的に純粋な親鸞の解明を目指すものでした。

まとめ

 恵覚は昭和三年に体調を崩し始め、昭和六年一月に七五歳でその生涯を終えました。恵覚の遺言書には、

  「如来の家にすまひ如家の衣をまとひ如来の食をくらひ七十余年全く白毫の恩賜の内に生活させて頂きましたが、もう近々に待ちわび給ふ生身の親様のお膝元に参らせて頂きます。「弥陀諸弟子二告ゲテ言ハク、極楽卜彼ノ三界ト如何。新生化生具二報ヘント欲シテ合掌悲咽シラ言フ能ハズ」と仰せられた善導大師のお言葉も思合されて感涙に咽ぶ次第であります。皆様も必ず必ず間違なく如来の願力をたのみ念仏相続して真実報土の往生を期せられたく浄土の再会を楽んでお待ち申して居ります。」

  「往生のためには凡夫の身口意の業作は何の役にも立たずたゞ偏に生るべからぎる者を生れさせ給ふ如来の大誓願力を仰ぎ御恩の尊さを声にあらはしてお念仏申すばかりであります。」

  「長い間お世話になりましたが最早今生にては御暇乞であります。名残はいつまでも尽きませんが娑婆のならひなれば是非なく先立って参らせて頂きます。必ず必ず間違なく後よりお参り下さるやうにとそれのみ心にかけ病臥のまゝ側の者に筆を執らせて申し遺します」

とあり、仏恩報謝の活動の中心が弘願の念仏を伝えていくことと示されています。つまり恵覚にとって社会的貢献活動とは、伝道の願いにより行われるものということに尽きるのでしょう。

 恵覚の社会的実践活動の教学的根拠をまとめると、以下の様になると思います。

 名号から相発するものは聞かせしめ信じさせ往生させることであり、そこには弥陀廻向の安心感が伴います。そしてそれを親鸞の罪悪感から窺うとそこには歓喜と慚愧の両面があり、この双方から積極的に実践活動が行われます。
 ・歓喜からの実践は、弥陀回向の信心が届いたところにある歓喜により、歓喜の人たらしめたことへの報仏恩の思いから行動がなされることをいいます。
 ・一方抑止からの実践は、機の深信により我が身をかえりみるところにある慚愧や悲歎から、報仏恩の思いによりそれを是正しようとする行動がなされることをいいます。
 ・そしてこれらはともに当為でもなければ、往生の因ともならず、ただ弘願の念仏の弘通を願ってなされるものです。
 
 恵覚は伝統的な教学を承け倫理学などの新しい価値観にも注目しながら、理長為宗の態度で時代に即応する実践的な教学を考察し続けました。その背景には教団の意向や地元広島で実践活動を献身的に支える安芸門徒の姿があり、最終的に実践の根拠として歓喜に加えて慚愧を主張し始めた背景には、戦争や社会不安などの影響が考えられると思います。

 恵覚が実践の根拠として一貫して重視したものは報恩謝徳の心です。弥陀回向の信心(名号のはたらき)は時代や場所を超えて決して変わることがない普遍性を持ちます。そしてこの救いが届けられたことへの報恩謝徳の心は念仏弘通の願いとなって、御同朋の精神により国境を越えてこの世界のどこまでも広がっていきます。そしてその報恩謝徳の心から導き出される行動は、属している社会の倫理観を善悪の基準としながらも、その善悪の判断は個々に任されており、その判断による行動の結果はそれぞれ行動した個人が責任を持つべきものということになるのでしょう。



<参考文献など>

本論では「社会的実践」を、「真宗教学をもとにした社会への貢献活動」と考えて論を進めるが、これを「伝道活動」としても問題はない。
殿内恒「親鸞における仏道―真宗者の基本姿勢―」(『仏教生命観に基づく人間科学の総合研究二〇〇八年度報告書』(龍谷大学ORC・平成二〇年))。
多田蓮識「是山和上伝」(『宗学院論叢』第六輯・昭和六年)
藤永C徹「是山和上を憶ふ」(『龍谷大学論叢』二九八号・昭和六年)
教専寺『浄観』(教専寺浄観和上百回忌法要委員会・昭和六〇年)一九頁
熊田重邦『近代真宗の展開と安芸門徒』(溪水社・昭和五八年)二〇〇頁。
宮前無涯『広陵慈善乃礎』(広島感化院・明治四一年)一三頁
勧学寮『浄土真宗と社会―真俗二諦をめぐる諸問題』(永田文昌堂・平成二〇年)六五頁
花圓映澄『是山和上小部集』(前田是山両和上古稀記念会・昭和二年)一七三頁 (以下『小部集』)
同、一七四頁
赤松連城研究会『赤松連城資料上巻』(本願寺出版部・昭和五七年)三〇六頁。「後に義相を明すとは、仰弘願念仏の行者、信後に俗諦を守ることをうるは、即ち是れ信心流現の行にして、亦是れ得る所の利益なり」とある。
是山恵覚「真宗の教行信証」(前掲『小部集』二〇九頁)
『宗要論題講述』(興教書院・大正六年)
前掲『小部集』二一三頁
普賢大円『真宗行信論の組織的研究』(興教書院・昭和一〇年)三四七頁、松島善譲『校正増補真宗論要(後篇七祖部上)』(永田文昌堂・明治二八年)
杉紫朗「是山和上の五念門義」(前掲『宗学院論叢』第六輯)
是山恵覚『往生論註講義(全)』(佛典通俗講義発行所・大正八年)二五三頁
是山恵覚「往生礼讃前序講録」(前掲『小部集』六一頁)
同、八三頁
前掲『真宗行信論の組織的研究』。足利義山『浄土論啓蒙/慧海』(興教書院・明治二九年)。松島善譲『校正増補真宗論要(後篇七祖部上)』。
本願寺史料研究所編『本願寺史』第三巻(浄土真宗本願寺派・昭和四四年)五六七頁
款乃「明治時代の回顧」(『六條学報』第一三五号・大正元年)一三〇頁
前掲『本願寺史』第三巻 六三六頁、真宗大谷派宗務所『教化研究92/93』(教化研究所・昭和六一年)。『六條学報』第一四七号(仏教大学論叢社・大正三年)。
羽渓了諦「真宗と祈祷」(『六條学報』第一二三号・明治四四年)
是山恵覚「無碍の一道」(是山恵覚『紀念の法縁』(興教書院・明治四四年)附録四九頁)
同、五一頁、是山恵覚『報恩講式表白文の講話』(興教書院・明治四三年)一〇四頁。
是山恵覚「本願成就文略解」(前掲『小部集』九頁)
同、一六頁
前掲『紀念の法縁』附録一九頁
同、二八頁。現在では幸徳事件は検察による捏造が疑われ、有能な知識人が国家犯罪により失われた事件とされる。
野々村直太朗『宗教と倫理』(丙午出版社・明治四四年)
是山恵覚「洗心」(前掲『紀念の法縁』附録一七頁)
杉紫朗「真宗の信仰と倫理の関係」(『六條学報』第一二三号・明治四四年)
是山恵覚「一乗真実の利益」(前掲『小部集』一六三頁)
是山恵覚「親鸞聖人の非僧非俗」(『六條学報』第一七一号・大正四年)
『浄土真宗聖典全書(二)』一〇五三頁
同、八一二頁
伊藤半舟『真俗二諦観集』(ぐろりあそさえて・昭和二年)六三頁
普賢大円『真宗の護国性』(明治書院・昭和一八年)一二八頁
前掲『小部集』二四頁
前掲『真俗二諦観集』五二頁
同、一七八頁
常光浩然『日本仏教渡米史』(仏教出版局・昭和三九年)六一頁
広島県『広島県史・通史Y近代2』(広島県・昭和五六年)三九四頁
同、三八九頁・四五五頁・四九六頁。
多田蓮識「是山和上伝」二五六頁。『備後教区報第一三七号』(備後教区教務所・平成二二年)四頁。
是山恵覚「至純なる信仰」(前掲『小部集』二四一頁)
是山恵覚「浄土真宗における現代の邪説」(『龍谷大学論叢』二四九号・大正一二年)
前掲多田蓮識「是山和上伝」


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