平城宮鬼瓦 古瓦土鈴
小川二楽 作 飛鳥寺
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古瓦土鈴 紫陽花土鈴
飛鳥寺 矢田寺 赤膚焼 小川二楽 作
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まんとくん 奈良朝兵士の兜 黒い出目金
            桝井宗洋 作            桝井宗洋 作   郡山の金魚は古く、江戸中期の享保九年(西紀一七二四年)郡山城主柳沢吉里の家臣横田叉兵衛が、中国キンギョを観賞用に持ってきたのが始まりといわれている。
 吉里は参勤交代の手みやげとして、江戸へ持参した。城主柳沢氏の奨励もあり、金魚の飼育が盛んとなった。
  この金魚土鈴は、柳沢氏の愛玩として、昭和のはじめ頃、柳沢神社で授与されました。
        大和郡山市朝日町四の一八
          赤膚焼窯元 小 川 二 樂
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興福寺授与鈴 達磨 亀石土鈴
銅鑼のような形をしているところから
鳴り物でしょうか?
どなたかご存じの方教えてくささい。
藤蔵 藤沼萬治子 作
Yahoo! Auction ならまち 飛鳥万葉文化館


大和土鈴・亀 朝護孫子寺授与鈴・寅 赤膚焼 寅
 今から千四百余年の昔、聖徳太子がこの山で毘沙門天王を感得され、大変に御利益をいただかれましたのが寅の年、寅の日、寅の刻であったといわれています。
  以来、信貴山では、寅の日は聖徳太子にあやかって良い事がある、毘沙門様の御利益がいただける、即ち福が授かる「福寅」と呼ばれてきました。御縁日は毎月一日、三日と寅の日です。
  なお毘沙門様のおつかいは百足(むかで)です。おあし(お金)を沢山いただけるという意味です。

    「朝後孫子寺公式サイト」から
奈良市 奈良平群町 信貴山朝護孫子寺 赤膚焼 小川二楽作





赤膚焼 金魚 鍾 馗 中宮寺古瓦模様土鈴
 郡山の金魚は古く、江戸中期の享保九年(西紀一七二四年)郡山城主柳沢吉里の家臣横田叉兵衛が、中国キンギョを観賞用に持ってきたのが始まりといわれている。
 吉里は参勤交代の手みやげとして、江戸へ持参した。城主柳沢氏の奨励もあり、金魚の飼育が盛んとなった。
 赤膚焼の金魚土鈴は、柳沢氏の愛玩として、昭和のはじめ頃、柳沢神社で授与されました。この金魚土鈴は、郡山城付近の土にて謹作したものです。
       大和郡山市朝日町四-一八
         赤膚焼窯元 小 川 二 樂
              
     
 神戸土鈴友の会お土産土鈴
赤膚焼 小川二楽作 Yahoo! Auctions


朝護孫子寺授与鈴・寅 手向山八幡宮授与鈴・立雛 赤膚焼・奈良絵土鈴
 寅年生まれの男が還暦の1998年に信貴山朝護孫子寺で授与された土鈴です。  

神戸土鈴友の会お土産土鈴
奈良平群町 信貴山朝護孫子寺 Yahoo! Auction 赤膚焼 小川二楽作


東大寺授与鈴 糊こぼし土鈴
(二月堂 椿土鈴)
春日神社授与鈴 蘭陵王 飛鳥美人
 お水取りの名前で知られている「修二会」は奈良時代に実忠和尚が笠置山の洞窟で兜率天(とそてん)の行法を拝しこの地に移したものとされる。
 修二会は「十一面悔過法要」云い、練行衆(参篭する僧侶)が人々に代わり、本尊に罪過を懺悔し、罪障の消滅とともに仏の加護を願う法要である。
 天平勝宝四年(752)より二月堂に於いて観音菩薩の前で十四日間、毎日六回の法要を行っていて、現在まで一度も途絶えることなしに続いている「不退の法要」と言われている。
 行法中、本尊を荘厳するために練行衆が四百余りの椿を造る。
赤に染められた和紙と白い和紙を花びらの形に切り、「タラの木」の先に黄色の和紙で造られた雄しべを貼り付けてゆく。
 この造花を本物の椿の枝に差し須弥壇に供える。
 この土鈴は、その椿の造花を写したものである。
  舞楽は、飛鳥・白鳳から奈良時代にかけて古代朝鮮半島やシルクロードを経てインド・東南アジアなどのアジア各地から伝えられ、わが国において大成されたものであり、天平文化の華『舞楽』として奈良時代に盛んに行われていた。
 これらの舞楽は、天下の三方楽所といわれた京都・奈良・天王寺に伝わりそれぞれ特色のある芸能を受け継いできた。
 現在、奈良において連綿と受け継いでいるのは、春日大社を中心とする南都楽所(なんとがくそ)で、そのうち最も重要なものは、大和の年中行事の最後を飾る「春日若宮おん祭」である。ある意味からいえば、日本の伝承の宝庫ともいうべき性格をもつもので国の重要無形民族文化財に指定されている。
 この土鈴の舞楽は、この春日舞楽のうちで最も代表的なもののひとつである「蘭陵王」という曲で、中国・北斉の蘭陵王長恭は美少年であったので戦場に赴く時は、いつも恐ろしい面をつけ軍を指揮したといわれる。それによりおさめた勝利の喜びを舞に表したところ国土は豊になり世の中が平和になった故事に由来すると伝えられる。
           春日大社
 大和は国のまほろばとして、古
くから多くの人に親しまれてきま
した。
 歴史のロマン薫る大和平野ほぼ
中央に位置する『あおがき窯』は
知的障害を持つ人たちが、「土鈴
を通して社会参加する。」という
目的で昭和54年に発足しました。
 土の持つ素朴さと温かみを感じ
ていただければ幸いです。

 製造元 
  大和高田市藤森94-1
  指定障害者支援施設青垣園

東大寺二月堂 春日神社 大和高田市 青垣園 作


室生寺授与鈴 馬鈴 東大寺授与鈴 砥尾 東大寺授与鈴 御守り豆鈴
 砥尾とは、瓦葺きの屋根の両端におかれ『火災』よけの願いが込められています。
 形はインドの怪魚が口を開き、尾を高く上げた姿が一般的で、この土鈴を台所および居間に置かれることによって『防火の御守り』となります。
 この土鈴は、東大寺だけで販売いたしております。
            東大寺
室生寺 東大寺


室生寺授与鈴 五重塔  室生寺授与鈴 薬壺(シャクナゲ) 室生寺授与鈴 薬壺(金色)
 室生山で金堂は五重塔と共に弘仁期の建立で最も重要な国宝建造物です。
 その金堂の蟇股(かえるまた)に彫られた薬壺をデザインして作られたのがこの土鈴であります。
 薬壺は薬師如来の持物で人々の諸病平癒息災長寿を誓願されたものであります。
                           室生寺
室生寺 


キトラ古墳壁画四神取出し 赤膚焼・正倉院銅鏡の子 室生寺授与鈴 亥
京都・西京区 桝井宗洋 作 赤膚焼 小川二楽作 室生寺


正倉院銅鏡の亥 橿原神宮授与鈴 猪の埴輪鈴
大和荒蒔古墳から出土した猪の埴輪
を元に製作されました。胴体の両側に
それぞれ二つずつある穴は何でしょう?
赤膚焼 小川二楽作 橿原神宮 京都・西京区 桝井宗洋 作 


橿原神宮授与鈴・卯 金峯山寺授与鈴・桜 赤膚焼・正倉院銅鏡の戌
 建国文化の発祥地としての大和は古来より多くの祭器が出土しています。
 その古代の祭器を形取り 本年の干支の絵を染めた盃を新春の御祝いとして差し上げます。
  赤膚焼窯元小川二楽氏が正倉院の銅鏡に描かれている戌を題材に作製した絵馬土鈴です。
          (館長 記)
橿原神宮 金峯山寺蔵王堂 赤膚焼 小川二楽作


干支土鈴・未 法隆寺授与鈴・柿 東大寺大仏殿
奈良 法隆寺 日本土鈴館


万葉ノ黄土 杏葉 甲冑 埴輪・縄文人
 正倉院の御物の中には色々な紋様が見られます。銀杏の葉を形とした杏葉紋もその一つです。その杏葉を土の鈴にして黄土を塗りました。それは大地の色です。
 万葉の昔人々が山あいに見つけた埴生の地その土で布々を染めたと言います。
 黄土が染み込んで醸し出す土の色それはあくまで素朴で温かく静かな黄金色に萌えていたに違いありません。
 黄土の黄金色万葉を想い杏葉の姿にその故郷を想う時。辿れば遠くあれは大陸の西はるか絲網の路の彼方にまでも心は翼になって翔んでいくのです。
      
 大和 萬歳鹿苑主
萬歳鹿苑 二月庵 奈良





興福寺授与鈴・亥 鼉太鼓 稲穂飾夫婦鹿
興福寺 萬歳鹿苑


聖林寺授与鈴・戌 聖林寺授与鈴・戌 干支土鈴・亥
聖林寺(しょうりんじ) 奈良


埴輪・古代武士 興福寺授与鈴・酉 春日大社授与鈴・酉
飛鳥 興福寺 春日大社


東大寺授与鈴・仁王 壺坂寺授与鈴・観世音菩薩 大仏
東大寺 壺坂寺 奈良


室生寺授与鈴・火炎太鼓 埴輪 東大寺授与鈴・鬼瓦
室生寺 飛鳥田里津庵 東大寺


興福寺授与鈴・達磨大師 石光寺授与鈴・多宝塔 岩船寺授与鈴・餓鬼
興福寺
石光寺 岩船寺


おかめ、ひょっとこ 女の子 法隆寺授与鈴・釣鐘
奈良 十津川温泉 白鳳主 作 法隆寺


魔除・板付 平元寺授与鈴 岡寺授与鈴・五輪塔
奈良 平元寺 岡寺


当麻寺授与鈴・蓮 室生寺授与鈴・薬壷 岡寺授与鈴・厄除
当麻寺(たいまでら) 室生寺 岡寺


大和土鈴・唐草模様 大和土鈴・龍 台座・蓮
 群青色の地に勢いの良い龍が描かれています。私の好きな土鈴の一つです。    (館長 記)
唐招提寺門前の工房 奈良