7月18日 広大な世界遺産ペトラを1日で必死に歩き回る | 今日の一枚を見る |
先にペトラを観光していたナカヤマさんの情報によると、朝早めにできるだけ観光を済ませておいた方が良いとのことなので6時に起きてさっさと宿を出る。 徒歩で約20分、途中猛烈な腹痛に襲われたがどうにかこうにかペトラ前に到着して、ここでもギリギリ事なきを得る。やはりそれなりの食事をすると素直にお腹は反応する。問題ないと思い込もうとしているのだが、実際物事はそんなにうまくは運ばないようだ。 ![]() シリアではそこそこ使えた○セの学生証をここでも使ってみると、見事に有効だと判明。いいぞ丸分かりの学生証(^^;;; 水を買ってついにペトラに突入。写真(左)は馬に乗らないかという客引きを断った直後の朝のペトラです。この辺りはまだまだ導入部で、入ってすぐ厩舎のような建物が左手の先の方にあって、そこからバラバラやってきます。 観光地値段でかなりぼったくられるのがわかっているのに、結果的に強烈な暑さと広さに参ってしまい、往路は意気盛んでも復路では使ってしまう腹の出た白人やアジア人がとても多い。 ぼくが今日一番早い入場かと思いきや、向こうから韓国人の集団がやってきた。歩く方向が出口に向いているのだが、彼らは一体どこをどう巡ったのだろうと気になって、振り向きつつぼくも自分の進むべき方向へ。そして本当に彼らはゲートから出て行った。 あとで知ったことだが、ペトラ内で野宿して早朝のペトラを観光する旅行者も結構いる、とのことだったので彼らはその旅行者だったのだろうと思う。夜は結構冷えるらしいが、そんな心配は大きなお世話だろう。 しつこく何度もやってくる馬やラクダに乗らないかの誘いを蹴りつつ、シークと呼ばれる絶壁に挟まれた切通しのような道を通り、有名な写真(左下)のエルハズネ(宝物殿)に出る。 エルハズネに近づいてくると自然の作り出す音響効果か、音の響きが少しずつ変化してきて気分が出る。ぼくは結構小さな電子音でも聞こえる耳を持っているので(良いのか悪いのか)こういった変化で面白い経験をすることがたまにある。言葉で説明するのは非常に難しいが、このときもエルハズネの目の前にある売店で買われている犬の鳴き声が、歩みを進めていくと微妙な変化で聞こえてきて、なんとなく気分を高めてくれた。 |
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写真(上)はペトラ3景です。 エルハズネはほとんど独占に近い状態で観光。さっき泣いていた犬がどうしてかかなり懐いてついてくる。 じっくりエルハズネを堪能して、座ってハガキを書いたりしたあと先へ進む。地図もなにも無いけど観光地なので迷うことはまずない。 ナカヤマさん情報だと、入ってからエド・ディルというとりあえずの深部にある岩窟遺跡まで2時間半程度見ておいたほうが良いとのことで、ぼくもまずはそこに向かい、戻ってくる道すがら他のポイントも見ようということにしていた。 写真(中上)はそのエド・ディルへ向かう岩窟切通し。道中を簡単に例えると、それは「不毛の大地トレッキング」がピッタリくる。暑くてたまらないので体力の消耗は相当なものである。 |
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写真(左上)は先ほどのエルハズネから歩いてきた切通しを撮ったものです。あの細い道から眼前にエルハズネがあらわれたときは、わかっていても結構興奮する。写真(右上)は以降、道中にある岩窟の一つ。墓なのか神殿なのか何かの建物跡なのか、案内板もなけりゃぼく自身ガイドブックさえ持っていないのでよくわからない。単純にこんなものを作った先人の方々に敬意を払い、歴史の大きさを知るだけでもぼくは十分に満足してしまう。 |
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写真(上)はそのエド・ディルです。ここでやっと一息つき陰で一休みする。茶店があるが、ぼったくりバレバレなので遠慮しておく。 まだまだほとんど観光客はいない。 途中の急な登り道は、バテた人たち救済用(もちろん要料金)のロバ(ドンキー)やらヤギやらの糞で結構臭かった(笑)。土産物屋はほとんど開店前でしつこい物売りに遭遇せずに済んだが、常にまとわりつくハエにはかなりイライラさせられた。 エド・ディルのちょっと先にある丘まで登って戻る。陽が高くなってきて暑さに拍車がかかる。 ちなみこれも後で知ったことだが、このエド・ディルは裏から上に登れるそうで、それなりの景色が楽しめるそうだ。知ってればこれはやっておきたかった。知らずに済めば良いものを知ってしまったが上にちょっと後悔することもある。 博物館前というポイント(登りが急になる切通しの手前付近)まで戻ってきたあたりで、ドンキー乗りがしきりに「はいぷれいす」「はいぷれいす」と薦めてくる。ほとんどは無視したが、ちょうどすれ違った日本人観光客にその「はいぷれいす」という所は犠牲祭壇という観光ポイントだということを教えてもらって、行きたくなり、暑さも手伝って値段交渉に入ってしまう。 結果、この場所から犠牲祭壇まで行き、さらにエルハズネまで戻って3JD。「ほんならやめとく」という高等交渉術を何度か使用しそれなりの値段にできたと思う。 途中結構急な坂や階段を小さなドンキーに乗って進むのだが、ドンキー使いがバシバシドンキーのケツをぶっ叩く。 何度も何度もバシバシバシバシ、愛護団体所属の人ならそのドンキー使いのほうをしばいてしまいそうな勢い。ぼくも慣れない乗り方をしているのかいらない力が入ったりしてドンキーにも迷惑をかけた。ドンキーのケツからはうっすらと血が出ていた・・・ 一度茶店に寄らされシャイを一杯飲む。言い値は1JDだったが拒否すると速攻で半額になった。それでも大した値段だ。 ここで偶然クニタチくんが登場、この暑さの中1人で歩き回っているそうで、ぼくの「一杯どうですか」という誘いを何事も無かったように断り(ぼくが自分から誘うということは非常に珍しいこと)、振り向きもせずに去っていった。 クニタチくんが去った後、ドンキー使いはぼくたちの緊張感のある会話に「ふれんど?」と不思議そうに聞いてきたが、ぼくはあっちの方向を向きながら「おふこうす」と答えておいた。彼らにとっては日本人という民族はなんとも不思議な人間に写ったことだろう。 |
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写真(左上)はそのはいぷれいす、祭壇跡です。かなりの高所だが、端っこに行かない限りそれほど危険は感じ無いし、風が気持ち良い。日光を遮れれば見晴らしの良い風景共々中々よい場所だと思う。ただ、誰かが落ちれば間違いなく大怪我なので、そうなってからなんらかの対策が立てられることだと思う。ここに柵ができれば魅力半減だろうなあ。 座って風を受けながら絶景を楽しんでいると日本語を話すペトラガイドなるおっさんが、白人の美人を2人ガイドしながらやってきた。美人2人を置いてけぼりにして、嬉しそうに日本語を話すので少し会話。 さて・・・とエルバズネへ行ってもらおうとすると、ドンキー使いがここから歩いて5分くらいだから簡単に行けると言い出した。どうもドンキーが疲れたのでここで終わりだと言ってるのがわかったが、ドンキーの虐待具合を思い出し、5分ならとここから歩いて戻ることを決意。 予想通り5分なんて完全なる嘘っぱち。 30分くらい下りの道を歩き、写真(右上)の風景まで出てきて、そこからまた15分くらいかけて朝とは大違いで人で溢れかえるエルハズネ、さらに30分くらいなだらかな登りを歩きゲートまで戻ってきた。滞在約7時間、飯も食わず少しの水分の補給のみで歩き続けて(+ドンキー)世界遺産観光を終える。かなり疲れた・・・ 売店でコーラを飲みながら店の青年と世間話。ハンガリー人の観光客が多いと言うのでその訳を聞いてみると、紅海リゾートであるアカバに5泊してペトラに1泊してハンガリーからのお値段150US$というツアーが沢山組まれているんだそうで、そのせいだということだった。まあハンガリー人の女性は(デカイが)美人なのでと、その売店の青年も顔をほころばせていた。その値段で6泊7日ならぼくだって来るよ。 腹は減ったが食えばまた同じ結果になると思い、とりあえずタクシーで宿まで戻る。歩く気力はほとんどないくらい疲れていた。 タクシーで料金0.75JD、メーターと言おうとしたが初めからそのような高度なメカは設置されていない。客の全員がペトラのゲートから近くの町であるワディ・ムーサあるいはホテルの往復にしか行かないのだろう。遠すぎるのは別として、メーターなど必要なく定額ってことだ。 宿で1時間ほど仮眠して軽くサンドイッチを食べて、水を買って部屋で静養する。水一つとってもかなりふっかけてくるが、いくつかの店を回れば普通の値段の店をみつけることができる。街の中心であるロータリー付近の店は要注意。 同室になったフランス人と情報交換してると、帰ってきたクニタチくんが話しに入ってきて、一方的にぼくとフランス人に質問しまくり、用が終わればすぐさま自分の世界に入り込んで書き物をし始める。すごいぞキミ、友達いないだろ? ぼくはそのフランス人と既に飲んでいたオランダ人と他数名でビールを少しだけ飲んでベッドに入る。明日の腹の調子はどうだろうか・・・ |
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