18. デジタル捺染     デジタルプリント

「17.有版捺染」の最後で、現在の日本の捺染工業が抱える問題点を説明しました。 この章では、未来の捺染の姿だと言われるデジタル捺染の技術面を説明すると共に、 このデジタル捺染が本当に日本の捺染工業の苦境を救えるのかについて検証してみたいと思います。
右に示した現行の有版捺染の問題点を解決するには、何をすれば良いのか考えてみました。それを、まとめると、下のスライドが出来上がりました。


これを見てお分かりになったと思いますが、「解決手段」の一つ一つが、正にインクジェットプリントのセールスポイントに他なりません。

そのインクジェットプリントについて、これから詳細に説明して行きますが、 先ず、本題に入る前に、インクジェットプリントの歴史を簡単に振り返ってみます。

インクジェットプリントの歴史

既に、三十年ほど前になりますが、英国のスーパーマーケット M&S (マークス&スペンサー)が、積極的に世界進出/国際調達を計った時に問題となったのが色を含めたデザインの伝達です。 つまり、本部で作ったデザイン/配色をどう素早く現地に伝え話し合うかです。 このやり取りに時間をかけ過ぎれば、ファッションの時期を逃がしてしまいます。そこで取り上げたのがインクジェットプリントです。 つまり、同じインク、同じデータを使えば、どれだけ離れた場所でも、デザイン&配色をたちどころに確認する事ができます。と言う事で、 M&S のために Stork と ICI が組んでシステム開発に当たりました。
(ちなみに、ICI 側の開発責任者が、 現在もインクジェットプリントのコンサルタントとして国際的に活躍している Dr. John Provost です。)
この開発時には、既にカーペット分野で、デジタル操作により捺染する Zimmer 社のクロモジェットが、稼働していました。 ただし、そのシステムでは、現在インクジェットに使用しているプリントヘッドの様なものを使わず、圧をかけた色糊を、 電磁弁の開閉でカーペットに飛ばすもので、色糊自体その都度、糊剤と染料を混ぜて作ると言うものでした。         Zimmer ChromoJet
これに対して、Stork/ICI の開発では、 プリントヘッドを介して、染料溶液を直接生地に飛ばす事を行なったのです。この時、採用されたのが、Continuous Stream と言う方式のプリントヘッドです。 この方式では、インク溜りから、高周波パルスによって連続的にインク液の極小粒子(ほとんど霧状大)が吐き出されます。 つまり、プリント作業の間、休みなしにインクが飛び出す訳です。そして、飛び出したインク粒子を、荷電電極を使い帯電させます。 次に、この帯電粒子が通るすぐそばに、デフレクターを置き、それに粒子と同じ電荷を持たせてやると電気的な反発が起こり粒子は、遠くに逃げます。 (例えば、「マイナス」と「マイナス」)。つまり、デフレクターの on/off でインク粒子 の流れを変える訳です。 この様な原理のプリントヘッドを使用して、作り出されたのが、Stork の "Trucolor" で、テキスタイル素材に使用される実用インクジェット機の第一号でした。 しかし、この “Trucolor" は、出展された 1991年ハノーバー ITMA の後、 大きく取り上げられる事はありませんでした。その理由は、大きく三つあります。
先ず、第一には、このシステムが「色とデザイン」を見るのが目的で、製品そのものを作るのが目的ではなかった事です。 インクとして使用した染料は、反応染料のみで、対象が合成繊維の場合には、親水処理した後、反応染料を乗せました。 つまり、乗せた状態で「色とデザイン」が確認できればそれで良かったのです。 第二には、第一の理由とも関連しますが、この時使われたプリントヘッドが、水溶性染料以外には向いていなかった事です。そして、第三には、ほどなく、バブルジェット方式や、ピエゾ方式で、 直接に染料を捺染した製品を作り出せるインクジェットが登場した事です。

それでは、そのバブルジェット方式やピエゾ方式は、 "Trucolor" で使われた Continuous Stream 方式とどの様に違うでしょう。先に説明しましたが、Continuous Stream の プリントヘッドからは、 電源を入れている限り、インク粒が吐き出され続けます。  Continuous Stream (Kodak)
これに対して、サーマル方式やピエゾ方式では、必要な時のみ、インクを吐出します。 つまり、吐き出されるインクの粒毎に、on/off が繰り返される訳です。 (この事から、これらの方式を、Drop On Demand 略して DOD と言います。ちなみに、Continuouse Stream 方式は、CIJ と呼ばれます。これは、Continuous Ink Jet の頭文字を取っているからです。)
サーマル方式では、その on で、ヒーターを加熱し、インク液を瞬間的に沸騰させる事で小さな泡を発生させ、 インクを押し出します。(この事からサーマル方式は、バブルジェットとも呼ばれます。)
こうした、加熱方式を取っているヘッドを、長時間使用し続けると、疎水成分が多いインクでは、 どうしてもヒーター部分にインクの焦げ付きが発生してしまいます。 そのため、初期にはキャノンのプリントヘッドを使った捺染機も幾つか紹介されましたが、 現在この方式による繊維用インクジェット機はありません。
    *pL(ピコリットル): 1 兆分の1 リットル。    1 リットル vs 1 ピコリットル≒ 東京ドーム8個分の水 vs 水1cc
これに対して、ピエゾ方式は、電圧をかける事により変形するピエゾ素子を使う事によりインクを押し出します。
「ピエゾ」と言う言葉の由来は、ギリシャ語の piezein (押す)から来ています。 電圧をかけると変形を起こす素子として身近なものに水晶があります。 水晶ではその性質=振動を利用して、クォーツ時計の心臓部に使われています。 セラミックにも水晶と同じ様な性質があります。 水晶やセラミックは、平常時には、規則的な格子型結晶の中央にプラスイオンを配置した構造を持っています。 しかし、この構造に電気的な圧力を加えると、このプラスイオンの位置が大きくずれてしまいます。 このずれが、全体のゆがみとして現れる訳です。 (と言う事が分かれば、何故、エプソンや京セラがこの分野で重要な役目を果たせるのかが理解できると思います。)

実際のプリントヘッドは、左の様な構造をしています。つまり、電圧で変形するピエゾ素子を、電圧をかけるための電極で挟んでいる訳です。

今日のテキスタイル用インクジェット機は、1社のシステムを除きほぼ例外なく、このピエゾ式のプリントヘッドを搭載しています。


インクジェットプリントによる転写捺染

現在、既に、インクジェットプリンターがテキスタイル捺染用に広く使われている分野に、 分散染料を利用した熱転写プリントがあります。 これは、光学吸収性が優れなお且つ昇華性の高い分散染料インクを、インクジェットを使って転写紙に印刷しておき、その後、 必要に応じてポリエステル生地に熱転写する事により捺染物を作る方法です。 この方法では、発色の為のスチーマーは不要で、洗浄もしませんので、大きなスペースも必要ありませんし、排水処理に煩わされる事もありません。 欧州では、元々こうした転写方式の印捺紙ビジネスが、印刷会社によりグラビア印刷機を使い広く行なわれていましたので、 グラビア用の彫刻ロールを作る必要のないインクジェットシステムが急速に進みました。

この分野で、広く使われている染料が、CI Disperse Yellow 54、Red 60、Blue 359、及び Blue 72 です。この内、Blue 359(CAS RN 62570-50-7) は、転写捺染用に新しく開発された分散染料です。 (この染料は、2010年の時点では、METI未登録でした。恐らく状況は今も変わっていないと思います。)



転写紙を介して捺染物を作るもう一つの方法が、 顔料と樹脂バインダーを混ぜてインクジェットで転写紙に印捺しておき、 その後、必要に応じて対象繊維に熱圧着する方法です。 この方法では、顔料が樹脂バインダーにより繊維に接着されますので、熱に対する耐性さえあれば、繊維を選びません。 当然、スチーマーも洗浄機もなくてもよく、より少ない設備で対応できます。
分散染料の熱転写システムでは、(真空式)の熱転写機が効率的なため、ある程度の経営規模を持つ企業が大々的に参入しています。 一方、顔料を使った熱圧着システムは、より小規模なオフィスでも行なわれています。いずれにせよ、これまで染色に門外漢であった人々でも、 精練・漂白した生地を買ってきて、後はデザイン力と販売力さえあれば、簡単にファッションビジネスに手を出す事が出来る事となりました。
                   分散染料 熱転写



<補足>
・樹脂バインダーを混合した顔料でヘッドが持たない場合、あるいは、 インク中の樹脂成分だけでは接着強度が不十分な場合、上の方法は採れません。 樹脂一体型の顔料を使うか、樹脂を含んだ転写紙に打ち込み、転写後更にスプレーコーティング等で定着させる事が必要です。
・顔料プリントにおいて、使用する樹脂の粘度が高く射出適性が十分でない場合、樹脂粘度を下げる溶剤をインクの中に入れる場合があります。 この溶剤添加は、乾燥時間の短縮にも有効ですが、乾燥や熱圧着工程での作業環境を良好に保つため、十分な換気を行なう注意が必要です。
・顔料の転写捺染に使う転写紙は、剥離紙(はくりし)や離型紙(りけいし)とも呼ばれます。 この名前からも分かる様に、 熱転写時に顔料層が紙から容易に剥がれるコーティングが、紙の上に施されています。 通常、この剥離層は、疎水性を持っており、その上に更にインキを納める為の受容層が乗っています。 つまり、疎水層でインクをブロックしながら、受容層に必要な量まで溜め込む訳です。この受容層は、 インク中の水分を素早く吸収しインクのにじみを最小限に抑える作用も与えられています。
・転写紙に色顔料を置いた上に、更に白色顔料を乗せる事で、遮蔽効果が高まり、転写時の見かけ濃度が高まります。
・分散染料を使って行なう昇華転写の場合、転写紙は、顔料インクに使う物と同じではありません。 ここでも、水分をブロックする事は必要ですが、顔料転写で必須となる剥離性は要求されません。代わりに必要なのが、ガスバリア性です。 これは、転写工程において昇華した染料が、転写紙へ気化移行し残留汚染するのを防ぐためです。 当然ながら、インク受容層に使う材料は、分散染料に染まる物ではいけません。例えば、水分をブロックするためにアクリル系樹脂や吸水ポリマー 等、 染料粒子を受容するために、親水性のアルギン糊料や、無極性のシリカやタルク 等 を組み合わせる事でこの役割を果たします。 これら受容層の成分は、後に述べる直接捺染での前処理条件にも通ずるものです。 インク成分や転写紙の製法に関しても多くの特許が存在するので注意を要します。
・分野は異なりますが、分散染料の昇華性だけを利用して染色を行なうのが、連続染色の Pad-dry-thermofix (baking) です。 この染法で、ポリエステル/綿(50:50)の混紡布帛を試験した所、昇華性の違う染料を使っても、ポリエステルへの染着率は、Max.75% である事が分かりました。つまり、最低でも 25% の昇華染料が綿(繊維素)に残留汚染すると言う事です。 同じ様に、繊維素(=転写紙)、分散染料、ポリエステルの三者がからむ、昇華転写でも、転写紙にガスバリアを施さないと、 少なくとも 25% の染料が、転写紙に残ってしまいます。
・昇華転写捺染で使われる分散染料は直接捺染に使われる分散染料と比べると、 極めて小さいエネルギーでも昇華する性質を持っていますので、この方法で捺染された布帛に対しては、 熱をかける事が必要な樹脂加工や機能加工はできません。また、高温でのヒートセットも禁物です。
・染色堅牢度や、染着時の色目を問わなければ、分散染料を昇華させ、綿やナイロンを染める事も出来ます。これはガス状になった分散染料が、 ポリエステル以外の繊維にも比較的簡単に入り込んで行くからです。(これを確認するのは簡単です。この方式で転写された捺染物を試験布として、「13. 染色堅牢度」で説明した “昇華堅牢度試験機” で綿やナイロンを添布に熱をかけてみて下さい。極く弱い条件(例.180℃×30秒)でも色が移ってしまいます。 試験機がなければ、高温に熱したアイロンで代用しても構いませんが、生地や添布を溶かさない様気を付けて下さい。)
・水溶性染料を使用した転写捺染もある様ですが、転写/発色法が特許でカバーされているためその詳細は分かりません。 いずれにせよ、市場で広く行なわれている方法ではありません。

ここで、付け加えると、転写方式で例外なく起こるのが転写紙の廃棄問題です。
左の写真は、インクジェットで作成した転写紙の例です。ここで分かる様に、 転写工程で全ての染料がポリエステルに移行する事はなく、僅かですが転写紙(指でつまんでる方) に残ってしまいます。この残留染料は、再生時に効果的に除去する事も、分解して消色することも出来ません。 このため使用後の転写紙は焼却処理する様にとの公的文書が出ています。 つまり、転写捺染を行うためには、捺染機や転写機に加えて、(決して安価とは言えない)転写紙と、その廃棄処理の費用をあらかじめカウント しておかないといけません。

インクジェットにおける直 接捺染

上の転写紙方式が、捺染工業以外の企業でも採用されているのに対し、 インクジェットで、繊維に直接的に染料を乗せて行く直接捺染では、捺染工程の後、染料を通常通り発色し、 その後、きちんとした洗浄も必要ですので、大きな規模でやろうとする程、既成の有版捺染を行なってきた企業が有利になります。

つまり、インクジェットによる捺染工程(→ 乾燥)の後は、通常の工程となります。また、生地に対する、前精練や漂白工程もこれまで通り行なわなくてはなりません。

これに加えて、インクジェット捺染では、インクジェットで染料インクを置く前の工程として、これまでの有版捺染では行なわなかった、 「生地の前処理」の工程が入ってきます。

この前処理は、プリントヘッドから打ち出される染料インクのにじみを防止し、絵際のシャープさを保持すると共に視覚濃度を高めるために必須の工程となります。
インクの成分のかなりの部分は水です、それは染料を溶解しそのインクをノズルから打ち出すための粘度を適性に保つための主溶媒となっています。 また、対象となる生地は、細い繊維の集合体です。 このため、打ち出されたインクは、生地に付くと同時に毛細管現象によりその周囲に広がり始めます。それを防止するのが前処理です。





前処理剤の中には、インク中の水分を吸収しゲル化することによりニジミを止める糊剤に加え、pH調整剤、 発色時にスチーム中の水分を吸い染料の溶解を助けるヒドロトロープ剤、還元防止剤、帯電防止剤など、 対象染料に応じて様々な助剤が入れられています。(この分野は、様々な特許でカバーされています。)

その処理処方例を、左に示します。
これらを、生地に付ける方法は、Pad法、コーティング法、スプレー法などいくつかあります。

Pad法は、右の様なパッダーを使い、生地を前処理液に浸けロールで絞り乾燥させます。この方法では、前処理剤が生地全体に浸透します。

これに対しコーティング法では、生地に対しコーティング面にのみ前処理液が付着します。







どちらが良いとは言えませんが、着色面だけで評価する捺染の場合は、片面付着だけでも差し支えありません。 また、均一に濡れ難い疎水性繊維にはPad法よりコーティング法の方が有利かもしれません。
スプレー式の場合には、前処理液を、 ノズルからスプレー状態で噴霧し生地に乗せます。 その意味ではこれも片面処理に当たります。これらの前処理は、通常インクジェットの前にあらかじめ行なっておきますが、効率化や、 保管中の吸湿による水分の変化やアルカリ剤の変化などを避けるために、 インクジェット機そのものに前処理剤付与装置(+乾燥機)を搭載したものも出ています。 左の写真は、そうしたインクジェット機内にあるスプレー装置の例で、東伸工業のインクジェットプリント機に搭載されているものです。 このスプレー装置では、生地の動きに合わせて、スプレーノズルが左右に動きながら、前処理剤を生地の片側全面に噴霧して行きます。


テキスタイル 用インクジェット捺染機

現在この市場には、 多くのテキスタイル用インクジェット捺染機が販売されています。 その幾つかを見てみましょう。
先ず、左の四台はTシャツなど比較的小物の捺染に適したインクジェットプリンターです。 そして、右の四台はより大きい捺染物に適応したものです。



左の四台は、より大きいスケールでの生産を目指しています。 即ち、最初から現在の捺染工場で行なわれている有版捺染をそのまま置き換える事を目指して設計されているインクジェット捺染機です。
これらの他に、 広告のためののぼりやバナーの作成にターゲットを絞った超大型のプリンターや、可動式で、 従来のフラットベッドに取り付けるタイプまで、 用途に応じて、多種多様なテキスタイル用のインクジェットプリンターが上市されています。


これらのインクジェットプリンターは、ほぼ例外なくピエゾ素子を使ったプリントヘッドを使っています。 テキスタイル用に使われるヘッドについて、その主要メーカー、主要製品、仕様を下に示します。(2011年11月現在)
インクジェットでは、吐出されるインクの量は、ピコリットルと言った極めて微細なものです。それは、ほとんど平面である紙の印刷では実用に足りましたが、 三次元構造を持つ繊維の着色には、全く足りないものでした。即ち染料では、完全な表面染着ではなく ある程度内部にも浸透させ発色させないと濃度が出ないのです。
ちなみに、通常の有版捺染では、色糊の付着量が、1平米当たり200gr.に達します。例えば、この色糊に、5%の反応染料が含まれているとすると、 染料としては、10gr. 純色素としては、約 6gr. になります。

これに対し初期のインクジェット機では、インクを、生地にグラム単位で乗せる事は極めて困難でした。 もちろん、そのインク全てが染料と言う訳ではありませんので、濃色を出す事は到底出来ません。 そこで、ノズルを太くすると共に一回当たりの吐出量を多くすることで一滴当たりの液量を増やしました。更には、そうしたノズルを多く並べる事で、 単位時間当たりの吐出量を飛躍的に伸ばしました。
左の写真はコニカ-ミノルタのものです。128本のノズルが2列に並んで います。下のプリントヘッドは、京セラのものですが、右の仕様を見ると2656本 のノズルから 一滴最大18pLの粒子が、20kHz(一秒間に2万粒) 吐出される事が分かります。 (ちなみにノズル間のピッチは、0.042mmです。)

*dpi: dot per inch  1 インチ(2.5cm) の間にあるインク粒の数。

こうした膨大な数のノズルを制御するためには、その核となるピエゾ素子に狂いなく電気信号を送らなければなりません。 そのための電極を写した写真が左にあります。 これを見ると、現在のプリントヘッドが高度の電子技術の集積である事が良く分かります。
高性能のプリントヘッドの登場で、テキスタイル用インクジェット捺染 は、 初めて現実的なものになりました。プリンター製作企業では、これらのプリントヘッドを複数個並べて大きなプリントヘッドにしたり、 それをさらに左右に配列したり様々な工夫をする事により、短時間での吐出量を増やし、更なる高速化を図っています。 (柄の連続性を損なわないヘッドの並べ方に、各社のナウハウが隠されています。) ちなみに、Konica Minolta の Nassenger PRO-1000 では、9色のインクに対してプリントヘッドが、各々9個、これにそれぞれ1024本のノズルが付いていますので、 一台あたりの総ノズル数は、82,944本となります。


インクジェットプリント用 インク

ここまでの説明で、 現在のテキスタイル用のインクジェット捺染機がどの程度の物なのか、おおよそのアイデアが持てたと思います。 今日では、これらのプリントヘッドを使って、1平米当たり、20mlのレベルまで染料インクを生地に付与できる様になって来ています。それでも、染料純分として少なくとも30%無いと、有版捺染での5% 濃度に及びません。 そのインクには、左の様な基本的性能が必要です。これらすべてをクリアー出来る様、各染料毎にインク処方を組み立てて行きます。 この時使われるのが、下の助剤群です。
















水溶性染料インクの基本組成は、左の様なものです。 これで分かるように、染料成分は通常多くて10%です。 左上に書いたインクの基本性能を踏まえ、染料濃度をいかに上げるかが各染料メーカーのノウハウとなっています。
















顔料は染料と違って、繊維の中に入っていかず表面に留まり続けます。 この視覚効果を更に確実にするために、有版捺染の場合と同じ様に、 白色顔料を先に生地に乗せ、その上に色顔料を置く手法も広く行なわれています。 この分野でも、使われているのは、ピエゾ型のプリントヘッドを搭載したインクジェット機です。 のぼりやバナーなど宣伝用の風合いを要求されない使い捨て素材には、 顔料システムが特に有効です。屋外での日光暴露に強い耐性を持っている事も大きなメリットです。 (顔料システムでは、「15. 顔料による着色と堅牢度」で説明した様に、布上の付着量が染料と同じでは、 濃度が染料に大きく劣ってしまう為、後に述べる様なインク供給量を大幅に増やす工夫が成されています。)
顔料インクについても、環境負荷に考慮した溶媒型顔料インクや、 UV硬化型樹脂を使った水性インク、樹脂後コーティング型の顔料など様々な顔料インクがメーカーによって提供されています。

そうしたこともあって、欧米では、この分野(ソフトサイネージ)がインクジェットプリントの最大エリアとなっています。(2009年)



<追補 1>
染料使用の直接捺染の場合には、乾燥以後の工程が通常の有版捺染に倣いますので、 インクジェットにおけるインクへの染料選択も、 CCMと連動したカラーキッチンが使われている有版捺染現場と余り変わりません。つまり、使われている染料は、
1. 出来るだけ少ない数の染料で、広い色相と濃度範囲がカバーできる事。
(この事は、使用する色数が限られているインクジェットでは非常に重要です。現実には、イエロー、マゼンタ(赤)、シアン(青) の三原色だけで、有版捺染で行われている様な広い色範囲を濃色までカバーする事は難しく、ブラック用のノズルや、鮮明オレンジ、スカーレット、 鮮明青色 など、特色のノズルを設け、少しでも有版捺染の色領域に近づける手段が採られています。)
2. 一定の固着条件で同じように染着(反応染料では固着)が進む事。 → 足が揃っでいる事。
3. 固着後の洗浄が簡単で白場汚染しない事。
4. 一定以上の堅牢度を有する事
5. 加工賃に見合う価格である事。                         です。

これに加えて、インクの安定性を保つために原料染料に要求されるのは、
6. 染料成分以外の不純物が少ない事。
    水溶性染料 → 塩類が可能な限り除去されている事。・・・逆浸透膜 (reverse osmosis) の利用。
    分散染料   → 分散剤の量が最少である事。・・・プレスケーキの使用。 (「21. 染料の製造」参照。)
7. ノズルをブロックしない事。-水溶性染料 - 高溶解度。 顔料・分散染料 - 粒度。 (粒度は、ジルコニアビーズ等を使用し通常のミリングで得られるレベルよりも小さい 200〜300nm 程度に均一化されている事が望ましい。 ちなみに、この粒度になると、溶媒のブラウン運動で分散が助長されるため沈降性が大幅に改善される。)
8. pHが適正に保たれている事。- ノズルの腐食を防ぐ。水溶性染料の溶解度を保障。反応染料の場合は加水分解を防ぐ。
9. アルカリ土類金属、鉄・銅を含む重金属の含有量が規定の範囲内に収まる事。・・・イオン交換。金属イオン封鎖剤の使用。         などが挙げられます。

テキスタイル用に使用されている染料の部族としては、酸性染料、反応染料、分散染料がありますが、 汎用性を考えると反応染料と分散染料が主たる染料になっています。ここに参考として、 反応染料で比較的使われている品目でCI Numberが公表されている物をいくつか記しておきます。

・ 三原色Yellow成分 CI Reactive Orange 12, Orange 99 グ リーン味 Yellow CI Reactive Yellow 85, Yellow 95
・ 三原色Red成分 CI Reactive Red 3:1, Red 24 青 味Red CI Reactive Red 31, Red 218
・ 三原色Blue成分 CI Reactive Blue 13, Blue 49 ター コイズ/グリーン用 CI Reactive Blue 72
・ Black用 CI Reactive Black 8, CI Reactive Black 39からの配合Black, CI Reactive Blue 176からの配合Black
この他に、鮮明なオレンジ色を出すために、CI Reactive Orange 13 が使われます。

・Huntsmanは、元々ナイロンカーペットの連 続染色用に開発された反応染料の冠称  "Eriofast" を持つ一連の染料をナイロンやシルクのみならず繊維素繊維へも適用可能なインクジェット用レンジとして上市しています。 これは中々面白いアプローチだと思いますが、かつて、私が同レンジをシルクの捺染に試した限りでは、一部に洗濯試験(JIS A-2) での白場汚染や色変の大きい染料や、淡色での日光堅牢度が極端に弱い染料もありました。留意して下さい。 また、綿に応用する場合には、綿上での塩素堅牢度も確認しておく事をお勧めします。

<追補 2>
インクジェットに使われている顔料についても、もう少し具体的に教えて欲しいとの要望がありましたので、私が知っている範囲で書いておきます。
通常の有版捺染で使われる顔料には、CI Pigment Yellow 74, 83、CI Pigment Orange 13、CI Pigment Red 8,122 、 CI Pigment Blue 15 とその置換体 15.1, 15.3、CI Pigment Green 7、CI Pigment Violet 23、CI Pigment Black 7 (カーボンブラック) 、 CI Pigment White 6 (酸化チタン) 等多くのものがあります。(白色顔料は、単に白色として使われるだけでなく、地の色を消し、 上に置かれた色顔料の鮮やかさや濃度を際立たせる為に有効です。)
これに対し、インクジェットでは、色数が限られる為、色相範囲と濃度を考慮し、CMYK(C シアン-青・M マゼンタ-赤・Y イエロー・K ブラック)として、 CI Pigment Yellow 74、CI Pigment Red 122、 CI Pigment Blue 15.1、CI Pigment Black 7、+CI Pigment White 6 が多く使われています。 (ただし、溶剤タイプのインクでは、溶剤適性も加味する事が必要ですので、溶剤によっては CI Pigment Yellow 12,14,83、CI Pigment Blue 15.4 が使われる場合もあります。 CI Pigment Red 122 は溶剤耐性が大きく変える必要はありません。) これだけを見ると、有版捺染用の顔料を単に選択して、そのまま使っている様に思えますが、インクジェットの場合、
                1. ノズルが詰まるのを防ぐ。
                2. (*濃度を得るのに)出来るだけ含有量を増やす。     必要があります。
このため初期粒子サイズを出来るだけ小さくするだけでなく、 二次凝集や、それによる沈殿をも防がなくてはなりません。具体的に言うと、粒子サイズは、通常の顔料がミクロサイズなのに対し、 最新のインクジェット用顔料は、100nm レベルまで微粒化されています。(この高度微粒化により彩度が増し、shade gamut -再現色領域が大きくなるばかりではなく、単位重量当たりの濃度も増すと言うメリットも出て来ます。(第15章参照))
分散剤についてもより分子量が大きい高度分散タイプ(例. BYK CHEMIE の DIAPERBYK シリーズ や Lubrizol の Solsperse シリーズ)が使われています。 こうした、高度分散タイプの分散剤のイメージは、沢山の部屋を持った蜂の巣の様なものです。その沢山ある部屋で多くの顔料を抱え込むのと共に、 それらが互いに結び合い凝集するのを防ぎます。こうして大きい構造を持つ顔料含有体となる事で、もう一つの利点も生まれます。 それは、それ自身が、(物理的に)マイグレーションし難くなる事です。つまり、前処理しなくても生地の上でにじみ難くなる訳です。 これを、樹脂一体型とすれば、前処理もなく、印捺-乾燥後、熱や紫外線により高分子化で後洗浄なしに全工程を終える事も可能となります。

世界の新鋭機

日本において販売されているテキスタイル用インクジェット捺染機については、 主なメーカーの機種を既に紹介しました。 その中には、世界をリードする機種も含まれています。
しかし、世界を見渡すと同じ様に先進的なインクジェットプリンターを創り出しているメーカーも幾つかあります。

Reggiani の ReNOIR と言う名のインクジェットプリンターです。
ルノアールとは、いかにも芸術の香り高い名前です。 それともイタリアの会社ですので、Re(王)NOIR(黒)=黒の王とでも言った意味でしょうか?
かつて、Cibaと組んで高速インクジェット機を開発していたメーカーなので、 パンフレットには、Cibaのテキスタイル事業を買収したHuntsman(とDuPont)のインクを使用していると書いてあります。
対象染料は、反応、酸性、分散染料と言う事で、分散染料の熱固着のためのユニットも内蔵されています。 3.4m ワイド幅までのプリントが可能で、最高速度は、1時間当たり400平米です。








Stork
は、プリント機械のメーカーとしては老舗でありロータリープリンターや、H/Tスチーマーでは、今なお有力なメーカーです。 このメーカーの最上級機は、 Sphene と言う名ですが、インクジェットの分野には乗り遅れており、同機も他社からのOEMの様です。かつての、TruColor での失敗が尾を引いているのかもしれません。事実、 同社のホームページを見ても、 染料インクの販売に対する情熱は感じられますが、インクジェット機そのものの販売は、どこかおざなりな感じがします。 写真の右上隅にあるのがプリントヘッドです。


Durstは、 1936年に設立されたイタリアの映像機器メーカーで、 現在では、産業資材向けのインクジェットプリンターを中心に多岐に渡るビジネスを繰り広げています。 当然ながら、本プリンターでも、自社製のピエゾ式プリントヘッドを使っています。使うインクも自社ブランドの、酸性、反応、分散染料です。
最大プリント幅は、1.95m、最大速度は、1000 X 600 dpi で588平米/hr. インクの吐出量は、6.5gr./平米です。(標準使用では、1000 X1200 dpiで、13gr./平米に上がります。) 8色使いで、各色4つずつ計32個のヘッドを、 左右対称のミラー型に配置しています。総ノズル数は、6144本(192本/ヘッド)。一粒当たりの液量は、7/14/21 ピコリットルの三段階となっています。

Zimmer (オーストリア)も、 老舗メーカーの一つです。この企業は Seiko のプリンヘッドを使っている事を公言しています。 使用しているプリントヘッド数は、8色使用の場合、各色毎に8ヘッド、4色(赤/黄/青/黒)での捺染の場合は、各色16ヘッドです。 こうして、ヘッド総数を、64 にまで増やすことで、プリントのスピードを、700平米/時間にまで早めています。 (パンフレットには、360-360dpiで1.8m幅の場合最高1,465平米(one pass)の数字が出ています。)








MS
の LaRio と言う名のインクジェット捺染機です。MSの名前は、日本ではあまり馴染みはありませんが、1947年イタリアのコモ地方で、捺染工場を創業し、その後、 捺染機の製作販売を経て、現在では、インクジェット分野におけるシステム販売も手掛ける捺染技術の総合アドバイザーです。LaRio と言うのは、「川の向こうへ」と言った意味ですが、コモ湖の別名も現地では、Lario と言います。このLaRio は、恐らく、現時点で世界最速のインクジェットプリンターです。その速度は、185cm幅で、1分当たり35mと言う事ですので、 1時間当たりに換算すると3885平米となりKonica Minolta のNassenger PR-1000の約4倍の能力を示します。(ちなみに、u-tubeの映像では、70m/分迄上げた速度でプリントしていました。同映像で見る限り、 ノズルは各色毎のドーム型アレイに生地幅全体に並んでいます。) 使用される染料インクは、一応オープンシステムとなっていますが、以前のレポートでは、 Huntsman と Stork が対応インクの開発を行なっていると書かれていました。


最後にご紹介するのは、近未来の乗り物の様な素晴らしいフォルムを持ったインクジェットプリンターです。オランダのテキスタイルコングリマリット TenCate の子会社であり、インクジェット分野での総合システム開発を行なっている Xennia の ISIS と言う名のプリンターです。 このプリンターは、テキスタイルIJの分野で唯一 Continuous Stream 方式のプリントヘッド(Markem -Imaje製)を使っています。ランニングスピードは、30m/分ですので、上のMS LaRio に次ぐ捺染速度です。(得られる捺染物の品質についても、ロータリー捺染に並ぶとの事です。)このプリンターの特筆すべき点はもう一つあります。 それはインク吐出量の大きさです。(映像で見る限り、上のLaRioと同じく各色毎のアーチのそれぞれに全生地幅に渡るノズルが固定配置されています。 もしそうであれば、こちらの方が LaRioに先行していた訳です。固定型の全幅ノズルならば、後は、生地を通す速度さえ遅くすればインク付着量は多くなります。 Continuous Streamでは、Piezo式の様に、素子を振幅させる手間はありませんので、吐出量が大きいのもうなずけます。 後は、ヘッドとヘッドの間の柄切れや重複を解決するノウハウだけが必要となります。 インク中の染料の濃度には触れていませんので、最終的にどの程度の表面濃度が出るかは分かりませんが、酸性、 反応、分散染料を取り揃えています。)


<補足>
Xennia は、2008年に英国で設立された会社でインクジェットによる繊維の表面加工技術に長けており、TenCateと共に *EuropeanDigitex projectのメンバーでした。 Osirisの前身は、2001年に設立されたOsiris Inkjet Systemと言う名の会社で、高速インクジェットプリントシステムの開発を中心に据え ISIS を開発しました。しかし、Osirisはその後経営破綻し、Xennia に吸収され、現在では、そのXennia もTenCate の子会社となっています。

*European Digitex project: 2006年、EU内の七つの国から、10の大学、16の企業が加わって総額12.7millionユーロ をかけ繊維分野でのナノ技術の開発を目指した公的プロジェクト。 幾つか取り上げられたターゲットの一つが、インクジェット。TenCate は、プロジェクトの中心的メンバー。


インクジェット捺染の将来

ここまでの色々なインクジェット捺染機の説明を読まれた方は、 これらのインクジェットプリンターの生産速度が、各社の技術ではなく、 使うプリントヘッドの性能とその数によるのではないかとの漠然とした感じを持たれたのではないかと思います。 実はその通り、優秀なプリントヘッドを使いその数を増やして行けば計算上は幾らでも生産速度を上げる事が出来るのです。

この事実は、左の簡単な方程式で表わされます。
つまり、生産速度は、ノズルの数を増やしさえすれば幾らでも速くなるのです。

ちなみに、この方程式を重層的に捉えると生産速度だけではなく濃度の増進を図るオペレーションにも適用できます。 これについては、言葉だけでは分かり難いので、吐出口が二列に並んだプリントヘッドを三つ並べて “大プリントヘッド” として使用する場合を例として説明しましょう。
左の図に示した大ヘッドを、一度左方向に動かし印捺すると、その動きに従って二列に並んだ吐出口からインクが打ち出されますので、 生地に対しては、インクが二度重なる事になります。 このプリントヘッドが、左端まで行くと、生地が1ヘッド分(正確には1 吐出口の長さ分 ≒ 5〜10cm) 前進し、今度は、右方向の印捺が始まります。これで、インクは4回重なります。 更に、これが右端に行き、生地が動き、ヘッドが左へ動く。これで、インクの重なりは6回になりました。これを繰り返す事により、 以後、全ての領域には、6回分のインクが重なる事になります。これを三原色 CMY 全てで行なうと、6 X 3 つまり18回分のインクが一領域に供給でき、更に、濁りを与える為の K (ブラック) が加わる事で、希望の濃度に近付いていきます。(従って、このオペレーションでは、稼働時の印捺部末端に三段の濃度差が現れます。 捺染柄の最初と最後に濃度段がそのまま残ってしまう様に思えますが、DOD ですから、“空打ち” 部分を作る事でそれは防げます(先端:2/3 空打ち→1/3 空打ち→全打ち。末端:全打ち→1/3 空打ち→2/3 空打ち)。 左右の端についても同じ様にスルー/空打ちをすれば濃度段や色相段は現れません。 ただし、使用するヘッド全体の大きさに合わせて、十分な機械幅を与えておく必要があります。)
この例での印捺スピードは、一間欠操作当たり、1吐出口の長さです。 並べるヘッドを直列方向に増やし更に大きいヘッドを作れば、 一度に 2 吐出口分、更には、3 吐出口分進む事も可能です。(同様に、同じ色で、 “大ヘッド” を並列に並べる事により、インク供給量を倍加する事も容易です。)

こうした操作が、インクジェット捺染機で、実際に行なわれているのか、公開されている動画で見てみましょう。
    A-Tex Ultrajet DPMK        この A-TEX のプリンターの絵際を見ると、一段目が明らかに淡く見えます。三段に見えるかは微妙です。 いずれにせよ、生地が送られる毎にインクが重なり濃い濃度の捺染部分が続きます。
    REGGIANI DReAM        次の例は、REGGIANI の DReAM です。 このインクジェット機は、上でも取り上げましたが巨大な複合ヘッドが前後二列(三列?)に並んでいます。(見取り図にもうっすらと書かれています。) これによって、同じ場所へ複数回インクを吐出する事を可能にしています。
    Nassenger Pro 60      この動画では、絵際に六段の濃度段階が出ています。 即ち、生地の縦方向への送りと、ヘッドの左右の動きによりインクを6回重ねている様です。 ヘッドの並べ方も更に工夫している事は間違いありません。

こうした複雑なオペレーションを可能にするためには、DOD が毎回確実に成されなければなりません。 これが、多くの新鋭機に信頼性の高い日本製の(あるいは日本の技術が入った)プリントヘッドが使われている理由です。

しかし、落ち着いて考えると、日本や欧米などの先進国では、全く同じ生地を何千メートルもデザインや配色だけを変えてやる様な仕事は、最早ありません。

下の左の図は、かつてOSIRIS社が、ISIS のマーケティングを行なうための作成したインクジェットの市場見込みです。
(右側の表で抜粋しまとめています。)


ちなみに、この図では、ヨーロッパでのマーケットデマンドは、250mから750mとなっています。 (最上方赤い矢印。矢印は左を向いていますので、 Max.750mです。)そして、従来のスクリーンプリントは、その750mから右向きのピンク色の矢印となっています。

つまり彼らの予測通り推移すると、ヨーロッパからは、従来の有版捺染は消えてしまいます。
彼らの見込みは、半分は当たり半分は外れました。ヨーロッパでは、確かにインクジェット捺染機の需要は伸びたのですが、同時に ISISの様な超高速機を 使わなければいけない仕事は無くなっていたのです。それが証拠に、ISISを作った OSIRIS は、2009年に破産しました。その機械は、作られた当時コモ地方にある Maver of Fenegro社で使われていましたが、今では、インドに渡っています。ISIS がその後 EU でどんどん売れているとは聞きませんし、MS の LaRio に引き合いが殺到している事実もありません。

その一方で、従来の有版捺染は、縮小したとは言え未だ頑張っています。特に一般衣料用途では、有版捺染なりのメリットがまだまだあります。 一般の衣料品では、様々な生地が使われます。例えば、単にコットンと言っても、打ち込みや厚さが違ったり、シルケットの度合いの違うもの、 あるいは液アン処理をしているものなど、極めて多様な種類が存在します。時には、織物ではなく、編物も取り扱わなくてはなりません。 合繊の場合でも、太い番手のものもあれば、細番手のものもあるでしょう。生地が変われば、色や濃度は変わります。 時には、染料や助剤の処方も変えなければなりません。今までは、それに細かく対応してきました。 しかし、インクジェット機では、生地に多少の差はあっても、それを連続的に行なおうとすれば、同じ処方で前処理をし、 同じ染料を使って、同じ条件でプリントせざるを得ません。(もちろん、コストや堅牢度や得られる濃度で染料を使い分ける事もできません。) つまり、ロータリー捺染に並ぶほど生産性の高いインクジェット捺染機を持っても、そのメリットを最大限に発揮させる事は難しいのです。

かと言って、インクジェットへの流れが止まる事がないのも事実です。この章の始めに、現行の有版捺染が抱える問題を列挙しました。 (先進国では特に不向きな)労働集約型産業である事、環境負荷が極めて大きい事、熟練労働者が必要な事、そしてそれが失われつつある事。 これでは、まるで三重苦です。将来を目指して、それを少しでも救うためにはインクジェット捺染機を導入せざるを得ません。

右は、米国のPira International と言うマーケットリサーチの会社が、欧州のFespa と共に行なった 2009年から2014年までの、インクジェットプリント繊維製品の世界での成長率予測です。

この予測では、2009年段階で、115million ユーロ(約150億円)の市場規模が、2014年までの5年間で、10億ユーロ(¥1400億)になると予測しています。特に2010年からは、毎年、 2億ユーロ=280億円のペースで市場が拡大すると見ています。 ちなみに、その時点までに、52,800ユニットのインクジェット捺染機が売れるとも予測しています。

この予測が当たるかどうかは分かりませんが、今や、インクジェットプリンターは他の家電製品と同じ様に、 世界中から部品を調達して来て組み立てて売ると言うアッセンブリー商品になりつつあります。 テキスタイル用途に限って、そうした手法が例外となる筈はありません。その証拠に、ちょっとインターネットで探すだけで、 中国メーカーを含めた多数のテキスタイル用インクジェット機を見つける事が出来ます。

ご存知の様に、今、米国では国を上げたプロジェクトとして、*3Dプリンターに取り組んでいます。 3Dプリンターは、今までの産業構造を根本から変えるとまで言われる画期的な機械です。その進歩は劇的で、既に、十万円台の実用機まで登場しています。 (米調査会社によると、2021年の3Dプリンターの世界市場規模は108億j(約1兆1千億円)に達する見通し。)インクジェットプリンターで 最も重要な部品とも言えるプリントヘッドの分野で、現時点では、日本のメーカーが技術的に有利なポジションを確保しています。 しかし、その地位がいつまでも続く保証はありません。 それは、半導体や液晶パネルの歴史を見ても明らかです。 いずれにせよ、近い将来、より安価なインクヘッドが登場する事は間違いありません。 そうなれば、インクジェット捺染機の価格も劇的に下がります。

*3Dプリンターとしては、(1) インクジェットヘッドから樹脂を噴射。紫外線で固める。 以外にも次の三つの方法があります。
(2) プリンターノズルから熔融樹脂を押し出し何層にも重ねる(押し出し堆積型)。
(3) 粉末状の素材をレーザー照射や結合材などで固めていく(粉末型)。 - 金属・石膏製品等に対応。
(4) 光に反応して固まる液体樹脂に紫外線レーザーをあてる(光造形型)。


これらのインクジェッ ト捺染機で使う顔料及び染料インクについても大きな変化が予測できます。
インクジェット捺染の大きなセールスポイントの一つが 環境に対する優しさですが、 染料を使っている限り、生地の精練や漂白が必要です。加えて、発色工程やその後の洗浄工程も必要になってきます。 精練や漂白は、それを済ませた生地を調達する事で解決できますが、発色や洗浄はそういう訳には行きません。 その点、顔料を効果的に使えば、プリント後、染料では必要な大がかりな蒸熱や洗浄を行なう必要はありません。 しかし、それには、今のままの顔料では実力不足です。 先ず、大幅な濃度アップが必要です。ノズルを増やし付着量を多くするだけでは、風合いが硬くなり、摩擦堅牢度や洗濯堅牢度が持ちません。 (それらの面では樹脂一体型が有利です。)そうした点で染料を顔料で更に置き換えるためには、樹脂の検討も一から進める必要があります。 省力・省設備のためは、高分子化も、熱ではなく紫外線で行なう方法が有効です。こうした事を謳った顔料も既に販売されていますが、 インクジェット捺染を飛躍的に広げるためには、更に、ワンランクあるいはツーランク、グレードを上げる必要があります。 今、新顔料の開発を含め世界中でそれを目指した開発が始まっています。

次に、染料ですが、今までは、ほとんどの場合、いわゆる純正品を使う事が義務付けられていました。 しかし、これからのインクジェット捺染機の多くは、他者との競争に勝ち残るためその “縛り” を緩めざるを得ません。 あるいは、仮に “縛り” があったとしても、あと数年の内に、インクジェット用染料の価格が劇的に下がってきます。 (捺染工場でカラーキッチンが導入された時に、反応染料リキッドの価格がどう動いたか思い出して下さい。 それと同じ事がインクジェット用の染料インクでも必ず起こります。) それに対して、価格カルテルを結ぶ事が出来ればそうするでしょうが、今はそれが出来ない時代です。 そこで、染料メーカーが行える有効な手は一つしか残っていません。それは、インクジェットにより適した染料の開発です。 丁度、転写プリント用に、CI Disperse Blue 359 が開発された様に、新しい染料を開発し、それを特許で押さえれば大きな市場を獲得できます。 恐らく、インドか中国のメーカーが数年の内にそうした染料を創り出すでしょう。

日本におけるインクジェット捺染のこれから

インクジェットプリンターは、今までにない優れた機械です。 幸いにも、その最重要の部品であるプリントヘッドの分野で、現在の日本には世界をリードする有力なメーカーが複数あります。 このため、日本のインクジェット捺染機メーカーも、今の時点では、比較的強い位置にあります。 しかし、それが、日本の捺染産業の復活にプラスとして働くのかと問われれば、首をかしげざるを得ません。

左の表でも見られる様に、 インクジェットは、現行の有版捺染の抱えている問題の多くを解決してくれます。 唯一のネックであった生産性についても、既にロータリースクリーンプリンターと同等のものも出始めています。

それでは、こうした高速のインクジェット捺染機を導入すれば、国際競争力がつき中国から仕事を取り戻す事ができるでしょうか?

相手が同じインクジェット捺染機を買い、同じ染料インクを使い、同じ色データーでプリントすれば、同じものが出来上がります。 そして、どう考えてみても彼らの方が財力的に勝っています。つまり、インクジェットの導入で国際競争力が復活すると言う事はありません。

日本の捺染産業は、典型的な受注産業であり、細分化されたテキタイルビジネスの極く一部分にしか過ぎません。
そして、気が付けば今や絶滅危惧種です。このままでは、本当に絶滅してしまいます。
戦後、日本では少ない投資で繊維産業を再生するため、極めて細かい分業体制を作りました。 今や、その上部に君臨した紡績やアパレル商社に往年の姿はありません。 カネボウの様に破綻するか、レナウンの様に身売りするか、そうでない連中もほとんど日本での製造に見切りをつけてしまいました。 また、新しく勃興したユニクロの様な*SPAは、海外で生産する事を前提に商品企画をしています。 そんな中、捺染工場や染色工場だけが、昔の姿を引きずっている様に思われます。既に、先は見えています。 それに抗して生き残るためには、これまでのやり方を全く変える程の変革を成し遂げなくてはいけません。 この変革のための一つの手段となリ得るのがインクジェットプリントです。

*SPA(Speciality Store Retailer of Private Label Apparel): 企画から製造、販売までを垂直統合させることで中間のムダを省き、消費者ニーズに迅速に対応するビジネスモデル。


ここで、ケーススタディを行なってみましょう。
状況 1.
上のスライドから見ても、 これからのテキスタイル捺染の領域で、 インクジェット捺染が進んでいくのは間違いありません。その領域は、顔料捺染と染料捺染に分けられます。 顔料捺染の場合は、そこそこの精練・漂白を行なった生地を調達し、 インクジェットで柄を置き、UV処理(或いは熱処理)を行なえばそれで終わりです。 少ない元手で新しいファッションビシネスを始める条件は整いました。

状況 2.
日本で付加価値の高い領域に進むには、 やはり染料での捺染が勝っています。更に高い付加価値を目指して様々な後加工が出来れば言う事はありません。 今の捺染工場には、精練・漂白工程を始め、染料の捺染を問題なく行える全ての設備が揃っています。 発色にも洗浄にも何の障害もありません。 また、何よりも重要な事に、蓄えてきた高付加価値商品への膨大なノウハウがあります。 そして、既に多くのライバルは姿を消してしまいました。

さて、こうした状況を有効に活かして、捺染産業が生き残るための方策を考えてみます。
日本の捺染製品は、既に、世界の捺染製品の1%を切っています。しかも、それらの多くは国内消費に向けられていますので、実際に、海外の消費者が、 Japan Made の捺染物を手にする事はまずありません。そこで、「日本」を前面に打ち出した捺染製品を作りインターネットで販売します。 例えば、海外に多くいる “おたく” 向けファッションや、日本の昔からある柄(これに関しては、京都ASTEM に膨大なデーターバンクがあります。) がこれに当たります。こうした、インターネットビジネスは、図体が大きい既存のアパレル組織よりも、小回りのきくオフィスビジネスに向いています。 顔料を使うインクジェットシステムを使えば初期投資も最小で済みます。また。得意分野ごとに複数の企業でビジネス連合体を作れば、 人的繋がりが未だ希薄なネット社会で、よりリスクを避けたビジネスチャンスを見つける事ができます。

一方、捺染企業のこれからを考えますと、熟練者不足や、環境負荷をカバーするために、何らかの形で、 インクジェット捺染機を導入せざるを得なくなってきます。 もちろん、持っている設備を考えるとある程度大型の設備になる事でしょう。 例えばこのために、顔料捺染用と染料捺染用に大型機を一台ずつ設置したとします。 時の経過と共に、工程数が少なく、環境的にも負荷が少ない、顔料での捺染比率が大きくなって行くと思います。 そこで、空いて来るのは、スチーマーや洗浄機です。

この両者がどうすれば、Win-Win の関係を築く事ができるのか考えてみます。下のスライドを見て下さい。

ネットビジネス連合体にもたらされるメリット
1. 一定品質のプリント用生地が確実に入る。
2. 品質的に顔料プリントでは埋まらない部分を、投資なしに染料プリントで埋める事が出来る。→ 新たなビジネスチャンス獲得。
3. 後加工を委託する事により、高付加価値領域でのビジネスチャンスが生まれる。
4. 大ロットの注文が来ても受ける事が出来る。

捺染企業にもたらされるメリット (それぞれ、上の (1)〜(4) に対応)
1. ある程度まとまった量で、生地の販売もしくは賃加工の仕事が受注できる。
2. 染料捺染の賃加工が受注できる。(捺染も含めて行なう場合)スチーマーや洗浄機の空き時間を有効に活かせる。 (捺染品の発色・洗浄だけを賃加工で受注する場合。)
3. 後加工の賃加工が受注できる。
4. 自社プリンター、自社設備を活かした賃加工を受注できる。もしくは、共同販売できる。

今、インターネットは、世界中の誰とも繋がっています。
そこには、膨大なビジネスチャンスが眠っています。捺染企業自身で、そのネットビジネスに踏み出すのも一考です。 今ネット上では、信頼できる精算システムも整いつつあります。

(現段階のインターネットには、セキュリティー上の大きな欠陥がありますが、それも後2〜3年の間に大きく改善されると思います。)

<追補>
インクジェットを使ったビジネスモデルとして、セーレンのビスコッテックスがありますが、インクジェットを手段として、 インターネットで世界の顧客とon-line で結びつけ様とするビジネスも既に出ています。


さいごに

この章では、 デジタル捺染について説明しました。
初期のインクジェットプリンターでは、吐出量が少なく、テキスタイル用途における品位は、通常の有版捺染のものに比べて大きく劣っていました。 しかし、その後のプリントヘッドと、その制御技術の発達により、吐出量は大きく伸び、現在では、有版捺染の速度を凌駕しつつあります。

いずれにせよ、現在の状況が続くと、遅かれ早かれ何らかの形でインクジェット捺染機を導入せざるを得なくなります。 インクジェットプリンターも20年前のそれからは随分進歩しています。使い方さえしっかり把握出来れば、それなりの仕事はしてくれると思います。 これから先も、インクジェット以上にデジタル捺染を実現できるシステムは現れません。 かつて苦労して食わず嫌いになってしまった方も、今一度見直してみてはいかがでしょうか。 その時には、現実的な加工ロット長を想定して必要以上の速度を追った高価な捺染機を導入する必要はありません。 今後、インクジェット機の価格が大きく下がるであろう事も頭の片隅に入れておいて下さい。

<追補> 静電電子写真方式によるデジタル捺染
“カラーレーザー方式” としても知られる静電気を利用したこの方式は、インクジェット同様、紙のコーピーに広く使われています。
一方、テキスタイルの分野で登場する事はほとんどありません。その理由を列挙します。
1. 捺染企画には必須である濃色が出ない。
 この方式で、トナーを媒介として供給できる染・顔料は、最大1g/m2
2. ポリエステル以外には使えない。
 トナーには絶縁性が必要な為、疎水性を持つ分散染料しか使用できない。
3. “直接捺染” が出来ない。
 トナーの粒径が 5〜8μであるため、大部分が、ポリエステル織物/編物の組織(開口距離 数10μ)を通り抜けてしまう。 また、乾粒子であるトナーでは毛管現象が起こらず、中にある染料が、フィラメント間(5μ程度)に入って行く事がない。
4. 効率的な “転写捺染” が出来ない。
 トナーの主成分である樹脂やワックスが、ガスバリアとして作用し、多くの染料がトナー中に残留する。
5. 広巾化が出来ない。
 トナー補給に使われる感光体ドラムの最大幅は A-0。即ち、90cm以上の有効幅を得る事が出来ない。より大きい感光体が作られる事はない。
6. システムの維持にエネルギー/コストがかかる。
 静電方式における消費電力は、単位面積当たりインクジェットの30倍。 「消耗品」である感光体も高価。