8月1日  世界遺産ネムルート! ここは行くべき 今日の一枚を見る

 最後に時計を確認したのは朝4時。そのあとは覚えていないが気がつけばアザーンの大音量。
 頭ぼーっとしたまま終わるのを待ち、その体勢のまま、また眠りに落ちる。
 で結局10時にのそのそ起き出し、トイレへ(^^;
 食事はもう大丈夫だが、酒を飲むと翌日にアウチになる可能性はかなり高い。旅も終盤だというのにまだまだ万全の体調とはいい難い。

 早くチェックアウトして欲しそうにホウキを持って待っているおばちゃんをよそに、まずは一旦宿を出て朝飯のシミット(トルコでは一般的なパン)を買って人々を眺めながらそれを食べて宿へ戻ってくる。
 朝飯へ行く前と同じ場所同じ姿勢でホウキを持って待っているおばちゃんが、つくり笑顔で「ちゃくあう?」と聞いてくるので「えべ(と)えべ(と)(エベット=イエス)」と答えて、急いでシャワーを浴び、できるだけ早く宿を出てそのままツアー集合場所へ。
 荷物を預けてアイスクリームの美味いMADOへ。そこでお勧めのカザンデビ(ライスプディングで上面を焼き色を着けた飴でコーティング)を食べて時間を潰す。今日も相当な暑さになると予想できる。

 出発時間が近づいてきたので集合場所へ戻ると、ヴァンでアクダマルツアーを一緒した韓国人女性教師4人組と再会。今日の朝、到着してそのままツアーに参加するんだそうだ。ぼくもそうしたかったのだが、宿を取ってしまって今日になった。でも再会できてよかったね、みたいな会話をして一緒に出発時間を待つことに。
 最終的に集まったツアー参加者は合計16人。日本人はぼく1人。あとはオージーが2人に韓国人が13人

集落  ミニバス2台に分乗して出発。ぼくとオージーと韓国人女性教師4人組みが同乗で、他の韓国人はもう一台へ。彼らは学生ばかりで、元々は別グループなんだけど何日か一緒に行動している団体だと女性教師に教えてもらった。

 途中何回か休憩を取り、現地の人をピックアップしたり降ろしたりしながらネムルートへ向かう。写真(左)は現地の人が帰っていった集落です。1人手を振って見送ってくれているのが見えますか?
 この後ほとんどこのツアー参加者しか利用しないだろうドライブインで昼食。そのちょっと前から激烈な腹痛に襲われていたぼくは何も食べれず。
 昼食は個人負担だったのだが、ぼくはトイレに駆け込んで姿を消していたので、その件で韓国人がもめているをの目撃していない(オージーが言っていたので知った)。確かに全て込みだという印象は持っていたが。

 少し顔色の悪いぼくをちょっと心配してくれる優しい韓国の女性教師たち。昼飯を食べたところで買ったとみられるサクランボをどっさりくれたが、余計に腹にきそうで少し食べてあとは寝たフリをしてその場をしのぐ。
 そうこうしているうちに宿に到着。順番に部屋の割り振りを告げられて各自室にチェックイン。我々のツアーの他にキャンピングカーでやってきた旅行者もいて、彼らを合わせて宿は満室になった。でも賑やかかなと思ったが、そうでもなく平安な秩序は保たれていた(笑)。

 予定は約1時間ほど休憩時間があって、その後にネムルートのサンセットを見物だそうだ。
 ぼくはようやく腹痛が治まった感じだったので、宿の中と外を少し歩いてみることにした。
 みんな部屋の中にいるようで誰も出てこなかったが、食堂で今日の夕食を作っているシェフと少し談笑。スポーツ新聞でみつけた本日イズミルで行われるフェネルバフチェvsユベントスの試合を、ここのテレビで見ることはできるのか−いや見れない、という問答を10分近くかけてやったりして出発まで過す。

巨石像  写真(右)は見たもの全てを悠久のロマンへ導く、不思議感溢れる巨像たちです。かつて起こった地震により頭部は落下している。
 宿で集合をかけられてミニバスに乗り込む。約10分ほど登りを走ると駐車場に到着、そこからまた徒歩でゆっくり10分ほどでこれが現われる。ツアーでは入境料(エントランス料)5MTLを各自支払わなければならないが、ここまでくるとそんなことはもう問題では無い。とにかくすごいものなので、これは相当レベルの「必見」だと言う事にしておきましょう。

 これらは紀元前1世紀頃に作られたそうだが、そんな想像もできないくらい昔のその時代にどれほどの技術があって、どのように誰が何の目的の為に造ったのか・・・本当に不思議な巨像たちです。
 ほんの数年前までは柵もなく自由に手で触れることができたということらしいのだが、どこかの悪いやつに傷をつけられたり盗難にあったりする前にきちんと世界遺産に登録されて、政府の手によって管理されるようになって本当によかった。この大事な遺跡を後世に残すために公的な予算の投入はしかるべきだと思う。
ネムルート1 ネムルート2 ネムルート3
 東のテラスから西のテラスへ遺跡を見物しながら移動。写真(上)はその途上に点在する巨石像たちの頭部。非常に興味深い。

 西のテラス周辺からサンセットを拝むことができるというので、とりあえず行ってみると既に結構人が集まっている。ぼくらのようにマラティア側から来る観光客もいれば、南のシャンウルファや遠くのカッパドキアからツアーで来ている人もいるという。
 ざっと200人くらいかな、それぞれ周辺の砂山に陣取ってサンセットを待つ。人工物の可能性もありそうな岩の上にも沢山の人。
 砂の山上から眺めていると、1組だけ日本人のグループを見つけた(会話は聞こえた)が、ぼくの周辺を含め韓国人がめちゃめちゃ多いように見えた。ツアー同行のトルコ人も今年は本当に多いと言っていたが、これはトルコ国内全域のようだ。
 彼らの行動は大体わかりやすいもので、高いところで中々日本人にはできないポーズをとったりしてはしゃいでいた。どこかで白人が「ジャパニーズ、チャイニーズどうたらこうたら」と言っているのが薄っすら聞こえたが、いやいや違うで、中国人は知らんが日本人にはできなさそうなことをしてまっせ、と言おうにもはばかられるほどあらゆるところに韓国人がいる。

サンセット  写真(右)は、かなりタイミングをずらしてしまっているが、拍手が起こったサンセットをみんなで見た。
 サンセット後急激に暗くなるので急いで駐車場へ戻る途中に、韓国人女性教師の1人から「何を考えていたの?」と聞かれた(もちろん英語で)。
 「うーん」
 そんなことを急に言われてもと思いつつ、はっとしたものもあった。ありがたい身分で、世界中を旅させてもらって「感動」に慣れすぎたのかもしれない。正直、「ああキレイやなあ」と思いながら眺めていたに過ぎなかったが、ぼくに質問したその女性は、ぼくの逆質問に「家族や友人のことを考えていた」と答えた。
 そういう素直な気持ちを持っていることはとても素晴らしいと思います。ちょっと韓国人の多さに辟易していたときだったので妙に新鮮に感じ、もともと感じていたが更に彼女たち4人組に好感を持つに至った。

 宿に戻って夕食。デジカメ画像を整理していて少し遅れて食堂に行ったが、彼女たち4人はぼくの席を彼女たちの間に取っていてくれていた。なんてやさしいんだ。というか、なぜに真ん中?
 会話のほぼ全てが朝鮮語なのでまったくわからなかったが、彼女たちがぼくの年齢を答えた年齢-10に勘違いしていそうな雰囲気は伝わってきた。話の流れがおかしいなと思いつつここで+10歳だなんて爆弾発言だなと、急にお姉さんを気取る彼女たちを見ながらそんなことを考えていた。食事は可もなく不可もなく。
 それにしても実年齢-10歳でも通用するのか。いくら童顔だからってそれは流石に厳しいような気もするが、彼女たちを見ているとなんだか言い出せなくなってしまった。

 食後少し外に出て満天の星を眺め、シャワーを浴びて少し書き物をしてガイドを読んだりして・・・明日は4時半起きなのにダラダラ過す。
 夜も11時を過ぎてそろそろ日が変わる頃、突然電気が落ちる。みんな寝ただろうという判断かなと理解し、まったくの暗闇の中手探りで1階へ降り(ぼくの部屋は2階)歯を磨き、また部屋に戻ってようやくベッドに入る。

 トルコ トルコ/ネムルート ギュネシュホテル 2004年8月1日泊
ギュネシュホテル ギュネシュホテル
宿泊料不明、バス・トイレ共同、朝夕食付
ネムルートに自力で行くのは結構大変なので十中八九はツアーに参加する。その中でもマラティヤ発の公営ツアーが安くて悪い評判も聞かないのでお勧め。(値上げを繰り返すだろうけど、当時は)5ミリオントルコリラのネムルート入場料は含まないが、行き返りのバス、宿泊費と初日の夕食に翌日の朝食付で30ドル。ネムルートはサンセットとサンライズの2回見に行く設定になっている。
でそのツアーが利用する定番宿がここ。一人参加がぼくだけだったのだが外見画像にも見える2階中央の小テラス付部屋があてがわれた(理由は不明)。食事は満足いくレベルで「フレンド」を連発する従業員も実際それなりにフレンドリー。
ぼくは手違いでサンライズを見落としたが、普通にクレームつけるともう一泊していっても良いよと言ってくれた。実際ツアーでやってきてここに泊まる以外に選択肢はほとんどないという完全に売り手市場であるにもかかわらず、フォローはしっかりやってくれそうだった。

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