7月14日  スーパーアラブ人サミールを救え!! 今日の一枚を見る

 何もしないでも体力が消耗するので自然と早寝早起きになる。体壊している方が有る意味健康的なのかもしれない(^^;
 昨日と同じように朝7時には宿を出てタクシーに乗り込み、今度は50SPでガラージュ・バラムケ・バスターミナルへ移動。メーターをじっとみてると10SPから15SP程度で行けるようだ(なぜかメーターを動かしていた)。現地人だとそんなものだろうと思うとちょっと損した気分だけど、まあアラブ人とギリギリの交渉をすると本当に疲れるのでここは我慢だ。2,3日の滞在で色々なものの現地値まで探るのは難しい。あくまで身分は旅行者ということを忘れてはいけない。

 ターミナルに着くとすぐに声をかけられる。
 「アンマーン!」「ベイルーッ!」と次々にヒゲの男が現れる。そしてバックパックは既に誰かに担がれている。至れり尽くせりなのはいいけど、ぼくも別に何も言わない。そういう仕事で生きている人もいるので全てを否定はできない。
 アンマンへ行くと告げると押しかけポーターの男と一緒にセルビスの停車しているところまで連れて行かれ、そこで料金を支払う。
 500SPと言っていたが5US$と200SPを支払うと納得していた。合計しても450SP分にしかならんはずだけど・・・米ドルが強いからそれでいいのか計算がちょいと苦手なのかよくわからんが、それで良いならこっちもありがたい。

 セルビスに乗り込んで他の客を待つ間、ひっきりなしに少年がガムや小物を売りに来る。断っても断っても来る。
 しまいには口に手をやってあの「食べ物が無いんです」というジェスチャーをする。ぼくもいらないものまで買う必要はないので心の痛みを感じながら無視する。一人から買うと余計面倒なことになることは、他の白人旅行者の「その後」を見ていてもよくわかる。

レバノン国境  写真(左)は国境手前で休憩したドライブイン?にあったお土産です。
 本当のディズニーファンはこれをどうみるのでしょうか。大人のくせに幼稚な頭で一杯の基本的なファンはこれでも欲しいと思うのだろうか? それとも金持ちぶって(中国製の)本物しかダメとか言うのだろうか?

 それはそれとして、東南アジアもそうだが、中東でもよくドライバーの都合で必要の無い場所に勝手に停車されたり連れて行かれたりする。こういった土産物屋とかガソリンスタンドとか自分の親戚の家とか、自分の用事も同時に済ませるといった感じが多いように思う。
 日本ではせめて断りを入れて、乗り換えをお願いされたり、よっぽどでない限りそんなことは許されないが、これがアジア・中東ではそれほど怒りに転化する行動だとは思わないのは不思議なものだ。詳細は忘れたが、何かの本に「そう思う余裕はある種の優越感があるから」と指摘が書かれていたが、確かにそう言われてみればという感じはある。正直に、否定はしないとしておこう。
 ちなみに今回はなぜかデューティーフリーショップにまで足を伸ばし、ドライバーの外国産タバコ購入に付き合わされた。これもスローライフといえばスローライフなのかもしれない(←解釈飛躍気味)。

 今回のシリア−ヨルダンの国境超えは今までに無くスムーズに進む。窓口の移動も少なく外国人用の列にならんで普通に通過してしまった。うまくいけばいったでなんとなく拍子抜け(どないやねん)。
 ただ外国人の列といってもほとんどはアラブ人で、見た目は現地の人と変わらないのも多いので並んでいる途中は結構ヤキモキする。

 約4時間でヨルダンの首都アンマンに到着。ターミナルの名前は「アブダリ」だというので、事前チェックでぺトラ行きバスの存在を知っていたぼくは、近くにある[JETT]というバス会社を探して歩いた。
 そして汗だくで見つけたのは約1時間後、ターミナルの近くといってもゆるいのぼり坂をかなり歩かないといけない。
 先にペトラ訪問の予定が立てられるはずだったのだが、なんとこの時期はぺトラ行きのバス運行を停止しているんだそうで、あえなくその野望も潰える。余りに暑いから客もそれほど来ないのかもしれない。というか本当にめちゃめちゃ暑いのだ

 そこからまた歩いてあの有名なクリフホテル。情報ノートや旅人の話から、初めてのアンマンでは無難な安ホテルだという結論に至り宿泊する予定でいた。ちなみに方向もわからずなんとかくで歩いたら本当に到達した。
 道中様子見で小額の両替をする。5US$+100SPが4.75ヨルダンディナール(以下[JD]とします)。桁が減った・・・
 宿はシングル5JD、2ベッドのドミ(実質シェアルーム)が3JDで、ドミを見せてもらったらほかに日本人がいるとのことだったのでドミにしてとりあえずシャワー、ロビーと併設の談話室で情報ノートやらガイドブックやらをパラパラめくる。従業員の対応はかなりグッド。

市場  ちょっと落ち着いたのでまずは軽くお散歩。お腹のほうはかなり平常になってきたのかも。
 写真(右)はそのときの市場で撮った一枚。目線をくれている男が撮ってくれと言ってきたので撮りました。ただ、トルコのように送ってくれとまでは言わないところが国民性なのかなと思う。トルコでは場合によっては住所も電話番号もメールアドレスも全部教えてくれるときもある。それはある意味スゴイことだとは思うけど。

 銀行で両替(T/C50US$→34.25JD)してキング・フセイン・モスクを見学、入場料(0.5JD)がいるローマ劇場を外から眺めて一旦宿へ。とその帰り道で気が付いた。
 さっき両替した大金がポケットからすっかり無くなっている。あちゃースラれたかぁ
 落としたかもしれないので、宿から観光して通った道を往復したりしてみたが当たり前で見つけられない。仕方なく宿に戻り再度両替、現地通貨がなけりゃ生きていけない。ということで、CASH50US$→34.5JDに両替。ちょっと中東ではお金に関するトラブルが多いなあ・・・体調も回復気味だし、もう一度気を引き締めないといけない。

 かばんとか宿の自分のベッド周辺もチェックしようとまた宿に戻り探してみるが結果は明らか。
 あきらめて同室の日本人(ヤオ君としよう)を旅話。そのヤオ君、関西出身で今は南アフリカに留学している、しかも初海外がその南アフリカと言うとんでもなく濃いオトコ。休みを利用してエジプト・ヨルダン・イスラエルと廻る予定なんだそうだ。
 とんでもなく濃いヤオ君に南アフリカのとんでもない<非>安全情報を聞き、そんなところで本当にワールドカップができるのか心配になった。多分、ぼくは金があっても行かないと思う。もちろん北京でのオリンピックも同じこと。

 途中で日本人女性ナカヤマさんも話の輪に入り、そのナカヤマさんと明日死海に行く予定を決める。ヤオ君は今日行ってきたんだそうで、そのルートを従業員であるサミールに教えてもらうといいとアドバイスをくれた。
 ということでサミールにルートを教えてもらう。ヒッチハイクなど現地体験までもコースに含まれる優れモノの観光ルートだ。しかもかなり安く行くことができる。

ぱひゅーむ  写真(右)は香水屋さん。百貨店の化粧品売り場にいるとお腹が痛くなってくるぼくにとっては、そして化粧なんて女のするものだと思ってるぼくにとっては、全然興味のないものだが、なにやら沢山並んでいるので近くによって見てしまった。店のおっさんにパヒュームだと説明されるまでよくわからなかった。
 これはある意味酒のブレンドと変わらないのだが、腹が痛くなる香水よりは気持ちよく酔える酒のほうがぼくは好きだ。

 ヤオ君とナカヤマさんと近くの「イラク食堂」と呼ばれる店で晩飯を一緒する。イラクから来た人たちがやってる店(らしく)、安くてボリュームもあり、安宿観光者ではひそかに人気のある店だが、ほとんどの人は本当の店名を知らない。

 帰りにヤオ君命名の「正直屋」で飲み物とおやつを買う。
 その正直屋の由来は、他の店があまりに普通にぼったくるので頭にきていたところ、最初から現地値段で売ってくれたその正直さに感動して名づけたのだそうだ。そのエピソードをぼくが気に入ってナカヤマさんや他の日本人に触れ回ったりしたので、ぼくが滞在したほんの数日の間は「正直屋行ってくるわ」がよく聞かれた。

 ビールを飲みながら宿泊している日本人と色々なことを話す。
 イラクで個人で人道支援している女性や、たったいまバグダッドから帰ってきたという自称ジャーナリストの男性とかと話しができてとても勉強になった。さらにあの3人組の1人である高遠氏の書いた情報ノートを見つけ、それをワーワー言いながら写真に収める学生を見て、それほどすごいことなのかと考えてみたりもした。ノートは事件の1年前に書いたものらしいが、土産話の一つにはなるだろうということで、ぼくもデジカメでパシャリ。ナカヤマさんに画像を送ってくれとお願いされたので帰国後送ってあげた。

 宴もたけなわ、「サミールを救え!!」作戦の立案で盛り上がる。多分あまたの良心的日本人によって交わされたであろうこの会話が今日もクリフホテルで始まる。
 月給120JDで一日中コキ使われるサミールに同情してみんなでいくらかの金を出し合い、彼とその家族で新しい宿を経営させたらどうか、というのがその骨子だが、それをサミールに相談すると遠慮気味に笑み返すだけ。少しアラブ語ができる人に詳しく話しをしてもらうと、100万円あれば宿をオープンさせて半年は稼動できるかもというサミールのお言葉をいただき、一同さらに気合が入る。サミールには120JDから300JDへ給料アップを条件提示。
 1人5万か10万か、法的にはどうなのか、現地に1人駐在すればできるのではないか、活発に意見は出たが、やはり最後の最後は誰も決断ができない。そうなってくると若い頃深夜のファミレスで語り合った夢の自社ビルと何も変わらない。

 結局盛り上がったまま、誰も日本の豊かな生活を捨てたくないし、5万10万の金も結果的に出せないという身もふたも無い泥沼に入ったとみんなが言わずとも自覚する。
 ただサミールが、日本でさえ既に小数になったであろう日本的心配りができる人物として存在しているのは事実であって、その彼を慕って観光資源がほとんど無いアンマンに再訪する日本人が何人もいるという現実は決して消えない。
 なんとしても彼には成功してもらいたいものである。

 ヨルダン ヨルダン/アンマン クリフホステル 2004年7月14,15,16日泊
クリフホステル クリフホステル
宿泊料3泊で9ヨルダンディナール、バス・トイレ共同、ファン付
バックパッカーでアンマンに宿を取る際に、誰もが必ずここを選択肢の一つとするであろう有名ホステル。イラクで拉致されたあの3人がバグダッドへ向けて出発した宿(3人ともが宿泊していたわけではない)として日本のTVでも何度も登場した。
それよりもどうして人気宿なのかという明確な理由がある。それはここの従業員であるサミールの人柄の良さに負うところが多い。彼と接した人間(日本人は特に好きらしい)は彼の人柄に感動し、そしてリピーターとしてこのホステルではなく彼に会いに戻ってくる。シェアルームで3ヨルダンディナールという相場的には普通の値段ではあるが、あのオーナーの態度を見ていると、このホステルがもっているのはひとえにサミールのお陰であると断言できる。
チェックアウト時にオーナーがいるとシャワー代1回0.5ヨルダンディナール余分に取られるが、サミールはそれをおまけしてタダにしてくれる。本当に最高の男です。気の利き方がアラブ人(パレスチナ難民の二世です)ではなく日本人なのです。最近増加の一方を辿るマナーの欠落した日本人と交換で彼を日本に移民させてやりたいと思う(詳しくは「サミールを救う会」まで)。

7月13日へ トップページに戻る 7月15日へ