8月4日  映画は一人ではみれません・・・ 今日の一枚を見る

 昨夜宿に帰ってきたとき、レセプションに座っていた青年が朝食があるという感じのことを言っていたので、期待して9時頃行ってみる。
 テーブルがセットされたロビー前奥が朝食会場のようにも見えたが、肝心の食事が無い。レセプションにいたオーナーにさり気なく聞いてみると、それは無いという返事。あらら何か勘違いしてたのね、ってことで川の向こう側にあるポントスの墓へ向けて観光スタート。

ポントスの墓からアマスヤの街並  きちんと整備されていない道を登り、チケットを購入(通常2MTL、学割1MTL)。道の具合はトルコらしいといえばトルコらしい。他にも数組観光(散歩かも)に訪れているようだ。
 写真(左)はポントスの墓からみたアマスヤの町並み。川の手前側が旧市街の面影を多く残している地域で、向こう側は俗に新市街と呼ばれ住民の多くが住んでいる地域になっている。アングルは昨日子供達と遊んだ地域の方向に向いている。ちなみにオトガルは向かって左の方向へずーっと行った場所にある。

 紀元前3世紀から4世紀のものとされるポントスの墓。夜はライトアップされて多少幻想的ではあるが、昼間遠くから見ると山の斜面に大小たくさんの穴が掘られているだけに見える。
 入場を済ませていくつかの穴を覗き込んだり進入してみたり、写真を撮ってみたり・・・と思ったらトラブル発生。なんとデジカメが起動しない。これはヤバイと陰に腰掛けて色々試してみるがにっちもさっちもいかない。全く動かない。
 野比家に習って斜め45度からチョップを入れてみるが効果なし。コツコツと岩に当ててショックを与えてみても、ふーっと息を吹きかけて細かいチリを飛ばしてみても効果なし。
 熱でやられたのかと風の当たる場所へバッテリを外して冷却効果を試してみるもまったくダメxxx

 アマスヤはともかく次に向かうカッパドキアとその後のイスタンブルで思い出の写真が無いのはつらい。この街のカメラ屋で修理が可能か、悲観的になりながら観光を切り上げ来た道を戻ることにする。途中歩きながら動かないカメラをいじくり倒す。画面には「システムエラー」の文字も。
 吹いたり振ったり叩いたり、かれこれ30分近く復旧作業している。と突然カメラは復活した。

アマスヤ  やはり斜め45度からチョップが効いたのだろう。ショックというのは時として思わぬ効果を生み出すこともある。勉強になった。

 嬉しさの余り、写真(左)のアマスヤの街を流れる川を撮影。川の色は美しくないが、周りの建物と周囲の山々がかもし出す雰囲気がなんとも良い。
 取り上げるほどの観光資源は無いが、この雰囲気が「トルコ一美しい町」と呼ばれる所以なんでしょう。

 カメラも復活して安心したのか、急に腹が減ってきた。そういえば朝食をとっていない。
 通りすがりの店でサンドイッチとコーラで毎度お馴染みの朝食。トルコのパンはほとんど間違いなく美味いので非常にありがたい。
 ウェルカム度が結構高い土地柄らしく、またチャイをご馳走になり、ロンプラに載っているウォーキング観光コースの未訪問地をチェックしてそこに向かう。
 途中、冷房の効いているスーパー(クルマのタイヤまで売っている)に寄って涼んだり、焼きトウモロコシ売りの青年連中と他愛も無い話をしたりしてのんびり歩く。

 学校帰りなのか少年が2人話しかけてきたのでトルコ中でやってきた慣れた会話をスタート。この街はリンゴが名産らしく、それを食べたかと聞かれたので、まだ食べていないことを答える。
 すると少年の1人が、さっき涼みに行ったスーパーでリンゴの袋を買ってきてぼくにプレゼントしてくれた。代金を払おうとするが、もちろん彼らは受け取らない。それほど高いものでもないけれど、少年たちは「うぇるかむ」と言う言葉で気持ちを表してくれた。
 やっぱりトルコは良いなー
 少年たちとは彼らの薦める「神学校跡」まで連れて行ってくれてそこで別れた。彼らの帰る方向とは逆方向だったが、彼らにはそれも何てことないということでしょう。このホスピタリティ精神には畏れ入る。

 一通り観光を終えて、さて夜のバス出発までなにをしようかということで、まずヒゲを剃ってもらうことにして床屋に入る。
 突然現れた日本人にびっくりしていたが流石仕事人、きれいさっぱりさせてくれた。無くなるとどんどん持ってくるチャイと、あいかわらずぼくにはくすぐったい軽いマッサージ付きで2MTL。日本でこれがあったら毎週通いそう(マッサージは無くても良い)。

食事  残り時間は部屋でぼーっと本でも読もうと考えていたが、せっかくなので映画を観ることにして開場までまた街をぶらぶら。
 映画の終る時間を考えて、先に写真(右)の早めの夕食(遅めの昼食ともいう)。ペットの水は別売りで0.5MTLだが、食事はサラダをサービスしてくれて4MTL。非常にリーズナブルで美味しいロカンタだった。もっと早く見つけてれば昨日の晩もここだったのに。

 夕方4時半、開場時間に合わせてロカンタを出て映画館へ。
 しかし客はぼく1人しかない。どこかに並んでいるのかと思ってあたりを見回してみるがそんな気配は微塵も感じられない。
 どうなるのか不安げに少し待っていると係員が出てきて、1人では上映できないと言う感じのことを言った。
 困ったなと外に出てホントに客はいないのかと・・・1人やってきた。
 しかしぼくが観たい映画と違う映画を観たいようだ。彼はジャン・レノ主演のなにやらアクション映画ぽいのを、ぼくはメグ・ライアン主演のラブ・ストーリーものをそれぞれ主張。上映作品2に対して客も2、しかも1対1。ジャン・レノの彼はぼくに宗旨替えをせまったが、ぼくはレノ氏のアクションにまったく興味がわかず物別れ。
 結局それから2人で10分ほど待ってみたが、誰も客は現れず映画鑑賞は不発に終った。

アマスヤ名物リンゴ  映画で時間が潰れるはずだったが目論見が外れた。
 仕方なくまた街をブラブラ。ボーっと川を眺めてたり写真(左)のタクシーを発見して「あ、リンゴ!」と1人で嬉しがったり。。。

 「JAPON PAZARI」という昔サフランボルの新市街で見つけた店と同じ名前の雑貨屋(どうもチェーン展開しているようだ)で、髭剃り用の刷毛とアロンファもどきを購入。「日本バザール」なのに置いている商品は中国製ばかり。
 商品の質は値段どおりの質なので、これが日本製の質かという誤解が生じないことを切に願う。
 そして、忘れていたわけではないが郵便局へ行きハガキを書き日本へ送付。局におつりの小銭が無いということで代わりに絵葉書を一枚もらう。

 そうこうしていよいよ本当にすることが無くなったなと思いながら歩いていると、何度かすれ違った日本語を少し話せるガイド(ユスフ)に呼び止められた。
 インフォメーションセンターの前で日英土3カ国語によるバイリンガルトークで時間を潰す。
 ユースフはアマスヤで観光の仕事をしていて、かつてトルコ政府の派遣でアマスヤに滞在し、共に仕事をした日本人女性「リコ」さんのことをとても美しい女性で、ぼくにも見せたかったと残念がった。そこまで言うならそりゃぼくも見てみたかったぞ。

 いくつか使えそうな日本語を教えたあげたお礼に、アマスヤの夕焼けが一番キレイに見れる場所を教えてくるというので付いていくことになった。
 途中土産物屋に寄ったとき、これはもしや営業かと失礼なことに疑ってしまったりしたが、どうやら仕事は置いといて案内してくれているようだ。他にも街の大きなモスクでイスラム教について簡単な知識(ムハンマドは単なるメッセンジャーだという基本中の基本)を教えてもらったり、ハマムの中を見せてくれて、オーナーと知り合いなので今度来たときは招待すると約束もしてくれた(この街のハマムも中々良い感じだった。値段は7.5MTL)。

アマスヤの親子  山に囲まれた街なので雲がかかったり霧もよく発生するらしく、夕焼けは残念ながら雲が出て満足のいくものではなかった。
 しかし日は落ちてもまだまだ明るく、川沿いのベンチで時間ギリギリまで色々と話をする。
 写真(右)は家族で川沿いを散歩する微笑ましいトルコのご家族で、ここでは夕方仕事が終ってから家族みんなでよく散歩をするそうです。ちなみに上の山に見えるのがポントスの墓。

 ユスフは学生のとき、日本についてほとんど学んだことが無いという。
 ぼくはてっきり、明治天皇や日露戦争の話、エルトゥールル号のことや友好的な両国の交流などを学校で少しは教えられるものを考えていた。トルコ人に共通する親日的な感情はそこに元があるんだろうなと漠然と思っていたのだが、そうではなく、どうやら親から子へ受け継がれる心情のようだ。
 とても感動したぼくは、日本人らしく感情を表に出すことはしないが、またトルコに対しての愛情が増していくように感じた。

 2人で熱く語らう時間もタイムアップ。
 カッパドキアへ向かうバスの時間になったのでユスフの手引きでオトガルへ移動、バス待ちの間はトラブゾン対リガ(多分、UEFAカップ)のサッカーをテレビで観戦。
 バス会社のカウンター越しに覗いたらすぐにコイコイされてチャイが出されてそのまま一緒になってトラブゾンの応援。
 先制点がトラブゾンにもたらされたとき、バスの出発時間となったのでぼくはそれでサヨナラ。一緒に観ていた男達はもう大興奮でぼくを見送ってくれた。

 熱い時間を過して興奮したのか中々眠りにつけなかったが、日が変わる頃にようやくウトウトする。。。
 明日(もう今日だ)の早朝には二度目のカッパドキア訪問ということになる。

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