とやま人形・干支・亥(中) とやま人形・干支・亥(小)
  嘉永年間(一八四八〜五四)富山十代藩主 前田利保が、名古屋の陶工加藤家の陶器職人であった広瀬秀信を富山に呼び、千歳御殿に窯を築いて千歳焼を作り次いでその子安次郎が陶器のかたわらに天神臥せ牛を焼いて献上したのがとやま土人形の始まりであります。
 江戸末期以来、発展して民間信仰、縁起物、あるいは、子供の玩具として数多く作られてきました。代表的なものとしては、学問の神様である「天神様」、桃の節句に飾られる「抱き雛」があります。
 当時、城下に土人形家は数軒ありましたが、広瀬家より技法を学んだ渡辺家「平(祖父)、源吾(父)、信秀(平成九年三月高齢の為、現役引退)」だけが家業(明治三年創業)として伝統を守り続けてこられました。
 しかしながら渡辺家の三代目渡辺信秀氏の後継者がいないため、富山市では一般市民から人形づくり受講生を募り、受講を重ね、「とやま土人形伝承会」を結成して、この伝統技法を後生に伝える為に励んでおります。
 とやま土人形は、富山の産業、伝説、風俗を取り入れ、ひとつ一つ真心をこめた手づくりの伝統工芸品です。この素朴で心暖まる土人形の魅力を一人でも多くの方々に知っていただき、富山の伝統文化を伝承していきたいと、会員一同よりよい作品づくりに励んでいきます。
                とやま土人形伝承会
                  とやま人形工房(富山市民俗民芸村)
とやま土人形工房


立山権現授与鈴・鬼と福 雷鳥(夏鳥) 雷鳥(冬鳥)
立山権現 弥陀ヶ原