7月17日 カードが使えない国際航空会社事務所で大出費・・・ | 今日の一枚を見る |
朝起きてパッキングして談話室へ行くと、もう既に死海組みは出発してしまった後だった。ぼくのときは2人だったが、今日出発した連中は5人で、ヒッチするのは難しいかもしれないが、さぞ楽しいことだろうと思う。 8時に仕事中のサミールのもとへ行き、旅行代理店へ行く時間を確認。ところがはっきり時間はわからないようだ。どうも今日はオーナーが来るとのことで、立場の低いサミールはかなり気をもんでいる感じがする。とりあえず11時頃と約束する。 カイロ−イスタンブルのチケットを確定してからナカヤマさんとアンマン名物?フセイントランプを買いに行く約束をしていたので、サミールの都合によっては時間重なるかもしれない・・・ また待たせることになるかも。。。ということでナカヤマさんに一言入れておこうと思い部屋に行くが、既にナカヤマさんもどっかに出かけていて不在。ぼくもすることないのでフセイントランプの情報収集にでも出ようと出発。 いくつかの店や露天でフセイントランプを見つけるが、全て[MADE IN CHINA]。中国産のものなんてフェイクに決まってる。もちろんヨルダン産の「本物」を探していたぼくは結局「本物」を見つけることができず宿に戻ろうと思い歩き出す。 ところが向かいの道をナカヤマさんが歩いているのを見つけて合流。再びフセイントランプの捜索を開始する。 キングフセイン・モスク周辺からローマ円形劇場あたりまで手を広げて探すが偽物ばかり。 ある露天で本物らしきブツを見つけるが1個1JDという中々の高額をふっかけてくる。2人で粘りに粘っても6個5JDまでしか落ちない。かなり頑固なおっさんだなと思ったが、ナカヤマさんは土産用、ぼくは話題用にと購入することは決めていたのでそれで一応納得し、念のために1個だけ買って中身を確認する。 しかしそれもカードそのものに英語表記と中国語表記されてあり、どうみてもニセモノっぽい感じがする。ナカヤマさんと相談してとりあえず2個2JDでこの場は収めることにして、ぼくはサミールとの約束時間なので宿に戻る。 ナカヤマさんは引き続き土産物の買い物とフセイントランプの捜索。 サミールと代理店へ向かう。宿のオーナーが談話室にある事務イスにどっかと座って厳しくサミールを監視しているので抜け出すのに苦労したようだ。必要以上にサミールを威圧するその態度にぼくはムカついていたが、この人間の差がサミール人気の要因の一つだろう。 代理店にてチケットの予約をするが、カイロ−イスタンブルではなくアンマン−イスタンブルのチケットだということにギリギリで気が付き慌ててキャンセル。どうもカイロ発便はここでは安くならないということになったようだ。よく考えれば当たり前の話・・・ 宿に戻って(オーナーは不在。良かった)アンマンのトルコ航空にサミールが電話して7月23日カイロ発イスタンブル行きのチケットなら200JDであるという情報を得る。しかし待て、200JDって約3万5千円ってこと・・・片道でこの値段はでかすぎる。 でもカイロだけは足跡を残しておきたかったし、トルコでの予定もかなり残したままだったのでエジプトに長期滞在するわけにもいかない。ハイシーズンなので空きが少ないというプレッシャーの中、サミールにOKの返事をしてもらいトルコエアの事務所に向かう。 タクシーに乗って、高級ホテルハイアットの近くにある高層ビルの8階トルコエアの事務所へ。 支払いはもちろんカードでと思っていたらなんと使えない。国際航空券を首都にあるその航空会社の事務所で購入するのにカードが使えないなんてどうなってんだと、日本語と英単語とボディで伝え、キャッシングマシーンへと走る。 事務所で場所を聞いていたのだがまったく見つからず周辺を歩き回り、30分してやっと200JDの現金をキャッシング。体力的にも金銭的にもキツイ(^^;; 7/23AM3:45、ということは夜のうちに空港に入っておかねばならない。治安の心配をちょっとだけしてまたタクシーで宿に戻る。 結局買ったフセイントランプがどうも本物らしいという情報を持って帰ってきたナカヤマさんと両替屋へ。情報ノートでドルT/Cをドル現金に換えれるとあったので少なくなったドル現金を補充。 色々と世話になったナカヤマさんと最後に昼飯でもと思ったが、夕方早い目にはぺトラ近くのワディ・ムーサに着いておきたかったのでここでサヨナラ。本当に色々とありがとうございました。既婚女性で一人でヨルダンはやっぱり珍しいですよ。 ぼくを初め、ナカヤマさんもオオモリくんもほとんどの日本人が今日宿を出るのでサミールは寂しいと言っていた。いつかまた会いに戻ってくるよ。それまで元気でいてください。 写真(左)はアンマンのワヘダット・バスターミナル。警官がいて何やら事件の匂いが・・・ タクシーでそのワヘダット・ターミナルへ。料金は1.3JD、さらにワディ・ムーサまでは荷物代0.5JDを加算して2.5JDとのこと。サミールは1.5JDだと言っていたが、旅行者+日本人だからか、ちょっとゴネたけどまったく通用しなかった。 小型のバスは既に満員でぼくは運転席の間に詰まれた荷物の上に座らされる。ちょっと安定しないが酔わないようにほかの事に集中できることは良いことだ。まあこれで8時間とか12時間とかなら正にバカヤロウだが、3時間半程度でワディ・ムーサに到着。砂漠の真ん中を果てしない直線が走るデザートハイウェイ、ホントにぶっ飛ばす。 バスを降りると茶店のテラスに座っていたおっさんがいきなり「ばれんたいん?」と聞いてきた。いくつかチェックしておいた宿の一つだったのでとりあえず「あいのう[I Know]」と答え、覗いてみることにして場所を教えてもらう。 重いバックパックを担いで坂道を登って宿に到着。これだけで結構疲れた(おいおい)。 女主人は1泊5JDのシングル部屋をしきりに薦めてくれたが、ぼくは今日の200JDキャッシングの傷を引きずっていたので、1泊2JDのドミを選択。今日と明日の2泊と伝える。 4ベッドのうち半分は空いていて、同室は日本人だと女主人は言っていた。 早速シャワーを浴びて軽く散歩。このワディ・ムーサというところはぺトラ観光の拠点となる町で、そのとおり何人か旅行者を見かけるが、意外な事に団体が多い印象を受ける。白人ばかりだけど。 この宿の晩飯はビュッフェ方式で1回2JD、情報ノートで晩飯だけでも価値ありと書いてあったので申し込んでおいた。 写真(右)の夕日を見ながら結構うまい晩飯を食べる。流石にノートに乗るだけのことはあるが、日本食を基本として考えるといけませんという教訓はここでも活きていると思う。 韓国人グループがいて、話しかけられる。が、宿にあったガイドブックに日本海[Japan Sea]を東海[East Sea]と書き換えてあったのを見てちょっと気分を害していたのもあって表面だけの会話をする。彼らが書いたとは限らないのにどうもぼくも大人気ない。すいません。 ただ[East Sea]としただけでなく、多分別人なんだろうけどなんと[Korea Sea]とまでカラーで書いてあったので、一緒に見ていた欧州人(たしかオランダ人)と顔を見合わせて苦笑したのを覚えている。しかしこのロビー活動を日本人も少しは見習わねばと思う。 食事を終えて部屋に戻って本を読んでると、ハアハアと息を切らしながら同室の日本人が帰ってきた。 どうも見たことある顔だなと思ったが、アンマンのクリフホテルで一緒だった日本人(クニタチくんとしておこう)だった。アンマンでは主に1人で行動していたようだが、ぼくは見覚えがあって挨拶した。 しかしクニタチくんの反応がどうも鈍い。そして言葉がキツイ。なにか全てに棘があるような口調で話すので、アンマンでの単独行動もわからないではない気がした。ぼくが言うのもなんだが、かなり友達の少ない男なのではないだろうか。 ほとんど初対面なのに初めからタメ口でしかもカチンとくるつっこみも辞さない。とりあえず今までのルートを聞いて少し旅話する(べストはイスラエルだそうだ)が、だんだん苛立ってきたぼくは部屋を出てビールでも飲んで頭を冷やすことにした。 小一時間ほどで落ち着いて部屋に戻ると完全消灯でまっくら(^^; まだ21時台ですがなにか。 物音立てないようにできるだけ静かにベッドに入り、明日のぺトラ観光に備える。 |
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