7月28日 ピクニック中のクルド人と(英語で)談笑 | 今日の一枚を見る |
恒例になってきた寝坊、今日は8時に起きるつもりが9時起床。 これも毎朝になってきた軽い腹痛で部屋を出る(部屋はバス・トイレ別)と昨夜ツアーの話をしたニイチャンが顔を洗っていた。 あと15分で出発するけどどう?と聞いてきたので20US$という前提でもう一度行き先確認。ノアの箱舟を追加すると50US$だと言うのでやはり却下。急いで用意してロビーに降りる(部屋は3階だった)。 |
写真(上)はイサクパシャ3景。宿から車で15分、しかも登り道に入るまでほとんど直線。 出発する前にキンキンに冷えた水を買ってガブガブ飲んでしまったためか調子の良くないお腹を更に悪化させてしまい、途中かなり厳しい状況に陥ってしまったが、どうにかそれをツアーガイドに悟られずにイサクパシャに到着。お腹に手を当ててなだめすかして観光を開始する。 ガイドについて行き、入場料を請求されずに中に入ることができた。 あれ?と思ったがひょっとしてツアー代に含まれているのかもと希望的観測で、勝手についてきた別のガイドの話を聞く。セントラルヒーティングや下水のシステム、ハマムにハーレムと400百年ほど昔のものだがとても興味深い。 日本でいうと江戸時代の初期から中期にあたる頃。漠然と今とはまったく違うということをしみじみ思う。 ガイドが元のニイチャンに戻り、金が取れないと知った解説ガイドはそれでも愛想良く帰って行った。良い客をみつけて欲しい。 断続的にあった腹痛がピークを向かえ、必死の形相でトイレに駆け込む。一体なんどこんなことをすれば良いのだろう。毎日飲むビオフェルミンも効果は薄い。海外では数日に数回だが、日本では緊張感が薄れるのか食事後にピーになる確率が各段に上がる。 写真(左)はイサクパシャに残る木造の彫刻と、上部左から中央にかけて広がるドゥバヤジットの街です。 下から人、獣、鳥だったかな。どういう序列だったか・・・聞いたときは「へぇー」と思ったものだが当日夜に書いたメモ日記にさえ書いていない。 まあ木造のものがこの保存状態だということで、この地方に雨が少ないことがわかる。でも早めに修復してきちんと保存しないと、せっかくの観光資源としてのイサクパシャの価値を落とすことになりかねない。このあたりはクルド人問題も深刻な地域だが、なるべく早く政府というか公的で大きな資金の投入を望みたい。 ちなみにイサクパシャ入場料は出るときに請求された(5MTL)。なーんだ。 イサクパシャ全体像が写せる場所まで登る。これはぼくが注文したのだが、誰もがこのアングルで(今日の一枚参照)1枚2枚の写真を撮りたいと思うだろう。なので多分注文しなくてもここはツアーのコースであると思う。 写真(左)はガイドがもっと景色の良い場所があるといってぼくを連れてきた絶景ポイントへの道です。真ん中にパカっと口を開けていますね、あそこの奥に続く道−落ちると一巻の終わりという絶壁−を壁に沿って進まないといけません。 ここで完全に自認するに至ったが高所恐怖症の症状は完璧にぼくを支配している。子供の頃はそれなりに壁によじ登ったり、度胸試しでマンションの屋上でいちびっていたりしたが、もう無理。ガイドに笑われるくらいビビりまくってしまった。 情けないが仕方ない。ガイドは今でも長距離のトレッキングをツアーで月に何本かこなす肉体派で、軽い身のこなしを披露していたが、逆に泳ぐのは苦手なんだそうだ(それだけはとりあえず勝った←おいおい)。 命からがら戻ってきたその周辺は、地元の人がバーベキューをしたりピクニックをしたりする憩いの公園のようになっていた。もちろん日本のようになんでも揃っているというのではなく、東屋が一軒あったりするだけのものなのだが、ガイドが言うにはクルド人のファミリーが休日によく使うんだそうだ。 そのときも木陰などで3つほど輪になって談笑しているグループがあった。ぼくらは次のポイントへ移動するためにクルマに戻る途中だったが、そのグループのうちの一団がこちらにこいこいと呼んでくれている。ガイドはぼくにどうするか聞いてきたが、こういう触れ合いも大切だということで行くことになった。 そのグループはおばさんが1人に若い女性が7人、男の子供が1人という構成。みんな親類だそうだ。 約1時間、手作りのお菓子やらパンやらチャイやらを存分に頂き、分かるレベルでの英語での会話。ぼくのガイドと向こうの女性の1人が英語の教師だということで時折その2人を通しての通訳が入る会話だったが、仕事の話や日本での生活のこと、ドゥバヤジットでの生活のこと、色々聞けた。 彼女らはクルド人だったのだが、非常に明るくておしゃべりが大好きで、何より今を楽しく生きているように見えた。もちろん金も仕事も無いと言ってはいたが、金があっても仕事があっても中々色々と難しいコトもあるんだよな。。。いやいや。 日本語をいくつか教えてあげて、「さようなら」をお互いに交わしてツアーの続き。写真(右)のアララト山がよく見えるクルド人集落へ移動。 川で水浴びしていた子供たちは、ぼくらがクルマで近づくとささっと服を着て興味深げにこちらを見ている。 ぼくが写真を撮ったりしていると、まず男の子数人が徐々に近づいてきて「はろー」と声をかけてくる。もちろんぼくもにこやかに「はろー」「めるはば」と挨拶。 年長らしい少女は近づいてはこなかったが、目が合うとニッコリしてくれた。でも小さい子供たちに、知らない人(特にぼくは外人だから)に愛想良くしたらだめでしょ、みたいなことを注意していたようにぼくは見えた。えらいなぁ。 15分くらいの滞在だったが、帰りはぼくらのクルマを走って追いかけてくる子供までいた。テレビでは見たことあるが、実際に何もしていないぼくがそんな感激する見送られ方をされていいのだろうか? 宿に戻って昼寝をし、夕方にまた街歩きを少し。明日はヴァンへ移動する予定で、バスの時間(7:30、9:00、12:00、14:00の4本)のチェックとインターネットにて情報収集。宿はガイドブックに載っている2軒に目をつけておく。 ネット屋でトルコ人2人に声をかけられ、英語でメールを書いてくれと頼まれた。一度断ったが何度もお願いしてくるので、「しんぷる あんど しょーと せんてんす」と念押しして了承。 メールの内容は、先日知り合ったドイツ人女性に送るラヴレター。歌の歌詞に出てくるような、日本人にはとても言えないような恥ずかしい言葉がポンポンでてくるので、半笑いの顔をできるだけ見られないように苦労した。 熱い思いがクライマックスになり、遂に日本語でも書いたことが無い生涯初のラヴレターを英語で書き上げてしまった。 しかし、当のトルコ人が相手のアドレスを書いた紙をどこかでなくしてしまったようで、結局送らずしまい。なんですかそれは? 書く前に確認してください、まったく。。。それにしても、熱くストレートに迫るというこの作戦で、トルコ中で日本人女性が落ちていってるのかと思うと、しかもこういうことが普通にできる連中を見ると、やっぱりうーん(←この言葉の裏には相等な思いがあります)だなあと思う。 そして今夜もビールを部屋で一人飲みながらユリイカや情報ノートをパラパラめくる。ここはイランへ行く人は酒の飲み貯め、イランから来た人は酒を飲める喜びを味わえる街。どこでも美味いトルコのビールが比較的手軽に飲むことができる。 |
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