未来を生きる子ども・家庭・学び その21 |
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阪神大震災 晴天の霹靂とはまさにこの事。1月17日未明、ドーンという衝撃と同時に飛び起き、 一階の居間で寝ているモモの上に本棚が倒れはしないかと、飛んで階下へ。 幸い本棚は倒れてはおらず、親子三人台所へ。電気をつけた途端に停電。 二階に着替えを取りに上がると、寝室のドアの前の本棚の上に積んであった雑誌が 落ちて散乱していた。部屋を出るのがもう少し遅かったら、ドアが本のために開かず、 焦りまくっていただろうと思う。着替えを持って台所に戻り、暗がりの中でラジオを電池式に切り換え、 懐中電灯をつけたところですぐに電気が点いた。余震が続く。 夜明けまでの一時間がとても長かった。ラジオが姫路は震度4、神戸は6というので、 神戸に一人で住む母のところへ電話をかけた。後で思えば、回線が混乱する前だったのだろう、 いつものように電話はかかった。様子を訊くと、興奮気味ではあったものの家は壊れてはいず無事を確認。 その時点では被害情報もあまりなく、まさか神戸・阪神地域が壊滅状態になっているなんて思いもしなかった。 幸いここ姫路では災害は逃れたものの、もし断層がもう少しずれていたら・・・ 本当に紙一重の運命の差だと思った。今、生きて在ること、日常が昨日から今日、 そして明日へと連続していくこと。それは単に偶然の幸福な連なりにすぎないのだと改めて思う。 同じ時間を生きていて、でも全く違った状況を生きなくてはならなくなった人達に思いを馳せる。 何かしなくては。でも何ができるんだろう。交通は遮断されていた。 私たちの生活はなんと脆弱なものに支えられていたのだろう。 HSNニュースNO.19(‘95.3.7発行)より 地震の後 地震からはや一ヶ月と半分が過ぎた。私はこの一ヶ月間、だいたい週一のペースで神戸に足を運んでいる。 炊き出しだったり、母親や知人を訪ねたり、ビラまき*の手伝いだったり。 先日、灘区に住む母の所へ使い捨てカイロを届けに訪ねた時のこと。 西からは神戸駅で止まっていたJRが灘駅まで復旧したので灘駅で降りた。たくさんの人の流れはそのまま北へと向かい、 阪急王子公園駅の西側改札口へと吸い込まれていき、私はその流れから一人はずれて信号を渡る。 信号を渡れば王子動物園がある。動物園の門を右へ回ると坂道が続いている。 摩耶山を見上げ、背中に海が広がっていくのを感じながら坂道を上っていく。 道の左側は金網越しに動物園、左側は陸上競技場。この辺り一帯は地震のために自衛隊の駐屯地になっていて、 モスグリーンのテントがどす黒いシミのように拡がって遊園地やグラウンドを占拠している。 巨大な軍用トラックが私の横を走り抜けた。もう少し前なら、 ヘリコプターの発着が辺り一帯の空気を振るわせていたのだ。近くに住む母は、まるで 戦争のようだったと言う。 今は眠っているように静かだ。空がとても青い。歩いていると2月だというのに汗ばむくらいに日差しが暖かい。 公園の柳の木の枝がうっすらと緑がかっている。冬枯れ色の山も心なしか春めいて見える。 坂道の途中で立ち止まりふりかえる。海まで続く街並みは、遠目には破壊がわからない。海が光っている。 思わず涙がこみ上げてきた。(*ビラまき:福井県敦賀市の高速増殖炉もんじゅ運転開始に反対するビラ) 炊き出し 2月16日、3月2日の2回、「阪神大震災救援ぐるうぷ」※へ応援炊き出しに行きました。 HSNひめじを中心に友人らに呼びかけ、一回100食分を目処に一回目はカレーライス、 次はクリームシチューの材料を、前日に下ごしらえしたものを持ち寄り、 救援ぐるうぷの基地になっている須佐野公園で作りました。 大人と一緒にSちゃん(12才)、Aちゃん、モモ(ともに9才)も一緒に行きました。 一度目は丁度ちびくろ保育園から須佐野公園の方へ基地を移したところで、 事務所になっているプレハブ一棟と、物資を保管するテンとが三つ、スタッフ用のティピーテントが一つ建っていました。 水は公園の水道栓から直接使っていました。ところが二度目に行った時には、 水道栓の傍には流し台があり蛇口がついていました。 そればかりでなく洗濯機が二台並んでいました。テントの方も数が増え、 その上調理テントができていてプロパンガスのコンロが2台おいてあり、 雨の時にも調理ができる体制が整えられていました。テントの外では大釜に薪をどんどんくべて、 ダイナミックにお鍋が煮えていました。救援基地は自己増殖する! たくさんの人々の知恵と工夫を出し合っての共同作業に感動しました。 ボランティアも九州・四国・長野など遠方からきた人達がたくさんいました。 私たちが作ったシチューはお鍋に分けて避難所へ運びました。 神戸から姫路に帰ってくると、建物が当たり前に建っていることが妙に不思議に思えてしまう。 いつもと変わりない街並みは単に仮想の世界でしかなく、 壊れてしまった街こそが唯一の現実であるかのような錯綜した感覚におちいってしまいました。 ※「阪神大震災救援ぐるうぷ」:神戸市兵庫区のちびくろ保育園を中心に 有志が集まって兵庫・長田区等周辺地域への救援基地を作り、 行政の手の届かない部分へのきめ細かい対応をしていた。 HSNニュースNO.19 (‘95.3.7発行)より、一部加筆訂正 |