メタリック辰土鈴
 辰の耳は木ねじです。
準備中 準備中 備中張り子倶楽部 海老天たまこ 作


カップルヌード土鈴 三つ巴辰土鈴 張り子面付 鬼とお福さん両面
 カップヌードルではありません。  左の辰の頭は、お面を付けています。  
備中張り子倶楽部 海老天たまこ 作


福豆食い青鬼 金平糖食い赤鬼 五色豆持ちお福さん
 2011年の節分に合わせて鬼の土鈴とお福さんの土鈴を作ってみました。この鬼さんが口に頬張っているのは豆まきでぶつけられた福豆、青鬼さんは悲しくって涙目です。福豆の 一つ一つも土鈴になっています。
備中張り子倶楽部 
   海老天たまこ 2011年作品
 2011年の節分に合わせて鬼の土鈴とお福さんの土鈴を作ってみました。この鬼さんが口に頬張っているのはカラフルな金平糖、甘党の赤鬼さんは嬉しそうです。金平糖の一つ一つも土鈴になっています。
 節分には豆をぶつけられて泣き泣き追い払われる鬼さんですが、誰かがかわいそうに思って金平糖を投げたのでしょうか?
備中張り子倶楽部 
   海老天たまこ 2011年作品
 2011年の節分に合わせて鬼の土鈴とお福さんの土鈴を作ってみました。このお福さんが持ち上げている升の中に福五色豆がいっぱい。豆の一つ一つも土鈴になっています。
 体が丈夫になり、風邪をひかないように、節分には豆を自分の年齢(数え年)の数だけ食べるとというならわしがあります。また、豆は「魔減」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いもあります。
 歳の数だけ豆を食べられない方、豆をぶつける鬼がいない方、とりあえず無病息災を願いたい方は是非この福五色豆持ちお福さん土鈴をお飾り下さい。
備中張り子倶楽部 
   海老天たまこ 2011年作品 
備中張り子倶楽部 海老天たまこ 作


ドーナツ卯(お面付) 鯛焼食い猫
お面を取った卯 お面を付けた卯
備中張り子倶楽部 海老天たまこ 作


婆娑羅(バサラ)大将土鈴 卑弥呼トランス土鈴
桃太郎の顔を描いた珠が入った桃です。   奈良・新薬師寺の国宝・婆娑羅大将の顔を土鈴にしました。
  実物は天平時代の「塑像(そぞう)」で今は土の色に戻っていますが元は極彩色に彩られていたようです。それをCGで再現した絵葉書も売られていました。この土鈴はCGの彩色を参考に元来のイメージを再現してみました。

           2010年6月作品
  たまちゃんの古代史土鈴シリーズ
  邪馬台国の女王・卑弥呼です。古代史の登場人物として、やわり欠くことのできない人でしょう。
 「魏志倭人伝」によると、卑弥呼は鬼道で衆を惑わしていたとされています。「鬼道で衆を惑わす」ってよく判りませんが卑弥呼さんがトランス状態になっているイメージを表現したくて土鈴にしてみました。
          2010年4月作品
倉敷・日本郷土玩具館 備中張り子倶楽部 海老天たまこ 作


三角縁神獣鏡土鈴 卑弥呼幻想・箸墓土鈴 雛人形
 たまちゃんの古代史土鈴シリーズ
 卑弥呼の鏡といわれる三角獣神獣鏡です。
 「三角縁神獣鏡」と言う名前は、鏡の縁の断面部分が三角形になっており、背面の模様に「神と獣」が刻まれているという解釈から名付けられた名前です。
 「魏志倭人伝」に、魏の皇帝がが倭の女王卑弥呼に「銅鏡百枚」を与えたと記されている。その鏡そのものであるという説もあって、邪馬台国畿内説の根拠の一つとされる鏡です。
 邪馬台国、卑弥呼という古代史の謎に深く関係する三角縁神獣鏡、古代史土鈴史シリーズの一つとして是非とも加えたかった土鈴です。
           2010年5月作品
 たまちゃんの古代史土鈴シリーズ
 箸墓は奈良県櫻井市にある3世紀半ば過ぎに作られた大型の前方後円墳で卑弥呼の墓と言われています。邪馬台国畿内説の有力な根拠です。
 古代史シリーズ土鈴を考えたときに真っ先に取り上げたテーマで、現存の古墳の上に卑弥呼のイメージを被せてみました。
 もうひとつ、底部の部分に小さな白蛇描いてみました。これも箸墓に関わる伝説の一つなのですが・・・・・・・。 
 



           2010年4月作品
 もうすぐ春ですねぇ。そこで定番のお雛様です。素焼きに和紙を貼ったので風合いも音色もやわらかく仕上がりました。
 
備中張り子倶楽部 海老天たまこ 作


素隠居 ラブラブ猫ちゃん ドーナツ寅(面付)
 猫饅頭さんと海老天たまこさんから
の贈り物です。
 作者の海老天たまこさんは、神戸
土鈴友の会の会員です。
備中張り子倶楽部 海老天たまこ 作


備中神楽人形土鈴 備前焼・打出の小槌 粋呑
 備中神楽の発祥の地は私共の郷土、備中成羽(なりわ)です。江戸時代末期 国学者、西林国橋先生が古くから行われていた神代神楽の上に古事記、日本書紀を元として「天の岩戸開き」「大国主命の国譲り」「八俣の大蛇退治」の三部曲を創案追加されて、今日迄の祭りには必ず奉納されて来ました。
 昭和五十四年、国の重要無形民俗文化財に指定を受けました。
 備中神楽に登場します神々を成羽の土で人形土鈴として焼いた物です。
 一振りして自分の幸いを願い、二振りして家族の幸いを願い、三振りして万物の幸いを願って下さい。
       成羽焼窯元
        田邊信子 謹白
 ヤフーのカテゴリーでは「土鈴」に含まれて、出品者の商品説明には「ご覧の通りの備前焼の打出の古槌です。  土鈴のようになっていてカラカラ音がします。それと蛇のような物が巻きつけてありますが頭がありません。壊れた物かなかった物かわかりませんので写真にて判断して下さい。・・・」とありました。  届いた商品を手にとると蛇の頭の部分は、明らかに製作後に壊れたものでした。
 どなたか作者や由来をご存じでした
ら教えて下さい。
 「倭漢三才図絵」には、木客(もっかく)とか 山猫とか水虎(すいこ)、魍魎(もうりょう)など恐ろしくもあり滑稽でもあり、時には可愛らしくもある奇妙なものが沢山載っているが、蒜山には古くから 「粋呑」という怪物が住んでいた。
「粋呑」は、人間の思ったことをすべ知っている。だからもし悪いことをたくらんだり他人に迷惑をかけたりした者は、どこからともなくスイーと現れトンと一本足で立った「粋呑」にたちまち引き裂かれて食われてしまうと言う、だから蒜山には悪人が居ない。
     昭和三十七年十二月十五日 
       蒜山にて 串 田 孫 一
山田 旺 さん 贈 Yahoo! Auction 蒜山高原


美作窯・丸土鈴(松) 備前焼・桃太郎 もも(瀬戸大橋)
 備前焼は日本最古のもので、日本の焼物の「ふるさと」ともいわれております。原始時代の素朴な美しさを持ち、須恵器の流れを汲んで進歩発達したもので鎌倉時代に伊部の北、熊山で初めて焼かれました。それは今から七、八百年前のことです。
 熊山窯より室町時代には浦伊部に移り桃山時代から現在の伊部の地に移りました。桃山時代を山麓窯といゝ徳川時代を大窯時代と云っております。
 熊山、浦伊部時代は主に壺、すり鉢等の雑器を焼いておりましたが室町中期よりの茶道の興隆によって京都よりの連絡もあり、各地大名、茶人などより指導を受けて茶器を焼くようになりました。
 江戸時代には備前藩主池田家が備前名物として保護奨励し、窯元「六姓」中より優秀な陶工を選んで御細工人として扶持を与え、生活の保証などして備前焼制作に専念させたのであります。
武蔵の里 美作窯 蒜山高原 日本土鈴館


鳩子 昨楽神社授与鈴 道祖神・野辺の天神
 桜ほろちる院庄
  遠き昔を偲ぶれば
 幹をけずりて高徳が
  書いた至誠のうたがたみ
                    (忠義桜)
  後醍醐天皇隠岐への流転の哀史の中に一つの小さくはあったけれど帝の御心をなぐさめ奉った児島高徳の忠節詩片は津山院庄作楽神社に其の歴史をとどめ、我等の心のうたとして何時如何なる場所に於いても歌い上げる事が出来る。 
岡山 美作院庄 昨楽神社 妹尾衆楽 作 津山


備前焼・丸土鈴 津山城御家紋
  備前焼の風格のようなものが感じられる土鈴です。(館長 記)
備前 奥津温泉 津山