感謝のすず 松に鶴亀すず 感謝の詩すず
       関口忠一様が齢七十古稀を迎えられ奥様や家族のみならず多くの方々に感謝の気持ちをお伝え
       出来ればと「感謝の鈴」を手造りされました。この素晴らしい土鈴を私にもお贈り頂きました。
房総土鈴 関口忠一 作


蛇の目 般若心経 八角形鏡に映る寅
 作者の関口忠一氏は、神戸土鈴友の会の会員です。 (館長 記)
房総土鈴 関口忠一 作


熨斗のり蛸 里見八犬伝 幸六地蔵
  作者の関口さんが熨斗の向こうから太陽が昇る夢を見てデザインしたとのことです。       
房総土鈴 関口忠一 作


夫婦河童 千葉神社授与鈴 あやめ
  房総土鈴 関口忠一 作


昭和レトロ鈴・煙草・櫻 昭和レトロ鈴・国防マッチ 昭和レトロ鈴・美顔石鹸
房総土鈴 関口忠一 作


成田山青不動明王鈴 満祝土鈴(小) 上総国一ノ宮玉前神社授与鈴
 成田山新勝寺のご本尊不動明王は、平安の昔、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が一刀三礼、敬虔な祈りを込めて敬刻開眼されたご本尊です。
 朱雀天皇より平将門の乱平定の密勅を受けた寛朝大僧正は、海路東上して匝瑳郡尾垂ケ浜に上陸、更に陸路を成田の地に至り、乱平定のための祈願の護摩を奉修し成満されました。
 これを聞いた天皇は深く感動され、国司に命じてお堂を建立し「新勝寺」の寺号を授与し東国鎮護の霊場として成田山が開山されました。
房総土鈴 関口忠一 作


下総人形・奴土鈴 金鈴塚変わり鈴 君さらづの鈴
 松本節太郎がつくる張子の奴面を土鈴にしてみました。松本翁は健在で土人形や張子作りに精をだしております。  木更津市金鈴塚古墳を昭和25年に発掘調査。この時、金鈴等と共に金銅製の変わり鈴が発見されました。
 裏側に衣類片がついていたので、衣服に縫い付けられていたものと考えられる。
 この変わり鈴を土鈴にいたしました。
 ヤマトタケルの命が東京湾の走水海峡を渡ろうとしたが荒ぶる神の怒りで海が荒れ渡れず。
 この時、弟橘姫の命が走水に身を投げ海が静まり命は安房に渡ることができました。
 海岸近くの丘に登り海のほうを臨みきさらづやと呟きました。それからこの地方を木更津と言うようになった。
 命の姫を思う気持ちを鼓で表し水色は走水・朱は橘を表現致しました。
房総土鈴 関口忠一 作


満願の鯛土鈴 満祝土鈴(大) 上総袖凧
 房小湊誕生寺で授与している張子の鯛で大中小があり、願いが叶うと翌年大きな鯛を授与してもらう。この張子の鯛を土鈴にいたしました。

 
 万祝長着・半天は、房州九十九里沿岸で大漁が二回以上続いた時に網元から網子や出入りの船大工などに贈られたものである。
 この伝統着を、土鈴にいたしました。

 江戸時代中期から上総地方独特の凧でトンビとも云い九十九里地方の大漁を祝う凧として作られてきた。神凧は着物を後ろから見たような恰好の凧代表的な絵に鶴と亀があります。
 県の無形文化財の指定を受けています。この伝統的な神凧を土鈴にいたしました。
房総土鈴 関口忠一 作